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水島朔の話 中学
水島朔の話 ~契約~
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部屋に入ってきた中川社長は、じっとこちらを見たまま、身じろぎもしなかった。
わたしは、その視線をはずすこともできず、ただ立っていた。
「社長、しゃちょう」
小山さんが、社長をぞんざいに小突いた。
「ああ、ごめんね。座って」
この人だ。
そうだ。この人だった。
電車に乗ってきたお年寄りを心配そうに見ていた時と同じ、優しい瞳に、優しい声だった。
指輪は、どこの指にもはまっていない。
「来てくれて嬉しいよ。水島朔さん。何年ぶりかな。覚えている? 電車の中で声かけた怪しいおじさん」
「はい」
笑いながら頷いた。
覚えていてくれたのが、嬉しかった。
中川社長は、所属する条件や、仕事と学校との両立についてなどについて、熱心に説明してくれ、自分の事務所に入ることを勧めてくれた。
ええ。入りますとも。
あなたがたった一つのことを約束してくれれば。
ちらりと時計を見ると、中川社長が部屋に入ってきてから、ちょうど三十分が経っていた。
「君はスターになる。絶対。うちの事務所の誰よりも」
今だ。
わたしは、もう一度指輪の跡を確認した。
「本当ですか?」
「もちろん。だから、今度はぜひ、親御さんと来て欲しいんだよ。できれば今日でも明日でも。親御さんがご都合良い時でいいので、電話くれるかな。なんなら今僕が電話をしよう。説明したいこともたくさんあるし」
「ありがとうございます。それは、私を雇っていただけるということでしょうか?」
もう一度、念を押すように言い、大きく息を吸った。
「もちろんだよ。絶対スターになるよ。この子達よりも、ずっと。だからぜひ、親御さんといっしょに」
「いないんです」
「いや、え? いないって?」
「両親はいません。育ててくれた叔母がいたのですが、先日亡くなりました。」
中川社長の開いた口が閉じない。
「私が二十歳になるまで、どうしても保護者が必要なんです。無理なことを言っているのはわかっています。でも、時間がないんです。どうか、どうか、私と弟の保護者になってください」
いきおいよく頭を下げると、額が、ガラスのテーブルにごちんとぶつかった。
「なんでもやります。努力もします。ぜったい後悔させません。だから、ぜひ、保護者になってください」
中川社長の表情が崩れた。
立ったままこの話を聞いていた小山さんが、わたしの向かいに座った。
「この人は、僕の秘書をしてくれている小山冴子さん。もう少し、詳しく話してくれるかな」
中川社長は、ゆっくりとこちらを見て言った。
わたしは包み隠さず話をした。
両親が死んだこと、叔母が死んだこと。
頼れる親戚もおらず、養護施設にひきとられる手続きが進んでいること。
中川社長の目が何度か潤んでいたのは見間違いではないだろう。
同情だろうが哀れみだろうがなんでもいい。
わたしと満を助けてくれるなら。使えるものはなんでも使う。
わたしは話し終えるともう一度姿勢を正した。
中川社長は、悩んでいるようだった。
諾かもしれないが、即答は無理かもしれない。
でも、わたし達には時間がない。
他の人にとられたくないと思うと、焦って自分のものにしようとするんだ。
八百吉の店主の言葉が、頭の中でこだまする。
「社長、お寿司とりますね」
小山さんが立ち上がった。
「寿司でも鰻でもっておっしゃいましたよね」
「あ、そんな気を遣わないでください」
わたしはそう言いながら、持っていた小さなバッグごと思いっきり立ち上がった。
バッグに入っていた名刺の束が、床一面に広がった。
そこに居た人達が、息を飲んだのがわかる。
「お前、バックの口は閉めとけよ」
玄が呆れたように言って、名刺を拾い始めた。
中川社長が腕組みをしながら、黙ってこちらを見ている。
お願い。神様。お父さん。お母さん。叔母さん。
「小山君。寿司の前に契約書だ」
わたしは、緊張のあまり息を吸うのを忘れていたらしい。
その言葉を聞いたとたん、全身から力が抜けるのを感じた。
中川社長を見ると、困ったように苦笑いをしている。
「負けたよ」
かすかな声でそうつぶやいた。
わたしは、その視線をはずすこともできず、ただ立っていた。
「社長、しゃちょう」
小山さんが、社長をぞんざいに小突いた。
「ああ、ごめんね。座って」
この人だ。
そうだ。この人だった。
電車に乗ってきたお年寄りを心配そうに見ていた時と同じ、優しい瞳に、優しい声だった。
指輪は、どこの指にもはまっていない。
「来てくれて嬉しいよ。水島朔さん。何年ぶりかな。覚えている? 電車の中で声かけた怪しいおじさん」
「はい」
笑いながら頷いた。
覚えていてくれたのが、嬉しかった。
中川社長は、所属する条件や、仕事と学校との両立についてなどについて、熱心に説明してくれ、自分の事務所に入ることを勧めてくれた。
ええ。入りますとも。
あなたがたった一つのことを約束してくれれば。
ちらりと時計を見ると、中川社長が部屋に入ってきてから、ちょうど三十分が経っていた。
「君はスターになる。絶対。うちの事務所の誰よりも」
今だ。
わたしは、もう一度指輪の跡を確認した。
「本当ですか?」
「もちろん。だから、今度はぜひ、親御さんと来て欲しいんだよ。できれば今日でも明日でも。親御さんがご都合良い時でいいので、電話くれるかな。なんなら今僕が電話をしよう。説明したいこともたくさんあるし」
「ありがとうございます。それは、私を雇っていただけるということでしょうか?」
もう一度、念を押すように言い、大きく息を吸った。
「もちろんだよ。絶対スターになるよ。この子達よりも、ずっと。だからぜひ、親御さんといっしょに」
「いないんです」
「いや、え? いないって?」
「両親はいません。育ててくれた叔母がいたのですが、先日亡くなりました。」
中川社長の開いた口が閉じない。
「私が二十歳になるまで、どうしても保護者が必要なんです。無理なことを言っているのはわかっています。でも、時間がないんです。どうか、どうか、私と弟の保護者になってください」
いきおいよく頭を下げると、額が、ガラスのテーブルにごちんとぶつかった。
「なんでもやります。努力もします。ぜったい後悔させません。だから、ぜひ、保護者になってください」
中川社長の表情が崩れた。
立ったままこの話を聞いていた小山さんが、わたしの向かいに座った。
「この人は、僕の秘書をしてくれている小山冴子さん。もう少し、詳しく話してくれるかな」
中川社長は、ゆっくりとこちらを見て言った。
わたしは包み隠さず話をした。
両親が死んだこと、叔母が死んだこと。
頼れる親戚もおらず、養護施設にひきとられる手続きが進んでいること。
中川社長の目が何度か潤んでいたのは見間違いではないだろう。
同情だろうが哀れみだろうがなんでもいい。
わたしと満を助けてくれるなら。使えるものはなんでも使う。
わたしは話し終えるともう一度姿勢を正した。
中川社長は、悩んでいるようだった。
諾かもしれないが、即答は無理かもしれない。
でも、わたし達には時間がない。
他の人にとられたくないと思うと、焦って自分のものにしようとするんだ。
八百吉の店主の言葉が、頭の中でこだまする。
「社長、お寿司とりますね」
小山さんが立ち上がった。
「寿司でも鰻でもっておっしゃいましたよね」
「あ、そんな気を遣わないでください」
わたしはそう言いながら、持っていた小さなバッグごと思いっきり立ち上がった。
バッグに入っていた名刺の束が、床一面に広がった。
そこに居た人達が、息を飲んだのがわかる。
「お前、バックの口は閉めとけよ」
玄が呆れたように言って、名刺を拾い始めた。
中川社長が腕組みをしながら、黙ってこちらを見ている。
お願い。神様。お父さん。お母さん。叔母さん。
「小山君。寿司の前に契約書だ」
わたしは、緊張のあまり息を吸うのを忘れていたらしい。
その言葉を聞いたとたん、全身から力が抜けるのを感じた。
中川社長を見ると、困ったように苦笑いをしている。
「負けたよ」
かすかな声でそうつぶやいた。
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