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2.大福はレジカウンターにいる①
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開店十分前、今日も客注品や雑誌を満載にしたブックトラックをレジカウンター横につける。僕が大急ぎでレジ入金をするすぐそばで、岡内さんがどっさどさとコミックが入ったビニール梱包を下ろし始めた。
「おそろしい冊数ですね……」
「まーこの量なら週末に完売かな?」
「そのコミックだけで六百冊くらいありませんか?」
「前の巻は四百ちょいだったからがんばったよねー」
口調はのんびりしているが手元の動きはとらえられないくらい早い。岡内さんがシュリンクの準備をしているのは大人気の少年コミック『物怪の牙、大竜の尾』の最新刊だ。
アニメが大当たりして既刊は完売御礼、どれだけ重版しても在庫が追いつかず、ひとつ前の巻が店にないまま新刊の発売日になった。流行りにうとい僕でもアニメの映像を見たことがある。
正確には刀の切っ先を狙う大福にじゃまされて音しか聞こえなかったんだけど。
岡内さんがこんな猛スピードでシュリンク袋にコミックを入れるなんて、お客さんは何時にくるのだろう。
「大福、ちょっと早めにスタンバイを……」
有線放送のスイッチを押しながら見渡したけれど、大福の姿が見えない。目をこらしているとコミックを大量に抱えた岡内さんが叫んだ。
「大福ちゃん、そこどいて!」
大福はシュリンカーの上で香箱座りをしていた。先日、あずきさんが「シュリンカーをつけてもらいましょう」と言ってたけれど、それは暖房器具じゃない。
僕が抱き上げようとすると大福は後ろ足で蹴り上げてきた。
「大福、ここを開けて!」
「寒いからいやにゃー」
「だからこれはヒーターじゃ……」
「コミックごとシュリンクしちゃうよ!」
殺気立った岡内さんの一喝で大福はシュリンカーからとび降りた。彼女は大福が座っていた天板に袋入りのコミックを積み上げ、目にも止まらぬ早さでベルトコンベアに流していく。
お客さんが来る前にコミック雑誌の紐かけは終わらせようとビニール紐を手にすると、大福はすぐそばで必死に顔を洗っていた。
「オカアサン怖いにゃ」
「お母さんじゃなくて岡内さんだよ」
「タイヨウがオカアサンって言ってたにゃ」
「う……確かにこないだ間違えたけど……」
中学生男子と高校生男子を育てる岡内さんは肝っ玉母さんのお手本みたいな人だ。アルバイトの学生が連絡なしに遅刻して注意するのは店長じゃなくて岡内さんだし、ジュース片手に騒ぐ女子高生や、ポテトをつまみながらコミック売り場に入る男子高校生に一声かけるのも彼女だ。
「お母さん」と呼んだのは僕だけでないらしく、「いいわよ、お母さんで」と明るく笑いとばしてくれた。
母さんは物静かな人だった。父さんは陽気な人で、いつも母さんを笑わせようとしていたっけ。
「大福はお母さんっておぼえてるの?」
「オカアサン、そこにいるにゃ」
「岡内さんじゃなくて、大福を生んだお母さんねこのこと」
「オカアサンネコってなんにゃ?」
僕は紐かけする手を止めた。お母さんねこをおぼえていないのか。僕と出会う前の大福はどうやって生活していたんだろう。
「お母さんねこっていうのは……」
説明しようとした矢先に開店時間となり、レジにお客さんが殺到した。誰もが例のコミックを手にしている。
「いらっしゃいませ、おはようございま……」
言い切らないうちに最初のお客さんは「コリオスペイで」と携帯電話のQRコードをかざした。あの、先にコミック本体のバーコードをスキャンさせて下さいませんか。
「いらっしゃいませにゃ。ポイントカードはお持ち……」
次のお客さんも大福の悠長な接客を待つことなく会計を終えてしまった。
気づけば店の敷地の外まで列ができていた。大福の「またお越し下さいませにゃ」も待たずに、次々とお客さんが流れ込んでくる。
TVガイドと総合誌の品出しをしていた斎さんが息を切らしながら走ってきた。彼女がレジを開けると同時にあずきさんがカウンターにとび乗る。
「お待たせいたしました。お次のお客様、こちらへどうぞ」
あずきさんが朝からレジに立つなんてめずららしい。彼女たちは阿吽の呼吸で接客用語を交わし、お客さんをさばき始めた。
相変わらず正確で早いなあと見とれていると小銭を取りこぼした。飛びつこうとした大福を上からつかむ。感心してる場合じゃない。
「いらっしゃいませ。袋は……」
「あります」
「いらっしゃいませにゃ。ポイント……」
「今日はいいです」
レジを打ち続けること三十分、お客さんの列が解消される気配はない。大福はやる気をなくしてふて寝しているし、客注品を仕分けることもできない。
お客さんが小銭をそろえる合間に僕はそっと声をかけた。
「あの、斎さん。客注品はどうしますか」
「もうすぐ清水くんが品出しを終えてくるから。それまでレジに……」
言い切らないうちにまた長蛇の列ができた。岡内さんは鬼のようなスピードでシュリンクし終えたコミックを新刊台に積み上げている。
「岡内さんもコミックが終わったらレジ番だし、箱明けはあとで店長に……あっ来たわ」
菱江店長が早めに出勤したのかと思ったら、汗だくになった清水くんが書籍扱いのコミックを抱えてかけてきた。
「朋ちゃん、お待たせ。新刊箱だけ開けてきた」
「早いわね、ありがとう。先に文庫の新刊だけ並べてくるからレジをお願いできるかしら」
「うん。岡内さん、これお願いします。店分の特装版、けっこう入ってました」
二人はお客さんの切れ目で手早く会話をした。例のコミックの特装版と書籍扱いのコミックを受け取った岡内さんは「やったじゃーん、二日は持つわー」と笑顔になる。
斎さんはレジの「サインオフ」のボタンを押すと、清水くんの肩を叩いた。
「あずきもお願いね、悠ちゃん」
「うん」
「あなたならお願いされてもよくってよ」
清水くんがうなずくと同時にあずきさんが言った。彼は「どうも」と頭を下げてレジに入る。
斎朋美さんと清水悠之介くんは家がご近所の幼なじみだそうだ。
ラグビー部の清水くんは目が合えば子供が泣き出すほどの強面で、背が高く体もがっちりしている。声もドスがきいて怖い。
けれど斎さんを「朋ちゃん」と呼ぶときや、あずきさんといるときは豆柴みたいに小さく見えるのが不思議だ。
「あの、何か」
清水くんの声で我に返った。料理雑誌を突き出した女性が怪訝そうな顔で僕を見ている。
「いえっ、何も!」
ありません、と敬語を使いそうになって口をつぐんだ。代わりに大福が「ポイントカードは青色にゃ」と接客をする。大福にフォローをしてもらうなんて情けない。
斎さんは真後ろのカウンターで客注品を分けながらお客さんの問い合わせを受け、電話をかけながら売り場の案内をして出版社に注文もするという荒業をやっている。
ふと気づくとあずきさんがじっと僕を見ていた。水晶玉みたいな瞳に心を見透かされたような気がして、思わず目を反らした。
「おそろしい冊数ですね……」
「まーこの量なら週末に完売かな?」
「そのコミックだけで六百冊くらいありませんか?」
「前の巻は四百ちょいだったからがんばったよねー」
口調はのんびりしているが手元の動きはとらえられないくらい早い。岡内さんがシュリンクの準備をしているのは大人気の少年コミック『物怪の牙、大竜の尾』の最新刊だ。
アニメが大当たりして既刊は完売御礼、どれだけ重版しても在庫が追いつかず、ひとつ前の巻が店にないまま新刊の発売日になった。流行りにうとい僕でもアニメの映像を見たことがある。
正確には刀の切っ先を狙う大福にじゃまされて音しか聞こえなかったんだけど。
岡内さんがこんな猛スピードでシュリンク袋にコミックを入れるなんて、お客さんは何時にくるのだろう。
「大福、ちょっと早めにスタンバイを……」
有線放送のスイッチを押しながら見渡したけれど、大福の姿が見えない。目をこらしているとコミックを大量に抱えた岡内さんが叫んだ。
「大福ちゃん、そこどいて!」
大福はシュリンカーの上で香箱座りをしていた。先日、あずきさんが「シュリンカーをつけてもらいましょう」と言ってたけれど、それは暖房器具じゃない。
僕が抱き上げようとすると大福は後ろ足で蹴り上げてきた。
「大福、ここを開けて!」
「寒いからいやにゃー」
「だからこれはヒーターじゃ……」
「コミックごとシュリンクしちゃうよ!」
殺気立った岡内さんの一喝で大福はシュリンカーからとび降りた。彼女は大福が座っていた天板に袋入りのコミックを積み上げ、目にも止まらぬ早さでベルトコンベアに流していく。
お客さんが来る前にコミック雑誌の紐かけは終わらせようとビニール紐を手にすると、大福はすぐそばで必死に顔を洗っていた。
「オカアサン怖いにゃ」
「お母さんじゃなくて岡内さんだよ」
「タイヨウがオカアサンって言ってたにゃ」
「う……確かにこないだ間違えたけど……」
中学生男子と高校生男子を育てる岡内さんは肝っ玉母さんのお手本みたいな人だ。アルバイトの学生が連絡なしに遅刻して注意するのは店長じゃなくて岡内さんだし、ジュース片手に騒ぐ女子高生や、ポテトをつまみながらコミック売り場に入る男子高校生に一声かけるのも彼女だ。
「お母さん」と呼んだのは僕だけでないらしく、「いいわよ、お母さんで」と明るく笑いとばしてくれた。
母さんは物静かな人だった。父さんは陽気な人で、いつも母さんを笑わせようとしていたっけ。
「大福はお母さんっておぼえてるの?」
「オカアサン、そこにいるにゃ」
「岡内さんじゃなくて、大福を生んだお母さんねこのこと」
「オカアサンネコってなんにゃ?」
僕は紐かけする手を止めた。お母さんねこをおぼえていないのか。僕と出会う前の大福はどうやって生活していたんだろう。
「お母さんねこっていうのは……」
説明しようとした矢先に開店時間となり、レジにお客さんが殺到した。誰もが例のコミックを手にしている。
「いらっしゃいませ、おはようございま……」
言い切らないうちに最初のお客さんは「コリオスペイで」と携帯電話のQRコードをかざした。あの、先にコミック本体のバーコードをスキャンさせて下さいませんか。
「いらっしゃいませにゃ。ポイントカードはお持ち……」
次のお客さんも大福の悠長な接客を待つことなく会計を終えてしまった。
気づけば店の敷地の外まで列ができていた。大福の「またお越し下さいませにゃ」も待たずに、次々とお客さんが流れ込んでくる。
TVガイドと総合誌の品出しをしていた斎さんが息を切らしながら走ってきた。彼女がレジを開けると同時にあずきさんがカウンターにとび乗る。
「お待たせいたしました。お次のお客様、こちらへどうぞ」
あずきさんが朝からレジに立つなんてめずららしい。彼女たちは阿吽の呼吸で接客用語を交わし、お客さんをさばき始めた。
相変わらず正確で早いなあと見とれていると小銭を取りこぼした。飛びつこうとした大福を上からつかむ。感心してる場合じゃない。
「いらっしゃいませ。袋は……」
「あります」
「いらっしゃいませにゃ。ポイント……」
「今日はいいです」
レジを打ち続けること三十分、お客さんの列が解消される気配はない。大福はやる気をなくしてふて寝しているし、客注品を仕分けることもできない。
お客さんが小銭をそろえる合間に僕はそっと声をかけた。
「あの、斎さん。客注品はどうしますか」
「もうすぐ清水くんが品出しを終えてくるから。それまでレジに……」
言い切らないうちにまた長蛇の列ができた。岡内さんは鬼のようなスピードでシュリンクし終えたコミックを新刊台に積み上げている。
「岡内さんもコミックが終わったらレジ番だし、箱明けはあとで店長に……あっ来たわ」
菱江店長が早めに出勤したのかと思ったら、汗だくになった清水くんが書籍扱いのコミックを抱えてかけてきた。
「朋ちゃん、お待たせ。新刊箱だけ開けてきた」
「早いわね、ありがとう。先に文庫の新刊だけ並べてくるからレジをお願いできるかしら」
「うん。岡内さん、これお願いします。店分の特装版、けっこう入ってました」
二人はお客さんの切れ目で手早く会話をした。例のコミックの特装版と書籍扱いのコミックを受け取った岡内さんは「やったじゃーん、二日は持つわー」と笑顔になる。
斎さんはレジの「サインオフ」のボタンを押すと、清水くんの肩を叩いた。
「あずきもお願いね、悠ちゃん」
「うん」
「あなたならお願いされてもよくってよ」
清水くんがうなずくと同時にあずきさんが言った。彼は「どうも」と頭を下げてレジに入る。
斎朋美さんと清水悠之介くんは家がご近所の幼なじみだそうだ。
ラグビー部の清水くんは目が合えば子供が泣き出すほどの強面で、背が高く体もがっちりしている。声もドスがきいて怖い。
けれど斎さんを「朋ちゃん」と呼ぶときや、あずきさんといるときは豆柴みたいに小さく見えるのが不思議だ。
「あの、何か」
清水くんの声で我に返った。料理雑誌を突き出した女性が怪訝そうな顔で僕を見ている。
「いえっ、何も!」
ありません、と敬語を使いそうになって口をつぐんだ。代わりに大福が「ポイントカードは青色にゃ」と接客をする。大福にフォローをしてもらうなんて情けない。
斎さんは真後ろのカウンターで客注品を分けながらお客さんの問い合わせを受け、電話をかけながら売り場の案内をして出版社に注文もするという荒業をやっている。
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