王妃 ジョア~日本人水島朔が王妃と呼ばれるまでの物語 ~

ぺんぎん

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水島朔 それから 

水島朔の話 ~再会とプロポーズ~

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 キャンプの朝は早い。

 だが、今日はいつもより、さらに早かった。

 まだ暗いうちから、ヘリコプターの音が鳴り止まない。

 隣の部屋では、さきほど生まれたばかりの赤ん坊が轟音に負けじと泣き叫んでいた。

「いま何時よ……」

 夜明け前に赤ん坊を取り上げて、眠ってから一時間も経っていないはずだ。

 部屋の壁に掛けてある時計は五時を指している。

 携帯電話の着信音がさっきから鳴りっぱなしだった。

「朔。起きて」

 ウィルがノックもせずに入ってきたので、わたしは無理やりベッドから身体を起こした。

「起きた」

「来た、来た。もう来た」

 ウィルがドアの方を指しながら言った。

「何が?」

「王様」

「どこの?」

「アドエラの」

「……早すぎない? 今ってば朝の五時よ。アドエラとここはの時差、ないでしょ?」

「でも、来ちゃった」

「来ちゃったって……遠距離恋愛の恋人じゃないんだから……アドエラ王っておじいちゃんなの?」

 お年寄りの朝は早い。

「いや。あそこの国って、今もかなり暗殺の危険があるからって、王様の写真とか公開していないんだよね。だから、アドエラご一行様の中の、誰が王様か、わからなかったけど、とにかく、たくさん来てる。取材クルーも。ご丁寧に世界各国から」

「なんで? 急に決まったんでしょ?」

「顔も知られていない国王が、世界の自国民に向かって顔をさらしてスピーチすることになったって発表されてるらしくて、マスコミが」

 今、そこで教えてくれた。

 ウィルが肩をすくめた。

「ここで? スピーチを? 全世界に発信?」

「そう。ここで。スピーチを。アドエラの国民が一番多い難民キャンプだから、まあ、場所としては、適当だと思う」

 俺でもそうする。

「……化粧してないし、ほぼ徹夜で目の下に隈あるけど、アンナ許すかな?」

「だめだと思います」

 即答だった。

「でも、この睡眠不足だと、コンタクトなんて入らないよ」

「わかってます。でも、いくら何でも、その汚い白衣でないものを着てもらえますか?」

「これが一番綺麗なんだけど」

 ウィルの盛大なため息は聞かなかったことにして、わたしはとりあえず顔を洗い、歯を磨き、乾パンをつまみながら病院を出た。

「……これはすごいわね」

 各国の国旗が貼ってあるカメラとクルーが、キャンプの中心にある広場に集まっていた。

 その空の上を、何台ものヘリコプターが旋回している。

「さぶ」

 わたしは、白衣の前をあわせながら肩をすくめた。

 広場から少し離れた木の下に、見覚えのある背の高い男が、制服を着た人や軍服を着た人に何重にもとり囲まれて、何か話しをしている。

 レンだ。
 あれは、レンだ。
 やっぱり、来ていた。

「レン?」

 わたしは、彼に向かって大きく手を振った。

 レンはこちらに気がつくと、両手を広げて、笑いながらこちらに向かって歩いて来た。

「レン」

 わたしは、駈け寄ってハグをした。

「久しぶりだな。朔」

 レンは大きな腕の中にすっぽりとわたしを入れ、頬にキスをした。

 とたんに、四方八方から、フラッシュがたかれる。

 全く。ゆっくり友人との挨拶もできやしない。

 わたしは彼の腕の中から離れようとして、レンの顔を見上げた。

「元気だった?」

 彼が、あんまりにも老けていて、わたしは、しばし、マスコミがいるのも忘れて、彼の顔を両手で包み込んだ。

「まあまあ、かな」

 彼はハシバミ色の瞳を、まぶしそうに細めてわたしを見つめた。

 わたし達は、カメラのフラッシュの光で、溺れそうだった。

「ご飯、食べてる?」

「ああ。でも、君の顔をみたら、「おにぎり」が食べたくなったよ」

「いくらでも作るわ。あなたのボスは、いつお休みをくれそう?」

「さてね。しばらくは無理そうだ」

「ひどいボスね。評判は良さそうだけどね」

 わたしはようやく彼の腕の中から離れた。

「私のボスを知っているのか?」

 レンは面白そうに言った。

「知らないけど、あなた、アドエラの国の、高官か何かの、警備主任とかじゃないの?」

「まあ、似たようなもんだね」

 彼は今度こそ、声を出して笑った。

 マスコミがわたし達の会話を聞き逃すまいと、じりじりと距離を狭めてくる。

「あとで私の部屋でゆっくり話す時間はある? とっときの珈琲があるの。薄いけど、美味しいわよ」

「ああそれは……」

「すいません。質問をよろしいでしょうか?」

 とうとう、カメラの横に国旗が貼ってある取材班が、待ちきれず口を開いた。

 これに答えたら最後、雪崩のように質問がくるだろう。

「あとでにしてもらおう」

 私の代わりに、レンは見たことのない笑顔でさらりと答えた。

 有無を言わせない圧が、そこにはあった。

 質問をした取材クルーは、あいまいな笑みを浮かべながら、自分の立ち位置に戻った。

「知らない人みたいだった」

 マスコミから離れて、さっきの場所にレンを送りがてら、わたしは笑った。

「取材なんて、慣れてるって感じ。びっくり」

「君の方こそ、慣れているだろう?」

「そうよ。何をしてても、追っかけてくるの。ありがたいことにね。宣伝にもなるし、お互い様なんだけど……だから、マスコミのいる前で、王族には、近づかないことにしているの」

「……なんで?」

「ちょっと友達とハグしただけで、婚約したことにされるのよ。その後ときたら、トイレの中まで追っかけられて大変なのよ。だから、マスコミと一緒の時は、例え友達でも、王族に対しては、握手か、カテーシーにしているの。あなたの国の王様には、どちらがマナーにあってる?」

「そうだな……」

 レンは顔を横に振りながら、両手を広げた。

「多分、どちらも喜ぶよ」





 絞め殺そうと思う。

 というか、今だったら絞め殺せる。

 わたしは、群衆から離れたところで、広場の中央にいるアドエラ国王を、にらみつけた。

 広場の中心では、見知ったはずのレンが、自分の国の人々に向かってスピーチをしているところだった。

 「私は迎えに来た。私達の祖国に、みなさんと一緒に帰るために」

 ああ。レンだ。まごうことのなく彼だ。

 そこに立っているだけで人目を惹き、彼の

 スピーチは、ほんの十分ほどだったが、彼を国民の英雄にするには、十分すぎる時間だった。

 熱狂がさめやらない広場で、彼は紅潮した顔でまっすぐわたしに向かって歩いて来た。

「レゾン・コンバートって言わなかったっけ?」

「ああ。母がつけた私の名だよ。国に登録されている名は、ちょっと長くてね。使いにくいから、いつもはそちらの名を使っているんだ」

 言わなかったっけ?

 レンは笑いながら言った。

「パウルもジョーも知ってるの?」

 ぎっ。

 わたしは彼を睨みながら言った。

「もちろんだ。だから、あの時、一番、命の危険が迫っていたあの夏、あの別荘に匿ってくれたんだ」

 なんてこと。

「まあ、確かに、私は、顔を知られないように、写真を流通させていなかったけどね。まさか、警備主任と思っていたとは」

 くっくと、彼はおかしそうに笑った。

「本名は? なんて言うの?」

「それを私に聞くのか?」

「あたりまえでしょ? 何年騙されてたと思うのよ」

 まったく、みんなして。

 わたしは、自分だけが蚊帳の外に置かれていたことにかなり腹を立てていて、一瞬、彼が驚いた顔をしたのを見逃した。

「どうせ、パウルとジョーと陰で笑ってたんでしょ」

「いや。そんなことは……」

 彼は、笑いながら優しく私の手を取った。

「レジオン・ド・フェルディナント・コンシアンス・アドエラと申します」

 そう言うと、レンはわたしの左手の薬指に、そっとキスをした。

 わたしは、急に、薬品で荒れた自分の手が、気に入っていたはずの、働いてくれるその手を、引っ込めたくなった。



 アドエラ国では、名前を聞くことがプロポーズで、受諾する時は左手の薬指にキスをする。

 わたしがそのことを知ったのは、次の日に写真付きで全世界に配信されたネットニュースで、だった。

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