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水島朔の話 中学
水島朔の話 ~手紙~
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明日がA高校の入試の日。
玄は、持ったばかりのわたしのスマホを、頑張れスタンプで埋めた。
緊張するな。とか、慌てるな。とか書いてある絵付きのメッセージが送られてくるたび、わたしの心はぎゅっと何かにつかまれたようだった。
言わなきゃなあ。
わたしは、今日何度目かのため息をついた。
こんな日に限って、仕事もレッスンも入っていなくて、授業は四十五分授業で、『もりしげ』は定休日で、おばさんと繁昭さんは、町内会の温泉旅行で、満は、友達の家に遊びに行っていた。
勉強も手につかず、何をする気にもなれず、わたしは玄関に立てかけてあったビニール傘を開いて、外に出た。
店先の道路には、夕方から降り始めた雪が、うっすらと積もっていた。
さくさくと雪を踏みながら歩いていたら、いつの間にか、昔住んでいたアパートまで来ていた。
一年ほど前、大家のおばあちゃんは、遠くに住む息子家族に引き取られていき、アパートは取り壊された。
今は更地になって、マンションの建設計画が描かれた看板が、寒々とした空き地に立てかけられている。
「お姉ちゃん。朔お姉ちゃん」
ぼんやり看板を見ていたら、紺のピーコートを着た静ちゃんが立っていた。
静ちゃんは、順当にお嬢様学校で持ち上がり、同じような家庭環境の友達をつくり、絵に描いたみたいなお嬢様になっていた。
「どうしたの。こんなとこで。朔ちゃん、明日入試でしょ」
「う。それは」
「大丈夫だよ。朔ちゃん、うちのお兄ちゃんより成績いいんだから。楽勝。楽勝」
微妙な顔をすると、静ちゃんはそれ以上突っ込んでこなかった。
この育ちの良さよ。
わたしたちは、静ちゃんの学校の様子とか、最近の高屋敷家のことなどをおしゃべりした。
「あ、いけない。私、今日家庭教師だった」
「うん。雪だし、早めに帰ったほうがいいね。お父様とお母様にくれぐれもよろしくね」
わたしは静ちゃんに軽く手を振って別れを告げた。
い――ち
に――
さ――ん
静ちゃんが見えなくなってから、わたしは心の中で数を数えた。
百二十一まで数えたところで、玄が犬のように転びながら走ってきた。
「さっき、静ちゃんに会ったから、ちょっと期待しちゃってた」
わたしは笑いながら言った。
「なんだよそれ。連絡しろよ。スマホ持ったんだろうが」
傘もささずに来た玄の頭には、もう雪が積もっていた。
わたしは背伸びしながらそれを払う。
心臓の音がいやにうるさかった。
「三年間で、ホントに背が伸びたよね」
玄のうなじが赤く染まった。
「あのね」
「あのさ」
二人の言葉が重なった。
「どうぞ」
「いや、そっちこそ」
「いやいやいや。玄から」
「そうか」
そう言って、玄はポケットから小さな白い封筒を、わたしの手に乗せた。
「ほら」
「わたしに? なに?」
わたしはもらった封筒を開いた。
「お前、合格祈願に行ってないだろ。お前の分もお願いしといたから」
封筒の中には、お守りが入っていた。
白い絹の布地に金の糸で「合格」という文字の縫い取りがしてある。
わたしは、玄を見た。
「もらえないよ」
喉がつまってそれだけしか言えなかった。
「いいから。もらっとけ」
玄が、恥ずかしそうに言った。
わたしはそれ以上、何も言えず、小さなお守りを握りしめた。
「送るよ。明日遅刻すんなよ」
「玄」
言わなきゃ。言わなきゃだめだ。
雪はどんどん降ってきて、近くにいる玄が、霞んで見えた。
「ん?」
優しく笑った顔を見て、わたしはそれ以上何も言えなかった。
「なんでもない。一人で帰るからいいよ」
「いや、でも」
「明日は本番でしょ。ほら。雪もひどくなってきているから。ね。お願い」
そう言うと、玄は悔しそうに頷いた。
「明日、がんばってね」
わたしは、万感の思いを込めて言った。
「お前もな」
わたしは、小さなお守りを握りしめて頷いた。
途中で五郎さんのケーキ屋さんに寄って、満の好きなショートケーキを買った。
「あれ。明日入試か」五郎さんの言葉に、高校は決まっていると言うと、入学祝いに焼き菓子をつけてくれた。
『もりしげ』に帰ると、居間にあるコタツで、バンザイのカッコをした満が、すやすやと眠っていた。
中学に入ってから、満はまるで羽化する前のチョウチョのように、どこででも眠った。
部屋のストーブをつけ、満に毛布をかける。
満を起こさないように、コタツにそっと入って、ポケットから玄のお守りを出した。
「ごめんね」
どうしても言えなくて、でも、言わなければ。
スマホを出して、メッセージ打っては消した。
どうしても打てなくて、わたしは大きくため息をついた。
「手紙かな」
白い便せんに書き始めると、驚くほどすらすらと言葉がでてきた。
玄へ
お守りありがとう。本当に嬉しかったです。
事後報告になってごめんなさい。
進学先はI高校にしました。
一緒に受験できなくて残念でした。
でも、お守りは頂いておきます。
二十歳になったら約束通り医学部受験します。
その時は同じ大学に通えるといいね。
一足早く先輩になっていてください。過去問とか、期待しています。
朔
黒いインクがにじんで、何度も書き直した。
これを明日、仕事に行く前に玄の家のポストに入れてこよう。
反射式ストーブのオレンジ色の光が、白い便せんをほのかに照らした。
玄は、持ったばかりのわたしのスマホを、頑張れスタンプで埋めた。
緊張するな。とか、慌てるな。とか書いてある絵付きのメッセージが送られてくるたび、わたしの心はぎゅっと何かにつかまれたようだった。
言わなきゃなあ。
わたしは、今日何度目かのため息をついた。
こんな日に限って、仕事もレッスンも入っていなくて、授業は四十五分授業で、『もりしげ』は定休日で、おばさんと繁昭さんは、町内会の温泉旅行で、満は、友達の家に遊びに行っていた。
勉強も手につかず、何をする気にもなれず、わたしは玄関に立てかけてあったビニール傘を開いて、外に出た。
店先の道路には、夕方から降り始めた雪が、うっすらと積もっていた。
さくさくと雪を踏みながら歩いていたら、いつの間にか、昔住んでいたアパートまで来ていた。
一年ほど前、大家のおばあちゃんは、遠くに住む息子家族に引き取られていき、アパートは取り壊された。
今は更地になって、マンションの建設計画が描かれた看板が、寒々とした空き地に立てかけられている。
「お姉ちゃん。朔お姉ちゃん」
ぼんやり看板を見ていたら、紺のピーコートを着た静ちゃんが立っていた。
静ちゃんは、順当にお嬢様学校で持ち上がり、同じような家庭環境の友達をつくり、絵に描いたみたいなお嬢様になっていた。
「どうしたの。こんなとこで。朔ちゃん、明日入試でしょ」
「う。それは」
「大丈夫だよ。朔ちゃん、うちのお兄ちゃんより成績いいんだから。楽勝。楽勝」
微妙な顔をすると、静ちゃんはそれ以上突っ込んでこなかった。
この育ちの良さよ。
わたしたちは、静ちゃんの学校の様子とか、最近の高屋敷家のことなどをおしゃべりした。
「あ、いけない。私、今日家庭教師だった」
「うん。雪だし、早めに帰ったほうがいいね。お父様とお母様にくれぐれもよろしくね」
わたしは静ちゃんに軽く手を振って別れを告げた。
い――ち
に――
さ――ん
静ちゃんが見えなくなってから、わたしは心の中で数を数えた。
百二十一まで数えたところで、玄が犬のように転びながら走ってきた。
「さっき、静ちゃんに会ったから、ちょっと期待しちゃってた」
わたしは笑いながら言った。
「なんだよそれ。連絡しろよ。スマホ持ったんだろうが」
傘もささずに来た玄の頭には、もう雪が積もっていた。
わたしは背伸びしながらそれを払う。
心臓の音がいやにうるさかった。
「三年間で、ホントに背が伸びたよね」
玄のうなじが赤く染まった。
「あのね」
「あのさ」
二人の言葉が重なった。
「どうぞ」
「いや、そっちこそ」
「いやいやいや。玄から」
「そうか」
そう言って、玄はポケットから小さな白い封筒を、わたしの手に乗せた。
「ほら」
「わたしに? なに?」
わたしはもらった封筒を開いた。
「お前、合格祈願に行ってないだろ。お前の分もお願いしといたから」
封筒の中には、お守りが入っていた。
白い絹の布地に金の糸で「合格」という文字の縫い取りがしてある。
わたしは、玄を見た。
「もらえないよ」
喉がつまってそれだけしか言えなかった。
「いいから。もらっとけ」
玄が、恥ずかしそうに言った。
わたしはそれ以上、何も言えず、小さなお守りを握りしめた。
「送るよ。明日遅刻すんなよ」
「玄」
言わなきゃ。言わなきゃだめだ。
雪はどんどん降ってきて、近くにいる玄が、霞んで見えた。
「ん?」
優しく笑った顔を見て、わたしはそれ以上何も言えなかった。
「なんでもない。一人で帰るからいいよ」
「いや、でも」
「明日は本番でしょ。ほら。雪もひどくなってきているから。ね。お願い」
そう言うと、玄は悔しそうに頷いた。
「明日、がんばってね」
わたしは、万感の思いを込めて言った。
「お前もな」
わたしは、小さなお守りを握りしめて頷いた。
途中で五郎さんのケーキ屋さんに寄って、満の好きなショートケーキを買った。
「あれ。明日入試か」五郎さんの言葉に、高校は決まっていると言うと、入学祝いに焼き菓子をつけてくれた。
『もりしげ』に帰ると、居間にあるコタツで、バンザイのカッコをした満が、すやすやと眠っていた。
中学に入ってから、満はまるで羽化する前のチョウチョのように、どこででも眠った。
部屋のストーブをつけ、満に毛布をかける。
満を起こさないように、コタツにそっと入って、ポケットから玄のお守りを出した。
「ごめんね」
どうしても言えなくて、でも、言わなければ。
スマホを出して、メッセージ打っては消した。
どうしても打てなくて、わたしは大きくため息をついた。
「手紙かな」
白い便せんに書き始めると、驚くほどすらすらと言葉がでてきた。
玄へ
お守りありがとう。本当に嬉しかったです。
事後報告になってごめんなさい。
進学先はI高校にしました。
一緒に受験できなくて残念でした。
でも、お守りは頂いておきます。
二十歳になったら約束通り医学部受験します。
その時は同じ大学に通えるといいね。
一足早く先輩になっていてください。過去問とか、期待しています。
朔
黒いインクがにじんで、何度も書き直した。
これを明日、仕事に行く前に玄の家のポストに入れてこよう。
反射式ストーブのオレンジ色の光が、白い便せんをほのかに照らした。
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お気に入りのご登録本当にありがとうございます。とても嬉しいです。励みになりました。読んでくださって本当にありがとうございました。急に暑くなったり寒くなったりだと思います。お身体お大事になさってください。
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