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幼馴染 高屋敷玄の話

高屋敷玄の話 その五~朔の計画~

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 次の日、俺は、朔の計画に一緒について行くことにした。

 朔は、付き添いなんかいらない。と言ったが、俺が強く押すと、渋々ながら了承した。





 平日だったが、駅の中は結構、混雑していた。

 俺の心臓は、うるさいくらいバクバクしていた。

 隣を歩く朔は、背すじをぴんと伸ばし、迷いない足取りで歩いている。

 朔は、制服を着て、通学リュックの代わりに、ぱんぱんに膨らんだピンクのバックを抱えているほかは、普段と何もかわらないように見えた。

 それでも、いつもより念入りに髪をブラッシングしてきたのだろう。

 サラサラとした髪が、風が吹くたび舞い上がった。

 名刺にあった住所に建っていたビルは、思っていたより大きく、新しい建物だった。

 俺たちが入っていくと、受付にいた綺麗なお姉さんがすぐに立ち上がった。

「あの、中川善之助さんっていう人に会いたいんですが」

 朔が、おずおずと言った。

「お約束ですか?」

 赤い口紅を付けた受付のお姉さんが、貼り付いたような笑顔で聞いてきた。

「いえ。ただ、訪ねてくるようにと」

 朔がそう言うと、お姉さんの笑顔がすっと消えた。

「申し訳ございませんが、社長はお約束がないとお会いすることはできません。お電話でお約束をおとりになっていただけますか」

 朔は無言でバックから名刺を一枚取り出した。

 俺は朔のバックの中をチラリと覗き見し、ぎょっとした。

 こいつ、もらった名刺をほぼ全部持ってきてやがる。

 俺は驚きを隠しながら、受付のお姉さんをもう一度見た。

 お姉さんは、こういう人が多くて困ってるのよね。と言わんばかりに朔の名刺をちらりと見て、渋々といった感じで、どこかに電話をかけた。

「はい。社長の名刺をお持ちですが。はい。そうですよね。裏ですか? 裏に? 電話番号?……あります。はい。え? はい? はい」

 受付嬢は電話を切ると、さっきよりもいくらか柔和な笑顔で「おかけになってお待ちください」と近くのソファに俺らを案内した。

 少し待つと、スーツを着た背の高い女性が、エレベーターから足早に降りてきた。

「お待たせしました。秘書の小山と申します。社長の名刺をお持ちとか」

 秘書は朔の取り出した名刺を恭しく受け取ると、くるりと裏返しして、名刺と朔を二、三回見比べた。

 にっこり笑うと、受付嬢に別れを告げ、朔と俺をエレベーターに乗せた。

 エレベーターが音をたてて止まる。

 最上階。

 ドアを開けると、大きな窓のある明るい部屋に通された。

「お待たせして申し訳ございません。社長が別件で出ておりますので、少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

 そう言うと、俺と朔に飲みたいものはないかと聞いた。

 俺は、ちょっとでも大人に見せたくて、普段飲みつけないコーヒーを頼み、朔は紅茶を頼んだ。

 小山さんがいなくなってから、朔はほっとしたように、痩せた身体をソファに預けた。

 それから大事そうに、バックを膝の上に置いた。

「結構大きい事務所じゃね?」

「うん」

 朔は、緊張したように目の前の誰も座っていないソファを見つめながら頷いた。

 部屋にはこの事務所のモデルなのか、大きなスチール写真が何枚かかかっていた。

 テレビでよく見る顔が、何人もいる。

 朔がそれ以上話さなかったので、俺も黙って天気の良い外の景色を眺めていた。

 しばらくすると、ノックする音が聞こえた。

「お待たせしてごめんなさい」

 小山さんが、入って来て、コーヒーと紅茶を置きながら、朔の前に書類を置いた。

「お待ちになっている間、こちらを書いていただけますか?……あなたも一緒にうちの事務所に入るご希望が?」

 小山さんが俺にも聞いたので、俺は慌てて「付き添いです」と言った。

 朔はその書類を書きながら、どうしてこの事務所を知ったとか、今どこの中学なのか。とか、小山さんの当たり障りの無い質問に、滞りなく答えている。

 コーヒーは苦く、俺は一気に飲み干した。





「社長は今向かっているので、もう少し待っていてください」

 小山さんがそう言って部屋を出て行ってから、しばらくたったが、誰かがくる気配もなかった。

 そのうち知らない女の人が入ってきて、コップになみなみと注がれたオレンジジュースを置いていった。

 俺は珈琲で苦くなった舌に、ジュースを送り込んだ。

 気がつくと、窓から見える太陽の光が、オレンジ色に変わっている。

 外はどんどん暗くなり、ビルの灯りが急に目立ち始めた。

 朔は、黙って身じろぎもせずに座っている。

 今日は、もう帰ろうか。

 俺がそう言いかけた時、勢いよくドアが開いた。

 三つ揃いのスーツをきっちり着込んで、何故か、ネクタイだけ、だらしなく緩めた男が肩で息をしながら入ってきた。

「お待たせしたね」

 朔がすっと立ち上がった。

 朔を見て、男が息をのむのがわかった。


 男はしばらくドアの前で立ち尽くすと、小山さんに促されて、あわてて朔をソファ座らせた。

 この事務所の社長、中川善之助だった。

 思ったより若いな。

 それが俺の第一印象だった。

 姿勢の良い、引き締まった身体が、男をさらに若々しく見せていた。

 それとも本当に若いんだろうか。

 俺はこれから朔が提案しようとしている事を思って、少し心配になった。

 中川社長の話に、朔が、絶妙な相づちを打っている。

 朔は人の話を聞くのが異常にうまい。

 皆から嫌われている学年主任も、学級担任も、朔をあまりよく思っていないうちの母でさえ、朔を目の前にすると話さずにはいられなかった。

 俺は、どんどん朔に籠絡されていく男を、半ば同情の目で見ていた。

 大きな手振りで、気持ちよさそうに話をしている左手に、指輪はなかった。

 俺は、朔をちらりと見た。

 ちょうど小山さんが、チョコレートを持って部屋に入ってきたところだった。

 中川社長は、まるで夢から覚めたように口をつぐんだ。

 咳ばらいを一つすると、さっき小山さんがしたような質問を朔に投げかけた。

 朔は、その一つ一つに丁寧に答えた。

 一通り質問を終えると、社長は簡単に自分の事務所の説明を始めた。

「女優のKもうちの所属だ。Iも知ってる? そう。でも、彼らよりも、君はスターになれる。そう。君がスターになるんだ」

 朔がはじかれたように顔を上げた。

 頬が紅潮して目がきらきらと光っている。

 中川社長は、朔の顔を見て何を思ったのか、興奮気味に声を大きくして言った。

「僕の目に狂いはない。だから、今度はぜひ、ご両親と一緒に来て欲しいんだよ。できれば今日でも明日でも。ご都合良い時でいいから、電話くれるかな。夜でも朝でも何時でもいいから。説明したいこともたくさんあるし」

「ありがとうございます。それは、わたしを雇っていただけるということでしょうか?」

「もちろんだよ。絶対スターになる。この子達よりも、ずっと。ずっと」

 男は指輪のはまっていない手で、事務所の看板スター達を指しながら言った。

 朔が、指輪をきっちり確認したのがわかった。

「だからぜひ、ご両親と」

「いないんです」

「いや、今日じゃなくてもいいから。……え? いないって?」

「両親はいません。育ててくれた叔母がいたのですが、先日亡くなりました」

 朔は、一気にたたみかけた。

「私は社長さんが言うように、スターになります。絶対になります。だから……だから、わたしが二十歳になるまで、わたしと弟の保護者になってくださいませんか?」

 言った。

 俺は息を止めて社長と朔をかわるがわるに見た。

「え?」

 中川社長は、鳩が豆鉄砲を喰らったみたいな顔をして、もう一度聞き返した。

「なんでもやります。努力もします。ぜったい後悔させません」

 朔は、じっと中川社長の顔を見つめた。

 落ちる。

 俺は、確信した。

「あなた、今、どこに住んでいるの? おばさまが亡くなったのはいつなの?」

 今まで黙って聞いていた小山さんが、割って入った。

「叔母は一ヶ月前に亡くなりました。今は、大家さんのご好意で、今まで住んでいたアパートにそのままいます。ただ、今月いっぱいでそこも出なくてはならなくて、施設に入る予定です。役所の人達が明日来ることになっています」

 小山さんが、チョコレートの乗った皿をテーブルに置いた。ゴディバだ。

「ご飯は? 食べてるの?」

 小山さんは、チョコの皿を彼女の方ヘ進めながら聞いた。

「給食があるので」

 朔が真っ赤になってうつむいた。

 俺は、ぎゅっと胸が痛くなった。

「ふうむ」

 中川社長がソファに寄りかかった。

「社長、お寿司とりますね。寿司でも鰻でもっておっしゃいましたよね」

 小山さんが立ち上がった。

「あ、そんな気を遣わないでください」

 朔がそう言いながら立ち上がりかけて、膝の上のバックを床に転がした。

 その瞬間、バックに入っていた何十枚もの名刺が勢いよく床に散らばった。

「ごめんなさい」

 朔がそう言いながら、あわてたように名刺を拾い集めた。

 なるほど。このための名刺だったか。

「お前、バックの口は閉めとけよ」

 俺はそんなことを言いながら、名刺を拾うフリをしながら中川社長を盗み見た。

 彼は、唖然として朔を見ていた。

 秘書の小山さんが、息をのんでいる。

 積んだな。

 そう思った瞬間社長が言った。

「しびれるね。すごいタイミングだった」

 バレたか。

 社長を見ると、ニヤニヤとしながら、朔をじっと見ている。

「中学生の親になるには、ちょっと若すぎるパパだけどね」

 腹が決まったらしい。

 それはそうだ。

 こんな名刺の山を見せられたら誰だって他にとられたくないと思うだろう。

 朔は、だめ押しをしたのだ。


 あなたじゃなくてもいいけれど。どうする?


 極上の笑顔をつけて、そう名刺に語らせた。

 ほっとしたような吐息が隣で聞こえた。

 俺はふっと不安になった。

 今の朔では冷静な判断はできないだろう。

 どんな条件でも、満と一緒に居ることさえできれば、契約する。

 ここは一旦持ち帰って、信頼できる大人に相談した方がいい。

 ちょうど明日、確定申告の件で弁護士の先生がくる予定になっていたはずだ。

 ばたばたと契約をしたがる中川社長を俺はとどめた。

「今日は契約書だけでいいよ。来週中に返事をします。朔、今日は帰るよ」

 俺は立ち上がった。

 朔がつられるように立ち上がる。よし。

「ちょっと待て。君は関係ないだろう?」

 中川社長が初めて俺の方を見た。

 確かに。

 関係ない。

 たかが中学校の同級生。

 でも、俺は朔を安全に守るという使命があると思っているんだよね。

 だから、なめんなよ。

「朔、今日は契約書もらって、うちの弁護士に見せてからだよ。」

 明日来るからね。うちの確定申告で。

「ちょ、ちょっと君、うちはそんな会社じゃない。俺は」

 中川社長が言いかけたセリフを俺が引き取った。

「必要なのは契約書だよ。それと、法定代理人となる書類も用意しておいて。全部そろってから話を進める」

 かっと中川社長の顔が赤くなった。怒ったか?

 俺は身構えた。

 中川社長はぐっと大きく息を吸うと

「わかった。小山君。契約書だして」

 と言った。

 決まった。

 俺は内心ガッツポーズをした。
 
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