上 下
4 / 17

2.大福はレジカウンターにいる①

しおりを挟む
 開店十分前、今日も客注品や雑誌を満載にしたブックトラックをレジカウンター横につける。僕が大急ぎでレジ入金をするすぐそばで、岡内さんがどっさどさとコミックが入ったビニール梱包を下ろし始めた。

「おそろしい冊数ですね……」
「まーこの量なら週末に完売かな?」
「そのコミックだけで六百冊くらいありませんか?」
「前の巻は四百ちょいだったからがんばったよねー」

 口調はのんびりしているが手元の動きはとらえられないくらい早い。岡内さんがシュリンクの準備をしているのは大人気の少年コミック『物怪モノノケの牙、大竜タイリュウの尾』の最新刊だ。

 アニメが大当たりして既刊は完売御礼、どれだけ重版しても在庫が追いつかず、ひとつ前の巻が店にないまま新刊の発売日になった。流行りにうとい僕でもアニメの映像を見たことがある。

 正確には刀の切っ先を狙う大福にじゃまされて音しか聞こえなかったんだけど。

 岡内さんがこんな猛スピードでシュリンク袋にコミックを入れるなんて、お客さんは何時にくるのだろう。

「大福、ちょっと早めにスタンバイを……」

 有線放送のスイッチを押しながら見渡したけれど、大福の姿が見えない。目をこらしているとコミックを大量に抱えた岡内さんが叫んだ。

「大福ちゃん、そこどいて!」

 大福はシュリンカーの上で香箱座りをしていた。先日、あずきさんが「シュリンカーをつけてもらいましょう」と言ってたけれど、それは暖房器具じゃない。

 僕が抱き上げようとすると大福は後ろ足で蹴り上げてきた。

「大福、ここを開けて!」
「寒いからいやにゃー」
「だからこれはヒーターじゃ……」
「コミックごとシュリンクしちゃうよ!」

 殺気立った岡内さんの一喝で大福はシュリンカーからとび降りた。彼女は大福が座っていた天板に袋入りのコミックを積み上げ、目にも止まらぬ早さでベルトコンベアに流していく。

 お客さんが来る前にコミック雑誌の紐かけは終わらせようとビニール紐を手にすると、大福はすぐそばで必死に顔を洗っていた。

「オカアサン怖いにゃ」
「お母さんじゃなくて岡内さんだよ」
「タイヨウがオカアサンって言ってたにゃ」
「う……確かにこないだ間違えたけど……」

 中学生男子と高校生男子を育てる岡内さんは肝っ玉母さんのお手本みたいな人だ。アルバイトの学生が連絡なしに遅刻して注意するのは店長じゃなくて岡内さんだし、ジュース片手に騒ぐ女子高生や、ポテトをつまみながらコミック売り場に入る男子高校生に一声かけるのも彼女だ。

 「お母さん」と呼んだのは僕だけでないらしく、「いいわよ、お母さんで」と明るく笑いとばしてくれた。

 母さんは物静かな人だった。父さんは陽気な人で、いつも母さんを笑わせようとしていたっけ。

「大福はお母さんっておぼえてるの?」
「オカアサン、そこにいるにゃ」
「岡内さんじゃなくて、大福を生んだお母さんねこのこと」
「オカアサンネコってなんにゃ?」

 僕は紐かけする手を止めた。お母さんねこをおぼえていないのか。僕と出会う前の大福はどうやって生活していたんだろう。

「お母さんねこっていうのは……」

 説明しようとした矢先に開店時間となり、レジにお客さんが殺到した。誰もが例のコミックを手にしている。

「いらっしゃいませ、おはようございま……」

 言い切らないうちに最初のお客さんは「コリオスペイで」と携帯電話のQRコードをかざした。あの、先にコミック本体のバーコードをスキャンさせて下さいませんか。

「いらっしゃいませにゃ。ポイントカードはお持ち……」

 次のお客さんも大福の悠長な接客を待つことなく会計を終えてしまった。

 気づけば店の敷地の外まで列ができていた。大福の「またお越し下さいませにゃ」も待たずに、次々とお客さんが流れ込んでくる。

 TVガイドと総合誌の品出しをしていた斎さんが息を切らしながら走ってきた。彼女がレジを開けると同時にあずきさんがカウンターにとび乗る。

「お待たせいたしました。お次のお客様、こちらへどうぞ」

 あずきさんが朝からレジに立つなんてめずららしい。彼女たちは阿吽の呼吸で接客用語を交わし、お客さんをさばき始めた。

 相変わらず正確で早いなあと見とれていると小銭を取りこぼした。飛びつこうとした大福を上からつかむ。感心してる場合じゃない。

「いらっしゃいませ。袋は……」
「あります」
「いらっしゃいませにゃ。ポイント……」
「今日はいいです」

 レジを打ち続けること三十分、お客さんの列が解消される気配はない。大福はやる気をなくしてふて寝しているし、客注品を仕分けることもできない。

 お客さんが小銭をそろえる合間に僕はそっと声をかけた。

「あの、斎さん。客注品はどうしますか」
「もうすぐ清水くんが品出しを終えてくるから。それまでレジに……」

 言い切らないうちにまた長蛇の列ができた。岡内さんは鬼のようなスピードでシュリンクし終えたコミックを新刊台に積み上げている。

「岡内さんもコミックが終わったらレジ番だし、箱明けはあとで店長に……あっ来たわ」

 菱江店長が早めに出勤したのかと思ったら、汗だくになった清水くんが書籍扱いのコミックを抱えてかけてきた。

ともちゃん、お待たせ。新刊箱だけ開けてきた」
「早いわね、ありがとう。先に文庫の新刊だけ並べてくるからレジをお願いできるかしら」
「うん。岡内さん、これお願いします。店分の特装版、けっこう入ってました」

 二人はお客さんの切れ目で手早く会話をした。例のコミックの特装版と書籍扱いのコミックを受け取った岡内さんは「やったじゃーん、二日は持つわー」と笑顔になる。

 斎さんはレジの「サインオフ」のボタンを押すと、清水くんの肩を叩いた。

「あずきもお願いね、ゆうちゃん」
「うん」
「あなたならお願いされてもよくってよ」

 清水くんがうなずくと同時にあずきさんが言った。彼は「どうも」と頭を下げてレジに入る。

 斎朋美ともみさんと清水悠之介ゆうのすけくんは家がご近所の幼なじみだそうだ。

 ラグビー部の清水くんは目が合えば子供が泣き出すほどの強面で、背が高く体もがっちりしている。声もドスがきいて怖い。

 けれど斎さんを「朋ちゃん」と呼ぶときや、あずきさんといるときは豆柴みたいに小さく見えるのが不思議だ。

「あの、何か」

 清水くんの声で我に返った。料理雑誌を突き出した女性が怪訝そうな顔で僕を見ている。

「いえっ、何も!」

 ありません、と敬語を使いそうになって口をつぐんだ。代わりに大福が「ポイントカードは青色にゃ」と接客をする。大福にフォローをしてもらうなんて情けない。

 斎さんは真後ろのカウンターで客注品を分けながらお客さんの問い合わせを受け、電話をかけながら売り場の案内をして出版社に注文もするという荒業をやっている。

 ふと気づくとあずきさんがじっと僕を見ていた。水晶玉みたいな瞳に心を見透かされたような気がして、思わず目を反らした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

何でも屋さん

みのる
大衆娯楽
とある寂れた商店街の一角に佇む、“一般的な物から、世にも不思議な物まで…売ってないものは何も無い”がうたい文句な店、その名も『何でも屋さん』。 今日も店は、静かに繁盛する…。 ※1話のみseiiti氏とのコラボ小説であります!👮(ネタはseiiti氏提供)…の予定が、seiiti氏、たくさんネタを提供して下さるのでみのるはほぼ…考えていませぬ。 提供:(基本)seiiti氏 加筆、校正:みのる…と言ったところですかね(笑) 何処から読んでも…恐らくお話は分かるハズ(!?)

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

さすがさんと春色の研究

早川史生
キャラ文芸
 地元の本屋さん、久万河書店でアルバイトをはじめた栞里は、晴れて女子大生の肩書を持つことを許された大学一年生。大好きな本に囲まれる仕事だけれど、どうやら“本”が集まる場所には“謎”が生まれることがあるようで……?   同じ本を二度購入しようとする女性。  立て続けに起きる女子高生の返品。  置き忘れ去られた傘に行方不明の婚約者。  事実は小説より奇なりの謎ばかりでさっぱりの栞里。だけど大丈夫。なんていったって、〈さすが〉なこの人がついている!  無口で無表情、何を考えているかわからない。――けれど、魔法使いみたいに謎を解く。そんなふしぎでさすがな「さすがさん」こと貴家颯太郎と並木栞里。書店で働くふたりの〈日常の謎〉シリーズ春の弾。

お隣さんはヤのつくご職業

古亜
恋愛
佐伯梓は、日々平穏に過ごしてきたOL。 残業から帰り夜食のカップ麺を食べていたら、突然壁に穴が空いた。 元々薄い壁だと思ってたけど、まさか人が飛んでくるなんて……ん?そもそも人が飛んでくるっておかしくない?それにお隣さんの顔、初めて見ましたがだいぶ強面でいらっしゃいますね。 ……え、ちゃんとしたもん食え? ちょ、冷蔵庫漁らないでくださいっ!! ちょっとアホな社畜OLがヤクザさんとご飯を食べるラブコメ 建築基準法と物理法則なんて知りません 登場人物や団体の名称や設定は作者が適当に生み出したものであり、現実に類似のものがあったとしても一切関係ありません。 2020/5/26 完結

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

サキコとカルマ

駒野沙月
現代文学
小さな書店に務める書店員、宮下咲子は大学生バイトの少女から一冊の小説を押しつけられる。 少女の一押しだというその本の作者は、人気作家のカルマ。彼(?)は自身の素性を一切明かさないまま、ヒット作を出版し続ける覆面作家だった。 カクヨム、小説家になろうにも掲載しています。 表紙画像はあさぎかな(https://kakuyomu.jp/users/honran05)様に作成して頂いたものです。

処理中です...