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幼馴染 高屋敷玄の話

高屋敷玄の話 その七 ~志望校~

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 次の日の放課後、俺と朔は、父さんに紹介してもらった「おにがわら弁護士事務所」に訪ねていった。

 秘書の人に通された部屋は、昨日のモデル事務所の部屋よりも、ずっと殺風景だった。

 部屋の片側が全て本棚になっており、六法全書とか厚い辞書のようなものがみっちりと並べてある。

 ソファの横には、大きなパキラの植木鉢が二つ、籐の籠に入って置かれていた。

「やあ。待たせたね。君が高屋敷玄君だね」

 鬼瓦弁護士は背が高く、なでつけた髪の、ほとんどが白髪だった。ただ、外見とは裏腹に、声は若々しかった。

「そして、こちらが」

 そう言って、鬼瓦弁護士は、朔をまじまじと見た。

「君が、水島朔さん」

 朔は、ぺこりとお辞儀をした。

「弁護士の鬼瓦正です。玄君のお父さんと、たまにお仕事をしています」

 鬼瓦弁護士は、そう自己紹介をした。

「では、水島さんから話を聞かせてもらえるかい? 玄君のお父さんから話は聞いたけれど、あなたの口から話を聞きたいからね」

 父さんから話を聞いているということが、朔を安心させたらしい。

 朔は両親が事故で亡くなったこと。

 両親の親もとっくに死んでおり、二学年下の弟と母親の姉妹である叔母に引き取られたが、先日その叔母も亡くなったこと。

 頼れる親戚もおらず、彼女と弟は、養護施設にひきとられるところであること。

 そこで、モデル事務所の社長を未成年後見人にしようとしていること。

 朔は、まるで小説を読んでいるかのように、淡々と話した。

「後は契約と、未成年後見人の書類を向こうの事務所の弁護士さんが用意してくれる。と、聞いているのですが、玄君が、一度、鬼瓦先生にご相談した方が良いって言ってくれて」

 そう言って、朔は俺を見た。

 俺は、朔に頼られたのが嬉しくて、顔が赤くなるのがわかった。

「その社長の名刺はある?」

 朔は、中川社長の名刺と昨日もらった契約書を鬼瓦弁護士に差し出した。

 中川社長は、名刺と契約書を見ながら頷いた。

「何かの書類にサインをしたりした?」

「してません。住所と名前と、学年とか、なんでこの事務所を知ったかとか書きましたが、何かの契約とかはしてないです。契約書も玄君に止めてもらって」

「そうか。それは良かった。お手柄だったね。玄君」

「いや。全然」

 俺はハムスターのように、何度も首を振った。

「そんなことはない。そういう時は冷静な対処がとれないからね。第三者を入れて意見を聞くのはいい方法だ」

 鬼瓦弁護士が真剣な顔で言ったので、俺は誇らしくなった。

「でも、冷静になって、中川社長が契約をしないとなったら、それは、本当に困るんです」

 朔がソファから身を乗り出した。

「大丈夫ですよ。口約束でも法的効力はあります。今度そちらの事務所に行くときは僕も一緒について行きましょう。向こうが弁護士を連れてくるのならば、ますます僕の知識が必要になるでしょうから」

 鬼瓦弁護士は、中川社長の名刺をコピーしながら、言った。

「それまでこちらで少し調べてみます。良いですか。契約がすむまでは、一人で事務所に行かないようにね。養護施設の件も一旦止めましょう。今どうやって暮らしているの? お金は? ご飯は? 住むところは?」

「お金は役所の人がまとまった額を置いていってくれました。口座が凍結しているとかで、児童手当がおろせないと言っていて。ご飯は自炊です。あとは大家さんのご好意でアパートの撤去も待ってもらってます」

「そうか。それじゃあ、そこから手続きしようか」

 鬼瓦弁護士は、秘書の人に頼んで何通か朔の前に書類を置いた。

「委任状だよ。これにサインをして。僕が役所とかの手続きをするからね。それから、未成年後見人の詳しい話はこのパンフレットに載っているからよく読んでおいて。わからないところは説明するから、次会った時までわからないところをあげといて」

 朔がサインをすると、写しの方を朔に手渡した。

「ありがとうございます。あの、この弁護士さんのお金って」

 朔は不安げに聞いた。

「大丈夫だよ。玄君のお父さんから頼まれてるからね。君は何にも心配しなくていいんだ」

 かっけえな父さん。俺は嬉しくなった。






 そこから、話は早かった。

 あっという間に契約の日を迎え、朔は中川社長の知り合いがいる、食堂「もりしげ」という、家に住むことになった。

 今の中学校から少し遠くなったものの、転校しないですんだことに、俺は心底ほっとした。

 朔が「もりしげ」に移り住むと、学校を休むこともなくなり、目に見えて、ふっくらと、幸せそうになった。

 それでも、俺は、心配で、時折「もりしげ」に寄った。

 店の中を覗くと、割烹着を着たおばさんと、楽しそうに働いている朔の姿を見ることができた。

 モデルクラブのレッスンが始まると、みるみるうちに朔の歩き方が変わり、姿勢が変わり、元々の美しさに磨きがかかっていった。

 朔の衝撃のデビューは東京コレクションだった。

 俺らの通う中学校では、ちょっとしたセンセーションを巻き起こし、

「やっぱ芸能人になったか。サインもらっとけばよかったな」

 クラスの連中は悔しがった。

 朔はいつ寝ているのかというくらい忙しさで、さすがの俺もおいそれとは会いにいけなくなっていた。


 ただ、二ヶ月に一回ほど連絡が来て、いつもの図書館の、いつもの場所で、俺の使った塾のテキストを欲しがった。

 朔は、医者になる夢を諦めてはいなかった。

「ちゃんと寝てんのかよ」

 この間のテストでも、きちんと上位に入っている朔にテキストを渡しながら俺は聞いた。

「寝てる寝てる。モデルの基本だもん」
 
 ありがと。と言いながら朔はテキストを受け取った。

「どうだったんだよ。この間の模試」

「あ、見る?」

「見る。げ、モデルやっててこの点数かよ。えぐいな。あ、くそ。朔に英語負けた」

 俺は朔の模試の結果を睨みながら肩を落とした。

 何もやってない俺が朔の下になるのは、どうしても納得がいかない。

「ああ。英語はね。最近モデルの仲間に教えてもらってるんだよ」

「マジで?」

「マジ。ちなみにフランス語とロシア語と中国語も。せっかく多国籍の環境だからね。もったいないじゃん」

「おまえ主婦の節約術じゃないんだからさ」

「いやいや。大事よ。節約。時間は有限だしさ」

 朔は笑いながら、少しの時間ももったいない。という感じで、すぐに数学の質問に戻った。

 思えば、この頃から朔はモデルとしてのキャリアを考えていたのだと思にう。

 中学三年になってテレビに出るようになったら、さらに朔は学校来なくなっていた。

 それでも俺達は、朔の休みにあわせていつもの図書館にこもった。

 満も同じ中学に入り、朔は何となく嬉しそうだった。

「満、バスケ部に入ったんだよね。そしたら、メキメキ背が伸びて、もう私追い越したんだよ。ご飯もたくさん食べてて、おばちゃんが喜んで喜んで大変なんだ」

 帰り道は大抵、満と「もりしげ」のおばちゃんと店主しげさんの話だった。

 進路の話もこの時間に語られたのだと思う。

「で、朔は都立Aを受けんの?」

 A高校はT大学に二クラスくらい入るここから一番近い進学校だった。

 先日の模試で、並いる名門校を押しのけてトップをとった朔が選ぶのは、ここしかないと思っていた。

「うん。そうかな」

「まさかこんな芸能人様が一位とるとは誰も思わないだろうよ。お前もいつ勉強してんだよ」

「いやいや、先生がいいからです。本当にいつもありがとう」

「っていうか、その先生よりいい結果とんなよ」

「一回だけじゃん」

「一回でも悔しいんだよ」

 俺はそう言って朔のカバンを持った。

「いいよ」

「俺が持ちたいの」

 最近ショーが近づいているとかで、朔はまた細くなっていた。

 中学校の教科書は重く、あまり学校に来られない朔は毎日全部の教科書を鞄に入れていて、朔の細い身体がつぶされそうになって見えた。

「お前、高校入って部活とかどうすんの?」

「うーん。無理だろうな。おかげさまでお仕事たくさんいただいてるしね。玄は? やっぱりテニス部? どこの高校受けるの? 玄のお母さん、K附属とか行かせたがりそう」

 どんぴしゃだった。

 母さんはK附属を受けて大学までエスカレーターでと押していたが、俺は頑として譲らなかった。

 父さんは、にやにやしながら、俺の味方をしてくれている。

「いや、俺も都立A第一志望だよ」

「そうなんだ?」

 中学では結局、三年間同じクラスにはなれなかった。

「高校、楽しみだな」

「うん」

 道路には、長くなった二人の影が、手をつないでいるように見えた。
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