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35. 少しずつ変化していく
しおりを挟むシロコドクヘビの中毒騒ぎからしばらくすると、ネリーはもちろん子ども達も順々に回復していった。
あの日ダンは頑なにアネットへ向けて謝罪する事は無かったが、集落の人々の態度には大きな変化が見られるようになったのだ。
「アネットさん、良かったらこれ、頭領と食べてください」
「ありがとうございます。美味しそうですね」
いつも通りオババの所へと手伝いに訪れているアネットのもとへ、手土産を持って訪ねてくる者がいる。
貴重な薬師であるオババに敬意を持ってそうするように、人々はアネットにも感謝の気持ちを表すようになったのだった。
今まさに木の実を使ったパイを手に照れくさそうにしてアネットに差し出すのは、先日ひどい胃痛に苦しんでオババの家に駆け込んできた新妻だった。
「この前アネットさんに煎じてもらったお薬がよく効いて、胃の痛みが治った途端、これを食べたくなって」
「食欲が出るくらいまでに治って良かったです。今はもう吐き気も平気ですか?」
「吐き気はまだ……。あと、実は報告があって」
新妻はアネットから少し離れた所に座るオババの方をチラリと見る。その表情は明るく、とても嬉しそうで悪い報告では無さそうだとアネットは安心した。オババも新妻の視線に気付いて、「何だい」と近付いてくる。
新妻はそれを待ってから、ふふふと微笑みながら口元に手をやり、それからその手をお腹に持って行った。
「実は、アネットさんの言う通り、私のお腹に赤ちゃんがいるみたいなの。月のものを確認したら確かに遅れていたし、恥ずかしながら思い返せば時期的にもぴったりで」
そう語る新妻の横顔は、ふんわりと柔らかな印象を与える優しいものだ。
「おやおや! そりゃめでたいね! アネット、やるじゃないか!」
アネットが何か言うより先に、オババが高い笑い声を上げながら手を叩く。そしてどこか誇らしげな視線をアネットへ送って来たのだった。
「おめでとうございます。あの時、奥さんがひどい貧血になっているのが分かって、もしかしたらと思って妊婦さんでも飲める薬草しか使わなかったんです。効果は緩やかだけど、万が一って事もあるし」
「大したもんだよ。私よりも優秀な薬師じゃないか! それにしてもアンタ、どこでそんな知識を覚えて来たんだい?」
オババは自分の事のように嬉しそうにアネットへと尋ねる。その間もお腹を優しく撫でながら、良好な師弟関係を結ぶオババとアネットの様子を、新妻はニコニコと見守っていた。
「本をたくさん読んだの。私に本を持って来てくれていた人が、女性の身体についても知っておいた方がいいと、そういった物も選んでくれたのよ」
公爵に囚われている時の記憶は苦いものが多かったけれど、サンドラが自分の身を危うくしてまでアネットに出来る限り尽くしてくれたのを、決して忘れる事は無い。
あの地獄のような日々から自分を逃がし、奇跡と呼べる偶然でラウルと引き合わせてくれたのも、サンドラのお陰なのだ。
「なるほどねぇ。やっぱりアネットには薬師の仕事が向いてるみたいだ。優しさだけじゃ出来ない、義務感だけでも出来ない仕事だからね。アンタのその知識が、強力な後ろ盾になってくれるよ」
あんまりオババに褒められるものだから、アネットは恥ずかしくなって思わず俯いてしまう。人から褒められる事に、アネットは慣れていなかった。
「ダンさんも、お孫さんのアランがすっかり良くなって喜んでいたそうよ。主人が言うのには、会合で『今後はあの小娘と口を聞いても構わない。余所者だが、あれは確かにオババの弟子だ』と宣言したとか」
「ダンさんが……」
「実はダンさんに睨まれるとこの集落では困った事になるからと、アネットさんに声を掛けるのを躊躇っていた人達は多いの。勝手を言うようだけど、これまでごめんなさいね」
アネットはダンが裏でそのように話していたと知り、胸がほんの少し温かさを持った気がした。頑固で、一方的で、決して素直ではないけれど、ダンはアネットへ孫の中毒を治した借りをきっちりと返したのだ。
「気にしないでください。確かに私は此処に突然現れて、厚かましくもラウルの傍に居させてもらっています。何者かよく分からない私を、皆さんが警戒するのも致し方ない事ですから」
シロコドクヘビの中毒騒ぎ以降、アネットに心を開いてくれる人々は一気に増えた。しかし先代に近しかった人々、つまりダンの周囲の人間は未だに進んでアネットに関わろうとしない。
「頭領も、昔は余所者だとされて苦労してきました。皆様々な事情があるとは言え、行き場のない人々の寄せ集めでまとまりのないこの集落の人間を率いて、生活を守ってくれている。それはダンさん達年配の方々も十分に分かっているはずです」
「そう言ってくれる人がいると知れば、ラウルだって嬉しいと思います」
ラウルを認めてくれる人がいる。それをアネットはまるで自分の事のように嬉しくなり、自然と表情が綻ぶのだった。
「アネット、今日はネリーと約束があると言っていたね。そろそろ帰りな」
そうオババに言われて、熱心に薬草を煎じていたアネットは顔を上げる。真剣に薬を作っていると時間が過ぎるのがとても早く感じ、もう約束の時間に近付いているのだという事に驚く。
「本当、もうこんな時間になってたなんて」
「アネットがあんまり真剣に薬を作ってくれるから、随分とたくさん予備の分が出来て助かるよ。この調子じゃ、しばらく私が寝込んで薬が作れなくなっても大丈夫そうだね」
「そんな事……困るわ。もしそうなったら、オババを私が作った薬ですぐに治すわ」
「そりゃあ心強いね! アンタはもう立派な薬師だ。どこででも、きっと困った人達を助けられるよ」
日課のようになっている軽口を言い合ったところで、帰り支度を終えたアネットはオババの家を後にした。
その後ネリーと合流したアネットは、二人で並んで集落の通りを歩く。途中で出会った人々の中には、アネットへ積極的に話しかけてくる者や、ちょっとした品物を手渡して来る者も居た。
明るく人当たりの良いネリーと一緒であれば尚更のことで、アネットはこれからもこの場所でラウルと共に生きて行く自信がついたのである。
「あ、ナナ様!」
隣を歩いていたネリーがそう言って手を上げると、集落の男達数人と共に剣術の稽古をしているナナがこちらを振り向いた。
一つに結われた長くて赤い髪が鮮やかに揺れ、アネットはその美しさに目を奪われる。
「ネリーと……アネットさん?」
見開かれた吊り目がちな瞳が、ネリーとアネットの姿を捉えたのが分かる。驚きの表情の後にナナの唇は弧を描き、笑顔で二人を出迎えた。
「いらっしゃい! 二人して剣術を学びに来たの?」
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