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幼馴染 高屋敷玄の話

高屋敷玄の話 その八 ~受験~

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 冬になって、朔は仕事が忙しく、ほとんど学校に来なくなっていた。

 正月に、合格祈願に誘ったが、年末年始特番の収録とかで、全く会うことができなかった。

 俺は近くの神社で、自分と朔の、二人分の合格祈願をして、お揃いのお守りを買った。

 自分の行動が、ちょっと重いか? とも思ったりしたが、きっとあいつは合格祈願もしてないんだろうからと、自分に言い聞かせて、お守りをカバンに忍ばせた。

 俺は黙々と塾に通い、私立の受験も順調に終わった。

 後は朔と一緒の高校を受けるだけだった。

 お守りはずっと俺のカバンに入ったままだった。

 受験の前日、夕方から降り出した雪はめずらしく積もり始めていた。

「高校、近いところの受験で良かったわね」

 母さんはそう言いながら、のんびりと蜜柑を食べていた。

「ただいま――。すごい雪だよ――」

 妹の静が、興奮気味に学校から帰ってきた。

 子犬みたいに喜んでいる。

「あれ? お兄ちゃん、早いね」

 濡れた髪を拭きながら、静は、リビングにいる俺に、驚いたように言った。

「明日本番だからな。塾も休み。学校も四十五分授業」

 俺は、単語帳をぺらぺらめくりながら答えた。

「ああ。だからね。今、朔ちゃんに会ったよ。また綺麗になってたね。静、自慢のお姉ちゃんだよ」

 学校でサインとか頼まれてるんだけど、してくれるかな。

 俺はがばりと起き上がった。

「え、どこで? 今?」

「うん。今。そこで。昔の朔ちゃんの家の前だよ」

 朔の元住んでいたアパートは、朔が出た後、大家のおばあさんが、息子の所に引き取られて、いまは更地になっていたはずだった。

 俺はあわてて自分のカバンとコートをつかむと「どこ行くの?」という母さんの声を、後ろの背中で聞きながら、玄関を飛び出した。

 雪は、ぼんぼん降っていた。

 走りながら、満の治療をするために父さんと走った、あの日のことを思い出していた。

 あんなに遠く感じた朔のアパートは、意外と近かった。

 朔は、ロープが張られている更地の前に、立っていた。

 透明のビニール傘を差しながら、赤いコートを着た朔は、俺を見つけて笑った。

「さっき静ちゃんに会ったから、ちょっと期待しちゃってた」

「なんだよそれ」

 俺は、ぎゅっと喉の奥が捕まれたような気がした。

「連絡しろよ。スマホ持ったんだろうが」

「うん」

 朔はそう言って俺に傘を差し出しながら、背伸びして俺の頭の雪を払った。

「三年間で、君はホントに背が伸びたよね」

 いつの間にか、俺は朔の背を越していた。

「成長期だからな」

「ほんとうだね」

 朔は赤い鼻をクシャッと縮めて笑った。

 朔のまっすぐで真っ黒な髪に、白い雪がほろほろと積もっていく。

「あのさ」

「あのね」

 俺と朔が同時に言った。

「どうぞ」

「いや、そっちこそ」

「いやいやいや。玄から」

「そうか」

 俺はポケットに突っ込んできた、合格祈願のお守りを朔に渡した。

「お前、合格祈願に行ってねえだろ。お前の分もお願いしといたから」

 朔は驚いたようにお守りを見た。

「……もらえないよ」

「いいから。もらっとけ」

 俺は恥ずかしくて顔が赤くなるのがわかった。

 そんな俺を見て、朔はぎゅっとお守りを胸の前で抱きしめた。

「……ありがと」

「ん。明日、一緒に行く?」

「ううん。玄の家、「もりしげ」と反対方向でしょ。受験番号も違うし」

 それもそうか。

「わかった。遅刻すんなよ」

「玄こそ」

 雪がどんどん降ってきて、傘を握る朔の指先が赤く染まっていた。

 帰り道送るという俺の申し出を、朔は断固として断って言った。

「明日、絶対がんばってね」

「お前もな」

 朔は当然。と言って笑った。




 結局、朔はA高校を受験しなかった。

 受験当日の朝、俺は校門で朔を待ち、休み時間にきょろきょろし、昼休みに弁当を持って朔を探した。

 次の日になっても、俺からの電話に出ない朔にしびれを切らして、俺はプリントをもらいに職員室に行く体で、朔の担任の山田の所に行った。

「先生、朔ってちゃんと高校受けられたんですかね」

「え? 水島か? あいつはもう高校決まってるだろ? 定時制に。あいつの成績で本当にもったいないけど、まあ、芸能人だもんな」

 天は二物をあたえるよなあ。

 山田はそう言ってため息をついた。

 俺はそれ以上、言葉がでなかった。

 放課後、何にもする気がおきなくて、俺は真っ直ぐに家へ帰った。



 ポストを見ると、朔からの手紙が入っていた。

 あの雪の日と同じ、真っ白な便せんには、お守りのお礼と、通信高校に通うことにしたことが書いてあった。



 でも、お守りは頂いておきます。
 二十歳になったら約束通り医学部受験します。
 その時は同じ大学に通えるといいね。
 一足早く先輩になっていてください。過去問とか、期待しています。


 朔らしい几帳面な字だった。

 あの日、朔が何を言いたかったか、俺は初めてわかった。

 俺が先にお守りを渡さなければ、朔はその時、受験をしないと言えたのだろう。

「山田は、何もわかっちゃいない」

 俺は呟いた。

 天が二物を与えたなら、どうして高校くらい好きなところに入れないんだ?

 朔の今ある居場所が、所詮、ギブアンドテイクの愛情でしかないという事実が、ただ切なかった。







 朔は、中学を卒業して人気がスパークした。

 ファッション雑誌の表紙で朔を見ない日はなく、テレビの仕事も増えていた。

 変わらず連絡をとりあっていたが、朔がパリコレにデビューしてからは海外での仕事が多くなってしまい、中々会えなかった。

 それでも、朔が少し長く帰国している時は、いつもの図書館で二人の時間を過ごした。

 俺は、朔のいない高校なんて。と、全く期待していなかった高校生活だったが、予想に反して、意外と面白いものだった。

 自由な校風だったし、集団で盛り上がる行事が多い割には、個人でいることも尊重された。

 気の合う連中も多く、中学の時よりもずっと息がしやすかった。


 勧誘されるままに入ったテニス部は、思った以上にハードで、俺はしばらく、疲れすぎて部屋までたどり着くことができず、玄関で眠る生活を送って静に呆れられた。






 あっという間に高校生活がすぎ、最後の年。

 春になると、朔の弟の満が、同じ高校に入学してきた。

 満はあの後、たいした喘息の発作も起こさず、高校では、中学で始めたバスケを続けていた。

 入学式でも周りの連中より、頭一つ背が高く、均整のとれたその立ち姿は嫌でも目を引いた。

「玄兄ちゃん」

 満は、そのでかい図体で、小さい頃と変わらず、俺を見つけるたびに、にこにこしながら走ってきた。

 犬みてえ。

 友人達は、満の姿をみて笑った。

 満は、朔がいない間も「もりしげ」を手伝い、すでに立派な看板息子になっていた。

 おじさんと男子高校生御用達の「もりしげ」に、最近、ちらほら女子高生の姿があるのは、絶対、満のせいだった。

「最近姉ちゃん、アフリカ行ってる見たいだよ。この間、砂漠の絵はがきが届いた」

「何やってんだ? あいつは」

「ほんとだよね。兄ちゃんもそろそろ会いたいでしょ」

 俺も満も、もう半年くらい会っていなかった。

 朔の不在が当たり前になっている日常が、寂しかった。

「ほんとだよな」

「え。そんなに素直に言っちゃっていいの?」

「ここしか言うとこないからな」

「げ――」

 満は吐くふりをしながら、笑った。

 朔はドン引きするくらい「芸能人」になっていて、高校では、朔と俺の関係を秘密にしていた。




 その日は晴れていた。

 三者面談のため、短縮授業で、俺はいつもより長く部活の時間をとることができてご機嫌だった。

「ね――。ね――。みて。高屋敷先輩。うちのクラスのレミちゃんが、俺をみてる」

 人懐っこい後輩が、ラケットを持ちながら絡んできた。

「誰だって? レミちゃん? お前の彼女なの?」

「いや。これから彼女になって欲しいひとなの。だから試合しましょ。カッコいいとこ見せたいじゃん」

「俺と試合したら、お前、いいとこ見せれないでしょ」

「俺が、学校一モテる先輩と試合して勝ったら、かなりカッコいいとこじゃない?」

 かち――ん。

 確かに、こいつはこの間全国大会でベスト八に行きやがった。

「高橋がくるまでな。お前負けたらアイスだぞ」

「やった」

 俺は、コートに入った。

 さっきのレミちゃんとそのオトモダチの女の子が、こちらを見て、嬉しそうに笑っている。

 レミちゃんに何の思い入れはないが、絶対勝ってやる。

 俺は肩を回して、ラケットを構えた。
 
 試合は、同点につぐ同点。

 さすがに楽に勝たせてはくれない。

 くそ。カッコイイとこを、奴がレミちゃんに見せることができそうだ。

 俺は大きく振りかぶってサーブを打った。

 サーブを打った先、フェンスの向こうに、見知った姿が視界にとびこんできた。

 白いパンツに薄緑のサマーセーターを着た朔が立っていた。足下には、白い旅行鞄が置いてある。

「朔!」

 俺は試合中なのも忘れて、朔のいるフェンスに走り寄った。

「いつ?いつ帰ってきたんだよ」

「さっき日本に着いたとこ。ここで玄に会えると思わなかった。玄、中学の時よりテニス上手くなったね」

「そうか? どうしたんだよ。学校来るなんて」

 俺は邪魔なフェンスに手をかけながら聞いた。

「三者面談。満ってば、社長にも、もりしげのおばちゃんにも内緒にしてて、学校から、直接社長に連絡が来たの。たまたま帰国する予定だったから、本人に内緒で私が来ました」

「内緒かよ。満のヤツ、かわいそうに」

「なんでよ。愛情でしょ」

 朔が笑った。

 その場が急に明るくなったように感じる。

「じゃあその三者面談が終わったら、一緒に帰ろうぜ。そのガラガラ、持ってやるから」

「ガラガラじゃなくて、キャリーバッグね。大丈夫よ。満に持ってもらうよ」

「久しぶりにいい参考書も手に入ったし。いいだろ。すぐに着替える」

「三者面談終わってからね」

 朔はそう言って、口を開けたまま、朔を見ている試合相手の後輩に会釈した。

「玄も試合をまず終わらせたら?」

「いいんだよ。朔と帰れるなら一ダースでもアイスを買うよ」

「アイスかけてたの? 呆れた……じゃ、後で満のクラスの前でね」

 朔は白いガラガラをお供に、砂埃が立つ校庭を横切っていった。

「先輩。今のって、今のって、モデルの水島朔じゃないっすか? 知り合いなんですか?」

「ああ。そうだよ」

「やっべ。キレーっすね。人間じゃないみたいだ。なんすかアレ。何頭身あるんすかね。頭ちっさ。って、先輩? 帰るんですか? 試合は? 練習は? アイスは? 俺のレミちゃんは?」

「ワリ。アイスは今度おごるよ。大丈夫。レミちゃんはお前にメロメロだ。皆には適当に言っといて」

 俺はそう言い残し、マッハで着替えて、満の教室へ向かった。

 教室の前は、すでに人だかりができていた。

「お前ら。三者面談中だぞ。かえれかえれ。散れ」

 教頭先生が教室の前にたむろしている生徒達を、懸命に追い払っている。

 教室の中の二人の顔は見えなかった。こっちを向いている満の若い担任の顔が、ゆでだこのように真っ赤だ。何回も首にかけた大きなタオルで顔を拭いている。

「なんだ。お前も見に来たのか?」

 いつの間に来たのか、三年の学年主任が俺の隣に立っていた。

「違いますよ。先生。あそこに座っている保護者と、一緒に帰る約束したんで、待ってるんです」

「そんな言い訳、お前で何人目だと思う?」

 お前までそんなことを言うのか。学年主任が肩を落とした。

「これは本当ですって。ちょっと、ほんっとだって。待って待って待って」

 他の連中と一緒に生徒指導室に連れて行かれそうになるところで、ちょうど教室から、二人が出てきた。

 急に周囲の話し声が止んだ。

 朔がいるといつもそうだ。

 なんとなく、辺りが静かになる。

 朔を見て、皆、言葉を忘れるんじゃないかと思う。

「玄兄、なにやってんの?」

 満が、俺と先生を見比べて言った。

「だから、一緒に帰る約束したんだって。満。先生に説明して」

「あ、一緒に帰んの?」

 満は隣にいた朔に聞いた。

「うん。さっきテニスコートで会ったの」

「荷物があったからさ」

 俺は、するりと先生の腕の中から抜け出しながら言った。

「姉ちゃんのガラガラなんか、俺、部活終わってから一緒に持って帰ったよ」

「ガラガラじゃなくて、キャリーバッグね。二人とも。満は部活に戻るんでしょ。玄に送ってもらうから大丈夫よ」

 朔はガラガラを俺の方へ渡した。

「そ?じゃ兄ちゃん。よろしく。今日はまっすぐ帰るから」

「いつも、まっすぐ帰りなさい」

 朔は、くすくす笑いながら弟に手を振った。

「先生。いつもお世話になっています」

 朔がくるりと方向を変えて、俺を掴んだ形のままになっている学年主任に挨拶をした。

 先生は「あ、ども」と言いながら頭をかいた。

 学年主任の禿げた頭が、赤くなっている。

 だらしないやつめ。

 うらやましそうに見送る連中を尻目に、俺は朔のがらがらを手に持った。

「帰りどっか寄る?」

「ううん。半年ぶりだからまっすぐ帰る。静ちゃんにお土産持ってきたから、うちに寄ってよ」

 ラインのやりとりはしていたものの、直に会う朔は、全然違った。

 変わらず優しく、面白い奴だった。

 フランスでの生活。俺の模試の結果。わからなかった問題。俺と朔が行くだろう大学の話。話題は尽きることがなかった。 

 二人で妙にはしゃぎながら歩いたら、あっという間に「もりしげ」に着いてしまった。

「ただいま帰りました」

 朔が裏口からそっとおじさんとおばさんに挨拶をした。

「朔ちゃん! お帰り。満の面談は間に合ったのかい?」

 真っ白な割烹着を着けたおばさんが、背の高い朔をぎゅっと抱きしめて言った。

「おかげさまで。成績はアレだけど、高校生活は楽しいみたい。いつも本当にありがとうございます。すぐに着替えて手伝います」

「何言ってんだい。今帰ってきたんだからゆっくりしたらいいさ」

 そうはいっても、「もりしげ」はかなり混んでいて、おばさんは忙しそうに戻っていった。

「大丈夫! 玄。荷物を上に運んでくれる?」

「おう」

 俺は言われるまま朔の部屋に荷物を運んだ。

「もりしげ」に移ってから初めて入った朔の部屋は、昔のアパートくらいの広さがあった。

 ベッドと本棚と机が置いてあるだけのシンプルな飾り気のない部屋だ。

 静の部屋のように、好きなアイドルのポスターが貼ってあったりはしない。

 とても朔らしかった。

 朔は、バッグの中から茶色の包み紙を取り出した。

「はい。これ、ジョイの新作。静ちゃんとお母様に。玄とお父様にも。これはパウルが選んだの。絶対持ってけって。こっちのお菓子は皆で食べて」

「こんなに。わざわざいいのに」

「次のコレクションまでしばらくは日本にいる予定なの。いつもの図書館で勉強してるから、暇なときのぞいてよ」

 俺は嬉しくて、思わずガッツポーズをしてしまった。
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