王妃 ジョア~日本人水島朔が王妃と呼ばれるまでの物語 ~

ぺんぎん

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砂漠の王子 アフマド

王子アフマドの話 ~砂嵐~

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 駱駝の世話と言っても特にやることもなく、俺の目は、祈りの門にいる朔に目が戻ってしまう。

 昼寝をしていたスティーブン・メイヤードが起き上がって朔に何かを話している。あの二人どんな関係なんだ?世界のモデルとかいってもまだ子どもじゃないか。

 そんなことを思っていたら、駱駝が動いた。

 次の瞬間、強い風が起こった。

 気がつくと、黒い雲が地平線の向こうに迫ってきていた。

 しまった。朔に気をとられて、風を読むのを忘れていた。

「おい!祈りの宮殿まで移動するぞ」

 暢気に昼寝をしていた部下達を揺り起こす。

「しかし王子。あそこは王の許可が必要ですが」

「そんなことを言ってる場合か! その王が絶対無事に送り届けろと言ったんだ。俺が責を負う。急げ」

 朔とスティーブン・メイヤードが、素早く車に乗り込んだ。人数が少ないのが幸いした。あのモタモタした連中が一緒だったら命なかっただろう。

 人間だけ車に乗せて駱駝は置いておくことにする。彼らは砂嵐に極端に強い。祈りの門が砂に埋もれることはないので、ここにいれば、まあ大丈夫だろう。

 門から北に五分ほど車を走らせると、祈りの宮に着いた。

 空気を揺るがす音と同時に、ほほに砂つぶがあたった。

「急げ」

 車を置いて、部下が我先にと、建物の中に入る。

 白い大理石で作られた宮殿は、強い日差しや砂嵐を防ぐための入り組んだ回廊が迷路のようになっている。

 何とか奥へと進んでいる途中でごうごうという風の音が一段と大きくなった。これ以上は進めない。

「ここに入れ」

 地面に埋まっている木の扉を開けると強い風が扉をさらっていった。

 かなり大きい砂嵐だ。

 朔の顔を隠していた布が風ではぎ取られた。

「早く」

 俺は細い手首をつかんで地下に押し込めた。次にスティーブン・メイヤード、部下達が走り込んでくる。

「右奥へ歩け」

 上から砂がバラバラと降ってくる。

 俺は腰に下げていた布を落ちていた木に巻き付けた。布にライターのオイルをしみこませ火をつける。

 入口は狭かったが、しばらく進むと大きな階段に続いていた。

 さらに地下に下りるとかなり広い石畳の広場になっている。

 中央にある炉には、いつでも使えるように薪が組み立てられていた。火を入れるとぼうっと周囲が明るくなった。

 歴代の王が砂嵐対策に作った避難所だろう。一段高くなっている場所には豪華な絨毯が敷き詰められている。

 俺は交代で見張りをたてることにして、砂嵐がやむのを待つことにした。

 一年の内で最も砂嵐が少ない気候を選んだが、自然相手では文句もいえまい。

 スティーブン・メイヤードがカメラを取り出すがそれを部下が制した。

「ああ。撮影は禁止だ。ここは王の許可が必要な建物で、我らは無断で入っているのでね」

 俺はそれだけ言って、ごろりと横になった。

 朔は怯えるでもなく、部屋の隅に座っていた。白い顔が火の光に照らされて、オレンジ色に輝いている。

 人に見られていることに慣れているのか、俺が見ていても、表情ひとつ変えない。

 スティーブン・メイヤードは、あたりを物珍しそうにうろついている。座っていればいいものを。

 すぐやむと思っていた砂嵐は、夜になってもやまなかった。

 この宮に入るのが一瞬でも遅れたら。今更だが、背筋が寒くなった。

 夕食は、宮殿の地下にあった砂糖の塊と、コップいっぱいの水だった。

 気温がみるみるうちに落ちていく。元気そうに立ち歩いていたスティーブン・メイヤードも言葉少なに座っている。

 残りの薪は少なかった。これからさらに気温が落ちるだろう。

 俺たちはそこら中にある絨毯にくるまり、固まって暖をとることにした。

「ほら」

 俺は朔に一番毛が長い絨毯を放った。

「それをかぶって少し眠れ」

 朔は一瞬、捨てられた動物のような目をしてこちらを見た。それかから素直に、絨毯を受け取り体に巻き付けた。




 一日目はまだよかった。

 二日目には、スティーブン・メイヤードが倒れた。

 くそ。慣れないヤツが無駄に動き回るからだ。

 水の残りは少なかったが、スティーブになるべく多く回した。

 少しずつ飲むように促したが、奴は一気に飲み干した。

 見かねて朔が自分の分を与えた。

 莫迦が。死ぬぞ。

 俺はイライラして、まだ探していない地下の倉庫がないか調べに入った。

 倉庫はあったが、水はなかった。

 外の嵐はやみそうもない。

 スティーブが水を受け付けなくなっていく。

 後は体力と運だけだ。

 朔はスティーブに自分の水をわける以外は、リーダーの言うことを聞くことの大事さをよく知っていた。

 リーダーの指示に従うことが、生き延びる確率をあげる。

 動けと言ったら機敏に動いたが、何もするなと言ったら何も言わずにじっと座っていた。

 化粧はすっかりはげ、下からでてきた幼い素顔は、美しいが年相応だった。

 部下がふざけると、楽しげな声で笑った。

 どいつも彼女の笑い声が聞きたくて、小さい頃の失敗談など進んで話をした。

 おかげでひたひたと忍び寄る死の恐怖が、少し和らいでいた。

 恐怖でパニックになっても仕方がない。

 最先端のモデルにしてはこの状況に、よく順応していた。

 感心したのは水の飲み方だった。

 朔は俺が飲むのと同じタイミングで水を飲んだ。

「お前はもう少し飲め」

 俺は、とうとう自分の水を分け与えた。

「お前と俺では鍛え方が違う。俺はここに慣れているが、お前は違う」

 少女はそれを断るという愚かな選択もしなかった。

 黙って頷くと水をゆっくり口に含んだ。

 夜中絶え間ない低い声で起きた。

 朔だった。

 悪い夢を見ているのか。聞き慣れない言葉を叫んで目を覚ました。

「どうした。悪い夢をみたのか」

「……大丈夫」

 俺は今更ながら、朔がこの国の言葉を流暢に話すのに気がついた。

「フランス人なのか?」

「いいえ。日本人です」

「日本人? ペルシャ語はどこで勉強した?」

「ここに来る前に、ペルシャ語ができるスタッフから教えてもらったんです」

 そこまで言って朔はぶるっとふるえた。よく見るとニカブの中は、薄い布一枚だった。

 なんてこった。俺としたことが。

 何も言わないから、気がつかなかった。

 俺は着ていた上着を脱いで朔に投げた。

「少しはマシだろう」

 よほど寒かったのだろう。朔はお礼を言うと、すぐに、それを着込んだ。

 燃やすものがなくなり、炉の火はとっくに落ちていた。部屋はすっかり冷え込んでいる。

 体力は落ちるばかりだ。

 俺は有無を言わさず朔を自分の絨毯の中に入れ込んだ。

 朔は一瞬体を硬くしたが、何もしないとわかるとすぐに全身の力を抜いた。

「いくつだ」

「十六になります」

 なんてこった。

 まだ子どもじゃないか。

 末のマリヤムより年下だ。

 俺はその幼さに安心して、少し力を抜いた。

 夜は、俺と朔を饒舌にさせた。

 朔のこの国の印象を聞くのは楽しかった。

 砂漠や星の美しさ。市場の活気。人の所作。

 朔の視点は面白く、俺は、知らず知らずにこの国の経済と歴史、自分の考えている国作りについて話をしていた。

 それは、カリムにも誰にも話をしたことがなかったものだ。

 不思議な感覚だった。

 何を考えても、何を言っても、朔には赦されていると思わせた。

 俺の話しに朔が笑う。

 花の残り香が、俺の鼻の奥を強く刺激した。

「ムスリマでないのに、何故ニカブを着た?」

 俺は、ずっと疑問に思っていたことを朔に聞いた。

「最低限の礼儀です。

 日本には「土足で踏み込む」という言葉があります。日本は履き物を脱いで家の中に入るのがマナーなのですが、履いたまま入るのは大変なマナー違反です。
 そこから、相手の気持ちを傷つける無礼な言動、無遠慮な態度のことを言います。
 ムスリマではないので、むしろスカーフくらいのほうが良いかとも思ったのですが、ペルシャ語を教えてくれたスタッフがこれを譲ってくれて。
 おかげで砂漠では命拾いをしました」

「そいつは正解だ。それは戒律ではなく自然と共存するための装束でもある」

「はい」

 朔は嬉しそうに顔を赤らめた。

「親は? 何の仕事をしている?」

「いません。二人とも死んでしまいました。今は日本のモデル事務所でお世話になっている社長さんが、後見人として、弟とわたしの面倒を見てくれています」

「家族は、弟だけか?」

「はい。二つ下の弟です。かわいいんですよ」

 そう言いながら、朔は小さなあくびを一つした。

「もう一度眠れ。朝には嵐もやんでいることを祈ってろ」

「はい」

 少女はモソモソと体を動かすと、すっぽりと俺の胸の中に収まった。

 動かなくなったと思ったら、すぐに眠りに落ちたようだった。

 無防備な寝顔だった。

 長いまつげが顔に影を作っている。

 微笑んだような赤い唇が、白い肌をなおいっそう白く見せた。

 長い夜になりそうだった。

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