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水島朔の話 叔母の家
水島朔の話 ~食費~
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両親が死んで、何がなんだかわからないうちに、近所のおばさん達や学校の先生が、お葬式の手配やら役所に連絡をしてくれた。
祖父母はとっくに死んでおり、わたし達姉弟は、ほとんど天涯孤独だった。
お葬式から何日かして、役所の人がようやく見つけてきたのが、母の妹である叔母だった。
「あたし、姉さん嫌いだったの」
わたしを一目見るなり叔母はそう言った。
「あんたそっくりね」
その言葉で叔母は、わたしとの間にきっちりと線を引いた。
両親が買ったささやかな家は売られ、私達は日当たりの悪い、錆びた叔母のアパートの引き取られた。
家から持ってきた布団だけが、あの家の日向の匂いがしたけれど、それもすぐに消えた。
引っ越して次の日、学校の手続きを終えると叔母は財布からしわくちゃな千円札を出した。
「これでご飯でも食べな。あたし出かけてくるから。明日から学校に行くのよ」
「あ、はい」
叔母はそれから一週間帰ってこなかった。
まさかその千円札一枚が一週間分の食費とは思わず、わたしはそのお金を全部使って、その日の夕飯にした。なんなら、不足分は自分のお小遣いからだしたのだ。
あとは想像通りだ。
ひたすら水を飲み、公園のつくしやフキノトウを根こそぎとった。人がいなくなった給食室の余ったパンを袋に詰めることができたときは、嬉しくて帰り道に泣いた。
その大事にしすぎたパンがかちかちになる頃、ようやく叔母は帰ってきた。
「お、生きてた」
げっそりとやせた私達を見て、叔母は悪びれもせずに言った。
叔母が置いていくお金は、千円が三千円になったりしたが、ほとんど家に帰ってこなかった。
大抵、恋人と一緒に住んでいて、一週間に一回か二週間に一回帰ってきて、派手な洋服をバッグに詰めては出て行った。
私はもらったお金をこっそり畳の下に貯めておき、いつ来るかわからない叔母の訪れを弟と二人で待った。
もらった食費を弁当や総菜に使うことはせず、米や野菜を少しでも安く買い、家庭科の教科書を必死で読み込んで、米の炊き方を学び、味噌汁を作った。
弟 満は激変した生活にうまく馴染めず、学校に行き渋ったが、私は無理矢理手を引いて小学校の門に放り込んだ。
給食を食べなければ、他に食べるものがない日が続く。
クラスメイトは、まるでばい菌のようにわたしを扱ったし、教師は貴重な放課後の時間を協調性についてとかいう腹の足しにもならない話で何度も呼びつけた。
笑えないのは、大人の男の人だった。親切そうに声をかけてきて、車や公園の茂みに連れ込まれそうになったのは一度や二度ではない。
登下校は、ちょっとしたホラー映画に出演しているような時間だった。
叔母はわたし達に積極的に関わろうとしなかったが、あえて傷つけようともしなかった。
そういう意味では、彼女は身内だったのかもしれない。
他人は違った。
一度、叔母の恋人という人が私達の住んでいる叔母のアパートに押しかけて来たことがあった。
叔母の恋人はわたしと満を一目見て「こいつら売ればいいんじゃねえの?」と言った。
叔母は「何言ってんの」と笑ったが、どう見ても男は本気だった。
叔母は、それから二度と自分の恋人をこのアパートにつれてこなかった。
わたしと満は怖くて、それから一ヶ月、押し入れの天袋で眠った。
叔母がその男と別れたと聞き、わたし達はようやく天袋から出て眠ったが、しばらくは叔母の趣味の悪いサテンの洋服がつまった押し入れで寝起きをした。
わたしは平たく言って「生き延びるのに必死」だった。
学校は馴染めなかったが、お腹いっぱいにご飯が食べられて、日当たりの良い部屋にいられるだけで幸せだった。
両親を懐かしく思う余裕もなかったが、時折、たとえば修学旅行のお金が払えなくて行けなかった時、給食費が払えなくて督促の紙を渡された時、授業参観で皆が振り返って自分の親を確認していた時なんかに、喉の奥にあつい塊がこみあげてきて、ぐっと飲み込んだ。
小学校に入ったばかりの満はすぐに熱を出して寝込んだ。
病院にかかろうと満を背負って近所の内科に行ったら、保険証というものがないと診てくれないのだと言う。
「お母さんかお父さんとおいで」
親切な看護師さんが気の毒そうに言ってくれた。
わたしは恥ずかしさで真っ赤になりながら、ぐったりしている満を背負い直して家路を急いだ。
満の熱は中々下がらず、夜は何度も弟が息をしていることを確かめるために起きた。
ゴミ捨て場で拾ってきたランドセルを背負って、元気に登校する満をみるたび、わたしの心は浮き立った。
祖父母はとっくに死んでおり、わたし達姉弟は、ほとんど天涯孤独だった。
お葬式から何日かして、役所の人がようやく見つけてきたのが、母の妹である叔母だった。
「あたし、姉さん嫌いだったの」
わたしを一目見るなり叔母はそう言った。
「あんたそっくりね」
その言葉で叔母は、わたしとの間にきっちりと線を引いた。
両親が買ったささやかな家は売られ、私達は日当たりの悪い、錆びた叔母のアパートの引き取られた。
家から持ってきた布団だけが、あの家の日向の匂いがしたけれど、それもすぐに消えた。
引っ越して次の日、学校の手続きを終えると叔母は財布からしわくちゃな千円札を出した。
「これでご飯でも食べな。あたし出かけてくるから。明日から学校に行くのよ」
「あ、はい」
叔母はそれから一週間帰ってこなかった。
まさかその千円札一枚が一週間分の食費とは思わず、わたしはそのお金を全部使って、その日の夕飯にした。なんなら、不足分は自分のお小遣いからだしたのだ。
あとは想像通りだ。
ひたすら水を飲み、公園のつくしやフキノトウを根こそぎとった。人がいなくなった給食室の余ったパンを袋に詰めることができたときは、嬉しくて帰り道に泣いた。
その大事にしすぎたパンがかちかちになる頃、ようやく叔母は帰ってきた。
「お、生きてた」
げっそりとやせた私達を見て、叔母は悪びれもせずに言った。
叔母が置いていくお金は、千円が三千円になったりしたが、ほとんど家に帰ってこなかった。
大抵、恋人と一緒に住んでいて、一週間に一回か二週間に一回帰ってきて、派手な洋服をバッグに詰めては出て行った。
私はもらったお金をこっそり畳の下に貯めておき、いつ来るかわからない叔母の訪れを弟と二人で待った。
もらった食費を弁当や総菜に使うことはせず、米や野菜を少しでも安く買い、家庭科の教科書を必死で読み込んで、米の炊き方を学び、味噌汁を作った。
弟 満は激変した生活にうまく馴染めず、学校に行き渋ったが、私は無理矢理手を引いて小学校の門に放り込んだ。
給食を食べなければ、他に食べるものがない日が続く。
クラスメイトは、まるでばい菌のようにわたしを扱ったし、教師は貴重な放課後の時間を協調性についてとかいう腹の足しにもならない話で何度も呼びつけた。
笑えないのは、大人の男の人だった。親切そうに声をかけてきて、車や公園の茂みに連れ込まれそうになったのは一度や二度ではない。
登下校は、ちょっとしたホラー映画に出演しているような時間だった。
叔母はわたし達に積極的に関わろうとしなかったが、あえて傷つけようともしなかった。
そういう意味では、彼女は身内だったのかもしれない。
他人は違った。
一度、叔母の恋人という人が私達の住んでいる叔母のアパートに押しかけて来たことがあった。
叔母の恋人はわたしと満を一目見て「こいつら売ればいいんじゃねえの?」と言った。
叔母は「何言ってんの」と笑ったが、どう見ても男は本気だった。
叔母は、それから二度と自分の恋人をこのアパートにつれてこなかった。
わたしと満は怖くて、それから一ヶ月、押し入れの天袋で眠った。
叔母がその男と別れたと聞き、わたし達はようやく天袋から出て眠ったが、しばらくは叔母の趣味の悪いサテンの洋服がつまった押し入れで寝起きをした。
わたしは平たく言って「生き延びるのに必死」だった。
学校は馴染めなかったが、お腹いっぱいにご飯が食べられて、日当たりの良い部屋にいられるだけで幸せだった。
両親を懐かしく思う余裕もなかったが、時折、たとえば修学旅行のお金が払えなくて行けなかった時、給食費が払えなくて督促の紙を渡された時、授業参観で皆が振り返って自分の親を確認していた時なんかに、喉の奥にあつい塊がこみあげてきて、ぐっと飲み込んだ。
小学校に入ったばかりの満はすぐに熱を出して寝込んだ。
病院にかかろうと満を背負って近所の内科に行ったら、保険証というものがないと診てくれないのだと言う。
「お母さんかお父さんとおいで」
親切な看護師さんが気の毒そうに言ってくれた。
わたしは恥ずかしさで真っ赤になりながら、ぐったりしている満を背負い直して家路を急いだ。
満の熱は中々下がらず、夜は何度も弟が息をしていることを確かめるために起きた。
ゴミ捨て場で拾ってきたランドセルを背負って、元気に登校する満をみるたび、わたしの心は浮き立った。
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