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幼馴染 高屋敷玄の話

高屋敷玄の話 そのニ ~入院~

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 結局、父さんは、満を自分の病院に入院させた。

 病院のケースワーカーという人が、二人の保険証だの医療費助成だのの手続きをしてくれたようだった。

 一度、朔の叔母さんという人を、病院で見た。

 派手な顔立ちを、さらに派手に見せる化粧は、お世辞にも堅気の仕事をしている人には見えなかった。

 満が入院している間、朔は毎日、学校帰りに、うちの病院に寄った。

 朔と俺は、自然に一緒に帰ることになり、俺は初めて、彼女が本当は、よく笑う普通の女の子だと言うことを知った。

「お父さんとお母さんは、夢みたいに仲良しでね、多分、仲良し過ぎて、どっちかを置いていくって考えられなかったんだと思うんだ」

 両親をいっぺんに亡くしたことを、朔はそう話した。

 親戚が少なくて、ようやく叔母に引き取られたこと。

 大家さんからもらう孫のお下がりの服は、いつも手足が短いこと。

 学校でいじめられる原因は、俺だって思っていたこと。

「玄が人気者なのはわかったからさ。私に話しかけないで。ってずっと思っていたの。結構冷たい態度とかとってたと思うのに、玄、全然、めげないんだもん」

「そう。俺、あきらめ悪いから。っていうかなんで話しちゃだめなんだよ。そっちの方がおかしいじゃん。俺は話したいやつと話をするんだ」

 朔は笑った。

「でも、とても感謝しています。本当にありがとう」

「父さんのおかげ。だけどな」

「呼んでくれたのは、玄じゃん」

「呼んだだけだよ。だっせ」

「そんなことないよ。あそこで玄がお父さんを呼んでくれなきゃ、今頃、満はここにいなかったよ」

 朔は大まじめに言った。

「玄のお父さんが、お医者さんだって知らなかった」

「そうか。うちのクラス、親が医者のヤツ結構多いぜ。大学病院が近くにあるしな」

 そうなんだ。朔はびっくりしたように言った。

「ねえ、玄。玄は医者に」

 医者になるんでしょ。

 と言われるのだと思って、俺は、がっかりしながら朔を見た。

 ブルータス。お前もか。

「お医者さんになるには、どうすればいいかわかる?」

 朔の口から出た言葉は、俺が想像していた言葉とは、全然違った。

「え? なりたいの? お前が?」

「うん。なりたい。玄のお父さんみたいに、なりたい」

 親父かよ。

 俺はなんとなく、もやっとした。

「大学の医学部に入ればいいんだよ。難しいんだぜ。俺は小さい頃から塾行ってっからさ」

 余裕で入るけどね。 

「玄も? 玄もお医者さんになりたいの?」

「ま、まあな」

 俺は、「ただ、決められたレールを走っているだけです」 とは口がさけても言えなかった。

「そうか。大学に入るのか。ねえ、玄の行っている塾ってどういうことするの?」

「お前、塾も知らないのかよ」

「うん」

 悪い?

 朔はぷっとふくれた。

「見る? テキスト」

 俺は、たまたま学校に持ってきていた塾のテキストを、ランドセルから出した。

「うん。見る」

 テキストを渡すと、朔は、食い入るように見ながら、道路の真ん中で動かなくなった。

「危ないから。こっち。ほら」

 道路の端に引っ張って行っても、朔はテキストから顔を上げなかった。

「貸す?」

 俺は思わず言った。

「いいの?」

「いいよ。俺もう使い終わったし」

 嘘だった。

 でも、塾に行けば、忘れた生徒用に用意されたものがある。

 何より、朔の喜んだ顔が見たかった。

「ありがとう!」

 朔は、嬉しそうにテキストを抱きしめた。




 それからの帰り道は、「塾のテキストでわからなかったことを、朔が俺に質問する」という時間になった。

 満が退院しても、俺と朔は一緒に帰った。

 朔のアパートの前の道路は、「書ける石」と呼ばれる石で書いた数式で埋まった。

 時折、わからない問題もあって、俺は必死で塾の先生に質問して解答を理解した。

 必然的に俺の成績はみるみる伸び、母親はいたく満足そうだった。

 二冊目のテキストを渡すとき、朔は申し訳なさそうにじっとテキストを見ていった。

「何か私にできることない? お金は払えないけど、何か他のことで返したい」

「別に何もねえよ。どうせ終わったヤツだし」

「でも」

 朔は、中々差し出したテキストを受け取らない。

「ほら」

 俺は、もう一度テキストを朔の方へ押し出した。

「掃除当番を変わるとか?」

「ばっか。そんなの俺が先生に怒られるだろ」

「そうか」

 朔は、申し訳なさそうにうつむいた。

「あ、じゃあさ、俺の妹になわとび教えて」

 言ってから、我ながらいい案だと思えた。

「なわとび?」

「そう。お前得意じゃん。なわとび一級もってるじゃん」

 縄跳び一級というのは、冬の体力づくりと銘打って、縄跳びに級をつけて競わせようという、小学校にありがちな、セコイ計画の一つだ。

 十級の前飛びから始まるのだが、悔しいことにみんな担任の策に乗ってしまい、級をあげようと必死になっていた。

 ちなみに二重跳びとハヤブサの合わせ技をしなければならない一級は、朔と、もう一人しかいなかった。

「縄跳びくらいしか遊ぶものないんでしょ」

 朔をいじめている女子達が、もはや陰口ではないくらいはっきり言った。

 事実だったので、俺と朔は、あとで顔を見合わせて笑った。

「俺の妹、満と同じ病気だから、母親が大事にさせすぎて、冬場体育させなかったんだ。だから、なわとび、全然できねえの」

「そんなんで、いいの?」

「それが、いいの」

 そう言って、俺は、朔の手にテキストを押し込んだ。

 前から姉が欲しかった妹の静にとって、朔は理想的な姉だった。

 静はすぐに朔に懐き、週に三回、うちの庭で楽しそうに縄跳びをした。

 壊滅的な運動音痴な妹に、朔は、丁寧に根気強く縄跳びのコツを教えた。

 次の冬が来る頃には、妹はなんとか二重跳びができるようになっていた。

 朔が医者になるという気持ちは、どうやら本気だったらしい。

 縄跳びを教える日以外の放課後は、近所の図書館に置いてある参考書とか問題集とかで勉強していた。

 小学生が終わる頃には、朔は俺が解けないような問題も解けるようになっており、俺は内心、かなり焦っていた。

 中学受験の話が出たが、俺はこの綺麗で優しい生き物が、俺の知らない中学で生きているのが嫌で、朔と同じ、近くの公立中学に進んだ。

 母さんは反対したが、

「色んな人と交わる良い機会だ。本当に医者になりたいなら、高校から進学校に行けばいいだろうさ」

 と、父さんが、訳知り顔で俺の味方になってくれた。

 この頃から、朔はしょっちゅうモデル事務所とか、芸能事務所とかから声がかかるようになっていた。

 


 中学校に入り、俺は、制服が、残酷な洋服であることを知った。

 小学校時代は、まあ、かわいいお洋服を着ている子が、かわいく見えたりもする。

 自分に似合うものを選んで着ているからそれは当然だろう。

 だが、制服は、そうもいかない。

 似合おうが似合わなかろうが、暴力的に同じ服を着させるのだ。

 同じ服を着ていれば、比較だって容易にできてしまう。

 そして、朔は、と言えば、圧巻だった。 

 はっきり言って、そこら辺の女の子に比べると、顔、スタイルの良さ、バランス。段違い平行棒だ。

 隣にいる子が、何の罰ゲームか? と聞きたいくらいだった。

 どのくらいかというと、リハウスのCMに出てくる女の子が日常にいるのを想像してもらえばいい。

 入学式から一か月くらいは、他の小学校から来た奴らが、休み時間の度に、わざわざ朔を見に、足を運んでいた。

 あまりにも目立つので、女子のいじめは止んだが、部活にも入らない朔は、相変わらず友達ができにくいようだった。

 休み時間にクラスにいる朔を見ると、大抵一人で本を読んでいるか、俺の渡した問題集を解いていた。

 学校が終わると、まっすぐ小さな図書館に向かい、そこで勉強をし、週に何回かは、商店街の手伝いと称したアルバイトをしていた。

 学校で受ける試験の一位の順位は、朔と俺の間で行ったり来たりしていた。

 だが、クラスも離ればなれになった俺は、ほとんど朔と会う機会がなくなってしまった。
 
 静のアルバイトも、「縄跳び」の次に、「逆上がり」。「でんぐり返し」の練習などなど、色々な口実をつけて我が家に呼びつけていたものの、静も大きくなってしまい、さすがに無理になってしまった。

 満のぜんそくも、治療を開始してからはすっかり良くなり、時折、病院に通ってくる満につきそう朔を見かけるくらいだった。

 俺は、何とか会う機会を作りたくて、週に一回、塾のテキストを貸す口実で、朔の行きつけの図書館で待ち合わせをした。

 朔は、決まって図書館の一番奥にある窓際の席に座っていた。

 いつも部活で遅くなる俺を待ちながら勉強をしていて、夕焼け色に染まった長い髪を、邪魔くさそうに後ろに追いやっていた。

 図書館からの帰り道は大抵、朔の苦手な数学の質問で埋められた。

 時折、中学校で起こるささいな事件や、先生の噂話とか、他愛ない話をした。

 お互いの担任のこと。

 俺の部活のこと。

 満の小学校生活のこと。

 お嬢様学校に通っている静のこと。

 朔の叔母さんのことを聞いたのも、この時間だったのだと思う。

「おばさんはね、本当は、あたし達を置いて彼氏のところで住みたいんだと思うんだよね。だけど、がんばって週に二回くらいは帰ってきてくれているの。優しいよね」

 朔達の児童手当とか、生活費とかめっちゃ使い込んでいて、ろくすっぽ帰ってこない叔母さんのことを、朔はどうして優しいなんて言えるのか、俺にはさっぱりわからなかった。

 ただ、澄んだ瞳でそう話す朔に、「ふうん」という間の抜けた相づちを打つことしかできなかった。
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