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水島朔 十九歳

水島朔の話 ~レゾン・コンバート~

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 レゾンは、パウルの大学時代の親友だった。

 ジョーとも顔なじみだったらしく、あまり親しい人をつくらないジョーが、嬉しそうに彼を出迎えた。

 レゾンは、一言で言うと魅力的。だった。

 彼は瞬く間に、わたし達の生活に溶け込んだ。

 皆でゲームをするときは、パウルとジョーがペアになるので、必然的にわたしとレゾンがチームを組んだ。

 レゾンは恐ろしくゲームが強かった。

 ゲームだけではない。

 掃除、洗濯、料理、果ては、屋根の雨漏りまで、鼻唄を歌いながら直してくれた。

 軍隊に長くいたというレゾンは、特に料理が上手だった。

 わたしは時折、自分の台所を明け渡し、台所の片隅にある小さな丸い椅子に座って、勉強をした。

 わたしは彼に数学の問題を教えてもらうかわりに、調味料のありかを教えた。

 彼は、おおざっぱで、あたたかな自分の故郷の料理を作った。

 ジャガイモとベーコンを煮込んだものや、タマネギのパイ、何種類のチーズをあわせたグラタン。

 移民だったジョーのお父さんと同じ国の出身らしく、わたしの料理以外をあんなに美味しそうに食べるジョーを見るのは、初めてだった。

 食事はとにかく、たくさん作った。

 彼は、わたしが痩せすぎていると言って、なんでもかんでも食べさせようとした。

 脱水症状で倒れる前より確実に三キロ太ったわたしは、生まれてはじめてワークアウトなるものを始めた。

 家の中には、つねに笑い声が響き渡った。

 彼の大きな体躯とおおらかな話し方のせいか、パウルとジョーが、いつもよりリラックスしているように見えた。

 地中海の穏やかな太陽と、風と、レゾンのおかげで、わたしは指の先まで元気になった気がした。

 パウルとジョーが二人で出かけると、残されたわたし達は、一緒に難問数学を解いた。

 わたしが数学以外の勉強をし始めると、彼は隣でパソコンを開いた。

 わたし達はたくさん話しをした。

 お互いの家族のこと。

 自分たちの故郷のこと。

 友人たちのこと。

 わたしは玄のことを話し、彼は若かりし頃のパウルの話を面白可笑しく話してくれた。

 話はつきなかったが、沈黙の時も多かった。

 沈黙を埋めようとしなくていいと思えたのは、玄以外の人では、初めてだった。

「朔はどこの大学を受けるんだ?」

 わたしが数Ⅲをぐったりしながら解いていると、レゾンが聞いてきた。

「ソルボンヌ?それともパリ大?」

「ううん。わたしは日本の大学を受けるつもりなの」

「……日本に恋人でもいるのか?」

「いないよ――いないけど……弟も待っているし、母国語の方が有利だから」

 わたしは玄の顔を思い浮かべながら、そう言った。

「モデルとしてこんなに成功していても、大学行くのか?」

「ほんとにね。ほんとにありがたいよね。本当に感謝してるけど、わたしは、生涯の仕事としては、医師を選ぶつもりなの」

 ヒュウ

 彼は軽く口笛を吹いた。

「驚いたね」

「なんで?」

 モデルは全員、世界のお金持ちと結婚して、浴びるような財産を継承する未亡人になるか、法外な慰謝料をもらい、贅沢な生活を送ることを夢見ている。みたいな彼の偏見をかぎ取ったので、わたしはちょっと彼を睨んだ。

「……そうだね。失礼。モデルをしている女性への偏見だ」

 わたしは、彼を許すというように頷いた。

「わたしが小さいとき、友達のお父さんがお医者さんで、弟の命を救ってくれたのよ。
 わたし達姉弟は貧しくて、お金もなかった。
 それなのに、何も聞かず無料で見てくれた。
 それどころか、色んな手続きをしてくれて、弟は病院にかかれるようになって、今は元気にバスケをしているわ。
 モデルの仕事ができるようになったのも、今の生活ができるのも、友達と、そのお父さんのお陰なんだ」

「君が貧しかったって?」

「そうよ?」

「いや。どこかのお金持ちのお家のお嬢様かと思っていた」

「まさか!」

「まさかなのか?」

「まさかだよ」

 わたしは笑った。

「両親も、育ててくれた叔母も死んで、明日食べるご飯も、住むところもなくて、この世界に入ったの。
 日本のエージェントの社長に親代わりになってもらって、今があるの。
 弟とお世話になっている家族のような家にも、本当に感謝している。
 だから、いつかわたしも誰かにわたしがしてもらったことを返したいと思って、医師になろうと思っているの」

 彼はじっとわたしを見つめた。

「レゾン?」

「レンと……レンと呼んでくれ」

 その声があまりに深く、低かったので、わたしは思わず目を伏せた。

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