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水島朔の話 叔母の家
水島朔の話 ~ゼリー~
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結局、五千円では満の病状は回復せず、満の顔色は、日に日に悪くなっていった。
咳が止まらず、水も飲まなくなった満に、わたしができることは何もなかった。
満の咳がしみこんだ湿った部屋にいるのにこれ以上耐えられず、わたしは新鮮な空気を求めて部屋の外に出た。
「お前、何やってんの」
玄関を出ると、階段下の細道に、高屋敷玄が立っていた。
近所って言ってたっけ。
わたしは、舌打ちをした。
「なんでこんなところにいるの?」
「俺は塾の帰り。おまえんち、ここなんだ?」
「うん」
わたしは、しぶしぶ頷いた。
「姉ちゃん。きて」
「今行く」
わたしはあわてて部屋に飛び込んだ。
満の咳は、しばらく止まらず、やがて、わたしに寄りかかるようにしながら寝息を立て始めた。
高屋敷に見られたな。
舌打ちしたい気持ちだったが、満の苦しそうな顔を見ると、そんな気持ちも吹っ飛んだ。
その後何度も満は起きて、ようやく横になって眠ったのは朝方だった。
わたしは満と一緒に寝ていたらしく、起きた時は太陽が高くなっていた。
遅い朝ご飯を、満はほとんど何も食べられなかった。ご飯を片付けているときも何も話さず、ぐったりと折りたたみの机にもたれるように座ってぜえぜえと苦しそうに肩で息をしていた。
昼を過ぎて、容態は目に見えて悪くなっていった。
普段は、発作が出ても、午前中くらいには持ち直していた。
明らかにおかしい。
叔母さんに電話して、病院に連れて行ってもらおうか。
わたしは、何度も近所の薬屋にある公衆電話に走ろうかと立ったり座ったりしていた。
太陽が、傾きかけていた。
わたしは、一人でもう一晩、この部屋で夜を越せるとは思えなかった。
部屋の壊れかけた呼び鈴がなった。
叔母さんなら何も言わずに部屋に入ってくるはずだ。
何かのセールスか、大家のおばあさんが家賃の催促に来たのか。
わたしは、のろのろと立ち上がって、玄関のドアにある覗き穴をのぞいた。
覗き穴の奥には、昨日来た高屋敷玄が立っていた。
あわててドアを開けると、玄が目の前にビニールに入ったプラスチックの容器を差し出した。
「これ、担任から」
給食はゼリーだったのか。
オレンジゼリーなら、満の喉を通るかもしれない。
わたしは、嬉しくて泣きたくなった。
満の咳が、がらんとした部屋に響いた。
「大丈夫か?」
「うん」
本当はどこも大丈夫ではなかったけれど、自分を気遣ってくれる言葉を聞いたのは久しぶりで嬉しかった。
「ねえちゃん。くるし」
「みつる!」
あわてて部屋に戻ると、満は、ぐったりと机から崩れ落ちていた。
わたしは、為す術もなく、満の背中をそっとさすった。
「やばいんじゃね? 医者行かないと」
玄が、側に座りながら言った。
「行けないんだよ。わたし達、保険証も、お金もないんだ」
わたしは、玄の、気の毒そうな目を見ないようにして答えた。
「でも、これじゃあ」
玄が何を言いたいかはわかっていた。
叔母に電話しよう。
満を玄にお願いして、電話しに行こう。
そう決心した時、玄はぱっと立ち上がった。
「待ってろ。すぐ戻る」
玄は、そう言ってドアの外に消えた。
咳が止まらず、水も飲まなくなった満に、わたしができることは何もなかった。
満の咳がしみこんだ湿った部屋にいるのにこれ以上耐えられず、わたしは新鮮な空気を求めて部屋の外に出た。
「お前、何やってんの」
玄関を出ると、階段下の細道に、高屋敷玄が立っていた。
近所って言ってたっけ。
わたしは、舌打ちをした。
「なんでこんなところにいるの?」
「俺は塾の帰り。おまえんち、ここなんだ?」
「うん」
わたしは、しぶしぶ頷いた。
「姉ちゃん。きて」
「今行く」
わたしはあわてて部屋に飛び込んだ。
満の咳は、しばらく止まらず、やがて、わたしに寄りかかるようにしながら寝息を立て始めた。
高屋敷に見られたな。
舌打ちしたい気持ちだったが、満の苦しそうな顔を見ると、そんな気持ちも吹っ飛んだ。
その後何度も満は起きて、ようやく横になって眠ったのは朝方だった。
わたしは満と一緒に寝ていたらしく、起きた時は太陽が高くなっていた。
遅い朝ご飯を、満はほとんど何も食べられなかった。ご飯を片付けているときも何も話さず、ぐったりと折りたたみの机にもたれるように座ってぜえぜえと苦しそうに肩で息をしていた。
昼を過ぎて、容態は目に見えて悪くなっていった。
普段は、発作が出ても、午前中くらいには持ち直していた。
明らかにおかしい。
叔母さんに電話して、病院に連れて行ってもらおうか。
わたしは、何度も近所の薬屋にある公衆電話に走ろうかと立ったり座ったりしていた。
太陽が、傾きかけていた。
わたしは、一人でもう一晩、この部屋で夜を越せるとは思えなかった。
部屋の壊れかけた呼び鈴がなった。
叔母さんなら何も言わずに部屋に入ってくるはずだ。
何かのセールスか、大家のおばあさんが家賃の催促に来たのか。
わたしは、のろのろと立ち上がって、玄関のドアにある覗き穴をのぞいた。
覗き穴の奥には、昨日来た高屋敷玄が立っていた。
あわててドアを開けると、玄が目の前にビニールに入ったプラスチックの容器を差し出した。
「これ、担任から」
給食はゼリーだったのか。
オレンジゼリーなら、満の喉を通るかもしれない。
わたしは、嬉しくて泣きたくなった。
満の咳が、がらんとした部屋に響いた。
「大丈夫か?」
「うん」
本当はどこも大丈夫ではなかったけれど、自分を気遣ってくれる言葉を聞いたのは久しぶりで嬉しかった。
「ねえちゃん。くるし」
「みつる!」
あわてて部屋に戻ると、満は、ぐったりと机から崩れ落ちていた。
わたしは、為す術もなく、満の背中をそっとさすった。
「やばいんじゃね? 医者行かないと」
玄が、側に座りながら言った。
「行けないんだよ。わたし達、保険証も、お金もないんだ」
わたしは、玄の、気の毒そうな目を見ないようにして答えた。
「でも、これじゃあ」
玄が何を言いたいかはわかっていた。
叔母に電話しよう。
満を玄にお願いして、電話しに行こう。
そう決心した時、玄はぱっと立ち上がった。
「待ってろ。すぐ戻る」
玄は、そう言ってドアの外に消えた。
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