神蛇の血

ぺんぎん

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椎の話 緑の鱗

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 最初の異変はいつの頃だったのだろう。

 自分の手の甲に浮かび上がった緑色の鱗。

 せんだっての大雨で河川が氾濫し、家が流され人が死んだ。

 椎は、村の若い衆と一緒に、走り回り、怪我をしているものを助け、家を建て直していた。

 手についた汚れを気にする暇なんて、どこにもなかった。

 最初は、何かの汚れかと思った。

 けれども、緑色の鱗のようなそれは、日を追うごとに増え、腕全体に広がったかと思ったら、瞬く間に体を覆いつくした。

 驚いて家に帰ってみると、ここ数日寝たきりとなっていた母の全身にもびっしりと同じ鱗で覆われていた。

「そなたがうつしたな!」

 心配する椎野の問いに、母の怒号が返ってきた。

「そなたのせいだ! そなたの……あの子が死んだのも、この体も……そなたが……去ね! 早く去ね!」

 その声は村中に駆け巡った。

 村人たちの行き場のない恐怖と不安は、怒りとなって、椎に向けられた。

 歩いていると、石や木の枝が、これでもかと投げつけられた。

 椎が通ると、家々の戸は閉められ、子供は家の中に隠された。

 だが、村人達の鱗は取れるどころか、どんどん酷くなっていき、死んでいくものも出てきた。

 都の陰陽師と名乗る若者が二人、村に来たが、彼らに希望の光を見出したのは、短い時間だった。

 都の陰陽師でだめなものを、いったい誰が助けてくれるというのだろう。

 村は絶望という名の色に染まった。

 椎への風当たりはさらに強くなり、村に立ち入ることすら、できなくなっていった。

 家にも帰ることができず、村にも入ることができず、椎は仕方なく、この左大臣家の別邸に向かった。

 幸い、左大臣家の別邸は、使用人のための小さな離れもあり、住むところにも不自由しなかった。

 左大臣家が一年に一度、訪れるか訪れないかの別邸だが、急な訪れにも対応できるように、干した魚や、塩漬けにした野菜や山菜など、保存のきく食料はふんだんにあった。

 椎は、誰にも会わず、誰とも会話せず、ただ、黙々と、一日中仕事をして過ごしていた。

 母がその後どうなっているのか、村の状態がどうなっているのか。

 椎には、知る術はなかった。

「都の陰陽師がどこにいるか。わかるか?」

 清灯がため息をつきながら聞いた。

「は。村長の家に寄せていると聞いておりましたが、詳しいことはなにぶん……」

「役立たずめ。帰ったら鍛えなおさねばならん」

 舌打ちをしながら、清灯がつぶやいた。

「二人は? 山で何かわかった?」

 紘子は話し終えた椎にも白湯をいれてあげながら、聞いた。

「来る途中に死水を見た。あれが怪しい。式神を放しておいたので、そろそろ報告に来てもよさそうなものだが……」

 清灯はそう言うと、遠く、山の方を見上げた。

 小さな鳥のようなものが、ものすごい勢いでこちらに向かって飛んでくる。

「清灯の式神って、いつも急かされてるよね」

 同情するように紘子が言った。

「ならば、少しは暇にしてくれ」

 清灯めがけてまっしぐらに飛び込んできた小さな鳥は、一瞬人型を取ったかと思うと、青白い炎になって、清灯の手のひらに収まった。

 どのようにして式神が持ってきた情報を得るのか、彼らを操っているのか、紘子ですら、その方法を知らない。

 炎は、青から蒼になり、そのまま清灯の口に吸い込まれるように入っていった。

 蒼紺の瞳が、蒼天に輝いたのは一瞬だった。

「え? お前、大丈夫?」

 忠義が慌てて自分の飲んでいた白湯を清灯に差し出した。

「ほら、大丈夫だから、お兄ちゃんとこに吐き出せ」

 すぱっ。

 清灯が持っていた扇が、忠義の額に命中した。

「いくつだと思っている。そして、誰がお兄ちゃんだ」

「僕でしょ。どう考えても。紘子はお姉ちゃんだし」

 清灯が、ふるふると怒りで肩を震わせた。

「こんな手のかかる兄姉はいらん」

「ほんとに? だって、あれ、あの死水の中に潜ったヤツだろ? お前の中にはいっちゃって、大丈夫なのかよ」

 式神をそのまま飲み込むことによって、式神が見てきた五感全ての情報を得るのが、清灯のやり方だった。

「お前、そんな体の使い方してさあ。もう少し大事にしろよ」

 紘子が、ちろりと清灯を見た。

 普段の青白い頬が、赤く染まっている。

 やれやれ。素直じゃないんだから。

 紘子は気づかれないように袖で口を覆った。

「とにかく。あの死水だ。かなり強い怨念が渦巻いている。村近くだったし、ちょっとの恨みつらみは、想定内だが、これは、おかしいくらいの怨念だ。人間一人二人でこんなにも念が強いはずはないんだが……ましてや、あそこは木幡だ」

「木幡だとなんかあるのか?」

「木幡は、許波多神杜の森だ。神域でもあるんだ。ある程度の怨念は、近寄れもしないだろうよ。だが、これは、祓う力より、負の力が勝ったか」

「でも、何でそこの死水が村人全部に鱗なんて生えさせることができんだ? あそこの水は、飲めるような代物じゃなかったし、村はずれだったよな。あの死水のあるとこ」

 青大将だって死にそうになってんだぜ?

 角盥をさして、忠義不思議そうに言った。

「ああ。あそこの死水は元は、豊富な湧き水が出る、清水だったようだ。地下の水脈が、村の井戸につながっていた。なんらかの原因で、湧き水が塞がれ、死水となり、地下に沈んでいた怨念が、じわじわと村の井戸にしみだしていたんだろうよ。それでも、大した量ではなかったろうが、先日の大雨で、湧き水を塞いでいたものが流され、溜まっていた怨念があふれ出たのだろう」

「誰かが故意的に湧き水の入り口を塞いだわけではない可能性は、あるわよね」

 流れてきた泥が塞いだとか。

「でも、それだと、逆恨みになるわよね」

「そんな馬鹿なことがあるか。長い時をかけて創り出された湧き水が、たかが泥で塞がれるか。明らかに故意だ」

「お話の途中すみません」

 椎が遮った。

「みなさまがおっしゃる死水は、どこにあるのでしょうか?」

「ああ。この山から下りて、しばらく歩いて、丑寅方角の村はずれの森の中にあったよ」

 忠義は、山の麓の方を差した。

「そこは、おっしゃる通り、とても綺麗な池でした。そんなに広くはないのですが、豊富な水源があって、どんな大雨でも濁ることはないので、山葵が群生していたのですが」

 椎は、そう言って黙った。

 そこは、弟が死んだ池だった。

 椎の心に、じわりと不安が湧いてきた。

 
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