王妃 ジョア~日本人水島朔が王妃と呼ばれるまでの物語 ~

ぺんぎん

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水島朔 十九歳

水島朔の話 ~バカンス~

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 撮影で行ったテルジアディブの町で、わたしはひどい砂嵐にあった。

 砂漠の真ん中で、危うく命を落とすところだったのだ。

 すんでのところで助けられたが、かなりひどい脱水症状だったらしい。

 適切な治療をうけたし、かなり休んだつもりだったが、一ヶ月経っても、わたしの身体には、脱水症状の後遺症が残っていた。

 何をしていても、何となく。だるい。

 ただでさえ痩せやすいのに、体重は落ちるばかりだった。

 次のコレクションのモデルを務めるのに、このままでは、ワンサイズ落としてドレスをつくらなければならないだろう。

 ジョーが今描いているデザインは、昨シーズンのわたしのサイズでつくっているはずだ。

 実際着てみて、イメージ通りではなかった時の落胆を、ジョーに味わわせたくなかった。

 しっかりしなきゃ。

 何度も自分を奮い立たせるが、どうしても食欲が戻ってこない。

 あの砂漠の国から日本への直行便があれば、『もりしげ』の、食べ慣れたご飯を食べに帰ることができたが、あいにく、飛行機はパリ経由しかなかった。

 ファラヤーン家の二十一番目の王子、アフマド・サラダーヴィーがプライベートジェットで日本まで送ってくれると言ったのを、断らなければ良かった。

 わたしは、今更ながら後悔していた。

 パリの空港まで迎えにきてくれたパウルは、わたしの顔を見るなり、まっすぐアパルトマンに連れ帰り、ベッドに放り込んだ。

 辛うじてご飯を作ることだけは許されたが、向こう一ヶ月、スケジュールは全て白紙にされた。

 ちょうどフランス全土がバカンスシーズンに入ったばかりで、休みもとりやすかったのだと思う。

 この国のバカンスにかける情熱は、日本の祭りのようだ。

 ただ、祭りの期間は数日間で終わるが、バカンスは数週間かけて楽しむもの。

 わたしは、ジョワの仕事がないのなら、日本に帰って中川社長の事務所の仕事をしたいと言いはったが、今回ばかりは、中川社長もパウルも、いつも味方してくれるジョーですら、わたしに仕事をさせる気はないらしかった。

 わたしは二人のご飯を作るほかは、大人しくベッドの上で勉強しながら過ごしていた。

 体調不良もあって、受験勉強はかなり遅れていた。

 世界史の資料集には、ファラヤーン家の歴史と共に、砂漠の写真が載っていて、わたしは、しばし、あの美しさを思い返していた。

「綺麗だったな」

 首都 サンアディブの喧噪。香辛料の匂い。ニカブの隙間から見た砂埃に絡め取られるようなアバヤ。お祈りのために5回停車しながら行った砂漠の町。

 テルジアディブで見た星空と、波打つ砂丘が永遠に続いていた砂漠。空の色に合わせて青から赤へ鮮やかに変化していくグレートサンドシーと呼ばれる聖なる砂の海。

 たまたま同国の出身であったスタイリストさんのすすめでニカブを着て行くことになったが、どこに行っても人の目にさらされていたわたしは、ニカブを着ることによって本来のわたしを取り戻した部分もあった。

 隠すことによる自由と開放感。

 相対するものが、わたしに不思議な安定感をもたらした。

 ヨーロッパのファッション界では自己主張が強くないと生きていけず、元々は引っ込み思案なわたしは、かなり無理して生活している。

 王宮の女性達は、控えめな私の言動を、好感を持って受け止めてくれ、砂嵐に合って体調を崩したわたしを、親身になって看病してくれた。

 一族の母と呼ばれる九十を超えた大婆様に握られた、しわだらけの手の中で、私は一度も知らない祖母というのはこんなにも慈愛に満ちたものかと思った。

 あの国で女性が一人で外出するのは、不可能だったが、アフマドは、砂嵐が起きたのが自分のせいでもあるかのように、すべて付き添い、わたしが見たいと言ったものは、全て見せてくれた。

 あの国の持つ貧困。富の格差。医療制度の脆弱さ。

 王族だった彼は、わたしに見せたくなかったものもあったはずだ。

 だが、彼は、正直に、実直に事実を見せてくれた。

 二十一番目の王子である彼は、小さい頃砂漠の民に育てられたという。

 庶民の感覚と鋭い観察眼。判断力とカリスマ性。

 父王が、彼をことさら目をかけているとジョーが言っていたのがよくわかる。

 王宮で仲良くなった彼の妹、マリヤムとは、今も頻繁に連絡をとっている。

 ベッドから動けないと言ったら、すぐに電話をくれたのが嬉しかった。

 見舞いにくるというアフマドを押さえてくれているのもマリヤムだった。



「朔。バカンスに行くよ」

 だらだらとベッドの中で数学を解いていたら、ぱぱ――んという擬音が聞こえるようなテンションでパウルが部屋に入ってきた。

「いってらっしゃい」

「君も一緒に行くんだよ。もちろん」

「朔には太陽が必要だ」

 スラックスとドレスシャツという、ジョーにしてはくだけた服装をした二人が、踊るように手を広げた。

 フランス人め。

 わたしは移動しなければならない教材を眺めながら奥歯をかみしめた。
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