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幼馴染 高屋敷玄の話
高屋敷玄の話 その四~クローバーの名刺~
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「ただいま」
「お帰り。お兄ちゃん、朔ちゃんはどうだった?」
静が、玄関まで走ってきた。
「ん」
俺は曖昧に答えて、静の頭をぽんぽん。となでた。
「なによ」
静が、気味悪げに眉をひそめた。
「あら、お帰り。手を洗った? おやつあるわよ」
母さんが、エプロンで手を拭きながら出てきた。
夜勤明けの父さんが、ソファで新聞を読んでいる。
朔は、これが全部ないんだもんなあ。
喉の奥が、ぐっと熱くなった。
手を洗って、母さんの焼いたホットケーキに、たっぷりとシロップをかけた。
俺は子どもの頃から、とにかくホットケーキが好きだった。
ホットケーキを食べると、何となく元気が出た。
朔と満に、食べさせたい。
心底思った。
今は朔に会える距離だ。
このホットケーキだって届けることができる。
けど、朔が転校したら、もう二度と会えないんだ。
その事実に、俺は呆然とした。
嫌だ。
朔が転校するなんて。嫌だ。
俺のことだけじゃない。
満と離ればなれになったら、朔がどれだけ悲しむか。
俺が大人だったら朔と満を離したりしないのに。
毎日腹一杯うまいもの食べさせて、あんな布団なんだか、畳なんだかわからないのではなくて、身体が埋もれるくらいふわふわな布団に寝せてやる。
だけど、俺は今、中学生で、ホットケーキの作り方もわからないくらいの子どもだった。
俺はホットケーキを見つめた。
朔の転校を阻止する手段なんて、何も思いつかない。
でも、それでもできることはあるはずだ。
少なくとも、こんなとこで、呑気にホットケーキを食べてて良いはずない。
「お兄ちゃん。お兄ちゃんったら。シロップかけ過ぎ。お兄ちゃん? 聞いてる?」
静が俺をゆすった。
「ああ。聞いてるよ」
俺はシロップの蓋をして、そっとテーブルの上に戻した。
「ちょっと大丈夫なの? 母さん、今から学校のPTAに行ってくるから。おやつのおかわりあるから、二人で食べててね」
俺は母さんが出かけると、台所にあるホットケーキを全部ラップに包んだ。
「あ、お兄ちゃん、それ、あたしのよ」
「わるい。あとで買ってきてやるよ」
「ちょっと、お兄ちゃん?」
俺はまだ温かいホットケーキを持って、もう一度朔の家のドアを叩いた。
「忘れ物?」
あれからずっと泣いていたんだろう。
真っ赤に目を腫らした朔が出てきた。
「いや。これ」
俺は、ラップにくるまれた、まだ温かいホットケーキを朔に差し出した。
シロップがべっとりラップについたそれを、朔は嬉しそうに受け取った。
「ありがとう。入って。一緒に食べよう」
朔はお皿にホットケーキを出して、ラップについていたシロップを、器用にこそげ落とした。
「俺は食べてきたから。満と二人で食べろよ」
「そう?」
朔はポットから湯気の立つお湯を二人分、湯飲みに注いだ。
この家に来てから初めて、白湯という存在を知ったんだよな。
俺は、しみじみ思い出しながら、そのお湯をありがたく飲んだ。
朔は自分用に、ほんの少し切り分けたホットケーキを、もそもそと食べ始めた。
もう少し持ってくれば良かったな。
そう思うと、急に胃の中にあるホットケーキが、ずんと重くなった。
「朔。これから、本当にどうすんだよ」
「どうしようもない。この部屋を借りるのも、これから先、満が進学するのも、未成年後見人っていうのが必要なんだって」
「それが、誰もいねえの?」
朔は、小さく頷いた。
「あのさ、俺の父さんだったら、それになってくれるかも。満の時も助けてくれたじゃん。ほら、ケースワーカーとか、うちの弁護士とかに頼んでさ」
良い案だと思った。
俺は勢いづいた。
「そしたらさ、うちに住めばいいよ。どうせ部屋なんて余ってるんだし。静だって喜ぶよ」
「ありがとう。でも、それはできない」
きっぱりと言いながら、朔は困ったように微笑んだ。
「何でだよ。今日だったら父さん、家にいるし、言ってみようぜ」
母さんがいない今がチャンスだ。
そんな俺の考えを見透かしたように、朔は立ち上がりかけた俺の服の裾をつかみ、首を横に振った。
目に涙をいっぱいためながら。
「ただでさえ、玄には、返すことできないくらい、もらっているからさ」
朔は、かすかに首を振った。
対等でいたいんだよね。
小学校の頃、朔はそう言って笑った。
朔は今、その時と同じ目をしている。
これはだめだ。
絶対だめなヤツだ。
考えろ。俺。
朔と満が、離ればなれにならない方法を。
「せめて働けるくらいの年ならいいんだけど」
朔は、つぶやいた。
「お前、変なバイトに手を出すなよ」
「なにそれ。そんなのしないよ……でも……そうか」
朔はそう言うと、押し入れの中から、菓子の箱を取り出してきた。
「なんだこれ?」
「名刺。モデルクラブだの芸能事務所だの」
朔はそう言いながら、畳の上に、箱の中身をひっくり返した。
「ずいぶんもらってんな」
「目立つのが嫌いだから、絶対やりたくない仕事だったんだよ。でも、いつか必要になるかもと思って、とっておいたの。いつかって……今だよ」
「え? どういうこと?」
「いいから。言ったとおりにして。
名刺、結構、重複しているのもあって、同じ事務所の、違う人の名刺とかもあるから、それをまとめて。
それから大手と中堅と小規模なとこと、調べて分けて」
俺は自分のスマホを片手に、片っ端から事務所のホームページを検索し、朔の言われた通りに分けた。
「これは大手、これは聞いたこと無いからあやしいな」
調べてみたら、芸能界に疎い俺ですら知っている事務所も、ちらほらあった。
「ホントの大手の事務所だと、融通が利かないから。できれば社長クラスの名刺で、ほどほど独断で決定できそうな小さな事務所が理想的なの」
「お前、何考えてんの?」
「いいから。手を動かして」
俺と朔は、名刺の山から、取締役とか、社長とかが書いてある名刺だけを、取り出した。
「お、この名刺、裏に手書きの電話番号が書いてある」
「その社長さん覚えてる。玄と二人で古本屋へ参考書を買いに行ったときに、声かけてきた人だよ」
「よく覚えてるな」
「うん。この時、わたし、電車の中で座っていて、足わるい人か、年取った人かに、席を譲ったんだよね。この人も近くに立っていて、席を譲った時、すごくほっとした顔していて、あ、この人、いい人だなって思っていたら、追いかけてきて、この名刺をくれたの」
「そうだっけ」
正直、朔と一緒に歩いていて、芸能事務所のスカウトから声をかけられることなんて、本当に多くて、いちいち覚えていない。
「……この事務所、大きいとこ?」
「いや、大きくはないけど、小さくもない」
「あんまり小さくても心配だから……いいかも」
朔はそう言って、その名刺を骨壺の前に置いた。
「この社長さん、結婚してないといいけどなあ」
「お前!? まさか!」
「違うって。そう言うんじゃないよ。そう言うんじゃないけど、結婚してるとちょっとめんどくさいかなって、思ったの?」
「何が?」
「え? 何がって。結婚していなくても、子どもが欲しい人って、いるじゃない?」
朔は、今まで見たことのない顔で、にっこり笑った。
「お帰り。お兄ちゃん、朔ちゃんはどうだった?」
静が、玄関まで走ってきた。
「ん」
俺は曖昧に答えて、静の頭をぽんぽん。となでた。
「なによ」
静が、気味悪げに眉をひそめた。
「あら、お帰り。手を洗った? おやつあるわよ」
母さんが、エプロンで手を拭きながら出てきた。
夜勤明けの父さんが、ソファで新聞を読んでいる。
朔は、これが全部ないんだもんなあ。
喉の奥が、ぐっと熱くなった。
手を洗って、母さんの焼いたホットケーキに、たっぷりとシロップをかけた。
俺は子どもの頃から、とにかくホットケーキが好きだった。
ホットケーキを食べると、何となく元気が出た。
朔と満に、食べさせたい。
心底思った。
今は朔に会える距離だ。
このホットケーキだって届けることができる。
けど、朔が転校したら、もう二度と会えないんだ。
その事実に、俺は呆然とした。
嫌だ。
朔が転校するなんて。嫌だ。
俺のことだけじゃない。
満と離ればなれになったら、朔がどれだけ悲しむか。
俺が大人だったら朔と満を離したりしないのに。
毎日腹一杯うまいもの食べさせて、あんな布団なんだか、畳なんだかわからないのではなくて、身体が埋もれるくらいふわふわな布団に寝せてやる。
だけど、俺は今、中学生で、ホットケーキの作り方もわからないくらいの子どもだった。
俺はホットケーキを見つめた。
朔の転校を阻止する手段なんて、何も思いつかない。
でも、それでもできることはあるはずだ。
少なくとも、こんなとこで、呑気にホットケーキを食べてて良いはずない。
「お兄ちゃん。お兄ちゃんったら。シロップかけ過ぎ。お兄ちゃん? 聞いてる?」
静が俺をゆすった。
「ああ。聞いてるよ」
俺はシロップの蓋をして、そっとテーブルの上に戻した。
「ちょっと大丈夫なの? 母さん、今から学校のPTAに行ってくるから。おやつのおかわりあるから、二人で食べててね」
俺は母さんが出かけると、台所にあるホットケーキを全部ラップに包んだ。
「あ、お兄ちゃん、それ、あたしのよ」
「わるい。あとで買ってきてやるよ」
「ちょっと、お兄ちゃん?」
俺はまだ温かいホットケーキを持って、もう一度朔の家のドアを叩いた。
「忘れ物?」
あれからずっと泣いていたんだろう。
真っ赤に目を腫らした朔が出てきた。
「いや。これ」
俺は、ラップにくるまれた、まだ温かいホットケーキを朔に差し出した。
シロップがべっとりラップについたそれを、朔は嬉しそうに受け取った。
「ありがとう。入って。一緒に食べよう」
朔はお皿にホットケーキを出して、ラップについていたシロップを、器用にこそげ落とした。
「俺は食べてきたから。満と二人で食べろよ」
「そう?」
朔はポットから湯気の立つお湯を二人分、湯飲みに注いだ。
この家に来てから初めて、白湯という存在を知ったんだよな。
俺は、しみじみ思い出しながら、そのお湯をありがたく飲んだ。
朔は自分用に、ほんの少し切り分けたホットケーキを、もそもそと食べ始めた。
もう少し持ってくれば良かったな。
そう思うと、急に胃の中にあるホットケーキが、ずんと重くなった。
「朔。これから、本当にどうすんだよ」
「どうしようもない。この部屋を借りるのも、これから先、満が進学するのも、未成年後見人っていうのが必要なんだって」
「それが、誰もいねえの?」
朔は、小さく頷いた。
「あのさ、俺の父さんだったら、それになってくれるかも。満の時も助けてくれたじゃん。ほら、ケースワーカーとか、うちの弁護士とかに頼んでさ」
良い案だと思った。
俺は勢いづいた。
「そしたらさ、うちに住めばいいよ。どうせ部屋なんて余ってるんだし。静だって喜ぶよ」
「ありがとう。でも、それはできない」
きっぱりと言いながら、朔は困ったように微笑んだ。
「何でだよ。今日だったら父さん、家にいるし、言ってみようぜ」
母さんがいない今がチャンスだ。
そんな俺の考えを見透かしたように、朔は立ち上がりかけた俺の服の裾をつかみ、首を横に振った。
目に涙をいっぱいためながら。
「ただでさえ、玄には、返すことできないくらい、もらっているからさ」
朔は、かすかに首を振った。
対等でいたいんだよね。
小学校の頃、朔はそう言って笑った。
朔は今、その時と同じ目をしている。
これはだめだ。
絶対だめなヤツだ。
考えろ。俺。
朔と満が、離ればなれにならない方法を。
「せめて働けるくらいの年ならいいんだけど」
朔は、つぶやいた。
「お前、変なバイトに手を出すなよ」
「なにそれ。そんなのしないよ……でも……そうか」
朔はそう言うと、押し入れの中から、菓子の箱を取り出してきた。
「なんだこれ?」
「名刺。モデルクラブだの芸能事務所だの」
朔はそう言いながら、畳の上に、箱の中身をひっくり返した。
「ずいぶんもらってんな」
「目立つのが嫌いだから、絶対やりたくない仕事だったんだよ。でも、いつか必要になるかもと思って、とっておいたの。いつかって……今だよ」
「え? どういうこと?」
「いいから。言ったとおりにして。
名刺、結構、重複しているのもあって、同じ事務所の、違う人の名刺とかもあるから、それをまとめて。
それから大手と中堅と小規模なとこと、調べて分けて」
俺は自分のスマホを片手に、片っ端から事務所のホームページを検索し、朔の言われた通りに分けた。
「これは大手、これは聞いたこと無いからあやしいな」
調べてみたら、芸能界に疎い俺ですら知っている事務所も、ちらほらあった。
「ホントの大手の事務所だと、融通が利かないから。できれば社長クラスの名刺で、ほどほど独断で決定できそうな小さな事務所が理想的なの」
「お前、何考えてんの?」
「いいから。手を動かして」
俺と朔は、名刺の山から、取締役とか、社長とかが書いてある名刺だけを、取り出した。
「お、この名刺、裏に手書きの電話番号が書いてある」
「その社長さん覚えてる。玄と二人で古本屋へ参考書を買いに行ったときに、声かけてきた人だよ」
「よく覚えてるな」
「うん。この時、わたし、電車の中で座っていて、足わるい人か、年取った人かに、席を譲ったんだよね。この人も近くに立っていて、席を譲った時、すごくほっとした顔していて、あ、この人、いい人だなって思っていたら、追いかけてきて、この名刺をくれたの」
「そうだっけ」
正直、朔と一緒に歩いていて、芸能事務所のスカウトから声をかけられることなんて、本当に多くて、いちいち覚えていない。
「……この事務所、大きいとこ?」
「いや、大きくはないけど、小さくもない」
「あんまり小さくても心配だから……いいかも」
朔はそう言って、その名刺を骨壺の前に置いた。
「この社長さん、結婚してないといいけどなあ」
「お前!? まさか!」
「違うって。そう言うんじゃないよ。そう言うんじゃないけど、結婚してるとちょっとめんどくさいかなって、思ったの?」
「何が?」
「え? 何がって。結婚していなくても、子どもが欲しい人って、いるじゃない?」
朔は、今まで見たことのない顔で、にっこり笑った。
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