宝石眼を持つ名ばかりの聖女、盗賊になった幼馴染にハジメテを奪われる

蓮恭

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36. ナナ

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 アネットとネリーを笑顔で迎えたナナは、男達が剣を振るう場所から少し歩くと、泉の湧き出す場所へと向かう。
 二人もその後に続き、ナナが冷たい泉の水でバシャバシャと顔を洗い終えるのを待った。

「それで? 何か私に用?」

 顔を拭く布を持ち合わせていなかった事に気付いたナナが、仕方ないとばかりに無造作に袖口で顔を拭うのを、アネットはぼうっと見つめる。
 陽の光の下で見ると、ナナの精悍な顔立ちと燃え立つような赤い髪は、女のアネットから見てもとても魅力的に思えた。

「あの……」
「何か私に、言いたい事があるんじゃないの?」

 未だ微笑みを湛えたままだが、はっきりとした物言いのナナに、アネットはついつい口籠る。

「今日……私が……ナナ様に会いに来たのは……」
 
 これまでの辛い経験から、強い緊張状態の中に置かれると、厳しい口調の相手に対して咄嗟に滑らかな言葉を発する事が出来なくなってしまうのだった。

「ナナ様、そんなんじゃアネットが怯えてしまいます。この子はナナ様の事をあまり知らないんですから、突然呼び出した事を怒られているように捉えてしまいますよ」

 大袈裟に頬を膨らませ、腰に手を当てたネリーがナナに向かってそう言うと、ナナはフッと眉を下げ、短く空気を吐き出すように吹き出した。

「あはは! ごめんごめん。ちょうど休憩しようと思っていた所だったし、怒ったりしてないよ。ただ、あんまり思い詰めた顔をしているもんだから揶揄いたくなっちゃって」
「ナナ様、アネットはとても真面目だから、冗談なんか通じないんですよ」
「ごめんって。その不安そうな顔が、まるで野うさぎみたいに可愛くてね」

 近付いて来たナナがアネットの顎に手を伸ばし、細い顎のラインに手を沿わせる。ナナは身長が高く、アネットよりも十五センチほど目線が上にあり、アネットを見下ろす視線には悪戯な色が含まれていた。

「本当、綺麗な顔だよね。体付きも女らしくて、美しい。あのラウルが貴女を好きになるのも頷けるわ」

 顎を掴んだままで自分を見下ろす鋭い眼差しに、明らかな敵意が含まれていない事は、アネットにとって意外だった。自らの婚約者の隣に立つアネットを、憎んでも仕方がないというのに。
 ここで怯むわけにはいかない、とアネットは勇気を振り絞る。ナナに憧れているというネリーに、この気まずい場へ立ち会いまでして貰っているのだから、逃げる訳にはいかないと思ったのだった。

「ナナ様はラウルの婚約者で、ある日突然現れてラウルと住んでいる私を疎んでも仕方がないのに、こうやってお話をする時間を取って頂いて感謝します」
「ん? あ、ああ」
「実は……私、自分の気持ち口にする事が上手くできなくて、今もこんなに身体が震えてしまっています。でも、どうか私の決意を聞いていただけませんか」

 極度の緊張から手も足もブルブルと震えるアネットは、ナナの顔を見るのもままならない。とにかくきちんと話すのに集中していて、途中でナナが首を傾げた事に気付かなかった。

「ねぇ、それってラウルは知っているの?」

 想像もしていなかったナナの台詞に、アネットはハッとする。
 あれからラウルには婚約者のナナについて聞けずじまいで、今日ネリーと共に話し合いに来る事ももちろん話していない。
 婚約者であるナナからしてみれば、愛人のような立場のアネットが突然このように訴えてくる事に関して、アネットだけでなくラウルに対する怒りを覚えても仕方がないのではないかと思えた。

「いいえ、ラウルはこの事を知りません。私が勝手に……」
「この事ってどの事? アネットさんが『ラウルの婚約者である私』に震えながらラウルへの想いを訴えに来た事?」

 アネットの言葉を遮るかのように、また覆い被せるように放たれたナナの言葉は、お前は恥知らずで浅はかだと言っているようにアネットは捉える。
 ナナに憧れを抱くネリーを巻き込みたくはないという思いから、話し合いが始まったらじっと黙って見守るように頼んでいたので、ここでネリーの助けが入る事は無い。

「はい。ラウルは知りません。ここに居るネリーも、私の我儘に付き合ってくれただけです」
「そうでしょうね。もしラウルに話していたら、こんな風に私に会いに来る事はなかっただろうから」

 もし話していれば、婚約者であるナナにアネットが会うのを、ラウルが引き留めたという意味だろうとアネットは思った。
 不確かな立場のアネットがこのような勝手をするのを、ラウルは強く咎めたかも知れない。
 そう考えたところで、強い決意を秘めて此処に来たはずのアネットの胸は、ジクジクと抉るように痛んだ。

「それじゃあラウルの婚約者を前にして、貴女は何を言うつもりなの? まさか、私のラウルを取らないでとか言って泣くつもり?」
「私は……」
「いいわね。世間知らずのお嬢さんは。自分の無邪気な言葉が、態度が、どれだけ他人を傷付けているのか知らないんだから」

 ナナの声に、先程まで感じなかった尖が含まれている事に気付く。次々と言葉を繰り出して、アネットに言葉を紡がせまいとする態度からもナナの苛立ちが透けて見えた。

「美しい顔も、魅力的な身体も、薬師としての適性まで持ってて、オババからも信頼されてる。余所者だって距離を置いていた集落の人達も、今は貴女を薬師として頼ってて、その上まだ頭領であるラウルを欲しいって? どれだけ欲張りなの?」

 ラウルはアネットに婚約者について話してくれていない。一方アネットはジャンからその事実を聞いてからというもの、ラウルが自分という存在をどうするつもりなのか分からずに、この幸せな日々がいつ壊れるのかと怯えている。
 だからつい、ナナの気持ちも考えずに自分の安心を優先した。婚約者であるナナが不快な気持ちになる事など分かりきっていたのに。

「ごめんなさい」
「どうして謝るの? 強い気持ちでこの場に臨んだんじゃないの?」
 
 いくらラウルがアネットを抱き、愛していると囁いたとしても、婚約者のナナがいる限り、アネットは単なる愛人でしか無い。
 アネットには大好きなラウルを誰かと分かち合う事など、出来そうになかった。
 けれどもそれはきっと、ナナだって同じ事なのだ。

「ごめんなさい。私、ナナ様の気持ちも汲み取れず、自分の居場所を守る事ばかり考えてしまって」
「今更どうしたの? そんなに今の貴女の居場所は不確かなもの? ラウルはアネットさんを愛していると言わなかった? オババは貴女を薬師だと認めているじゃない。集落の皆だって……」

 ナナの悲痛な声は、強い不安感のせいで物事を深く考える事が出来なかった矮小な自分を責め立てる。
 いつの間にか、ナナに心を尽くして話せば分かってもらえると思い込んでいた。それを今更恥ずかしく思うアネットの胸を、更に深く刺した。

「そうやって謝るくらいなら、貴女のラウルへの気持ちはその程度って事よね?」

 長く囚われ、虐げられて来たアネット。そのアネットは自己肯定感が低く、自分が人を傷付ける事に慣れていない。だからこそ、ナナを傷付けてしまった事に狼狽え、戸惑っていた。
 けれどもナナの挑むようなその言葉に、アネットは反射的に自分の素直な思いを口にしていた。
 

 
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