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水島朔の話 十七歳
水島朔の話 ~軍人さん~
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「大学生?」
「いいえ。高校生です」
彼は、口をへの字にした。
「数学オリンピックにでも、出場するの?」
「大学の受験勉強です」
わたしは笑いながら答えた。
「フランスのバカロレアって、こんなに難しくなったの?」
彼が素っ頓狂な声を出す。
わたしは思わず吹き出した。
「受験するのは日本の大学です。わたしは日本人なので」
「なんてこった。日本人ってのは、大学入るのに、こんな数学解かなきゃなんないのか?」
「ちょっと今、応用に挑戦していて」
「やれやれ。少し都会を離れていたら、大変なことになっていると思ったよ」
「パリではなくどちらに?」
「ちょっと戦場にね。でも、大学はPSLだったよ」
彼は、懐かしそうに問題を書いた紙を見た。
「君は、今日、誰と来たんだ?」
わたしが不思議そうな顔をすると、彼はあわてたように言った。
「いや。この問題を解いたら、お知らせしようと思って」
「ありがとうございます。でも、もう失礼しなければならないので」
数学の解説付きの解答は、たいそう魅力的だったが、時計は九時をさしつつあった。
「そうか。いや。失礼した。わたしは」
彼が名乗る前に、今度こそ「これぞ軍人!」と思われる、彼よりもさらに身体が大きい男性が彼に近づいた。
「失礼します」
耳元で彼に何か囁くと、彼は「すぐ行く」と短く言った。
「久しぶりに楽しかった。ありがとう」
「こちらこそ。本当にありがとうございました」
彼の日焼けした大きな手が、わたしの手を包み込んだ。
迎えに着た男の人が、これ見よがしに腕時計を見た。
彼は頷くと、わたしの数学の問題を大事そうに胸ポケットにしまい、急ぎ足でパーティ会場のドアの向こうに消えた。
顔に残る傷跡のせいか、横顔がひどく老けて見えたのが印象的だった。
明らかに訓練された動きと表情が、彼の厳しい歴史を物語っていた。
誰かのSPだったのかしら。
テールコートを着て、招待客に紛れるSPも多い。
数学の問題を解いていた時の、彼の生き生きした表情をもう一度見たいと思った。
「朔。よかった。ここにいた。そろそろ九時だから車を回しておこうと思って」
彼が消えたドアから、満面の笑顔のパウルがでてきた。
「どうした? ごきげんだな。王様の名刺でももらったかい?」
パウルが、わたしの胸を見ながらウィンクした。
「そんなもんね」
わたしは笑いながら答えた。
「パウルこそ商談うまくいったんでしょう?」
「まあね。ご褒美に、帰ったら、君の鯛茶漬けが食べたいです。缶詰じゃないヤツ」
「まかせて」
わたしは、パウルがとってきてくれたコートを着せてもらいながら快諾した。
「いいえ。高校生です」
彼は、口をへの字にした。
「数学オリンピックにでも、出場するの?」
「大学の受験勉強です」
わたしは笑いながら答えた。
「フランスのバカロレアって、こんなに難しくなったの?」
彼が素っ頓狂な声を出す。
わたしは思わず吹き出した。
「受験するのは日本の大学です。わたしは日本人なので」
「なんてこった。日本人ってのは、大学入るのに、こんな数学解かなきゃなんないのか?」
「ちょっと今、応用に挑戦していて」
「やれやれ。少し都会を離れていたら、大変なことになっていると思ったよ」
「パリではなくどちらに?」
「ちょっと戦場にね。でも、大学はPSLだったよ」
彼は、懐かしそうに問題を書いた紙を見た。
「君は、今日、誰と来たんだ?」
わたしが不思議そうな顔をすると、彼はあわてたように言った。
「いや。この問題を解いたら、お知らせしようと思って」
「ありがとうございます。でも、もう失礼しなければならないので」
数学の解説付きの解答は、たいそう魅力的だったが、時計は九時をさしつつあった。
「そうか。いや。失礼した。わたしは」
彼が名乗る前に、今度こそ「これぞ軍人!」と思われる、彼よりもさらに身体が大きい男性が彼に近づいた。
「失礼します」
耳元で彼に何か囁くと、彼は「すぐ行く」と短く言った。
「久しぶりに楽しかった。ありがとう」
「こちらこそ。本当にありがとうございました」
彼の日焼けした大きな手が、わたしの手を包み込んだ。
迎えに着た男の人が、これ見よがしに腕時計を見た。
彼は頷くと、わたしの数学の問題を大事そうに胸ポケットにしまい、急ぎ足でパーティ会場のドアの向こうに消えた。
顔に残る傷跡のせいか、横顔がひどく老けて見えたのが印象的だった。
明らかに訓練された動きと表情が、彼の厳しい歴史を物語っていた。
誰かのSPだったのかしら。
テールコートを着て、招待客に紛れるSPも多い。
数学の問題を解いていた時の、彼の生き生きした表情をもう一度見たいと思った。
「朔。よかった。ここにいた。そろそろ九時だから車を回しておこうと思って」
彼が消えたドアから、満面の笑顔のパウルがでてきた。
「どうした? ごきげんだな。王様の名刺でももらったかい?」
パウルが、わたしの胸を見ながらウィンクした。
「そんなもんね」
わたしは笑いながら答えた。
「パウルこそ商談うまくいったんでしょう?」
「まあね。ご褒美に、帰ったら、君の鯛茶漬けが食べたいです。缶詰じゃないヤツ」
「まかせて」
わたしは、パウルがとってきてくれたコートを着せてもらいながら快諾した。
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