王妃 ジョア~日本人水島朔が王妃と呼ばれるまでの物語 ~

ぺんぎん

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水島朔の話 叔母の家

水島朔の話 ~縄跳びのバイト~

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 玄の妹に縄跳びを教えることにしたその日、家にランドセルを置いて、玄と一緒に、妹の待っている家に向かった。

 玄の家に行くのは、はじめてだった。

 というより、友達の家に行くのが、初めてだった。

 わたしは、がちがちに緊張しながら、玄の後に続いた。




 クラスの子が、玄のことを「金持ち」だと噂していたが、こんなにも立派な家だとは、思わなかった。

 家は漆喰の高い塀に囲まれていて、「ここ俺んち」と言われてから、門に着くまで、しばらく歩いた。

 門の横にある木の扉をガラガラと開けると、砂利に敷き詰められた飛び石の、さらに奥に玄関があった。

「ねえ。玄。こんなとこで縄跳びしたら大変なことになるよ」

 わたしは、砂利の上に落っこちないように、そろそろと飛び石を踏んだ。

「大丈夫だよ。庭でやればいいんだから」

 玄は砂利だろうが石だろうがかまわず、ズカズカと進んで行き、「しずか。帰ってるか。来てくれたぞ」と、うちの台所くらいある玄関で叫んだ。

「お兄ちゃん。おかえり」

 玄の妹の静は、想像していた通りの女の子だった。

 まっすぐな黒い髪は、一糸乱れず背中を覆っており、ふくよかな頬は蒸気したように赤かった。

 静は、わたしを見つけると、恥ずかしそうにぺこりと頭を下げ、そっと玄の後ろに隠れた。

「はじめまして。水島朔です」

 わたしは、静と目線を合わせようと、少しかがんだ。

 耳まで赤くなった静は、嬉しそうに笑った。

 玄のお父さんによく似た笑顔だった。

 わたしは、一目で静を好きになった。

「ここでできる?」

 案の定、庭は芝生が敷かれていた。

 少しだけコンクリートになっている部分もあったので、わたし達は、そこで縄跳びをすることにした。

 静の縄跳びの実力は、聞いていたよりずっとひどかった。

 前とびが少し。

 以上。

 わたしはまず、縄を回さずジャンプをしてもらった。

 なるほど。ここからか。

「大丈夫。すこしづつできるようになるから」

 それは、自分に言い聞かせた言葉だった。

 それでも、言われた通り、ジャンプから練習する静が、かわいかった。

 あまりはじめから飛ばしても、嫌になっては元も子もない。

 縄跳びの嫌いな子は、縄跳びをしている最中に他の子から責められた経験がある子が多い。

 自信が一番。

 わたしは少しでも跳べると大げさに褒め、失敗しても「惜しかった。もう少し」と声をかけた。

「そろそろ終わりにしたら?」

 庭に通じるリビングルームの大きな窓が開いて、細く小柄な女の人が声をかけてきた。

 胸に大きな黒いリボンが縫い付けられている、肌に吸い付くような品の良い白いセットアップを着た品のよさそうな人だった。

「お母さん。みて。十回できたんだよ。初めてなんだよ」

 静が、嬉しそうに母親に手を振った。

「そう。良かったわね」

 全然嬉しくなさそうに、母親は言った。

「こちらでおやつでもいかが」

「いえ。もう帰ります」

「ええ! 食べていこうよ。朔ちゃん。お母さん。今日のおやつなに?」

「俺、今から塾だから、食べたら送るよ」

「いや、近いし、いいよ」

 どう見ても「お母さん」には歓迎されていない。「今すぐ帰る」が正解だ。

「どうぞ」

 静と玄の母親は、有無を言わせない口調で言った。

「はい」

 わたしが思ったのはたった一つ。

 穴の開いた靴下を昨日繕っておいて良かった。だった。



 小さなシャンデリアがある部屋に入ると、ふかふかのソファに座らされた。

 ソファから少し遠いテーブルに、お茶とお菓子が置かれている。

「どうぞ」

 少し力を込めたら割れてしまうような、薄い花柄のカップに入っている紅茶を、おそるおそる、口に含んだ。

 遠い昔、母さんと一緒に毎日飲んだお茶の味がした。

「水島朔さんと、おっしゃったわね。玄と同じクラスなのね」

「はい」

「朔さんのお母様と、クラスの懇談会でご一緒になったことは、なかったかしら?」

「はい」

 多分。

 両親ともにかなり遠いところにいますので。

 わたしは、そう言いたいのをぐっと堪えた。

「静がお世話になるので、お母様にご挨拶したいのですけれど」

 あ、だめだこれは。

 ごまかせないヤツだ。

 こちらがどんな人間か知りたいのだ。

 正確に言うと、どんな家庭環境で育った人間なのかを知りたいのだ。

 言っておいてくれても良かったのに。

 わたしは玄を恨みがましく見た。

 玄はすまなそうに、片手をあげた。

「申し訳ありません。母も父も他界しておりまして、今は、叔母の家に住んでおります」

 わたしは、観念して言った。

「ああ。そうでしたか。では、叔母様にご挨拶を」
 
 お母さんはそれでも引き下がらない。

 ふと。

 玄と静のお母さんがじっとわたしのトレーナーを見ているのに気がついた。

 トレーナーは、あちこちにシミがつき、毛玉がある。

 静のピンクの柔らかなセーターや玄の肌触りの良いパーカーに比べ、お世辞にも綺麗とはいいがたかった。

 ここから逃げ出せたらどれだけいいだろう。

 わたしは、ダッシュで満の待つアパートに逃げ帰りたかった。

 玄が母親に「いいじゃんそんなこと」と言っていた。

 それでも。

 わたしは顔をあげた。

 それでも、わたしは縄跳びを教えるのをやめるわけにはいかない。

 問題集の代わりに静に縄跳びを教えるって、玄と約束したのだ。

「ありがとうございます。でも、叔母はあまり家におりません。静さんに無理させないようにします。これからどうぞよろしくお願いいたします」

 わたしは、立ち上がって深々とお辞儀をした。

 お母さんは気圧されたように頭を引いた。

「そう。わかりました。よろしくお願いします。ただ、わたしが居ないところではしないでくださいね。いいわね。静。玄」

「なんだよそれ」

 玄は不満そうだったが、静がにっこり笑いかけてくれた。

 どうやら母親の許可はとれたらしい。

 わたしは笑うのを見られないように、紅茶をもう一口飲んだ。

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