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水島朔の話 叔母の家
水島朔の話 ~ランドセル~
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結局、満は思うように回復せず、入院することになった。
家には救急車がきて、わたしは生まれて初めて、救急車に乗った。
満は一歩も歩くことなく、清潔な毛布に包まれながら、窓の大きな明るい病室に運び込まれた。
病院のケースワーカーという人が、救急車を呼ぶのにお金はかからないこと。
手続きさえすれば保険証がなくても医療費が無料になることを、わかりやすく教えてくれた。
「なんでそんなことになってんのよ」
叔母は、電話口で怒鳴り声をあげた。
側で聞いていたケースワーカーが、すぐにわたしから受話器を受けとり、状況を説明すると、納得してくれたようだった。
次の日、学校から帰ると、叔母が、部屋で寝ながらスマホをいじっていた。
「満の病院、こっから遠いの?」
顔もあげずに、叔母が聞いた。
忙しげにスマホを操作する指先の、はげかけた赤いマニキュアが目についた。
叔母は、両親のお葬式の日にも同じ色のマニキュアをしていた。
焼き場で両親が煙になっていくときに、わたしは無意識のうちに隣にあったその手を握った。
汚いものでも触ったかのように、わたしの手は強く振り払われ、わたしは、もう二度と、誰かの手に寄りかかることはできない。と教えられたのだ。
でも。
「近くの病院。今から行くけど一緒に行く?」
世界は広く、顔を上げれば差し伸べられている手はあった。
それをつかむのは、つかめるのは、わたしだ。
「行く。あの、なんつったけ。電話口のおばさんが、病院来て手続きしろってさ」
「ケースワーカーの高橋さんだよ」
「そんな名前だっけ」
叔母は、そう言いながらスマホから顔を上げた。
「味噌汁が飲みたい。なんか作って」
わたしは早く病院に行きたかったが、身支度に時間がかかりそうだった。
待っている間に、味噌汁くらい作れそうだ。
「いいよ」
わたしは諦めてランドセルを玄関に置くと、アルミの鍋に水を張って火にかけた。
残っていた白菜を薄く切って、冷凍していた油揚げと一緒に鍋に放り込む。
くたくたに煮立った頃に大家のおばあちゃんからもらった昆布をつけ込んだ味噌をといた。
叔母さんは、鼻唄を歌いながら、ふわふわとした茶色の髪に、くるくるとカーラーを巻き込む。
案の定、こけた頬に何層も白い練り物やら粉やらを塗りつけていた頃、味噌汁が出来上がった。
「はい。どうぞ」
「ん」
叔母は、味噌汁を両手で受け取った。
こんな時、叔母の育ちの良さを感じる。
叔母は、味噌汁を一口飲むと、
「やだ、母さんの味がする」
と言った。
「あ、ごめんなさい」
反射的に、味噌汁を下げようとしたわたしの手を、叔母が振り払った。
「飲むわよ。あんた母さんと会ったことないのに、味噌汁の味が一緒って」
叔母は、面白そうにくつくつと笑った。
わたしは、ほっとして隣にぺたんと座り込んだ。
「ごちそうさま」
叔母はそう言うと、すらりとした背の高い身体にショッキングピンクのワンピースを着込み、盛大に香水をふりかけた。
正直、病院に行くのにむせかえるような香水はやめて欲しいと思ったけれど、そんなこと言ってヘソを曲げられて手続きをしないことにでもなったら、大変だった。
わたしは、なるべく匂いを吸い込まないように浅く息をした。
「さ、行くわよ。なによ。あんたまだ小学生だったの?」
叔母は、玄関に置いたわたしのランドセルを見て眉をひそめた。
「うん」
「でかいからもう中学生になったかと思ってたわ。母さんが大きかったからあたしも姉さんも、あんたも大きいのね」
叔母はそう言って、どう見てもサイズのあっていない黄色のハイヒールに足を突っ込んだ。
家には救急車がきて、わたしは生まれて初めて、救急車に乗った。
満は一歩も歩くことなく、清潔な毛布に包まれながら、窓の大きな明るい病室に運び込まれた。
病院のケースワーカーという人が、救急車を呼ぶのにお金はかからないこと。
手続きさえすれば保険証がなくても医療費が無料になることを、わかりやすく教えてくれた。
「なんでそんなことになってんのよ」
叔母は、電話口で怒鳴り声をあげた。
側で聞いていたケースワーカーが、すぐにわたしから受話器を受けとり、状況を説明すると、納得してくれたようだった。
次の日、学校から帰ると、叔母が、部屋で寝ながらスマホをいじっていた。
「満の病院、こっから遠いの?」
顔もあげずに、叔母が聞いた。
忙しげにスマホを操作する指先の、はげかけた赤いマニキュアが目についた。
叔母は、両親のお葬式の日にも同じ色のマニキュアをしていた。
焼き場で両親が煙になっていくときに、わたしは無意識のうちに隣にあったその手を握った。
汚いものでも触ったかのように、わたしの手は強く振り払われ、わたしは、もう二度と、誰かの手に寄りかかることはできない。と教えられたのだ。
でも。
「近くの病院。今から行くけど一緒に行く?」
世界は広く、顔を上げれば差し伸べられている手はあった。
それをつかむのは、つかめるのは、わたしだ。
「行く。あの、なんつったけ。電話口のおばさんが、病院来て手続きしろってさ」
「ケースワーカーの高橋さんだよ」
「そんな名前だっけ」
叔母は、そう言いながらスマホから顔を上げた。
「味噌汁が飲みたい。なんか作って」
わたしは早く病院に行きたかったが、身支度に時間がかかりそうだった。
待っている間に、味噌汁くらい作れそうだ。
「いいよ」
わたしは諦めてランドセルを玄関に置くと、アルミの鍋に水を張って火にかけた。
残っていた白菜を薄く切って、冷凍していた油揚げと一緒に鍋に放り込む。
くたくたに煮立った頃に大家のおばあちゃんからもらった昆布をつけ込んだ味噌をといた。
叔母さんは、鼻唄を歌いながら、ふわふわとした茶色の髪に、くるくるとカーラーを巻き込む。
案の定、こけた頬に何層も白い練り物やら粉やらを塗りつけていた頃、味噌汁が出来上がった。
「はい。どうぞ」
「ん」
叔母は、味噌汁を両手で受け取った。
こんな時、叔母の育ちの良さを感じる。
叔母は、味噌汁を一口飲むと、
「やだ、母さんの味がする」
と言った。
「あ、ごめんなさい」
反射的に、味噌汁を下げようとしたわたしの手を、叔母が振り払った。
「飲むわよ。あんた母さんと会ったことないのに、味噌汁の味が一緒って」
叔母は、面白そうにくつくつと笑った。
わたしは、ほっとして隣にぺたんと座り込んだ。
「ごちそうさま」
叔母はそう言うと、すらりとした背の高い身体にショッキングピンクのワンピースを着込み、盛大に香水をふりかけた。
正直、病院に行くのにむせかえるような香水はやめて欲しいと思ったけれど、そんなこと言ってヘソを曲げられて手続きをしないことにでもなったら、大変だった。
わたしは、なるべく匂いを吸い込まないように浅く息をした。
「さ、行くわよ。なによ。あんたまだ小学生だったの?」
叔母は、玄関に置いたわたしのランドセルを見て眉をひそめた。
「うん」
「でかいからもう中学生になったかと思ってたわ。母さんが大きかったからあたしも姉さんも、あんたも大きいのね」
叔母はそう言って、どう見てもサイズのあっていない黄色のハイヒールに足を突っ込んだ。
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