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如月ゆすら

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13巻

13-1

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   第一章 無慈悲な目覚め


 あなたは、忘却と否定の辛さを耐えられますか?


 ふと、ルーナは目を開いた。

「ここは……」

 彼女は、ゆっくりと身を起こすと軽く頭を振った。
 寝起きだが、意識はしっかりとしている。しかし、自分の状況について認識はできていない。
 ベッドに寝ていたことはわかるが、そのベッド自体、彼女には見覚えのないものだった。

「確か……」

 ルーナは、自身のひたいに手をやると、両目を閉じて記憶を辿る。
 脳裏に浮かぶ最後の場所は、ヴィントス皇国のソイルだ。その領主館の庭園で開かれた、ネイディアと二人だけのささやかなお茶会。
 そこで談笑していた時、二人の前に突然、魔族が現れたのだ。
 その魔族――ラウルは、フレイルやユアンの抵抗など意味をなさない圧倒的な力で、その場を一気に制した。
 だが、ルーナの持つ神宝によって、ラウルの魔力を封じることに成功。今度はこちらの反撃だ、という場面だった。
 もう一人の魔族――バルナドという過去、何度も彼女たちを苦しめてきた男が現れたのだ。
 バルナドの攻撃によって、ルーナは神宝を手から離してしまう。その上、衝撃によって意識を失ってしまったのだ。
 そこまで思い出し、彼女はハッと辺りを見渡す。

「しぃちゃん、れぐちゃん?」

 常に自分に付き添ってくれる、狼と獅子ししの聖獣たち。その姿がないことに、ルーナの胸に嫌な予感がよぎる。
 けれど、敵がいるかもしれない場所で自身の正体を明かせないと考え、わざとルーナから離れている可能性もある。そんな事態を想定し、ルーナは必死に自分を落ち着かせた。
 あの襲撃の後、フレイルたちが魔族を追い払い、安全な場所へ連れて来てくれたのか。それとも、魔族によって連れてこられたのか。
 どちらもあり得そうな状況ではあるが、考えても結論が出るわけではない。
 風姫ふうきたち精霊にしても、魔族の干渉によって近寄れないかもしれない。そのため、フレイルたちと一緒にいることも考えられる。また、彼らは日常的に、ふらりと姿を消すことは多いのだ。今もそうした理由で、傍にいない可能性もある。

(拘束されてるわけじゃないし、良い方に考えよう。でもまずは、ここがどこかってことだよね。誰か聞ける人がいればいいんだけど)

 ルーナはそんなことを思いながら、改めて周囲を見渡した。
 扉や家具はすべて白で統一されており、壁はクリーム色を基調に、金で細かな模様が描かれている。床には柔らかい色目の赤い絨毯じゅうたんが敷かれ、全体的に淡い色彩を持つ部屋のアクセントとなっていた。
 部屋の中央に、ルーナが眠っていたベッドがある。他には、チェストやワードローブ、小型のドロワーテーブルなどが壁際に置かれていた。
 どれも可愛らしいデザインのもので、部屋の雰囲気も含め、女性向けにしつらえられた部屋だと思われた。
 ルーナは意を決すると、上掛けをめくって床に足をつく。
 ふらつくこともなく、しっかりと立てることにホッとしつつ、彼女はゆっくりとドレッサーに近づいた。
 鏡に映るのは、多少寝乱れた自分の姿。
 髪に結んでいたリボンが外れかけていたため、彼女はそれを外すと、置いてあったブラシで乱れた髪をいて整える。
 服装は、ルーナの記憶にあるものと同じだ。着たまま寝たようだが、幸いにも酷いしわは寄っていなかった。
 ルーナは簡単に身支度を整えると、廊下に続いていると思われる、白いドアへと近づいた。
 ドアノブに手をやり、そっと回す。
 ――ガチャリ。
 意外なことに、ドアノブは簡単に回り、鍵がかかっていないことが明らかになる。

「開いてる……」

 ルーナはつぶやくと、緊張しながらドアノブを引いた。予想通り、ドアはあっさりと開く。
 恐る恐るドアの向こうを見ると、そこは廊下で、向かい側にもいくつかドアが並んでいた。

「窓があれば、外の様子がわかるのに……」

 そんなことを言いながら、ルーナは廊下に足を踏み出す。
 辺りの様子を見ても、やはり彼女には覚えのない場所だ。だが、少なくともソイルの領主であるユーリスの住む領主館ではないことはわかった。
 隅から隅まで歩き見たわけではないため、彼女が知らない区間にある場所という可能性はある。
 ただ、貴族のやかたにおいては、建物の様式に合わせて調度品を設置するのが一般的だ。
 そのため、男性向け、女性向けなどのテイストの違いはあるものの、基本的な内装の雰囲気は似ている。ここはユーリスのやかたの内装とはおもむきが異なっていた。
 それに加え、ソイルはヴィントス皇国の都市だ。当然、そのやかたの建築様式は、ルーナから見れば異国の情緒あふれるもの。しかし、今ルーナが歩いている廊下や、先ほどまでいた部屋の様子はそれとは明らかに異なる。
 むしろ、クレセニアやエアデルトの貴族のやかたに多く見られる内装だった。

(やっぱり、両方の可能性があるよね)

 ルーナは、目覚めた時にも抱いた可能性を、改めて考えた。
 気を失った時にいたソイル。それとは違う場所で目覚めた理由について、良いパターンと悪いパターンの両方が考えられた。
 良い方としては、魔族との戦闘により、建物に損傷があった等で、移動を余儀なくされたという場合。
 または、魔族の再襲撃を警戒し、安全のために別の場所へと移ったという場合だ。そうであれば、ルーナは安全圏にいることになるので問題はない。
 悪い方としては、ルーナが魔族に拉致されたというものだ。
 だが、部屋や廊下を歩いてみただけでは、そのどちらの状況かなどわからない。
 現在の場所も見当もつかなければ、それを訊けるような人の姿もないのだ。

「人の気配がしないんだよね……」

 助けられていたのならば、フレイルやユアンがいるはず。彼らが多忙で席を外していたとしても、侍女などが傍に待機しているのが通常だ。だが、それらしい姿はない。
 かといって、拉致されたのであれば、部屋に鍵すらかかっていなかったのはおかしい。
 なんらかの事情で鍵をかけることができないとしても、逃げ出さないように見張りがいて当然だろう。
 しかし、廊下に出ても監視役らしき者の姿もないのだ。

(ネイディア様の姿もないし。もし拉致されたのだったら、なんとか助けないとだよね。……これだけ自由に歩けるなんて、敵が油断しすぎてるように思うけど)

 ルーナは、判断のできない状況に困惑しながらも、答えを探すしかないと廊下を進んで行く。
 そうして突き当たりに差し掛かると、彼女はその横に、階下へ続く階段を見つけた。

(……いきなり殺されるとかないよね。でも、動かないと何もわからないし)

 一瞬立ち止まったものの、ルーナは思い直して足を踏み出す。
 彼女が一歩ずつ階段を下りていくと、踊り場を曲がったところで、階下の廊下が見えた。慎重にその廊下の先をのぞき込むが、やはり人の気配はなかった。

「こんなお屋敷なのに、誰もいないってどういうこと?」

 廊下の長さなどから、それなりの規模の屋敷なのはルーナにもわかる。
 これだけの建物となれば、綺麗に維持するのも大勢の手が必要となるはずだ。それなのに住人どころか、他に使用人の姿もないのは不自然だった。

(ひょっとして、今は深夜とか?)

 ルーナは、ふと思いついて首を傾げる。
 目覚めた部屋の中に、時計らしきものはなかった。
 その上、窓は分厚いカーテンで覆われていたため、外の様子も見られなかった。そのせいで、今が昼なのか夜なのかもわからない状態だ。
 普通なら、起きてすぐに外を確認しただろう。だが、わけのわからない状況に、ルーナも混乱していたのだ。今の今まで、時間について思いを巡らせることがなかった。
 下階の廊下にも窓はなく、魔道具マジックツールの照明があるだけなので、時間を知ることはできない。

(もし、今が深夜なら、通いの使用人はこの時間にはいないっていう可能性もあるよね。……それにしても、思ったより混乱してたのかな。時間とかまったく気にしてなかったよ)

 自分の不手際を後悔しつつ、ルーナは意を決して階段を下りきる。
 そこで彼女は、外の音でも拾えないかと、立ち止まって耳を澄ませてみた。
 しかし、この廊下は両側を部屋で挟まれているせいか、小鳥のさえずりすら聞こえてこない。

(とりあえず、どこからか外の様子を見てみよう)

 ルーナは目標を定めると、一番近くのドアの前に立つ。そして、念のために白いドア板に耳を近づけてみた。

(何も聞こえない……)

 しばらく待ってみても、中から物音はしない。
 ルーナは、緊張しながらも、ドアノブに手をかけた。
 すると、ルーナが寝ていた部屋と同じように、ドアノブはあっさりと回る。
 最初に少しだけドアを開き、彼女はそこから部屋の中をのぞき込んだ。
 そこは、来客用の応接室といった様子の部屋だった。中央にテーブルとソファが置かれており、壁際にいくつか酒の並べられたキャビネットが設置されている。

(よし、誰もいない!)

 ルーナは、すばやく部屋の中に入ると、音を立てないようにドアを閉める。

(まずは、外の様子っと)

 部屋の奥には、分厚い赤いカーテンが掛けられていた。
 窓辺まで近寄ると、ルーナは窓の端に立ち、カーテンをそっとめくる。
 予想した通り、そこには格子のついたガラス張りの大きな窓があった。

「朝……いや、昼?」

 ルーナがつぶやいた通り、外は明るく、青空が見えている。
 この部屋は庭に面しているようで、そこから整えられた庭園が見えた。ただ、建物の周りを生垣いけがきが覆っているせいで、敷地の外の様子はわからない。

「とりあえず、夜じゃないってことはわかったけど、ここがどこなのかとか、なんで人がいないのかってことは謎のままだよね……いっそ、敵でもいいから出てきてくれたらはっきりするのに」

 ルーナは、途方に暮れた様子で独りごちる。
 とはいえ、彼女とて本当に敵に遭遇したいわけではない。あくまで誰もいないからこそ口をついて出た言葉だった。
 しかし、そんな不用意な言葉が、時には『フラグ』を立てることになったりするのだ。
 カーテンを閉め、室内の方を振り返ったルーナは、正面にあるドアのノブが回るのを見て固まった。

(う、うそ⁉)

 廊下を歩いていた時はそれなりに警戒していたルーナだが、ここまで何事もなかったために気を抜いていたのだろう。
 彼女は、隠れることもできず、ただワタワタと周囲を見回した。
 けれど、ルーナがそうしている間に、無情にもドアが開く。

「……ッ!」

 息を呑むルーナの目に、ドアを開けて入ってくる女性の姿が見えた。

(あ、メイドさん……)

 黒のワンピースに白いエプロンのお仕着せを着た女性は、立ちすくむルーナを無表情に見ている。

「あの、ごめんなさい。起きたら誰もいなくて……」

 無言のメイドに対し、ルーナは言い訳するように早口で告げた。
 しかし彼女は、その言葉になんの反応も示さず、表情すら変えない。

「あ、あの、ここはいったい誰のお屋敷なんですか?」

 なんとかコミュニケーションを取ろうと、ルーナはずっと持っていた疑問を口にした。だが、やはりメイドは無表情に彼女を見つめるばかりだ。

(メイドさん、いったいどうしたんだろう?)

 不思議に思い、ルーナはメイドを凝視する。
 メイドの顔色は悪くない。目はしっかりと開かれていて、まばたきもする。だが、その表情は恐ろしいほど『無』だった。
 人形のように無機質な目は、向かいあっているはずなのに視線が合わず、うつろと表現する方がしっくりとくる。

(もしかして、これって、あやつられてる?)

 以前に会った、〈傀儡かいらい〉の魔法によってあやつられた人間たち――メイドの様子は、その時の彼らを彷彿ほうふつとさせた。
 とはいえ、ここでようやく出会えた初めての人間だ。そして、ルーナに対して危害を与える様子がないことから、彼女はダメ元ともう一度話しかける。

「……あなたの主人に会いたいのだけど」

 ルーナがじっとメイドの一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくを凝視して数秒。
 しかしメイドは微動だにしない。

(せめて、何か反応がほしいんだけどなぁ)

 心の中でルーナがぼやく。するとそれに呼応したように、静止していたメイドが唐突に動いた。
 メイドは口を開くことなく、クルリとルーナに背を向ける。そして、すぐ後ろにあるドアを開けて廊下に出た。

「え、ちょ……」

 突然のメイドの行動に、ルーナは呆気にとられるが、すぐに後を追った。
 ルーナが廊下に出てみると、少し先にメイドの姿があった。
 その足取りは規則正しいものだが、ルーナには手足をプログラミング通りに動かすロボットのように見え、不気味に感じる。

(やっぱり、〈傀儡かいらい〉の魔法をかけられているのかな。でも、わたしのことはまったく眼中にないみたいだし、とりあえず危険はなさそうかな。じっとしていても仕方がないし、ついていってみる……?)

 この屋敷で遭遇した人間は、メイドの彼女だけ。冷静に考えれば、様子のおかしい彼女を追うのは危険で軽率な行動だろう。
 だが、ここで立ちすくんでいても、状況は何もわからないままだ。
 ルーナは、少しだけ迷ったものの、メイドが襲ってくるような気配がないことに後押しされ、後を追うことに決めた。
 勝手に出歩いているにもかかわらず、放置されているのだ。それに、メイドの状態は普通ではないが、ルーナと敵対する者――魔族とは関係ない可能性もある。

(とにかく、彼女についていけば他の人がいるかもしれないし……。でも、まだ魔族が関係してないっていう証拠もない。気をつけるに越したことはないよね)

 ルーナは、キュッと手のひらを握りしめる。
 そんな彼女を余所よそに、メイドは長い廊下を無言で歩いていく。そして、廊下の突き当たりに差し掛かったところで足を止めた。

「ここが目的地?」

 ルーナがつぶやくが、やはりメイドからの反応はない。
 メイドは、まるでルーナがそこにいないかのように、気にせずドアノブを掴む。
 ゆっくりと開かれたドアを前に、ルーナは咄嗟とっさに部屋の中から見えないよう、死角へ身体をずらした。
 そのせいで、残念ながらドアが開かれても中の様子はうかがうことができない。
 だが、隠れているはずのルーナへ、中から声がかけられた。

「入ってきたらどうかしら?」

 ルーナの耳に届いたのは、高く可愛らしい女性の声。

「え?」

 聞き覚えのある声に、ルーナはハッとする。
 そして、開かれたままのドアの向こうを、思い切って見た。

「ネイディア……様?」

 ルーナの目に映るのは、布張りの長椅子に腰かけた少女の姿――クレセニア王国第一王女、ネイディア・ヨナ・クレセニアだった。

「そんなところで目を丸くしていないで、入ってきたら?」
「え、あ、はいっ」

 ネイディアにうながされ、ルーナはメイドが押さえたままのドアを通り、部屋に入る。
 大きなシャンデリアに大理石の床、華美な装飾をほどこされた家具。敷かれた絨毯じゅうたんも見事な文様が描かれたものだ。
 そんな豪奢ごうしゃな部屋の中央、暖炉の前の長椅子に座ったネイディアは、いつもと同じ穏やかな笑みを浮かべている。

「ネイディア様! 無事だったんですね!」

 思わず駆け寄るルーナに、ネイディアは笑みを浮かべたまま言った。

「ええ、無事よ。当たり前じゃない」
「ネイディア様……?」

 表情とは反対に、驚くほど冷たいネイディアの声。
 聞き慣れないネイディアの声音に、ルーナは困惑して足を止めた。
 彼女は戸惑いのまま、まじまじとネイディアを見つめる。

「とりあえず座ったらどう? いつまでも突っ立っていたらメイドの邪魔よ」
「あ、はい」

 ルーナは慌てて言うと、ネイディアの向かいにある椅子に腰を下ろした。

「思ったより起きるのが遅かったわね。緊張感の欠片かけらもなく寝ていられるなんて、本当にあなたって大物よね」

 馬鹿にしたような――否、馬鹿にしたネイディアの言葉に、ルーナは反応すらできずに固まる。
 怒るより前に、豹変した彼女の様子に困惑してしまったのだ。
 ルーナが知っているネイディア――それは、王女でありながら謙虚で思いやりがあり、実の母親にしいたげられて育ったにもかかわらず、腐らず生きてきた女性だった。
 気の弱いところはあったが、それが庇護欲を刺激し、守らなければと周囲に思わせる雰囲気がある。
 ルーナも例に漏れず、年上ではあるがネイディアは守る対象という意識が強かった。
 そんなネイディアの、常にはない物言い。それに、ルーナが戸惑ってしまうのも無理はなかった。

「ネイディア様、あの……」

 声をかけたものの、どう次の言葉を継いでいいのかわからず、ルーナは口をつぐむ。
 それを見て、ネイディアはクスリと笑った。

「まぁいいわ。それより訊きたいことがあるんじゃなくて?」

 ネイディアに水を向けられ、気を取り直したルーナは一拍置いて口を開く。

「ここはいったいどなたのお屋敷なんですか?」
「あら、まずは無難な質問ね。いいでしょう、教えてあげるわ。ここはルシェ子爵の領主館よ」
「ルシェ……」

 聞き覚えのない名前に、ルーナは心の中でつぶやく。

(ヴィントスの貴族じゃ、さすがにわかんないよね)

 クレセニアの貴族の名前ならば、ルーナも把握していた。しかし、ヴィントスの貴族と言われれば別だ。
 先日、ヴィントスの貴族年鑑を見る機会はあったが、その時は特定の名前を中心に見ていたため、ルシェ子爵の名には気がつかなかった。

「ああ、一つ面白いことを教えてあげる」
「面白いことですか?」
「そう。あなたはここがヴィントスだと思っているようだけど、違うわよ」
「え?」

 ルーナはネイディアの言葉に、驚きの声をあげた。

「ここはキルスーナ大公国。どう? 驚いたかしら?」

 呆気にとられた様子のルーナを、ネイディアはおかしそうに見る。一方ルーナは、ネイディアから聞いた言葉が頭に浸透するのに、かなりの時間を要していた。
 それもそうだろう。
 キルスーナ大公国。
 北側の国境の大半がエアデルトと接しているが、その東端の一部だけはクレセニアに面している小国だ。
 東西に長い領土のほとんどは、山とそれに付随する森林区域。
 主な市街は北側にある狭い平地に集中しており、山岳地帯との文化水準はかなりの格差がある。洗練された建物の様子から、ここは恐らく平地の都市部――それも公都かそれに近い場所だと思われた。
 キルスーナの君主であるキルスーナ大公は、もともとエアデルトの王族。大公位を持つキルスーナ大公が治めていた領地が、自治権を獲得してできた国だ。
 それを思えば、建物の様式がクレセニアやエアデルトに見られるものというのも納得できる。
 ちなみに、ヴィントスとクレセニア、エアデルトの間に位置する小国群には、このような大公が治める小国がいくつか存在していた。
 ルーナは、驚きすぎて働かない頭で、さらにキルスーナについて思い出そうとする。
 しかし、国についてのおおまかな知識はあれども、その国の貴族についてなど、よほどの有名人でなければ知る機会などない。
 そして、なにより彼女が驚愕きょうがくしたのは、ヴィントス皇国にいたはずの自分が、ヴィントスから遠く離れた――むしろクレセニアに近い国にいたことだった。

(〈転移門〉を使っても、クレセニアからヴィントスまで一週間はかかるはず。馬車ならもっとかかるのが普通だよね? だとしたらわたしは、少なくとも一週間以上意識がなかったってことなの?)

 先ほどまで、ソイルでの出来事は数時間前、あるいは前日のことだろうとルーナは考えていた。
 だが、ネイディアの言葉をそのまま受け取るならば、ルーナが意識を失ってからかなりの時間が過ぎていることになる。

(わからないことが多すぎる……)

 内心でため息をつき、ルーナはネイディアを見た。
 現状では、ネイディアの他に、コミュニケーションが取れないメイドとしか会っていない。
 となれば、普段とは様子が違うことをいぶかしみながらも、ネイディアから情報を与えてもらうしかなかった。

「ネイディア様、ソイルの庭園で魔族に会ってから、何日経っているのですか? それにどうしてわたしたちは、キルスーナの貴族屋敷にいるのでしょう?」
「そうねぇ、あまりにもわからないことだらけじゃ、あなたも気持ち悪いでしょうね。いいわ、答えてあげる」

 ネイディアは、恩着せがましく言って話し始めた。

「まず、あれからどれくらいの日にちが経っているか、だったわね。それは簡単。今日はあれから二日目の昼よ。あなたは昨日一日眠りこけていたってわけ」
「あれから二日……」

 ルーナ自身は、正確な時間経過がわからない。だが、今は昼日中であることをかんがみれば、ネイディアの言うことは合っている。
 だが、それと同時に、彼女の言葉に納得できない部分もあった。
 この屋敷はキルスーナの貴族のもの。そして、ルーナが襲撃に遭ってから、二日もの時間が経っている。
 襲撃が起こったヴィントスとキルスーナの距離を移動するには、ルーナたちのように〈転移門〉を駆使したとしても、二日はあまりにも早い。

「驚いているようね」

 ふふっと楽しげに笑いながら、ネイディアが言う。
 しかし、その言葉には隠し切れない侮蔑ぶべつの色がある。普段とは違いすぎる態度にルーナは未だ戸惑っていた。

「まぁ、ここがどこだなんて、たいしたことじゃないわ。それよりね、ルーナ。わたくしとても嬉しいの。だって、やっと本当の自分でいられるんですもの。これで、あなたに教えてあげることができるわ」
「ネイディア様、いったい何を――」
「そうねぇ、まずは一つ」

 ネイディアは、ルーナの目の前で人差し指を立ててみせる。

「わたくしはあなたの敵」
「え?」

 呆然とするルーナに、ネイディアはニヤリと口角を上げた。
 そして、固まるルーナに構わず、パンッと両手を打ち鳴らす。
 次の瞬間、ルーナとネイディア、人形のようにたたずむメイドという三人だけの空間に、一人の男性が現れた。


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