神蛇の血

ぺんぎん

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山道は歩きで

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 牛車は都を離れ、深草を抜けた。

 道が幾分悪くなっているのだろう。

 牛の歩みがさらに遅くなっていた。

 太陽が昇ったが、空は厚い雲に覆われ、気温だけが高かった。

 三人の沈黙は続いた。

 時折、大きな石を踏み越えて、牛車は左右に大きく揺れる。

 その度に、清灯が無言で紘子を抱きとめた。

 素直じゃないんだからなあ。

 気まずい雰囲気を何とかしたくて、忠義が必死で話題を探して話しかけるが、気のない答えが返ってくるばかりだった。

 大学寮を首席で卒業し、宮中でも一目置かれる秀明さは、こんな時、さっぱり機能しなかった。



 どのくらい進んだのだろう。

「止めろ」 

 急に清灯が身を乗り出して、牛車の両側についていた車副くるまぞいルビに命じた。

「忠義。歩くぞ」

「え? 今? ここ何処だよ?」

「木幡だ。式神の報告だと、ここいらから奇病が発生しているらしいから、山越えをして、様子を見る。ちい姫は先に別荘で待っていろ」

「え? って、ちい姫一人で大丈夫なのかよ? おい。待てよ。清灯」

 すたすたと山道に入っていく清灯を忠義はあわてて追いかけた。

「気をつけて」

 紘子は心配そうに二人を見送った。





 二人が出て行ってすぐに、牛車は何事もなかったように動き出した。

「ふう」

 さっきまで張り詰めた空気が緩み、紘子はごろんと横になった。

 三人でこんなに長い時間を一緒にいるのは、本当に久しぶりのことだった。

 楽しいけれど、昔とは違い、紘子はいつも待つ身となっている。

 長い裾の小袿も、ここ数年でさらに伸びた髪も、不自由な身をさらに不自由にしていた。

 三人で野山を駆け回ることはもう、一生ないだろう。

 一生という言葉の持つ重さを考えて、紘子は身震いをした。

 忠義も清灯もいずれ伴侶を見つける。

 こうやって自分に会いに来てくれることもなくなっていくのだろう。

「つまんない」

 牛車が大きく揺れて、広くなった車内を紘子が転がった。

「母宮の顔を知らずに育っても……か。痛い所ついてくるなあ」

 父は、身体が弱かった高貴な母に、何が憑いているかわからない、得体のしれない娘を近寄らせなかった。

 母は赤ん坊のあたしを、一度でも抱きしめてくれたのだろうか。

 会えなくてもいい。

 母があたしを愛しているとわかれば。それだけでいい。

 けれども母は、紫野に住む自分に、一度の文も、一度の使者も遣わすことはなかった。

 この血に宿るモノがなければ、母はあたしを手元に置いて愛してくれたのだろうか。

 答える母はもういない。

「まったく。あいつは」

 清灯は、よく見ている。

 そう。あたしは、母が恋しかった。

 母に会えないこの血が、憎かった。

「姫様。そろそろ牛を休ませていただいてよろしいでしょうか?」

 車副が牛車の外から声をかけてきた。

 牛飼いの車副は、清灯が土塊に命を吹き込んだモノだった。

 三人の中に、他人が入ることを、あの男は、いつも嫌がった。

「ああ。ごめんなさい。いいわよ。もちろん」

 男二人が降りたのだから、牛の歩みも早まるかとも思えば、全く変わっていない。

 休息が必要だった。

 物見と呼ばれる小窓から外を眺めると、遠くに許波多神社の鳥居が見える。

 ここまでくれば、宇治まではもう少しだった。




 
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