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森の中の二人
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「それにしても、ずいぶん鬱蒼とした山道だな」
軽口に紛れていたものの、森の中は昼だというのに鳥の声一つ聞こえてこない。
ただ二人の足音が、枯葉の隙間に吸い込まれていく。
「木幡は、この山のふもとにある許波多神社の森でな。北は深草から南は五ケ庄に及ぶ広い土地をいう。
山が深いだろう? こういう山は太古からの土を持っていて始末に負えない」
清灯が声を潜めた。
「太古の土ってなんだよ? 気味が悪いな」
「古くからの命の堆積だ。命が死に、産まれ、何億という命の営みを抱えた土のことだ。どんなモノがいても不思議ではない」
「ちい姫を先に別荘に行かせて正解だったな」
忠義の感想に、清灯は厳しい顔で頷いた。
どんな化け物がいても不思議ではない濃密な空気だった。
紘子を自分たちと離して良かったのか悪かったのか。
清灯は隣の幼馴染をチラリとみながら、自分の判断が正しかったことを祈った。
半刻は歩いただろうか?
忠義は思った。
宮中一の体力があると自負していたが、飲まず食わず休まずで山道を歩くのはさすがにキツかった。
暑さのせいもあって、着ていた下襲は汗でぐっしょり濡れている。
洗い息遣いが辺りに響いていた。
前を歩いている清灯はというと、涼し気な顔で飄々と歩いている。
相変わらずの非常人振りに、軽いめまいを覚えた。
山は暗く、太陽は見上げる木の遥か遠くにあった。
その陽は、先ほどよりいくらか傾いている。
「あとどのくらい歩くんだ?」
喘ぎながら、忠義が聞いた。
「そろそろ人里に近づいているはずなんだがな」
清灯は、自信なさげに首をかしげた。
「清灯――大丈夫か――?」
一抹の不安が忠義の頭をかすめた。
「大丈夫だが……何か」
言いかけて、嫌味なくらい規則正しい足が止まった。
とたんに、ひんやりとした山の空気が二人を包み込んだ。
「こっちだ」
「あ、おい」
細い山道を外れて、清灯は、どんどん草むらに入っていく。
その歩みに迷いはなかった。
「なんだか嫌な予感がするのだけれども」
忠義が心細げにつぶやく。
先日の大雨の名残か、足元はたっぷりと水分を含みぬかるんでいる。
先を行く清灯が、転がるように山を駆け下りていく。
「おい、待てよ」
忠義が必死で後を追った。
どのくらい山をさがったのだろう。
清灯がぴたりと足を止めた。
「死水だ」
視線の先には、黒い小さな沼のようなものが広がっていた。
樹齢何百年になるのか、太く、背の高い木々に覆われて、沼の周りは真っ暗だった。
清灯に言われなければ、足を取られて沈んでいたかもしれない。
「死水ってなに?」
汗が冷えたのか、忠義がぶるっと震えながら清灯に近寄った。
「どこにも流れることのない水だ。何かの拍子にたまったのか、誰かが流れを止めたのか。ただ留まることしかできぬ水。流れぬ水は腐り、やがて負のものを引き寄せる」
「何か……苦しくないか?」
忠義が咳き込んだ。
むっとした鉄の匂いが鼻についた。
「すごい負の気だな」
清灯が顔をしかめた。
「……少し調べた方がよさそうだ」
そう言うと、清灯はその細い指で、自分の口元を抑えた。
蒼紺色の瞳が、ゆっくりと。だが、確実に明るい青色へと変わっていく。
暗い森の中で蒼天色の瞳が輝いた。
口元から離した指の先から、蒼い炎が細くゆるゆると出てくる。
蒼い炎は、清灯の開いた掌に吸い込まれるように集まり、やがて一つの塊となって赤く燃え盛る炎となった。
炎は、次第に形を変え、小さな人型をとっていく。
ぼんやりとした塊は、やがて二本の足と腕が生え、その先に指が分かれる。顔にあった2つの目が開き、こちらをキッと見据えた。
背中生えていたカゲロウのような羽根は、時間の経過とともに、燕のような黒い羽根になっていく。
「せ、清灯……これ、なに?」
「なにって、式神だ。普段はそこらにふらふらしているヤツを使うのだが、さすがに、こう邪気が多くては、ここのものは使えぬ」
「使えないからどうしたの?」
「私の中にいるものをだした」
「お前の中に?」
小さな羽が、早く用件を言えとばかりに、二人の間をせわし気に飛んだ。
「ああ。待たせたな。少し、この沼の事を調べてくれぬか?」
小さな式神は、返事をするより先に高く飛び上がり、美しい弧を描くと、まっすぐ沼の中に潜っていった。
「……前にお前の中から出てきた式神とは違うんだけど?」
「色んなヤツがいるさ」
体の中に?
忠義は顔をしかめた。
「おい。これなんだ?」
忠義が目を凝らした。
体の半分が沼の水につかった状態の青大将が、忠義の足元で動かなくなっていた。
「青大将は、こういう湿地を好むと思ったんだけどな……」
忠義はそう言いながら、沼地から青大将を引き上げようと腕を伸ばした。
清灯がその太い腕を掴んだ。
「なんだよ――。せめて水からあげ土に埋めてやろうかと……」
「バカモノ。まだ生きている。生きている蛇を生き埋めになんてしてみろ。末代まで祟られるぞ」
ひえっ。
忠義は、あわてて出した手を袖の中にひっこめた。
「……でも……そうだな。お前が見つけたか」
「なんだよ」
「いや。お前のそのお優しい心根に免じて助けてやらんこともない」
清灯の言葉が聞こえたのか、微動だにしなかった青大将の腹が小さく動いた。
「忠義。何か入れるもの。布袋か何かあるか?」
「ないよ。そんなもの」
「じゃあ脱げ」
「……お前の脳みそはどうなってるんだ?」
清灯は嫌がる忠義が止めるのも聞かず、忠義の片方の裾を綺麗に引きちぎり、さきほどの扇を使って、青大将を裾の中にするりと入れた。
「触るな。落とすな。見るなよ」
そう言って忠義にそれを渡した。
「なんだよそれ――。めっちゃ怪しいじゃん。どうすんだよこれ。こんなもの持って行って大丈夫なのかよ」
心底嫌そうに忠義が抗議した。
「お前が見つけたんだろうが。穢れたもの、病んだものは私の管轄外だからな」
「ちい姫に頼むのか?」
「そういうことだ。行くぞ。雨が降る。死水が溢れては笑えんぞ。おお、見ろ、忠義。村は存外近かったのだな」
死水の沼をぐるりと回ると、向こうに小さな明かりが見えていた。
軽口に紛れていたものの、森の中は昼だというのに鳥の声一つ聞こえてこない。
ただ二人の足音が、枯葉の隙間に吸い込まれていく。
「木幡は、この山のふもとにある許波多神社の森でな。北は深草から南は五ケ庄に及ぶ広い土地をいう。
山が深いだろう? こういう山は太古からの土を持っていて始末に負えない」
清灯が声を潜めた。
「太古の土ってなんだよ? 気味が悪いな」
「古くからの命の堆積だ。命が死に、産まれ、何億という命の営みを抱えた土のことだ。どんなモノがいても不思議ではない」
「ちい姫を先に別荘に行かせて正解だったな」
忠義の感想に、清灯は厳しい顔で頷いた。
どんな化け物がいても不思議ではない濃密な空気だった。
紘子を自分たちと離して良かったのか悪かったのか。
清灯は隣の幼馴染をチラリとみながら、自分の判断が正しかったことを祈った。
半刻は歩いただろうか?
忠義は思った。
宮中一の体力があると自負していたが、飲まず食わず休まずで山道を歩くのはさすがにキツかった。
暑さのせいもあって、着ていた下襲は汗でぐっしょり濡れている。
洗い息遣いが辺りに響いていた。
前を歩いている清灯はというと、涼し気な顔で飄々と歩いている。
相変わらずの非常人振りに、軽いめまいを覚えた。
山は暗く、太陽は見上げる木の遥か遠くにあった。
その陽は、先ほどよりいくらか傾いている。
「あとどのくらい歩くんだ?」
喘ぎながら、忠義が聞いた。
「そろそろ人里に近づいているはずなんだがな」
清灯は、自信なさげに首をかしげた。
「清灯――大丈夫か――?」
一抹の不安が忠義の頭をかすめた。
「大丈夫だが……何か」
言いかけて、嫌味なくらい規則正しい足が止まった。
とたんに、ひんやりとした山の空気が二人を包み込んだ。
「こっちだ」
「あ、おい」
細い山道を外れて、清灯は、どんどん草むらに入っていく。
その歩みに迷いはなかった。
「なんだか嫌な予感がするのだけれども」
忠義が心細げにつぶやく。
先日の大雨の名残か、足元はたっぷりと水分を含みぬかるんでいる。
先を行く清灯が、転がるように山を駆け下りていく。
「おい、待てよ」
忠義が必死で後を追った。
どのくらい山をさがったのだろう。
清灯がぴたりと足を止めた。
「死水だ」
視線の先には、黒い小さな沼のようなものが広がっていた。
樹齢何百年になるのか、太く、背の高い木々に覆われて、沼の周りは真っ暗だった。
清灯に言われなければ、足を取られて沈んでいたかもしれない。
「死水ってなに?」
汗が冷えたのか、忠義がぶるっと震えながら清灯に近寄った。
「どこにも流れることのない水だ。何かの拍子にたまったのか、誰かが流れを止めたのか。ただ留まることしかできぬ水。流れぬ水は腐り、やがて負のものを引き寄せる」
「何か……苦しくないか?」
忠義が咳き込んだ。
むっとした鉄の匂いが鼻についた。
「すごい負の気だな」
清灯が顔をしかめた。
「……少し調べた方がよさそうだ」
そう言うと、清灯はその細い指で、自分の口元を抑えた。
蒼紺色の瞳が、ゆっくりと。だが、確実に明るい青色へと変わっていく。
暗い森の中で蒼天色の瞳が輝いた。
口元から離した指の先から、蒼い炎が細くゆるゆると出てくる。
蒼い炎は、清灯の開いた掌に吸い込まれるように集まり、やがて一つの塊となって赤く燃え盛る炎となった。
炎は、次第に形を変え、小さな人型をとっていく。
ぼんやりとした塊は、やがて二本の足と腕が生え、その先に指が分かれる。顔にあった2つの目が開き、こちらをキッと見据えた。
背中生えていたカゲロウのような羽根は、時間の経過とともに、燕のような黒い羽根になっていく。
「せ、清灯……これ、なに?」
「なにって、式神だ。普段はそこらにふらふらしているヤツを使うのだが、さすがに、こう邪気が多くては、ここのものは使えぬ」
「使えないからどうしたの?」
「私の中にいるものをだした」
「お前の中に?」
小さな羽が、早く用件を言えとばかりに、二人の間をせわし気に飛んだ。
「ああ。待たせたな。少し、この沼の事を調べてくれぬか?」
小さな式神は、返事をするより先に高く飛び上がり、美しい弧を描くと、まっすぐ沼の中に潜っていった。
「……前にお前の中から出てきた式神とは違うんだけど?」
「色んなヤツがいるさ」
体の中に?
忠義は顔をしかめた。
「おい。これなんだ?」
忠義が目を凝らした。
体の半分が沼の水につかった状態の青大将が、忠義の足元で動かなくなっていた。
「青大将は、こういう湿地を好むと思ったんだけどな……」
忠義はそう言いながら、沼地から青大将を引き上げようと腕を伸ばした。
清灯がその太い腕を掴んだ。
「なんだよ――。せめて水からあげ土に埋めてやろうかと……」
「バカモノ。まだ生きている。生きている蛇を生き埋めになんてしてみろ。末代まで祟られるぞ」
ひえっ。
忠義は、あわてて出した手を袖の中にひっこめた。
「……でも……そうだな。お前が見つけたか」
「なんだよ」
「いや。お前のそのお優しい心根に免じて助けてやらんこともない」
清灯の言葉が聞こえたのか、微動だにしなかった青大将の腹が小さく動いた。
「忠義。何か入れるもの。布袋か何かあるか?」
「ないよ。そんなもの」
「じゃあ脱げ」
「……お前の脳みそはどうなってるんだ?」
清灯は嫌がる忠義が止めるのも聞かず、忠義の片方の裾を綺麗に引きちぎり、さきほどの扇を使って、青大将を裾の中にするりと入れた。
「触るな。落とすな。見るなよ」
そう言って忠義にそれを渡した。
「なんだよそれ――。めっちゃ怪しいじゃん。どうすんだよこれ。こんなもの持って行って大丈夫なのかよ」
心底嫌そうに忠義が抗議した。
「お前が見つけたんだろうが。穢れたもの、病んだものは私の管轄外だからな」
「ちい姫に頼むのか?」
「そういうことだ。行くぞ。雨が降る。死水が溢れては笑えんぞ。おお、見ろ、忠義。村は存外近かったのだな」
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