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如月ゆすら

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8巻

8-2

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『リョク・フェオール』

 短い魔法語マジック・スペルと共に、重なったルーナとリュシオンの手がうっすらと光を放つ。

(確か、登録の魔法語……)

 リュシオンの口から紡がれた呪文がどういったものか思いだしつつ、ルーナは促されるままに絵画から手を離した。

「あらかじめ決められた魔法語マジック・スペルと、登録者の魔力。その二つで作動する〈転移門〉だ。わかったら、さくっと全員の登録をすませるぞ」
「わかりました。なら次は僕が」

 そう言ってカインが前に出る。全員が登録を終えると、リュシオンはルーナを見つめながら自分の右耳を指差した。

「連絡はルーナに」
「うん、わかった」

 ルーナは胸元にあるペンダントを握りしめ、コックリとうなずいた。
 彼女の瞳と同じ緑色の宝石で飾られたペンダントは、リュシオンのピアスとついとなる、通信の魔道具マジックツールなのだ。
 自分の意図がしっかりと相手に伝わったのを確認したリュシオンは、部屋を出て行く。
 それを見送った後、皆それぞれジーンの容体を心配し、落ち着かない時間を過ごしたのだった。


     †


 リュシオンからの連絡があって数秒後。ルーナたちは、〈転移門〉によって、ジーンのいる客室へと移動した。
〈転移〉後に振り返れば、そこにあるのは一枚の大きな絵画が掛けられた壁。おそらくそれは、先ほどいた部屋のものと対となっており、こちらからも〈転移〉が可能なのだと思われる。
 ルーナたちが〈転移〉したのは、客間のリビングのようだ。ジーンが眠る寝室のドアはその奥にある。
 そこへ、タイミング良くリュシオンが寝室の方から現れた。

「リュー、兄様は?」

 ルーナは一歩前に出て、勢い込んで尋ねた。
 ジーンの回復の鍵を握る『神木の実アンブロシア』。それを採りに向かったシリウスとレグルスがまだ帰ってきていないため、これ以上の回復が見込めないのだ。

(しぃちゃんとれぐちゃんだって、急いでくれているはず。わたしたちが向かえばひと月もかかる行程だもん。それが数日ですむだけありがたいよね。でも、もどかしいな……)

 ルーナはそんなふうに思ってしまう自分を恥じ、顔をうつむかせる。すると、それを察しただろうリュシオンが口を開いた。

「ジーンは大丈夫だ。実はしぃれぐたちが戻ってきた」
「えっ!?」

 瞬時に顔を上げ、ルーナは目を大きく見開いた。そして、慌ててリュシオンに詰め寄る。

「しぃちゃんたちが戻ったの? 神木の実は? 兄様は回復したの?」

 矢継やつばやに質問を繰り出され、リュシオンは答える隙もない。しかし、結果を知りたくて仕方のないルーナには、そのわずかな時間でさえもどかしかった。

「待て、落ち着け、ルーナ!」
「待てない! 兄様は? しぃちゃんたちはちゃんと神木の実アンブロシアを持ち帰ってくれたの!?」
「いや、だから落ち着けって」

 両腕を掴み、身を乗り出すようにしてリュシオンを問い詰めるルーナに、リュシオンは珍しく焦った様子でたしなめた。

「ルーナ、静かにしないとジーンが起きる」
「あ……」

 リュシオンの一言に、ルーナはハッと口元を押さえる。
 一瞬にして黙ったルーナに苦笑し、リュシオンはポンッと彼女の頭に手を置いた。そして、二人のやり取りを見守っていた面々に向けて話し出す。

「ジーンの容体は良好だ。今は眠っているが、顔を見てもらえば皆も納得すると思う。ただな……」

 良い報告に安堵の表情を浮かべる皆を見回した後、リュシオンは言い淀んで言葉を呑み込んだ。その様子に、ルーナは顔を強張こわばらせる。

「何かあったんですか?」

 皆の疑問を代表し、カインが尋ねた。するとリュシオンは、何かを躊躇ためらうように息をついた後、肩を竦める。

「いや、俺が説明するより一見にしかずだろう」

 そう言うと、リュシオンはきびすを返し、寝室のドアへと向かった。

「リュー?」

 心許こころもとなさそうなルーナの呼びかけに、リュシオンは首だけで振り返る。しかし、それに応えることなく、彼は目線だけでついてくるようにうながした。
 ルーナたちは不安にさいなまれながらも、仕方なくリュシオンに続いたのだった。


     †


 王宮がこの場所に移されてより百年という年月が流れている。
 当然のように、王子宮と呼ばれるこの建物も、同じだけの年月を経ていた。
 しかし、ルーナの目の前の扉は、小さな音さえ立てることなく、すんなりと開いていく。これは王宮に勤める者たちが、日々点検や手入れを欠かさないからなのだと察せられる。
 ゴクリ。
 知らず喉を鳴らしながら、ルーナは開いた扉の先に目をやった。
 大きな寝台の真ん中には、眠るジーンの姿。

「ジーン兄様!」

 ルーナは弾けるように駆け出すと、寝台の横から眠るジーンを覗き込んだ。
 この部屋に運び込まれた時、ジーンは瀕死としか言いようのない状態だった。高熱のためひたいから汗が噴きだし、かと思えば耐えがたい寒さを感じていると言わんばかりに、ぶるぶると震える身体。
 息は荒く、短く吐き出される苦しげな呼吸に、見ている者までもが息苦しさを感じるほどだった。
 本来なら付きっきりで看病したかったルーナだが、ジーンの負傷は内密にされている上に、彼女は学院に通っている身だ。兄の状態をおおやけにできない以上、平日に容易たやすく寮から出ることはできない。
 その上、彼が養生しているのは王宮の一室。たとえ学院のことがなかったとしても、気安く見舞いになどいけるはずもない。
 それゆえに、彼女は兄のことを心配しつつも、すべてが上手く行くように祈ることしかできなかったのだ。

「兄様……」

 そっとつぶやきながら、ルーナはジーンの頬に手を添える。
 数日前の苦しげな様子は欠片かけらもなく、血色の良くなった顔で眠る姿を見て、ルーナはほっと胸を撫で下ろした。
 確かめるように触れていた手を離したところで、彼女の袖がツンツンと引っ張られる。

風姫ふうきさん」

 風の精霊王の姿を目に留め、ルーナは微笑みを浮かべた。それにつられるように、風姫も笑顔になる。

『もう安心じゃ』
『ええ。すっかりと瘴気しょうきは消えたわ』

 風姫に続き声をかけたのは、ルーナを挟んで反対側に立つ水姫だ。その横には焔王えんおうディグルレーメの姿もある。
 別段、精霊たちが姿を隠していたわけではない。だが、先ほどまでのルーナには、寝台に眠るジーンしか目に入っていなかったため、彼らの存在に気づかなかったのだ。
 決してわざとではないが、尽力してもらった精霊たちに失礼な態度を取ってしまったと、ルーナは申し訳なさそうに眉を下げた。
 そんな彼女の心情を察したのか、風姫が大らかに笑ってみせる。

『よいよい、ジーンが心配であったのだろう』
「ごめんね。皆が兄様を守ってくれてたのに……」

 しゅんと項垂うなだれるルーナに、今度は水姫がその手を握って答えた。

『大丈夫よ、るーちゃん。あなたがを大事に思っていることはわかってますもの』

 水姫が『わたくし』を強調すると、ムッとした風姫がすぐさま反論する。

『待て水姫! 「わたくし」じゃ、おぬしだけ大事に思っているようではないか!』
『え? その通りでしょう?』
『ふざけるな! そんなわけがあるか! ルーナが大事に思っておるのはわらわだ!』
『まぁ、それこそ図々ずうずうしい……』

 わざとらしく驚愕きょうがくする水姫を見て、風姫の額にビシリと怒りマークが現れる。そんな精霊王二人のやり取りに、焔王は呆れた顔で肩を竦めた。

「焔王さんもありがとうございます」

 侃々諤々かんかんがくがくと言い合う風姫と水姫に苦笑しつつ、ルーナは焔王へと礼を述べる。それに対して彼は、いかめしい顔をわずかにほころばせ、彼女の頭に大きな手のひらを載せた。
 なでなでと、焔王の手のひらがルーナの頭を行き来する。
 最初は照れながらも彼の行為を黙って受け入れていたルーナだが、その手がいつまで経っても離れないことにだんだんと困惑していく。

「あ、あの、焔王さん?」

 ルーナがおずおずと声をかけるが、焔王は「ん?」と首を傾げただけで頭を撫でるのを止めようとしない。

(えっと、わたしの頭を撫でるのが気に入ったのかな……)

 犬猫を撫でるのが止められないのと同じ感覚なのか。そう納得する彼女だったが、それで納得しない存在がいた。

「おい! いつまで触るつもりだ!」
「そういうのを『せくはら』と言うのだぞ!」

 とがめる声に、ルーナは頭に焔王の手を載せたまま振り向く。
 精霊たちと同じように、一直線にジーンのもとに向かったため、追い抜いてしまった存在――シリウスとレグルスだ。しかも、通常の犬猫サイズではなく、本来の大きさになっている。

「あ……しぃちゃんとれぐちゃんもごめ――」

 謝罪を述べようとしたルーナだったが、驚きのあまり続く言葉を呑み込む。彼らの後ろに、この場にいるはずのない姿を認めたからだ。

「え? ぺ、ペリアヴェスタさん!?」

 もう会うことすらないだろうと思われた、懐かしい聖獣の姿。
 ルーナは信じられないと目を大きく見開いたまま、彼の名を叫んだのだった。


     †


「久しいな」

 エアデルトにある霊峰れいほうロズワルド。そこにある神域において、『神木の実アンブロシア』のる、聖木をまもる神獣ペリアヴェスタ。
 黄金色こんじきの角を持つ美しく雄々しい鹿の姿をした彼は、久方ぶりに会うルーナに目を細めた。

「え、え? どうして?」

 あまりにも予想外の再会に、ルーナは目を白黒させる。



(兄様に必要なのは『神木の実』だよね? 神獣さんは連れてくる必要ないよね? というか部屋の中に大きな鹿さんって……いくらジーン兄様にしか目がいかなかったとはいえ、しぃちゃんれぐちゃんだけじゃなくて、ペリアヴェスタさんの存在にも気づかなかったわたしって、ある意味すごいかも?)

 混乱するあまり、ルーナの思考がれていく。そんな彼女を、付き合いの長いシリウスとレグルスはすぐに察したようだ。

「落ち着け、ルーナ」
「まずは深呼吸だぞ」

 シリウスがなだめ、レグルスが提案する。
 ルーナは素直に応じると、すぅはぁと大きく深呼吸をした。
 そうして心に余裕ができると、彼女は改めてペリアヴェスタを見つめる。

「ペリアヴェスタさんがここにいるなんて、本当に驚いた」
「うむ。だが、この者は知っていたはずだが?」

 ペリアヴェスタは首を巡らせると、近くにいたリュシオンを示した。そこでルーナは、リュシオンが言っていた『一見にしかず』の意味を悟る。

(なるほど、リューはペリアヴェスタさんが来てるってことを言いたかったのね)

 ルーナが納得している横で、リュシオンはペリアヴェスタと面識のないフレイルとユアンに声をかけた。

「ルーナとカインから話を聞いたことはあるだろう? 神木の実アンブロシアまもる神獣ペリアヴェスタが彼だ。もっとも俺も先ほど初めて会ったわけだが」

 苦笑いのリュシオンに、フレイルとユアンも同じ笑みで応える。
 彼らはペリアヴェスタのことを直接は知らないものの、ルーナやカインから話は聞いていた。とはいえ、実際にお目にかかることなど想像もしていなかったのだ。
 ユアンは神々こうごうしいばかりのペリアヴェスタを前に、しみじみと考える。

(シリウスとレグルスはともかく、マルジュ高原で会ったお猿姉妹ちゃんといい、このペリアヴェスタさんといい、こんなにあっさり神獣と遭遇していいのかなぁ。本来おとぎ話みたいな存在だよ? 一生涯まみえることのない人の方が圧倒的に多いはずなのにさ)

 そして彼がふと横を向くと、そこには同じように複雑そうな表情のフレイルがいた。

「――でもさ、これって見方を変えればすごい幸運だよね」

 何気なくつぶやいたユアンに、フレイルは驚いた顔を向けた後、フッと口元を緩める。

「ああ、確かにな」
「――とりあえず疑問や何かはあるだろうが、ここはまずい。居間の方へ移動しよう」

 皆の反応が落ち着くと、リュシオンが提案する。
 回復したとはいえ、疲れは残っているのだろう。ぐっすりと眠るジーンの睡眠の邪魔をするのは本意ではない。
 皆はうなずきを返すと、ドアを開けた彼に続いて寝室を出て行った。


 長方形のローテーブルを挟んで置かれた二脚の長椅子には、リュシオンとカイン、フレイルとユアンがそれぞれ座っている。
 また、ローテーブルの短辺にある一人掛けのソファには、ルーナが座った。
 風姫と水姫は、彼女のソファの肘掛けに左右分かれて陣取っている。さらにルーナの足元には、犬猫サイズになったシリウスとレグルスがはべっていた。
 残りの精霊王である焔王は、まるで護衛のようにルーナの後ろに立っている。
 そして、神獣ペリアヴェスタは、守護者たちに囲まれたルーナの対面にたたずんでいた。
 王子宮の客室に相応ふさわしい豪華な部屋に、巨大な黄金色の鹿がいる――そのことに、その場にいた誰もが大きな違和感を覚えて、顔を引きらせていた。

(子鹿とかなら、千幸の時に動画で見たことがあるんだよね。保護してきた野生の子鹿と家の中で一緒に生活してるっていう……でも、あんな立派な角を持った大きな鹿さんが室内に仁王立ちっていうのは、なんていうかシュールだよね)

 正面にいるため嫌でも目に入る光景ペリアヴェスタに、ルーナはただただ遠い目をするしかない。
 室内に神獣がいるという不思議な状態に困惑しながらも、リュシオンが問いかける。

「あー……座ってくれというのもアレだしな。ペリアヴェスタ殿はそのままで良いか?」
「構わぬ」

 ペリアヴェスタは、なんでもないことのように淡々と答えた。

(いや、こっちは色々構うんだがな……)

 リュシオンは心の中でため息をつくと、気を取り直して口を開いた。

「まずジーンのことだ。皆もさっき彼の姿を見て安心しただろうが、シリウス、レグルス、そしてペリアヴェスタ殿のおかげで、無事神木の実アンブロシアを口にすることができた」
「よかった……」

 告げられた内容に、ルーナは思わず声を漏らす。
 ジーンが神木の実を口にしたところは見ていないが、彼の顔色が良い方に変化しているのは一目でわかった。神木の実のおかげだということは明白だ。

「ペリアヴェスタさん、神木の実を融通してくれてありがとうございます。あの、このお礼はどうしたら良いですか?」

 ルーナは深々と頭を下げた後、不安そうに尋ねる。
 カインの異母兄であり、エアデルトの王太子であるユリウスを救うため、以前ルーナたちはペリアヴェスタを訪ね、神木の実をもらうために神域の浄化を請け負った。
 そのことを思い出し、今回も対価を支払うべきだとルーナは考えたのだ。そのために、わざわざペリアヴェスタがここに来たのかもしれないとも。
 そんな彼女の考えを、ペリアヴェスタは軽く首を振って否定した。

「本来ならば、そなたが言うように神木の実を与える際に、対価を求める。だが、前回そなたたちが尽力してくれたことは、今回の対価をおぎなってもあまりある。それゆえに礼など気にすることはない」
「いいんですか?」

 ペリアヴェスタの言葉に、ルーナは戸惑いながら聞き返す。

「うむ」

 重々しくペリアヴェスタがうなずくと、ルーナは素直に頭を下げた。
 ルーナはペリアヴェスタから、自分の足元にいる獣たちに視線を移す。

「しぃちゃん、れぐちゃん。神木の実を取りに行ってくれてありがとう。それに、前回エアデルトの神域を二人が頑張って浄化してくれたおかげで、ペリアヴェスタさんは神木の実を融通してくれたわけだし。本当にありがとう」

 心を込めたルーナの礼に応じるように、二匹は彼女にり寄る。
 そんな獣たちの可愛らしい仕草に、ルーナは我慢ができないとばかりに手を伸ばし、両手でそれぞれの首筋をわしゃわしゃと撫でてやる。
 いつまでも終わらなさそうなルーナと獣たちの交流に、ムッと顔をしかめたのは風姫だ。
 ツンツンと彼女の服を引っ張ると、風姫は顔を向けたルーナに言った。

『話はまだ始まったばかりだぞ!』
「あっ……!」

 風姫の指摘に、ルーナはハッと手を止めると、慌てて姿勢を正す。すると、手を離してしまった彼女を見て、風姫がニヤリと笑い、シリウスとレグルスが残念そうに項垂うなだれた。

「えーっと、続き、どうぞ?」

 自身の失態を誤魔化すようにルーナがうながすと、カインが苦笑しながら口を開く。

「ペリアヴェスタ殿、神木の実をいただくのに問題がないのでしたら、何故あなたがここに?」

 ペリアヴェスタがここに現れた理由。
 対価を要求するためではないとすれば、皆、その理由にまったく見当もつかなかった。
 皆がペリアヴェスタの言葉を待つ中、先んじてリュシオンが告げる。

「それについて話があるんだったな」
「話?」

 ルーナは不思議そうに首を傾げてペリアヴェスタを見た。

(ペリアヴェスタさんが、神域を離れてまで告げにきた内容って……)

 内容に心当たりはまったくなかったものの、不吉な予感がルーナの胸によぎる。
 その思いは彼女だけではなかったようで、ペリアヴェスタに集中する眼差しは、それぞれ何かを覚悟したような強いものだった。
 ペリアヴェスタはゆっくりと話し始める。

「我の住まう神域が浄化され、最近ようやく我の力も戻ってきた」

(確か、神域にある神木をまもるために自分の力を注いでいたせいで、ペリアヴェスタさん自身の力が大きく削がれていたんだよね。だから神域を浄化する力もなくて……。でもしぃちゃんたちが神域を浄化したことで、力に余裕が出てきたってことかな)

 神域とペリアヴェスタの事情を思い出し、ルーナは頭の中で情報を整理する。

(あれ? なら困ったことが起きたというより、むしろ良いことだよね? ペリアヴェスタさんの話は心配するようなことじゃないのかな?)

 まだ先の内容は知らないものの、それだけならば朗報と言える。けれどルーナの胸の内は、晴れるどころか不安が渦巻うずまくばかりだった。
 彼女は無意識に胸元にこぶしを押し当てる。そして話の続きをうながすように、ペリアヴェスタに向けて少しだけ身を乗り出した。

「力が戻ったことで、我も外の世界を気にすることができるようになったのだ」
「外の世界ですか?」

 ユアンが興味深そうに尋ねる。
 ペリアヴェスタは、そうだと言わんばかりに彼を見た。

「他の神獣、そして神域と呼ばれる場所を知るそなたたちはよくわかっているだろうが、この世界に神域と言われる場所はいくつかある」

 ペリアヴェスタの言葉に、その場にいた全員がうなずく。
 神域。普通の者ならば、神獣ともどもおとぎ話だと断じる者が多いだろう。
 しかし、ルーナをはじめとしたこの場にいる全員は、皆、一度はそれらの場所へと足を踏み入れていた。
 クレセニアで言えば、つい先ほどまでいた地下水路。そして、マルジュ高原。マルジュ高原では小さな猿の姉妹が、神獣として聖なる花を護っていた。
 カインの祖国である隣国エアデルトであれば、ペリアヴェスタが守る霊峰れいほうロズワルドが挙げられる。
 それに加え、おそらくエアデルト城の一角にあったリラの泉もまた、神域と呼ばれるものだったのだ。

(ざっと挙げただけでも四つ。それに、しぃちゃんたちと出会ったフォルトラムの森の洞窟も、神域なのかな? しぃちゃんたちがあの場所をまもっていたわけではないけど……仮にそれも含めたら五つかぁ)

 ルーナは指折り数えつつ、今さらながら、自分がそれらすべてに足を踏み入れていることに驚く。
 そんな彼女を横目に、ペリアヴェスタは続ける。

「すでに失われてしまった場所もあるが、世界にはまだいくつかの神域が残されておる」
「これ以上あるんだ……」

 呆然とつぶやくルーナに、リュシオンが指摘する。

「まぁ、考えてみればそうだろうな。このクレセニアだけで二か所。エアデルトにも二か所と考えれば、他の国にもひとつやふたつあったとしても不思議ではない」

 フォーン大陸で、三強国と称されるクレセニア、エアデルト、ヴィントス。そのうちの二国で四つもの神域を抱えているのだ。
 ヴィントスや他の小国、それに大陸外の島国にも神域が存在する可能性は高い。

「世界中に神域があるっていうのはわかったけど……」

 今回の件と、話がどうつながるというのか?
 そんな疑問を込めたルーナの言葉に、ペリアヴェスタは重々しくうなずいた。

「神域の中には、最初から神獣がいない場所や、その守護を失った場所などもある。我のように特定の場所を護る神獣が常にいるわけではないのだ。そして、我ら神獣は、守護地を動かぬまでも、わずかながら交流を持つこともあった」
「神獣同士の交流……」
「うむ。とはいえ、ほとんどの者が自分たちの守護する場所から離れることは叶わぬ。自らの近況を時折知らせる程度だった」

 ペリアヴェスタの説明に、ルーナは考える。

(お互いを知ってるけど、直接交流はない……ってことは、文通とかそんな感じなのかな? ああ、ネットでのチャットとか、ビデオ通話みたいなものって考えたほうがわかりやすいかも。ううん、それよりテレパシー的なものっていう方が正しいかもね)

 自分の知っている神獣――ペリアヴェスタとマルジュ高原に住む子猿姉妹たちが、ビデオ通話で話しているところを想像し、ルーナは思わず口元を緩める。

(なんか、想像すると結構可愛いかも……)

 気を抜くと変な笑い声が漏れそうになり、ルーナは頭に浮かんだ画像を慌てて振り払った。

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