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夏至前二日~トネリコネリの木~
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もう。いや。
熱い塊がのど元にこみ上げてくる。みるみる視界がぼやけてきた。
「え、ちょ……ちょっと」
レイは慌てたように手であたしの涙を受け止めた。
レイのすすけた掌にナメクジが通ったみたいな線が何本も引かれる。
「な……なに、これ……」
レイは自分の掌に落ちた涙をぺろりとなめた。
「しょ……しょっぱい……」
「舐めないでよ」
あたしは涙を見せないように下を向いた。
レイはそんなあたしの顔を無理矢理上に向かせた。
「な、何これ」
「何って……涙よ。泣いてんの。」
莫迦にしてんの? と言いかけて、引っ込めた。
レイが本当にわからないという顔をしていたからだ。
「……悲しいときとか、嬉しいときとか……。レイは泣かないの?」
「……み、見たことない。」
レイはそう言うと掌の残りの涙を舐めた。あたしはその汚い手を見ないようにした。
「う、嬉しいのか?」
「なんで!? もう帰りたいの。もう疲れたの」
涙が止まらない。
あたしはしゃっくりをあげた。
レイは不思議そうにじっとあたしを見ていた。
「見てないで何とかしてよ」
あたしはイラっとして、レイの肩をぺちっと叩いた。
「このドアを開ければいいの?」
あたしは黙ってうなずいた。
「さ、さ、下がって」
レイは片手であたしを抑えた。
あたしが一歩下がったのを確認すると、レイは、勢いよくひゅっと息を吐いた。
次の瞬間、大きな音を立てて、ドアが宙に浮いた。光に照らされた埃が舞う。
「……ありがとう」
お礼を言うと、レイは「も、も、もひとつ契約を」と言って笑った。
つられてあたしも笑ってしまう。
吹っ飛んだドアの中から、かび臭い風が舞い上がってきた。
ドアの奥は真っ暗だった。
風が吹いてきているので、どこかには通じているはずだが、奥は見えない。
「……階段ないね……」
「……う、う、うん……し、下までぼ、僕が送って……いく?」
レイが天窓を指して言った。
思いっきり首を振る。
絶対、嫌だ。
もう二度と地に足をつけた生き方を手放すつもりはない。
言葉通りの意味で正確に理解していただきたい。
「とにかく降りてみようよ」
ここしかないなら、ここを行くまでだ。
「お、おすすめ、おすすめ、おすすめしないけど」
レイは眉間にしわを寄せながら三回言った。
大事なことは三回言う。まあ、正しいかね。
「レイ君……ありがとう。本当にありがとう。助けてくれてありがとう。日本に帰ったらお礼させて。榛の木村の名物送らせて。名物に旨いものなしっていうけど、そんなことないからね」
村は牧畜が主産業で、乳製品が本当に美味しい。
婦人部のおばちゃん達が村おこしをかねた商品開発に自分の体を丸っこくしながらがんばっている。
あたしの命の代わりにはならないが、何かお礼はしたい。
「書くものある?」
「う、うん」
レイは、素直にマホガニーの机の上から、万年筆と金の縁取りのある紙を持ってきた。
「住所と名前書いて」
「な、名前?」
「うん。ここの住所と。お礼状かけないでしょ。フルネームね。まあ、ステンドグラスとこのドアと命助けてくれたお礼にはなんないかもしれないけど」
バイト増やそう。
そんなこと考えている間にみるみるレイの顔が赤くなる。
「だ、だから、そ、それは……」
「住所よ。わかんないの?自分の住所と名前。なんかさっきも変だったよね。早く書いてよ。下に行って書くヒマな
いかもでしょ」
知らない国だ。陽があるうちに、なんとか飛行場のある町に着きたい。
「もしかして、わかんないの?」
「……あ、あ……わ、わ、わかんない」
レイは壊れたおもちゃみたいに首を振った。
「……どうやってお礼を送ればいいのよ。窓割れたこととか、お家の人に怒られない?」
遠慮してんのかなあ。心配になってきたぞ。
「いや……だ、だだ、大丈夫。怒られない」
レイは鼻をこすりながら、恥ずかしそうに言った。
「じゃあ、あなたが命の危機の時はどうやってあたしは駆けつけるのよ。命のなんとかって契約してんでしょ」
矛盾してるなあ
「わ、わかる。あ、あ、あなたには。ぜ、ぜ、絶対。ぼ、僕は、あ、あなた……あなた……ユキ……の場所がわかるし……に、日本……は、榛の木村。覚えた」
彼は紫の目を細めた。
「なんだかわからないけど、わかった。あたしにはわかるのね。ほんとにありがとう。じゃ……」
もじょもじょと煮え切らない彼を相手している時間はなかった。ここはご厚意に甘えることにする。
あたしは再び真っ暗な穴の中を覗き込んだ。
下が見えない中に入るのは、なかなかに勇気がいる。
おそるおそる足を入れ、そのまますっぽりと暗闇の中に顔を入れた。
下には何となく床が見える。
あたしは思い切って飛び降りた。
不安定な固いものの上に右足が乗り、腰からすべり落ちたが、何とか立ち上がることができた。
壁のまわりにへばりついているどろどろとした苔のようなものがべったりと手と服についてしまった。
これ、洗ってとれるかな。
「ど、どう?」
部屋からの光がレイの顔に遮られたとたんに周りが何も見えなくなった。
「うーん。光がないとだめかも。懐中電灯とかない?」
「か、懐中電灯?」
「うん。ろうそくでも、なんでもいいんだけど、光がなきゃ、進めなさそう」
ざあっと強い風が吹き、レイの長い黒髪が視界に広がった。この風の強さだから、絶対外には続いているはず。
上から差し出されたレイの掌に、青い火が浮かびあがった。
「……熱くないの?大丈夫?」
そんなことを聞いた私を、レイは笑ってうなずいた。
「あ、熱かったら自分も燃えてしまう。」
「そんなもんなの?」
風に吹かれても揺れもしない不思議な青い火に照らされて、レイの螺旋状に伸びた爪が黒光りしていた。
いますぐ爪を切ってあげたい。
「まあ、少し暗いけどないよりマシ……ねえ。この火、どうすればいいの?焚きつけるものとかないんだけど」
「こ、この火を……」
と言ったままレイはじっとあたしを見た。
「……あ、あなたには、あ、扱えないか……」
そう言うなり、真っ暗な穴の中に飛び込んできた。少し浮かんで、軽やかに着地する。
「行くよ」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
あたしは黒いどろどろに足を滑らせながら、レイの手のひらに浮かぶ青い光と白い服を目印に歩き始めた。
壁も天井もごつごつした岩に囲まれていた。岩は柔らかな苔のような植物に包まれており、あたしは、湿り気を含んだそいつらに何度も足をとられて転んだ。
寝っ転がっているあたしを、レイが上からのぞき込んで不思議そうに言った。
「……す、少し浮くといい」
「……浮けないからっ。そして、手ぐらいかしてよ。モテる男の条件はマメであることと気が利くことだよ」
レイは、ああ、そうか。とあわてて助け起こしてくれた。
「お、おじいさまにも同じことを言われた」
「すばらしいおじいさまね。お年寄りの言うことは聞くものよ。で、この道っていつ終わるの?」
「わ、わかんないよ」
「ですよね。」
もうすでにこの道を来たことをどっぷり後悔しているあたしは、うんざりして言った。
「ねえ。少し休まない?その火、ずっとつけてて疲れないの?」
「だ、誰に言ってる?」
レイは怒ったように言った。
「あんたしかいないじゃん。」
あたしは人差し指でしっかりと前を行くレイを差した。
その指の先に光のようなものがちらりと見えた。
「あれ?外じゃない?」
淡い光が闇に浮かんでいる。
「外だよ絶対」
あたしは光に向かって走り出した。
「まっ、危ないっ」
あたしの体はバランスを崩して変な方向に曲がる。
あるはずの地面がなかった。
レイが私の服をつかんでなかったら、確実に下に落ちていた。
「……あ、あなた……と、飛べないって言ってたよね?」
レイはそう言いながらあたしを乱暴に引き上げた。
見かけによらず力があるらしい。
あたしが着ていた一張羅の白いシャツはどろどろになっているけれども。
「うん。飛べない。ありがとう」
さっきからお礼を言ってばかり。このまま一緒にいたら、奴隷決定だわ。
「ごめんね」
あたしが落ちそうになった穴はかなり深かった。強い風が吹き上がってくる。
風と一緒に黄色い綿毛のようなものが落ちてきて、掌の中にある青い光が弱く揺れた。
「光っている……」
綿毛は、あたしやレイの体にぶつかるたびに発光し、吸い込まれるように暗闇に消えていった。
「ねえ。あれ見て」
穴の中央には、蔦のようなものが何本も上から伸びていた。
細い蔦は絡まり合い、大きな一本の太い木のように見える。
強い風が吹くたび、その蔦から綿毛が舞い上がってくる。
「と、トネリコネリの木だ」
「木?蔦じゃないの?」
「と、とても貴重な木なんだ。こ、こんなところに、こんなに大量にあるなんて聞いたことない……前に、お、王立植物園でこんな小さな木は見たことがあるけど」
レイは右手と左手で五十センチくらいの間をつくりながら言った。
「こ、これは……これは行かない方がいいと思うけど……行くの?」
レイは腕まくりをするあたしを見て、苦虫をつぶしたような顔をした。
暗くてよく見えないけど、蔦があると言うことは、どこかに根が張ってあり、地上まで続いているということだ。
しめた。
この蔦をつたって下に降りることができる。
「い、今からでも送るよ?」
レイは火がついてない方の手の人指し指を上に向ける。あたしはトネリコネリと呼ばれた木をもう一度見た。
「いや、行ってみるよ」
飛行機や鳥や天窓から落ちるよか、よっぽどマシだ。
あたしはきっちり袖をまくり上げて、肩を回した。
ターザンごっこは、得意だ。
「この蔦って、丈夫なの?」
あたしはレイの手に支えられながら、一本の細い蔦をつかんだ。
思ったよりも柔らかだ。
つかんだ手の周りがぼんやりと発光している。
「うわー面白いねー。触ると光るんだー」
いや、その、そんなに触っては……とか言いながらレイがおたおたと手を上げたり下げたりしている。
思いっきり蔦を引っ張るが切れそうもない。
これならいける。
「よし。レイ行くよ」
「ちょ、ちょっと待て。」
レイは私の服をつかんだ。
「と、トネリコネリの木は、ち、『力』を使えなくするんだ。」
「あ、そうなんだ」
そう言ってさらに蔦を引っ張った私を、レイはもう一度押しとどめた。
「なによ」
「そ、それ以上触んない方がいい。き、君は、ほんとに何にも知らない。と、トネリコネリの木を育てることは禁止されている。こ、この国では、犯罪なんだ。ぜ、絶対に育ててはいけない植物なんだ。む、無害に見えるけど、さ、触った者の持っている、ち、『力』を根こそぎ奪う」
「ちから、『力』って言うけどさ、例の飛ぶ力とかでしょ。いや、もともとないものを使える、使えなくなるって言われてもね」
関係ないんだけどなー。
「あ、あなたが、ち、『力』を持ってないわけない」
「ないから。そんなもん。そりゃあったらいいなって思って、小学生のとき、やってみたりしたよ。でも、テイッシュ一枚動かせないから。安心して。実証済み。でも、わかった。レイ君はその『力』がしっかりあるんだから、触んないでお部屋に帰んなよ。たまに外にでて、お風呂入んなよ。ほんとにありがとね。」
あ、お礼言っちゃだめなんだっけ。
明るいうちになんとかしたい私は少しあせって言った。
「じゃ」
「待って」
私が蔦に体を預けるのと、レイがあたしの服をつかんだのが同時になった。
「ちょっと!」
「うわ」
二人を乗せた蔦がすべるように下へ落ちていく。
細い蔦に二人は重い。
どちらか一人が離れなければ、すぐに蔦が切れてしまう。
あたしは、目の前にある少し太めの蔦に手をかけた。
「なんで来たのよ!『力』がなくなるんでしょ!」
あたしはもう一つの蔦に飛び乗った。
「待って」
切羽詰まったレイの声がすぐに遠くなっていった。
飛び移った先の蔦も私の重さで下に落ちていくが、さっきよりは、ずっとスピードが緩い。
蔦をつかんだ手の力も緩めてゆっくりと下に降りていく。
蔦と掌はこすれるが、柔らかな綿毛に包まれているせいで痛くなかった。
「おっと」
あたしが乗っていた蔦はそんなに長くなかったらしい。
蔦が終わる直前にもっと下へと伸びている蔦に飛び移った。
何も考えず、反射的に蔦を変えながらどんどん下に降りていく。
触ると綿毛が光るので、あたりは明るく、苦労せず次の蔦を見つけることができる。
気持ちいい。
きらきら光る綿毛がいくつも目の前を流れていく。
ご機嫌で上を見ると、レイも蔦をつたいながら器用に降りてくる。
真っ暗な中で、レイのいるところだけ、大きな明るい光が浮かんでいるように見えた。
鳥や飛行機から落ちていく感覚に比べると、格段に安心感がある。
足下に明かりが見えた。
外だ。
外に違いない。
「ユキ!下」
光に気をとられて、レイから声がかかるまで気が付かなかった。
蔦がない。どこにもない。
あたしは真っ逆さまに落ちていた。
熱い塊がのど元にこみ上げてくる。みるみる視界がぼやけてきた。
「え、ちょ……ちょっと」
レイは慌てたように手であたしの涙を受け止めた。
レイのすすけた掌にナメクジが通ったみたいな線が何本も引かれる。
「な……なに、これ……」
レイは自分の掌に落ちた涙をぺろりとなめた。
「しょ……しょっぱい……」
「舐めないでよ」
あたしは涙を見せないように下を向いた。
レイはそんなあたしの顔を無理矢理上に向かせた。
「な、何これ」
「何って……涙よ。泣いてんの。」
莫迦にしてんの? と言いかけて、引っ込めた。
レイが本当にわからないという顔をしていたからだ。
「……悲しいときとか、嬉しいときとか……。レイは泣かないの?」
「……み、見たことない。」
レイはそう言うと掌の残りの涙を舐めた。あたしはその汚い手を見ないようにした。
「う、嬉しいのか?」
「なんで!? もう帰りたいの。もう疲れたの」
涙が止まらない。
あたしはしゃっくりをあげた。
レイは不思議そうにじっとあたしを見ていた。
「見てないで何とかしてよ」
あたしはイラっとして、レイの肩をぺちっと叩いた。
「このドアを開ければいいの?」
あたしは黙ってうなずいた。
「さ、さ、下がって」
レイは片手であたしを抑えた。
あたしが一歩下がったのを確認すると、レイは、勢いよくひゅっと息を吐いた。
次の瞬間、大きな音を立てて、ドアが宙に浮いた。光に照らされた埃が舞う。
「……ありがとう」
お礼を言うと、レイは「も、も、もひとつ契約を」と言って笑った。
つられてあたしも笑ってしまう。
吹っ飛んだドアの中から、かび臭い風が舞い上がってきた。
ドアの奥は真っ暗だった。
風が吹いてきているので、どこかには通じているはずだが、奥は見えない。
「……階段ないね……」
「……う、う、うん……し、下までぼ、僕が送って……いく?」
レイが天窓を指して言った。
思いっきり首を振る。
絶対、嫌だ。
もう二度と地に足をつけた生き方を手放すつもりはない。
言葉通りの意味で正確に理解していただきたい。
「とにかく降りてみようよ」
ここしかないなら、ここを行くまでだ。
「お、おすすめ、おすすめ、おすすめしないけど」
レイは眉間にしわを寄せながら三回言った。
大事なことは三回言う。まあ、正しいかね。
「レイ君……ありがとう。本当にありがとう。助けてくれてありがとう。日本に帰ったらお礼させて。榛の木村の名物送らせて。名物に旨いものなしっていうけど、そんなことないからね」
村は牧畜が主産業で、乳製品が本当に美味しい。
婦人部のおばちゃん達が村おこしをかねた商品開発に自分の体を丸っこくしながらがんばっている。
あたしの命の代わりにはならないが、何かお礼はしたい。
「書くものある?」
「う、うん」
レイは、素直にマホガニーの机の上から、万年筆と金の縁取りのある紙を持ってきた。
「住所と名前書いて」
「な、名前?」
「うん。ここの住所と。お礼状かけないでしょ。フルネームね。まあ、ステンドグラスとこのドアと命助けてくれたお礼にはなんないかもしれないけど」
バイト増やそう。
そんなこと考えている間にみるみるレイの顔が赤くなる。
「だ、だから、そ、それは……」
「住所よ。わかんないの?自分の住所と名前。なんかさっきも変だったよね。早く書いてよ。下に行って書くヒマな
いかもでしょ」
知らない国だ。陽があるうちに、なんとか飛行場のある町に着きたい。
「もしかして、わかんないの?」
「……あ、あ……わ、わ、わかんない」
レイは壊れたおもちゃみたいに首を振った。
「……どうやってお礼を送ればいいのよ。窓割れたこととか、お家の人に怒られない?」
遠慮してんのかなあ。心配になってきたぞ。
「いや……だ、だだ、大丈夫。怒られない」
レイは鼻をこすりながら、恥ずかしそうに言った。
「じゃあ、あなたが命の危機の時はどうやってあたしは駆けつけるのよ。命のなんとかって契約してんでしょ」
矛盾してるなあ
「わ、わかる。あ、あ、あなたには。ぜ、ぜ、絶対。ぼ、僕は、あ、あなた……あなた……ユキ……の場所がわかるし……に、日本……は、榛の木村。覚えた」
彼は紫の目を細めた。
「なんだかわからないけど、わかった。あたしにはわかるのね。ほんとにありがとう。じゃ……」
もじょもじょと煮え切らない彼を相手している時間はなかった。ここはご厚意に甘えることにする。
あたしは再び真っ暗な穴の中を覗き込んだ。
下が見えない中に入るのは、なかなかに勇気がいる。
おそるおそる足を入れ、そのまますっぽりと暗闇の中に顔を入れた。
下には何となく床が見える。
あたしは思い切って飛び降りた。
不安定な固いものの上に右足が乗り、腰からすべり落ちたが、何とか立ち上がることができた。
壁のまわりにへばりついているどろどろとした苔のようなものがべったりと手と服についてしまった。
これ、洗ってとれるかな。
「ど、どう?」
部屋からの光がレイの顔に遮られたとたんに周りが何も見えなくなった。
「うーん。光がないとだめかも。懐中電灯とかない?」
「か、懐中電灯?」
「うん。ろうそくでも、なんでもいいんだけど、光がなきゃ、進めなさそう」
ざあっと強い風が吹き、レイの長い黒髪が視界に広がった。この風の強さだから、絶対外には続いているはず。
上から差し出されたレイの掌に、青い火が浮かびあがった。
「……熱くないの?大丈夫?」
そんなことを聞いた私を、レイは笑ってうなずいた。
「あ、熱かったら自分も燃えてしまう。」
「そんなもんなの?」
風に吹かれても揺れもしない不思議な青い火に照らされて、レイの螺旋状に伸びた爪が黒光りしていた。
いますぐ爪を切ってあげたい。
「まあ、少し暗いけどないよりマシ……ねえ。この火、どうすればいいの?焚きつけるものとかないんだけど」
「こ、この火を……」
と言ったままレイはじっとあたしを見た。
「……あ、あなたには、あ、扱えないか……」
そう言うなり、真っ暗な穴の中に飛び込んできた。少し浮かんで、軽やかに着地する。
「行くよ」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
あたしは黒いどろどろに足を滑らせながら、レイの手のひらに浮かぶ青い光と白い服を目印に歩き始めた。
壁も天井もごつごつした岩に囲まれていた。岩は柔らかな苔のような植物に包まれており、あたしは、湿り気を含んだそいつらに何度も足をとられて転んだ。
寝っ転がっているあたしを、レイが上からのぞき込んで不思議そうに言った。
「……す、少し浮くといい」
「……浮けないからっ。そして、手ぐらいかしてよ。モテる男の条件はマメであることと気が利くことだよ」
レイは、ああ、そうか。とあわてて助け起こしてくれた。
「お、おじいさまにも同じことを言われた」
「すばらしいおじいさまね。お年寄りの言うことは聞くものよ。で、この道っていつ終わるの?」
「わ、わかんないよ」
「ですよね。」
もうすでにこの道を来たことをどっぷり後悔しているあたしは、うんざりして言った。
「ねえ。少し休まない?その火、ずっとつけてて疲れないの?」
「だ、誰に言ってる?」
レイは怒ったように言った。
「あんたしかいないじゃん。」
あたしは人差し指でしっかりと前を行くレイを差した。
その指の先に光のようなものがちらりと見えた。
「あれ?外じゃない?」
淡い光が闇に浮かんでいる。
「外だよ絶対」
あたしは光に向かって走り出した。
「まっ、危ないっ」
あたしの体はバランスを崩して変な方向に曲がる。
あるはずの地面がなかった。
レイが私の服をつかんでなかったら、確実に下に落ちていた。
「……あ、あなた……と、飛べないって言ってたよね?」
レイはそう言いながらあたしを乱暴に引き上げた。
見かけによらず力があるらしい。
あたしが着ていた一張羅の白いシャツはどろどろになっているけれども。
「うん。飛べない。ありがとう」
さっきからお礼を言ってばかり。このまま一緒にいたら、奴隷決定だわ。
「ごめんね」
あたしが落ちそうになった穴はかなり深かった。強い風が吹き上がってくる。
風と一緒に黄色い綿毛のようなものが落ちてきて、掌の中にある青い光が弱く揺れた。
「光っている……」
綿毛は、あたしやレイの体にぶつかるたびに発光し、吸い込まれるように暗闇に消えていった。
「ねえ。あれ見て」
穴の中央には、蔦のようなものが何本も上から伸びていた。
細い蔦は絡まり合い、大きな一本の太い木のように見える。
強い風が吹くたび、その蔦から綿毛が舞い上がってくる。
「と、トネリコネリの木だ」
「木?蔦じゃないの?」
「と、とても貴重な木なんだ。こ、こんなところに、こんなに大量にあるなんて聞いたことない……前に、お、王立植物園でこんな小さな木は見たことがあるけど」
レイは右手と左手で五十センチくらいの間をつくりながら言った。
「こ、これは……これは行かない方がいいと思うけど……行くの?」
レイは腕まくりをするあたしを見て、苦虫をつぶしたような顔をした。
暗くてよく見えないけど、蔦があると言うことは、どこかに根が張ってあり、地上まで続いているということだ。
しめた。
この蔦をつたって下に降りることができる。
「い、今からでも送るよ?」
レイは火がついてない方の手の人指し指を上に向ける。あたしはトネリコネリと呼ばれた木をもう一度見た。
「いや、行ってみるよ」
飛行機や鳥や天窓から落ちるよか、よっぽどマシだ。
あたしはきっちり袖をまくり上げて、肩を回した。
ターザンごっこは、得意だ。
「この蔦って、丈夫なの?」
あたしはレイの手に支えられながら、一本の細い蔦をつかんだ。
思ったよりも柔らかだ。
つかんだ手の周りがぼんやりと発光している。
「うわー面白いねー。触ると光るんだー」
いや、その、そんなに触っては……とか言いながらレイがおたおたと手を上げたり下げたりしている。
思いっきり蔦を引っ張るが切れそうもない。
これならいける。
「よし。レイ行くよ」
「ちょ、ちょっと待て。」
レイは私の服をつかんだ。
「と、トネリコネリの木は、ち、『力』を使えなくするんだ。」
「あ、そうなんだ」
そう言ってさらに蔦を引っ張った私を、レイはもう一度押しとどめた。
「なによ」
「そ、それ以上触んない方がいい。き、君は、ほんとに何にも知らない。と、トネリコネリの木を育てることは禁止されている。こ、この国では、犯罪なんだ。ぜ、絶対に育ててはいけない植物なんだ。む、無害に見えるけど、さ、触った者の持っている、ち、『力』を根こそぎ奪う」
「ちから、『力』って言うけどさ、例の飛ぶ力とかでしょ。いや、もともとないものを使える、使えなくなるって言われてもね」
関係ないんだけどなー。
「あ、あなたが、ち、『力』を持ってないわけない」
「ないから。そんなもん。そりゃあったらいいなって思って、小学生のとき、やってみたりしたよ。でも、テイッシュ一枚動かせないから。安心して。実証済み。でも、わかった。レイ君はその『力』がしっかりあるんだから、触んないでお部屋に帰んなよ。たまに外にでて、お風呂入んなよ。ほんとにありがとね。」
あ、お礼言っちゃだめなんだっけ。
明るいうちになんとかしたい私は少しあせって言った。
「じゃ」
「待って」
私が蔦に体を預けるのと、レイがあたしの服をつかんだのが同時になった。
「ちょっと!」
「うわ」
二人を乗せた蔦がすべるように下へ落ちていく。
細い蔦に二人は重い。
どちらか一人が離れなければ、すぐに蔦が切れてしまう。
あたしは、目の前にある少し太めの蔦に手をかけた。
「なんで来たのよ!『力』がなくなるんでしょ!」
あたしはもう一つの蔦に飛び乗った。
「待って」
切羽詰まったレイの声がすぐに遠くなっていった。
飛び移った先の蔦も私の重さで下に落ちていくが、さっきよりは、ずっとスピードが緩い。
蔦をつかんだ手の力も緩めてゆっくりと下に降りていく。
蔦と掌はこすれるが、柔らかな綿毛に包まれているせいで痛くなかった。
「おっと」
あたしが乗っていた蔦はそんなに長くなかったらしい。
蔦が終わる直前にもっと下へと伸びている蔦に飛び移った。
何も考えず、反射的に蔦を変えながらどんどん下に降りていく。
触ると綿毛が光るので、あたりは明るく、苦労せず次の蔦を見つけることができる。
気持ちいい。
きらきら光る綿毛がいくつも目の前を流れていく。
ご機嫌で上を見ると、レイも蔦をつたいながら器用に降りてくる。
真っ暗な中で、レイのいるところだけ、大きな明るい光が浮かんでいるように見えた。
鳥や飛行機から落ちていく感覚に比べると、格段に安心感がある。
足下に明かりが見えた。
外だ。
外に違いない。
「ユキ!下」
光に気をとられて、レイから声がかかるまで気が付かなかった。
蔦がない。どこにもない。
あたしは真っ逆さまに落ちていた。
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読んでくださって、お気に入りに入れてくださって本当にありがとうございました。毎日励みになりました。暑いのでお身体くれぐれも大事になさってください。
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完結、予約投稿済みです。
R15は、今回も念の為
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