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如月ゆすら

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2巻

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   第一章 かれる災禍さいかの種


 誰かを傷つけようとも、守りたいものがありますか?


 クレセニア王国王宮の大広間。ここでは今、華やかに着飾った貴族の男女が集まり、社交にいそしんでいた。
 広い室内の天井には、〈照明ライティング〉の魔法を組み込まれたクリスタルガラスのシャンデリアが並び、いたるところに飾られた生花が、ぜいらしたきらびやかな室内へさらに色を添えている。
 クレセニアの王太子リュシオン・アストゥール・レイ・クレセニアは、そんな大広間を無表情に見渡しながら、給仕から受け取ったグラスに口をつけた。
 つややかな黒髪に瑠璃色の瞳。あと一ヶ月ほどで十七になる王太子の大人びた美貌に、若い娘のみならず会場中の女性が熱い視線を向けている。

(社交という名の腹の探り合いか……くだらない)

 リュシオンが冷めた目でそう評した時、その胸中の声をとがめるように背後から声がかけられた。

「笑顔をお忘れですよ、殿下」

 穏やかに微笑みながら近づいてきたのは、アイヴァン・クレイ・リヒトルーチェ。クレセニア随一の名門貴族、リヒトルーチェ公爵その人だった。

「公爵か……」

 素っ気ないリュシオンの態度にも動じることなく、アイヴァンは口を開いた。

「最近、殿下の愛想笑いもやっと板についてきたと思っていたのですが、そのしかめっ面はよろしくありませんね」
「そうへらへらと笑ってばかりいられるか」

 リュシオンは、口ではとがめつつも面白がるアイヴァンを睨みつけたが、当の本人はそれに対し軽く肩をすくめるだけだった。彼は一歩リュシオンへと近づき、そっと耳打ちする。

「愛想笑いでも人は簡単に騙されます。隙を作るのはよろしくありませんが、意図して作った隙は様々な情報をもたらしてくれるものですよ?」

 言いたいことを言ってアイヴァンが離れると、リュシオンはニヤリと彼に笑ってみせた。

「そうだな。ここに良い見本がいる。見習わせてもらおう」
「光栄ですね」

 皮肉をすまし顔で受け止めると、アイヴァンは近づいてくる貴族へ微笑みかける。
 それが、近づいてくるわずらわしい貴族たちをさりげなくリュシオンから引き離し、さらに自分の方へ引きつけてくれるための行動だと理解すると、リュシオンは表情を緩めた。
 リヒトルーチェ公爵はその端整な容貌と柔らかな物腰、公明正大な人柄でクレセニア王国きっての紳士として知られている。だが実はその一方で、敵と認めた者には容赦がなく、穏やかな笑顔の裏で常に相手の胸のうちを探っているような腹黒い人物だと知る者は少ない。
 彼が気を許すのは家族、そしてほんの少数の人間にだけだ。その少数の側に自分が含まれることがリュシオンには誇らしく、また幸運だとも思っていた。

(忠告はありがたく受け取るとしよう)

 リュシオンは不機嫌な表情を隠して笑顔を作ると、近づいてくる貴族たちに向き直った。


「おおっ、これはリュシオン殿下!!」

 話していた紳士を押しのけるようにして、一人の男がリュシオンの前へと姿を現した。彼はその様子に小さく眉を上げると、男の素性をすばやく記憶から引き出した。

(確か、ラーギ男爵……)

 ラーギ家は元々北方の下級地主ジェントリであったが、現当主から数えて二代前に、戦功によって男爵位をたまわった新興貴族だ。先々代の勇猛な逸話とは裏腹に、現当主は馬に乗るのさえ一苦労であろう体型の男で、武勇ではなくその商才で知られていた。

「リュシオン殿下、今宵こよいはまことに素晴らしいうたげでございますな」

 勢い込んで話しかけてくるラーギに、リュシオンはそっけなくうなずいて返す。何代も続く男爵家とは違い、ラーギは新興の下位貴族のため、今夜のように王宮に招かれる機会は極めて少ない。しかしそんなことは気にしていないのか、彼の態度はここに集うどの上位貴族よりも、よほど馴れ馴れしいものだった。

「せっかくの夜会だ。楽しんでくれれば国王陛下も喜ぶだろう」

 リュシオンが上品に微笑むと、ラーギは思わず見惚みとれて顔を赤らめた。その様子にリュシオンはかすかに顔をしかめるが、ラーギはそれに気づくことなく、それどころか興奮気味に隣に控えていた娘を、彼の前へと押し出した。

「これはわしの娘でアンナと申します。今年十八になったばかりでして。ほら、アンナ。殿下にご挨拶をしなさい」

 ラーギにうながされたアンナは、頬を染めながら腰を折ってリュシオンに礼をとった。

「アンナと申します。今宵こよいはこのような素敵な夜会にご招待いただきありがとう存じます」

 口上を述べるアンナへ「ああ」と素っ気なくうなずいたリュシオンは、そのままその場を立ち去ろうと試みた。しかしそれを阻止するようにラーギが彼の進行方向を巨体でさえぎり、同時にわざとらしく近くにいた知り合いへと声をかけた。

「おおっ、これはクロード殿! 久しぶりでございますな」

 王太子をないがしろにして知り合いに声をかけるなど無礼この上なかったが、リュシオンはこの場を去る好機だと思い、無言できびすを返そうとした。が、どうしても彼を解放したくないらしいラーギは、今度は知人を置き去りにすると、リュシオンへ向き直り早口でくし立てた。

「殿下、娘のことをよろしくお願いいたします。なにしろ社交の場に慣れておりません気弱な娘で。いや、年も近い。きっと話も合うことでしょう」
「まぁ、殿下とお話できるなんて光栄ですわ」

(……タヌキ親父が)

 愛想笑いを崩壊させかけながらも、リュシオンは意思の力でなんとか笑顔を維持する。その間にラーギは重そうな身体を驚くほど機敏に動かすと、娘を置いてその場から立ち去っていった。

(さて、どうしたものか……)

 リュシオンは目の前の男爵令嬢を見やると、小さくため息をついた。
 社交界デビューデビュタント直後の若い娘らしく、清楚さを醸し出す白のドレスではあるが、胸元が大きく開いた大胆なデザインで、こぼれそうなふくらみを自慢げに覗かせている、慎みのないものだ。良識ある貴婦人たちがその装いに眉をひそめているにもかかわらず、アンナは気にした様子もなく微笑んでいた。

(どこが社交に慣れてない気弱な娘だ!)

 見るからに厄介なタイプを前にして、リュシオンは愛想笑いの限界を感じていた。だがその心の内など知るよしもないアンナは、彼の手を両手で握ると潤んだ上目遣いでリュシオンを見上げた。彼女の眼差しには、自分に対する絶対の自信が垣間見える。

「殿下、わたくし少し気分が……。よろしければゆっくり出来る場所にお連れいただけませんか?」

 苦しげに、しかし醜くはならぬように計算された表情ですがりついてくるアンナを、リュシオンは苦々しく見下ろした。

(あのタヌキ親父の娘にしては美しいかもしれないが……態度はまるで娼婦だな)

 彼はそうアンナをき下ろすと、彼女の胸元に押し付けられるようになっていた腕を冷静に引き抜き、通りがかった給仕に声をかけた。

「こちらのご令嬢の気分がすぐれないそうだ。休憩できる場所へ案内してやれ」
「え?」
「はっ、かしこまりました」

 呆然とするアンナの顔に吹き出しそうになりながら、リュシオンは思ったよりも首尾よくかわせたことに満足し、「では」と足早にその場を去った。

(あんな手管にひっかかってたまるか)

 フォーン大陸の列強の一つに数えられるクレセニア王国。その国唯一の男子にして世継ぎの王子というのがリュシオンの立場だ。さらに容姿と才にも恵まれているとくれば、それなりの身分を持つ娘親たちの野心の対象になるのも必然。たとえその強大な魔力マナゆえに恐れられていようとも、それらの者たちの下心が抑制されることはなかった。あわよくば既成事実を作ってしまえ、などと思うやからも一人や二人ではない。
 もちろん彼自身はそれに乗るほど馬鹿でも迂闊うかつでもなかったし、もし相手が涙で同情を誘おうが、それに流されるほど甘くもなかった。

「あんな女をそばに……ましてや未来の王妃などに据えられるかっ」

 そう自らが吐き捨てる言葉で、現在王妃として君臨する人物を否応なく思い出し、リュシオンは忌々しげにうなる。そのまま気分転換にテラスへ出ようとした彼は、後ろからかけられた声に足を止めた。

「どこへ行くつもりかしら? リュシオン」

 刹那、リュシオンは嫌悪で身体を強張らせる。だがすぐに立ち直ると、愛想笑いを浮かべてから振り返った。

「これは義母上ははうえうたげを大変楽しまれているようで、ご機嫌麗しく」

 丁寧に、けれどまったく心のこもっていない態度で、リュシオンは継母へ挨拶した。
 赤味がかった茶色の髪と瞳を強調するような、金糸、銀糸で細かな刺繍をほどこした豪奢なドレスをまとった王妃は、義理の息子からの嫌味な挨拶にまなじりを上げると、腹立たしげな態度で口を開いた。

「ええ、ええ。本当に楽しい夜だわ。それにわたくしがつまらない顔をしていては、招待した者も宴を楽しめないですからね。そうじゃなくて?」
「そうですね。その通りですとも。ですがどうぞご自分が主催される宴のように、破目を外しすぎないようにお願いします」
「なんですって!」

 皮肉をあっさりと返され、王妃は取り繕った平静さを放り出した。だがリュシオンはそんな彼女へにこやかに言葉を重ねた。

「ああ、申し訳ありません。義母上のもよおす宴の盛況さについては、あちこちから色々と耳に入ってくるもので。それから先ほどの答えですが、少しばかり人に酔ったようなので庭園に行こうとしていたのです。では、これにて失礼させていただきます」

 こすりに顔を真っ赤にした王妃が何も言えないうちに、リュシオンは笑顔のままその場を去ると、表情とは裏腹に近寄り難いオーラを振りまきながら、今度こそ開け放たれたテラスへと消えた。


     †


「受け流すにはまだまだ未熟か……」

 テラスからさらに暗い庭園に下りると、リュシオンは自嘲するようにひとりごちた。
 義理の母である現王妃キーラは、前王妃の息子であり、世継ぎの王子であるリュシオンをうとんじている――それは周知の事実であり、そういった感情を実際に向けられるリュシオンが気づかないはずもなかった。
 そんな生さぬ仲の王妃キーラが、自分に対してどんな態度をとろうとも、彼としては受け流すのが最良の策だとわかっている。
 だが理解していたとしても、実際にそう振る舞うのはまだ年若いリュシオンにとって難しいものだ。つい感情が先走り、先ほどのように言い返してしまう場面も多い。もっとも反省するのは自分の未熟な態度であり、放った言葉の内容についてではないのだが。
 庭園を歩き続け、大広間の喧騒けんそうが随分と遠のいた頃、宵闇よいやみの中でリュシオンはその足を止めた。

「そろそろ出てきたらどうだ?」

 大きくリュシオンが声をあげると、かすかな足音と共に、今にも闇に同化しそうな黒ずくめの集団が姿を現した。彼は素早く自分を取り囲む賊たちを冷静に目で追った。

(三、四……六人か)

「俺たちに気づいてて、わざと一人になったってことか?」
「中々肝が据わった王子様だなぁ」

 自分たちの圧倒的優位な状況のもと、男たちはあざけるように話しながらリュシオンとの距離を縮めてくる。闇の中、近づく賊たちの手にキラリと光る銀色の刀身が光るのが目に入った。だがリュシオンは慌てることなく平然と言い放つ。

「クレセニア王太子リュシオン・クレセニアと知っての狼藉ろうぜきか?」
「もちろんさ。よーくわかってるとも」

 リュシオンの問いに軽々しい口調で賊の一人が答える。

「……いいだろう。死ぬ覚悟があるならかかって来い! 『ジ・ケージ』!」

 答えると共にリュシオンは防御や強化、治癒といった白魔法のうち、自身の身体を一時的に強化する〈身体強化〉の魔法を唱えた。それと同時に大きく一歩踏み出すと、彼は目の前にいた男の胸に掌底しょうていを打ち込む。油断していたところに魔法で威力を増した攻撃を喰らい、男は耐え切れずに後ろに吹っ飛んだ。

「なっ!」
「おいっ、油断するなっ!」

 突き飛ばされた相手は倒れ込み、うめき声をあげるとそのまま気を失った。

「全員でかかるぞ!」

 リーダーらしき男が声をあげると、呆気にとられていた全員が瞬時に体勢を立て直した。その統制された動きから彼らがこういった仕事――暗殺を生業なりわいにする者たちだとわかる。

「せめて剣があれば……な」

 油断なく武器を構えて取り囲む敵を前に、リュシオンが小さくつぶやく。それを聞いた周りの男たちは勝ち誇り、下卑げびた笑い声をあげた。

「ハッ、丸腰ではなぁ」
「いくら魔力があっても、この人数では詠唱する前にやられちまうだろうしな」
「よしよし、せめてもの慈悲だ。一瞬で冥界めいかいへと送ってやろう」

 好き勝手な言葉を無言で聞いていたリュシオンは、それらが終わるのを待って口を開いた。

「言いたいことはそれだけか?」

 自らの劣勢を気にすることもない落ち着いた声音に、賊たちが気色ばむ。

「生意気な王子様だぜ。さっさと死んでもらおう!」

 気を取り直すようにリーダー格の男が叫び、それを合図に他の者も一斉にリュシオンへと襲いかかった。凶刃きょうじんが、リュシオンへと届く――その時。

『エラン・リデ・リューム』
「うわぁっ!」

 暗闇に白い軌跡を描き、氷の矢が男たちへと次々に襲いかかる。彼が唱えたのは一瞬にして空気中の水分を凍らせ、無数の矢とする中位の攻撃魔法――いわゆる黒魔法だった。それは比較的簡易な魔法だが、唱える術者の魔力によって矢の数も威力も変わるため、強大な魔力を持つリュシオンが唱えれば、中位といえど侮れないものとなる。
 飛んでくる無数の氷の矢に、男たちは咄嗟とっさに攻撃から防御へと体勢を切り替えたが、人が放つ矢とは違い、魔力を帯びたそれは勢いを削がれることはない。意志を持つかのように容赦なく相手を追い詰め、払い損ねた氷の矢は嫌な音を立てて次々と賊たちの身体へと突き刺さった。

「ぐあっ」

 数秒後に攻撃が止むと、最初に気を失った男を除く五人のうち、三人が下肢や腹部を貫かれて倒れ込み、残りの二人は満身創痍まんしんそういの状態で立っていた。

「依頼人は誰だ?」

 冷淡な眼差しを向けられ、尋ねられた男は息を呑む。今すぐ依頼者を告げて命乞いをしたい衝動にかられ、彼は開きそうになる自らの唇を必死に引き結んだ。

「……言えないか。まぁいい」

 リュシオンは興味を無くしたかのようにひとりごちると、男から目をらす。その瞬間、比較的軽傷だったもう一人が、短剣を手に彼へと飛びかかった。
 男の持つ短剣はまっすぐリュシオンの首筋を狙っており、数秒後には間違いなくその頚動脈けいどうみゃくを掻き切ると思われた。しかし――

『リグ・ソルム』

 リュシオンの冷静な詠唱と共に、彼の手のひらに現れた炎球が風をまとい、短剣を持つ男へと飛んでいった。

「ぐあぁぁっ!!」

 炎球は狙いを違えることなく男の顔へと命中すると、黒い覆面ごとその顔を焼きながら、衰えない威力でその身体を仲間のもとへと弾き飛ばした。
 どさりと足元に男が倒れ込むと、彼の仲間たちは恐怖に顔を引きらせた。

「な、なんだこいつは……」

 おびえながらそう漏らした男を無視し、リュシオンは離れた場所で気絶している男を見やった。

「せめて剣があれば手加減してやったんだがな……まぁいい。一人いれば十分だ」

 その言葉に彼らは先ほどの弱音らしきものが、実は正反対の意味であったことを悟った。それと同時に「一人いれば」の意味も正確に理解したのだった。
 ――一人生かせば十分。残りの運命は死、だと。
 恐怖に目を見開き、リュシオンを凝視するばかりの男たちを余所よそに、彼はゆっくりと片手を上げると魔法語を唱えた。

『ラル・イーデ・セル・カリアス』

 リュシオンの詠唱と共に、彼らの周りを白い光が走り、おりのような〈結界〉を作り出す。それは光の像を結び、すぐに跡形もなく消えた。しかし男たちが我に返って逃げ出そうとすれば、その不可視の壁が彼らの行く手を確かに塞いでいるのだ。

『リグ・ジラード・ソル……』

 ささやくような静かな声が呪文スペルを紡ぐ。それがどんな魔法であるかは彼らに察することはできなかったが、渦巻く大きな魔力は十分に感じ取れた。

「や、やめてくれっ」
「い、命だけは……」

 必死に言いつのる彼らは、すでに冷酷な暗殺者ではなく、今まであやめてきた幾多いくたの者たちの最期さいごと同じ、命乞いをする一人の人間でしかなかった。
 怯える者をあざけり、時にさらなる恐怖を与えて殺してきた男たちは、完全なる敗者の立場に置かれて初めて彼らの心を――命乞いし、財産や身体を差し出しても生きたいと思う気持ちを理解した。
 だがそれがわかったところでもう遅い。『因果応報』、その意味を彼らは身をもって知ることになったのだ。

『……エリテ・フラウ……』
「や、やめっ……」
「いや、だ……死にたくねぇ」

 震える声で懇願こんがんする者たちに、リュシオンは感情のない静かな目を向けたまま詠唱を続ける。
 そして――

『……トラン・バル・ラーダ』

 詠唱が完結すると同時に、結界で作られた檻の中で爆発が起こると、容赦のない業火が彼らに襲いかかる。炎は中の者たちを一人、二人と呑み込み、さらに燃え上がっていった。

「化け……も……の」

 炎に包まれながら、一人の男がリュシオンに向かって吐き捨てる。リュシオンは表情を崩すことなく、黒い炭となる人間たちを見つめながら小さくつぶやいた。

「……化け物……か」


 賊たちがリュシオンに葬り去られ、幾許いくばくかの時間がたった頃。

「リュシオン殿下!」

 遅まきながら騒ぎに気づいたのか、アイヴァンが数人の近衛このえ兵を連れて駆け寄ってきた。

「遅かったな」
「まったく……無茶をされる」

 とがめだてるアイヴァンにリュシオンは苦笑を返す。だが辺りの惨状を目にした近衛兵の表情から畏怖いふや脅威を見て取ると、彼の顔からスッと表情が消えた。
 リュシオンの小さな変化に目敏めざとく気づいたアイヴァンは、その場にいた兵士たちに活を入れるように鋭く声を発した。

「そこの賊を牢へ。命を絶たれないよう、仕込んでいる毒も徹底的に調べろ。歯、一本からだ!!」
「はいっ」
「必ず依頼主を吐かせろ。他の者は死体をすみやかに処理した後、厳重な警戒態勢を取れ。王宮内に賊の侵入を許すなど言語道断だ! 警備を任された近衛の面目にかけても、真相究明をしなければならない!!」
「はっ!」

 兵士たちはアイヴァンの鋭い指示で職務を思い出したのか、呆けていた意識を取り戻すとキビキビと動き出した。

「助かった」

 落ち着きを取り戻した近衛兵たちの様子を見つつ、リュシオンは小さく言った。アイヴァンはそんな彼の二の腕に軽く手を触れると、真摯しんしな目を向けて謝罪の言葉を口にした。

「申し訳ございません、殿下。駆けつけるのが遅くなりました」
「気にするな。近衛の奴らが追いつくのを待たずに外に出たのは俺の勝手だ。もっともそのおかげで上手いことネズミをおびき出せたわけだ。結果としては上々じゃないか」
「それでも……率先して貴方あなたが手を汚す必要はなかったはずです」

 苦渋のにじむアイヴァンの言葉に、リュシオンはフッと口元を緩める。

「今さら……今さらだ。俺の手が血に染まるのがクレセニアの安寧あんねいの代償ならば、俺は何度でもこの手を血に染める。それだけの覚悟はあるつもりだ」
「リュシオン殿下……」
「それが国をになう者の宿命だと思っている」

 きっぱりと迷いなく述べられた決意。それだけ言い残すと、リュシオンは振り返ることなくその場を去った――


     †


 リュシオンが庭園から王宮へと戻ると、先ほどの騒ぎなどまるで嘘のように、大広間では華やかなうたげが続いていた。
 一瞬躊躇ちゅうちょした後、彼はテラスへの階段をゆっくりと上った。だがそこから大広間へ入る気にはならず、手すりに身体を預け、中の様子をぼんやりと眺めていた。

(この中で笑っている奴らの中に、あれを寄越した者がいるはず……)

 リュシオンは宴を楽しむ貴族たちの様子を見ながら、自分を狙った賊が誰の手の者なのかと考え込んだ。王に忠誠を誓いながらも、自らの欲を満たすため平然と裏切り行為を働く者たち。そんな腐ったやからが、平和と言われるクレセニア王国にも確かに存在しているのだ。

(今日の失敗を知らされれば、さぞ肝を冷やすことだろう。そこで馬鹿な行動でもして墓穴を掘ってくれればいいのだが……)

 これ以上考えても仕方ないと大広間から目をらそうとしたリュシオンは、新たにテラスへと出てきた人物に気がついた。

「父上!?」

 クレセニア国王であり、彼の父バートランド・カール・クレセニアの姿に、リュシオンは驚きの声をあげた。

「こんなところで休憩か?」

 リュシオンと同じ豊かな黒髪、整ってはいるが精悍せいかんで野生的な顔立ち。その顔をニヤリと歪ませて声をかけてくる父王に、リュシオンはわざとらしくため息をついた。


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