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夏至前一日~フロリラ~
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白い骨の中にうすい木漏れ日が差し込んできた。
一人だった。
世界に自分以外誰もいない気がする。
「レイ」
いきがかり上、仕方なかったとはいえ、部屋に引きこもっていた子どもを連れ出して、黒の森に引きずりこんで、勝手に人助けしたのはあたし。
いい気持ちになっていたのはあたし。
レイはいつもあたしを止めて、助けてくれるばかりだった。
そして、今また、あたしを助けようとラミアの前に出ていった。
あたしを安全な所に置いて。
あたしの頭から血が引いた。
ひんやりとした汗が背中を伝っていく。
どのくらいそうしていたのだろう。
白い壁に囲まれた空間に咲いている花の蜜を吸いに、小さな蝶々が空から飛びこんできた。
「レイ」
あたしははじかれたように立ち上がった。
何をぼさっと座っているの!
自分を叱りつけ、何度もジャンプして、ようやく壁のようにそびえ立った骨の端っこに手をかけた。
無我夢中で身体を引きあげる。
外だ。
木の間から差し込む薄い光に照らされて、無造作に積み重ねられたアヴォイドの骨は離れ島のように白く浮かんで見えた。
あたしが隠れていた骨のそばには、倒されたばかりの生木が散乱している。
ラミアが這った跡なのだろう。倒れた木に、ぬらぬらとした透明の粘液がこびりついていた。
「これを辿って行けばいいのね」
森は深く、不気味なほど静まり返っていた。
考えたら動けない。
そう思って、一歩踏み出そうと背の高い草に手をかけた時、がさがさと近くの草が揺れた。
思わずそこらに転がっていた細い骨を拾って、攻撃に備えた。
草の茂みから、カイとラニが現れた。
二人の肩にはぐったりとしたレイが担がれている。
「手伝ってくれ。」
カイが厳しい顔で言った。レイの頭や腕にはどす黒い血がこびりついている。
「レイ、レイ」
声をかけても返事がない。
「あんたが無事で良かったよ。大丈夫だ。こいつはラミアの攻撃をよけようとして、でかい木にぶつかったんだ。そのまま転んで、深い木のうろに入り込んだおかげで助かったんだよ。見た目はすごいが、頭だから出血が多く見えるだけだ。シーのぼっちゃんだったら、たいしたことにはならないよ」
「ラミアは?」
「森の奥に入っていった。いや、正直、シー族のぼっちゃんが落とされ子の俺らを助けてくれるとは思わなかったんだが……こいつが来てくれなかったらと思ったらぞっとする。助かった」
ラニがアヴォイドの骨の間に葉っぱを敷き詰めると、カイがてきぱきとそこにレイを寝かせた。
「今、マリーが薬草を取りに行ってる。頭はあげるな。動かすな」
病院どころか、きれいな布もないし、水もない。
洗わなければ。
まずは洗い流さなければ。
どんな感染症がおこるかわからない。
あたしはレイを担いできた二人を振り返って言葉を失った。
「あなたたちもすごい傷じゃない」
頭と顔、鍛えられた太い腕には、できたばかりの無数の切り傷がある。
ラニが汚れた布で顔を拭きながら、にっかと笑った。
「でも、ラミアとやりあって生きてるから。ラッキーだよ」
どこがラッキーなのかさっぱりわからない。
「ねえ、水はないの?傷洗おうよ。さっきの湖に戻るしかないの?」
「いやいや、やめとけよ。あんな、うじゃうじゃ、ルサールヤのいるところに、水汲みに行くのは」
ラニはぞっとするといった顔をした。
「水ならここにある。」
カイは腰につけていた革袋を差し出した。
「これで少し洗え。飲み水はこっちの方がいい」
そう言うと、カイは大きな手で足下に生えているレモンぐらいの大きさの白い花を摘んだ。
差し出した花の中には、こぼれ落ちるぐらいの水が入っていた。
「水?花?」
「こぼすなよ」
「飲んでみろ」
うーん。
この黄色いのって花粉だよねえ。花を眺めながらあたしが躊躇していると、
「大丈夫だ。毒じゃない。精がつく」
そういってカイは毒味役のように花の中の水をあおるように飲んだ。
ここまでされたら飲むしかない。
「いただきます」
飲んだ水は蜜のように甘く、清涼感すら残る。体の隅々にこの水が染みわたるようだった。
「おいしい」
「この花の蜜は体力回復と傷に効く。集めてぼっちゃんに少しずつ飲ませろ」
よく見ると花は白い光を放ちながらそこら中に咲いている。
「こいつに入れるといい」
カイがアヴォイドの骨を手渡してくれた。
アヴォイドの細い骨は竹のように小さな節があり、水をためるにはちょうど良い水筒の役割をしていた。
「うん」
あたしは自分にできることがあるのが嬉しくて、羽のない、うす汚れたチョウチョのように花から花に飛び回った。
「つぼみを見つけたら触るなよ。中にフロリラがいるかもしれないからな」
「フロリラってなに?」
「つぼみを二回触ってみな」
ラニは面白そうに言った。
あたしは白い花のつぼみを二回触った。
何も起こらない。
「こうだよ」
ラニがデコピンするように花の先端をはじいた。とたんに花から鉄砲水が噴き出してきた。べとべとと納豆のように粘り気のある水があたしの髪からしたたり落ちてきた。
ラニが腹を抱えて笑っている。こいつは、知っててやったな。
「フロリラなんか出るかよ。フロリラがいる花なんて千本に一本だよ」
後ろから来たカイが、ラニの頭を軽くたたいた。
「ラニ、ユキをからかうな。千本に一本でも、未成熟なフロリラを起こすと厄介だ」
「ねえ。だからフロリラって何?」
あたしは少しイライラしながら、べとべとと落ちてくる液体をぬぐった。
「フロリラも知らねえのかよ。妖精だよ。花から生まれる花の精。外側はお綺麗だけど、そんじょそこらの死霊よりおっかねえ奴」
ラニが自分の歯を見せながら、しゃあっと変な声を出した。
「ラニ。いいかげんにしろ。
フロリラはこの花のつぼみの中に卵を産み付け、花の中で成熟する妖精なんだ。
花が開くときに一緒に生まれるんだが、花が開く前につぼみを開けてしまうと狂暴な妖精となって、手がつけられない。
無理やり花を開けた奴は、時に命を落とす。
この白い花は、つぼみのまま切ると新鮮な水がいつでも飲めるから、携帯用の水筒としては適しているんだが、千に一の賭けを、旅路でするには高すぎる」
カイはざっと音をさせてあたしの近くの花の中の水を革袋の中に丁寧に入れた。
「それ、便利そうですね」
カイの革袋は使い込まれており、つやつやと光っている。
「これか?いいだろう?羊牛の皮をなめしたものだ。
本当は国でも羊牛を飼育したいんだが、エリヤに帰るには黒の森を抜けるか、切り立った崖のある山を越えなきゃならない。
だが、羊牛は臆病すぎて国境を越えられないんだ。よしんば国境を越えられてもアバダンのような温暖な気候でもないし、柔らかい牧草も用意してあげられないからうまく育たないんだ。
これはアバダンの市に行った商人からもらったんだよ」
カイはあきらめたように言った。
あたしの「羊牛を榛の木村に移住させよう」計画は、早くもとん挫し始めた。
「アバダンは自分の国さえよければいいのさ。他の国がどんなに苦しんでいても、見向きもしない。この大陸はアバダン以外はやせた土地だ。どんなにがんばっても雑穀がとれるばかり。だから、俺らはやつらの土地を奪い取るしかないんだよ」
「ラニ。やめろ」
カイが止めた。
「よりにもよってアバダン人に、何、物騒なこと言ってんのよ」
がさごそと草が揺れて、マリーの美しい銀色の髪が現れた。
「ほら、薬草集めてきたわよ。あんたたちも毒消しくらいは塗っときなさい」
そう言うと、大きな葉っぱに包まれた薄緑の小さな葉をどさりと土の上に置いた。
「ユキさん。急いでここにある葉をすりつぶして。それをレイ君にはりつけて。チドメグサが入ってるから。」
「あ、うん」
カイが無言で手早く草をより分けてこちらに放ってよこした。
あたしは、言われるままにアヴォイドの骨を使ってごりごりと葉っぱをすりつぶした。
葉の青臭い匂いが鼻についた。
カイはあたし達の集めた花の水を使ってレイの傷を洗い流しながら傷口にすりつぶした葉を塗りつけた。
「う……」
レイが痛そうに顔をしかめた。
「レイ、気が付いた?大丈夫?あたしだよ。ユキだよ」
「う……ん……ラミアは?」
「大丈夫。もういない。具合が悪い?どこか痛む?」
「頭と足……『力』がないってひどいな。人間はよくこれで生きてられる」
「良かった……」
あたしの視界がみるみるぼやけていく。
ぱたぱたとレイの汚れた顔に涙が落ちていった。レイは無言であたしを引き寄せると頬を舐めた。
「な、何してんの?」
「痛い……」
思わず振り払うと、レイは両手を下ろした。
「のど渇いたんだもん。そして、それ、やっぱりしょっぱい」
「涙だから当たり前でしょ!最初っからのど渇いたっていえばいいでしょ!ほら、お水、飲める?」
あたしはあわてて先ほど集めた花の水をレイの口元に持って行った。
レイは胡散臭そうに一口飲むと、すぐに体を起こして、貪るように残りの水を飲み干した。そのままどさりと横になり、すぐに寝息を立て始める。
呼吸はまだ荒かった。今日中にレイを動かすのは無理そうだった。助けを呼ぼうにも、この森にケガ人を一人で置いておくことはできない。
ラミアに追われて、随分森の奥深くに来てしまったような気がする。
羊牛は森の外に放牧されたままだ。
羊牛の行動範囲は広くない。群れがそんなに遠くに行くとは思わないけど、ヤックに合わせる顔がなかった。しかも、大事な羊牛を一頭、ルサールヤの湖に沈めてしまっている。
あたしはそっとため息をついた。
カイが寝ているレイの脈をとりながら、頷いた。
「こいつは大丈夫そうだな。今日はここで夜を明かすか。ラニ、陽のあるうちに荷物をとってくるぞ。マリー、火を炊く準備をしてくれ」
「え……いいの?」
正直、彼らが一緒に夜を越してくれるとは思わなかった。命の恩人だの、契約だの言っていたけど、さっきのラミアの件で「ちゃら」になったはず。
不安そうなあたしの頭をカイの大きな手が包み込んだ。
「ああ。どうせ俺たちもアバダンに行くんだ。一緒に黒の森を抜けよう」
「またカイのお節介が始まった。大丈夫かよ。そんなんで。こいつらシー族だぜ。ほっといたってすぐに動けるようになるよ」
ラニが不満げに言った。
「そう言うなラニ。ぼっちゃんが来なかったら俺らは多分死んでた。マリーはあんたに救われたしな。」
マリーが笑いながら頷いた。
「あ……あたし、もう少しお水を集めてくるね」
あたしは泣きそうになるのをぐっとこらえ、水集めのアヴォイドの骨をつかんで立ち上がった。
マリーがわかっているといった風に微笑みを返してくれた。
白い花の群生はすぐに見つかった。まるで死んだアヴォイドの肉を肥料にしているのか、骨をとりかこむように咲いている。
あたしは、怪我をしていた皆のために、少しでも多くの水を持ち帰りたかった。
「もう少し、わけて頂戴ね」
水をたたえた花を傾けようと手をのばした途端、つぼみがはじけとんだ。
やばい。ねばねばがくる。
あたしは思わず身を引いた。
予想に反してねばねばした液体は来なかった。
そのかわり、白い花の中から細い白い腕と信じられないくらい精巧な五本の指が出てきた。
小さな裸の背中から尖った羽根が突き出ている。
折りたたまれたその羽根には、トンボの羽によく似た何本もの白いスジが骨組みのように折り重なっていた。
そのスジの間には薄い透明な膜がはってある。
羽根は四枚。
後ろ羽は30cmをゆうに超えていた。
羽根は時間がたつにつれ、白く、濃い色になっていく。
目は真っ黒で大きく、顔の三分の一を占めていて、その顔には、なんの表情もなかった。
あたしは声も出せずにその光景を見とれていた。
突然、背中の羽根が開いた。花びらから水がこぼれ落ちる。花の下に置いてあったアヴォイドの骨から高い音が周囲に響いた。
妖精はこちらを見ると、音もたてずにまっすぐ飛んできた。
その小さな白い指を器用に伸ばすと、ぎこちなくあたしの髪にとまった。
全く重さを感じない。
顔の側に感情のない黒い瞳が近づいてくる。
瞬時に、その小さな口の中から牙のある大きな歯が現れた。妖精はあたしの黄色の髪をむしゃりと食べて、その場に吐き出した。
妖精は、そのまま、羽音もさせずに飛び上がると、森の奥へと吸い込まれるように飛んでいった。
あたしは、声を出すことも、体も動かすこともできず、ただじっとその光景を見ているだけだった。
「千本に一本……当たっちゃった。あれがフロリラ」
形は人間そっくりだったが、あれは虫だった。あの生物と、感情や気持ちが通じるとは到底思えない。
「ユキさん。大丈夫?あんまり遠くに行かないでよ」
マリーが心配そうに歩いて来た。
「マリーさん……」
「あら、すごい花の群生。ここなら集めやすいわね。のど渇いちゃった。ちょっとちょうだい」
マリーは止める間もなく、あたしの手元にあった水を飲んだ。
「……すばらしいわ。当たり年のワインの味がする」
マリーは目を大きく見開いた。
そんなに?
試しにあたしも飲んでみる。
確かに、水は甘かった。
先ほどまで集めていた花の水とはくらべものにならないくらい、とろりと甘い蜜の味がする。体の奥底から力が湧いてくるようだった。
「なにこれ?ここの花から摘んだ水?」
「マリーさん。今、その花の中から、妖精が生まれたの。でね。その花の水がこれ」
「フロリラ?あんた、つぼみを触ったの?」
「ううん。違う。触ってないの。触ろうと思ったんだけど、花がはじけて、虫みたいな……妖精が生まれたの」
「触らなくて良かったよ……それにしてもすごい花の水ね。嘘みたいに体が楽になるわ。レイにも飲ませましょ。あの二人にも。すぐに元気になるわよ」
あたしたちは妖精が入っていた花の中にあった水を一滴残らず集めた。
レイの所に戻ると、ラニとカイが両手いっぱいに薪を抱えて帰ってきた所だった。
「フロリラが生まれた花の水が手に入ったんだよ。あんたたちも、飲んでみな。あーもー。あんたたち全員がケガしていなけりゃあ、夏至の市場で高く売れたのに」
残念。マリーが舌打ちした。
カイとラニが苦笑いしながら、それでも素直に水を飲んだ。
レイも、最初は嫌がったものの、一口飲むと、一気に飲み干した。
レイは、「おいしい」と呟くと、また倒れるように横になった。すぐに、規則正しい寝息が聞こえてくる。
気のせいか、さっきより顔色がよくなってきていた。
一人だった。
世界に自分以外誰もいない気がする。
「レイ」
いきがかり上、仕方なかったとはいえ、部屋に引きこもっていた子どもを連れ出して、黒の森に引きずりこんで、勝手に人助けしたのはあたし。
いい気持ちになっていたのはあたし。
レイはいつもあたしを止めて、助けてくれるばかりだった。
そして、今また、あたしを助けようとラミアの前に出ていった。
あたしを安全な所に置いて。
あたしの頭から血が引いた。
ひんやりとした汗が背中を伝っていく。
どのくらいそうしていたのだろう。
白い壁に囲まれた空間に咲いている花の蜜を吸いに、小さな蝶々が空から飛びこんできた。
「レイ」
あたしははじかれたように立ち上がった。
何をぼさっと座っているの!
自分を叱りつけ、何度もジャンプして、ようやく壁のようにそびえ立った骨の端っこに手をかけた。
無我夢中で身体を引きあげる。
外だ。
木の間から差し込む薄い光に照らされて、無造作に積み重ねられたアヴォイドの骨は離れ島のように白く浮かんで見えた。
あたしが隠れていた骨のそばには、倒されたばかりの生木が散乱している。
ラミアが這った跡なのだろう。倒れた木に、ぬらぬらとした透明の粘液がこびりついていた。
「これを辿って行けばいいのね」
森は深く、不気味なほど静まり返っていた。
考えたら動けない。
そう思って、一歩踏み出そうと背の高い草に手をかけた時、がさがさと近くの草が揺れた。
思わずそこらに転がっていた細い骨を拾って、攻撃に備えた。
草の茂みから、カイとラニが現れた。
二人の肩にはぐったりとしたレイが担がれている。
「手伝ってくれ。」
カイが厳しい顔で言った。レイの頭や腕にはどす黒い血がこびりついている。
「レイ、レイ」
声をかけても返事がない。
「あんたが無事で良かったよ。大丈夫だ。こいつはラミアの攻撃をよけようとして、でかい木にぶつかったんだ。そのまま転んで、深い木のうろに入り込んだおかげで助かったんだよ。見た目はすごいが、頭だから出血が多く見えるだけだ。シーのぼっちゃんだったら、たいしたことにはならないよ」
「ラミアは?」
「森の奥に入っていった。いや、正直、シー族のぼっちゃんが落とされ子の俺らを助けてくれるとは思わなかったんだが……こいつが来てくれなかったらと思ったらぞっとする。助かった」
ラニがアヴォイドの骨の間に葉っぱを敷き詰めると、カイがてきぱきとそこにレイを寝かせた。
「今、マリーが薬草を取りに行ってる。頭はあげるな。動かすな」
病院どころか、きれいな布もないし、水もない。
洗わなければ。
まずは洗い流さなければ。
どんな感染症がおこるかわからない。
あたしはレイを担いできた二人を振り返って言葉を失った。
「あなたたちもすごい傷じゃない」
頭と顔、鍛えられた太い腕には、できたばかりの無数の切り傷がある。
ラニが汚れた布で顔を拭きながら、にっかと笑った。
「でも、ラミアとやりあって生きてるから。ラッキーだよ」
どこがラッキーなのかさっぱりわからない。
「ねえ、水はないの?傷洗おうよ。さっきの湖に戻るしかないの?」
「いやいや、やめとけよ。あんな、うじゃうじゃ、ルサールヤのいるところに、水汲みに行くのは」
ラニはぞっとするといった顔をした。
「水ならここにある。」
カイは腰につけていた革袋を差し出した。
「これで少し洗え。飲み水はこっちの方がいい」
そう言うと、カイは大きな手で足下に生えているレモンぐらいの大きさの白い花を摘んだ。
差し出した花の中には、こぼれ落ちるぐらいの水が入っていた。
「水?花?」
「こぼすなよ」
「飲んでみろ」
うーん。
この黄色いのって花粉だよねえ。花を眺めながらあたしが躊躇していると、
「大丈夫だ。毒じゃない。精がつく」
そういってカイは毒味役のように花の中の水をあおるように飲んだ。
ここまでされたら飲むしかない。
「いただきます」
飲んだ水は蜜のように甘く、清涼感すら残る。体の隅々にこの水が染みわたるようだった。
「おいしい」
「この花の蜜は体力回復と傷に効く。集めてぼっちゃんに少しずつ飲ませろ」
よく見ると花は白い光を放ちながらそこら中に咲いている。
「こいつに入れるといい」
カイがアヴォイドの骨を手渡してくれた。
アヴォイドの細い骨は竹のように小さな節があり、水をためるにはちょうど良い水筒の役割をしていた。
「うん」
あたしは自分にできることがあるのが嬉しくて、羽のない、うす汚れたチョウチョのように花から花に飛び回った。
「つぼみを見つけたら触るなよ。中にフロリラがいるかもしれないからな」
「フロリラってなに?」
「つぼみを二回触ってみな」
ラニは面白そうに言った。
あたしは白い花のつぼみを二回触った。
何も起こらない。
「こうだよ」
ラニがデコピンするように花の先端をはじいた。とたんに花から鉄砲水が噴き出してきた。べとべとと納豆のように粘り気のある水があたしの髪からしたたり落ちてきた。
ラニが腹を抱えて笑っている。こいつは、知っててやったな。
「フロリラなんか出るかよ。フロリラがいる花なんて千本に一本だよ」
後ろから来たカイが、ラニの頭を軽くたたいた。
「ラニ、ユキをからかうな。千本に一本でも、未成熟なフロリラを起こすと厄介だ」
「ねえ。だからフロリラって何?」
あたしは少しイライラしながら、べとべとと落ちてくる液体をぬぐった。
「フロリラも知らねえのかよ。妖精だよ。花から生まれる花の精。外側はお綺麗だけど、そんじょそこらの死霊よりおっかねえ奴」
ラニが自分の歯を見せながら、しゃあっと変な声を出した。
「ラニ。いいかげんにしろ。
フロリラはこの花のつぼみの中に卵を産み付け、花の中で成熟する妖精なんだ。
花が開くときに一緒に生まれるんだが、花が開く前につぼみを開けてしまうと狂暴な妖精となって、手がつけられない。
無理やり花を開けた奴は、時に命を落とす。
この白い花は、つぼみのまま切ると新鮮な水がいつでも飲めるから、携帯用の水筒としては適しているんだが、千に一の賭けを、旅路でするには高すぎる」
カイはざっと音をさせてあたしの近くの花の中の水を革袋の中に丁寧に入れた。
「それ、便利そうですね」
カイの革袋は使い込まれており、つやつやと光っている。
「これか?いいだろう?羊牛の皮をなめしたものだ。
本当は国でも羊牛を飼育したいんだが、エリヤに帰るには黒の森を抜けるか、切り立った崖のある山を越えなきゃならない。
だが、羊牛は臆病すぎて国境を越えられないんだ。よしんば国境を越えられてもアバダンのような温暖な気候でもないし、柔らかい牧草も用意してあげられないからうまく育たないんだ。
これはアバダンの市に行った商人からもらったんだよ」
カイはあきらめたように言った。
あたしの「羊牛を榛の木村に移住させよう」計画は、早くもとん挫し始めた。
「アバダンは自分の国さえよければいいのさ。他の国がどんなに苦しんでいても、見向きもしない。この大陸はアバダン以外はやせた土地だ。どんなにがんばっても雑穀がとれるばかり。だから、俺らはやつらの土地を奪い取るしかないんだよ」
「ラニ。やめろ」
カイが止めた。
「よりにもよってアバダン人に、何、物騒なこと言ってんのよ」
がさごそと草が揺れて、マリーの美しい銀色の髪が現れた。
「ほら、薬草集めてきたわよ。あんたたちも毒消しくらいは塗っときなさい」
そう言うと、大きな葉っぱに包まれた薄緑の小さな葉をどさりと土の上に置いた。
「ユキさん。急いでここにある葉をすりつぶして。それをレイ君にはりつけて。チドメグサが入ってるから。」
「あ、うん」
カイが無言で手早く草をより分けてこちらに放ってよこした。
あたしは、言われるままにアヴォイドの骨を使ってごりごりと葉っぱをすりつぶした。
葉の青臭い匂いが鼻についた。
カイはあたし達の集めた花の水を使ってレイの傷を洗い流しながら傷口にすりつぶした葉を塗りつけた。
「う……」
レイが痛そうに顔をしかめた。
「レイ、気が付いた?大丈夫?あたしだよ。ユキだよ」
「う……ん……ラミアは?」
「大丈夫。もういない。具合が悪い?どこか痛む?」
「頭と足……『力』がないってひどいな。人間はよくこれで生きてられる」
「良かった……」
あたしの視界がみるみるぼやけていく。
ぱたぱたとレイの汚れた顔に涙が落ちていった。レイは無言であたしを引き寄せると頬を舐めた。
「な、何してんの?」
「痛い……」
思わず振り払うと、レイは両手を下ろした。
「のど渇いたんだもん。そして、それ、やっぱりしょっぱい」
「涙だから当たり前でしょ!最初っからのど渇いたっていえばいいでしょ!ほら、お水、飲める?」
あたしはあわてて先ほど集めた花の水をレイの口元に持って行った。
レイは胡散臭そうに一口飲むと、すぐに体を起こして、貪るように残りの水を飲み干した。そのままどさりと横になり、すぐに寝息を立て始める。
呼吸はまだ荒かった。今日中にレイを動かすのは無理そうだった。助けを呼ぼうにも、この森にケガ人を一人で置いておくことはできない。
ラミアに追われて、随分森の奥深くに来てしまったような気がする。
羊牛は森の外に放牧されたままだ。
羊牛の行動範囲は広くない。群れがそんなに遠くに行くとは思わないけど、ヤックに合わせる顔がなかった。しかも、大事な羊牛を一頭、ルサールヤの湖に沈めてしまっている。
あたしはそっとため息をついた。
カイが寝ているレイの脈をとりながら、頷いた。
「こいつは大丈夫そうだな。今日はここで夜を明かすか。ラニ、陽のあるうちに荷物をとってくるぞ。マリー、火を炊く準備をしてくれ」
「え……いいの?」
正直、彼らが一緒に夜を越してくれるとは思わなかった。命の恩人だの、契約だの言っていたけど、さっきのラミアの件で「ちゃら」になったはず。
不安そうなあたしの頭をカイの大きな手が包み込んだ。
「ああ。どうせ俺たちもアバダンに行くんだ。一緒に黒の森を抜けよう」
「またカイのお節介が始まった。大丈夫かよ。そんなんで。こいつらシー族だぜ。ほっといたってすぐに動けるようになるよ」
ラニが不満げに言った。
「そう言うなラニ。ぼっちゃんが来なかったら俺らは多分死んでた。マリーはあんたに救われたしな。」
マリーが笑いながら頷いた。
「あ……あたし、もう少しお水を集めてくるね」
あたしは泣きそうになるのをぐっとこらえ、水集めのアヴォイドの骨をつかんで立ち上がった。
マリーがわかっているといった風に微笑みを返してくれた。
白い花の群生はすぐに見つかった。まるで死んだアヴォイドの肉を肥料にしているのか、骨をとりかこむように咲いている。
あたしは、怪我をしていた皆のために、少しでも多くの水を持ち帰りたかった。
「もう少し、わけて頂戴ね」
水をたたえた花を傾けようと手をのばした途端、つぼみがはじけとんだ。
やばい。ねばねばがくる。
あたしは思わず身を引いた。
予想に反してねばねばした液体は来なかった。
そのかわり、白い花の中から細い白い腕と信じられないくらい精巧な五本の指が出てきた。
小さな裸の背中から尖った羽根が突き出ている。
折りたたまれたその羽根には、トンボの羽によく似た何本もの白いスジが骨組みのように折り重なっていた。
そのスジの間には薄い透明な膜がはってある。
羽根は四枚。
後ろ羽は30cmをゆうに超えていた。
羽根は時間がたつにつれ、白く、濃い色になっていく。
目は真っ黒で大きく、顔の三分の一を占めていて、その顔には、なんの表情もなかった。
あたしは声も出せずにその光景を見とれていた。
突然、背中の羽根が開いた。花びらから水がこぼれ落ちる。花の下に置いてあったアヴォイドの骨から高い音が周囲に響いた。
妖精はこちらを見ると、音もたてずにまっすぐ飛んできた。
その小さな白い指を器用に伸ばすと、ぎこちなくあたしの髪にとまった。
全く重さを感じない。
顔の側に感情のない黒い瞳が近づいてくる。
瞬時に、その小さな口の中から牙のある大きな歯が現れた。妖精はあたしの黄色の髪をむしゃりと食べて、その場に吐き出した。
妖精は、そのまま、羽音もさせずに飛び上がると、森の奥へと吸い込まれるように飛んでいった。
あたしは、声を出すことも、体も動かすこともできず、ただじっとその光景を見ているだけだった。
「千本に一本……当たっちゃった。あれがフロリラ」
形は人間そっくりだったが、あれは虫だった。あの生物と、感情や気持ちが通じるとは到底思えない。
「ユキさん。大丈夫?あんまり遠くに行かないでよ」
マリーが心配そうに歩いて来た。
「マリーさん……」
「あら、すごい花の群生。ここなら集めやすいわね。のど渇いちゃった。ちょっとちょうだい」
マリーは止める間もなく、あたしの手元にあった水を飲んだ。
「……すばらしいわ。当たり年のワインの味がする」
マリーは目を大きく見開いた。
そんなに?
試しにあたしも飲んでみる。
確かに、水は甘かった。
先ほどまで集めていた花の水とはくらべものにならないくらい、とろりと甘い蜜の味がする。体の奥底から力が湧いてくるようだった。
「なにこれ?ここの花から摘んだ水?」
「マリーさん。今、その花の中から、妖精が生まれたの。でね。その花の水がこれ」
「フロリラ?あんた、つぼみを触ったの?」
「ううん。違う。触ってないの。触ろうと思ったんだけど、花がはじけて、虫みたいな……妖精が生まれたの」
「触らなくて良かったよ……それにしてもすごい花の水ね。嘘みたいに体が楽になるわ。レイにも飲ませましょ。あの二人にも。すぐに元気になるわよ」
あたしたちは妖精が入っていた花の中にあった水を一滴残らず集めた。
レイの所に戻ると、ラニとカイが両手いっぱいに薪を抱えて帰ってきた所だった。
「フロリラが生まれた花の水が手に入ったんだよ。あんたたちも、飲んでみな。あーもー。あんたたち全員がケガしていなけりゃあ、夏至の市場で高く売れたのに」
残念。マリーが舌打ちした。
カイとラニが苦笑いしながら、それでも素直に水を飲んだ。
レイも、最初は嫌がったものの、一口飲むと、一気に飲み干した。
レイは、「おいしい」と呟くと、また倒れるように横になった。すぐに、規則正しい寝息が聞こえてくる。
気のせいか、さっきより顔色がよくなってきていた。
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「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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