王妃 ジョア~日本人水島朔が王妃と呼ばれるまでの物語 ~

ぺんぎん

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水島朔 十九歳

水島朔の話 ~ル・ミディ ~

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 ル・ミディと呼ばれる南フランスには、マルセイユやニースといった有名な観光地がいくつもある。

 人であふれる観光地から少し離れると、のどかな村が続いていて、野良猫が石畳の道の真ん中に寝そべったりしていた。

 名前も聞いたことのない小さな村の片隅、森の中に隠れるように二人の別荘が建っていた。

 朽ちかけた木の門から続く小道の両脇に、色とりどりの花が咲いている。

 平屋造りのそこは、パリのアパルトマンのような豪華絢爛さや、芸術家の住まいに漂うあの独特の、センスが良いけれど緊張を強いる空気はどこにもなかった。

 どこか懐かしく、思い出すと心が温かくなるような、そんな家だった。

 立て付けの悪い木のドアを明けると、大きな窓から太陽の光が部屋いっぱいにあふれ、遠くに地中海の青い海が光って見えた。

 暖炉の前には使い込まれた一枚板のテーブルが置かれ、両脇には、形の違う座り心地の良さそうな椅子と、やわらかな色合いのクッションが、座られるのを待っていた。

 手洗いの脇には、錆びた白いホーローの水差しが置いてあり、スミレの花がそっと生けられている。

 奥のバスルームからは、籐で編まれた洗濯物かごが無造作に置かれていた。

「座ってて。今、美味しいお茶をいれるよ」

 そう言ってパウルは立ち上がった。

 わたしは、あひるの子のように台所について行った。なんと言ってもこれからわたしの城になるところだ。

「いいのに」

 パウルはそう笑いながら、やかんはここ。水はそこ、とてきぱきと教えてくれた。

 台所の食器棚には、縁の欠けた青いマグカップと使い込まれた木のスープボウルが雑然と積み上げられている。

 小さな石がはめ込まれた壁には大小の鍋が吊り下げられており、鍋底は煤で黒く染まっていた。

 庭に面する大きな窓から吹き込む風は、「もりしげ」にはじめて行ったあの日の海風と同じ匂いがした。

 お茶は美味しく、わたし達は、しばし無言で鳥の声を聞いていた。

 カウチでうたた寝をし始めたジョーをひとりおいて、パウルとわたしは海の側にある市場へと歩いて行った。

 麻袋に入れられた量り売りの豆類、色とりどりのオリーブの実、様々な種類のにんにくが吊り下げられており、イチゴやブルーベリー、オレンジのような果物が所狭しと山積みされていた。

 大きな黴だらけのチーズの塊が積み上げられ、香辛料売り場の横に見たことのない色の魚が売られている。

 わたし達は抱えきれないくらいの買い物をしてコマネズミのようにいそいそと巣に戻った。

 村の酒屋から買ったぬるいワインを冷やし、大きな鍋に魚介類と野菜を豪快に放り込んだ。

 パウルの笑い声で起きたジョーは、ぶつぶつと言いながら、外に積んであった薪を暖炉に並べた。

 もう夏至も近いが、夕方になるとかなり冷え込む。

 あたためたパンと魚介のブイヤーベース、山盛りのフルーツを、庭からつんできたミモザを飾ったテーブルに、次々と並べていく。

 冷えたワインは、ジョーが楽しそうに開けた。

 パリの緊張感から解放されたわたしたちはよく食べ、よく飲んだ。

「すごくすてきな場所ね」

 わたしは空になったワインの瓶のかわりに、ブランデーを開けてすっかりくつろいだ表情をしたジョーに言った。

「意外だった?」

 パウルが片目をつぶって言った。

「うん。正直、二人の別荘っていうから、お城みたいなところなのかと思ってた」

「私はニューヨークの生まれだ。しかもゴミためみたいなところの」

 わたしは、その夜、ジョーの、ジョン・マークレーという、一人の天才の生い立ちを知った。
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