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32. アネットの強い意志

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「何でお前がここに?」

 いくら一大事とはいえ、ラウルとの約束を破って夜に出歩いてしまった事をアネットは後ろめたく思う。ラウルがアネットを思って守らせて来た約束だったのに、自ら破るなんて呆れられ、怒られても仕方がない。
 アネットはそっと目を伏せ、ラウルからの叱咤をじっと待った。

「私が呼んだの。オババに頼まれたから」
「ナナ?」
「薬を作るのに人手が足りないっていうから手伝いに来たんだけど、私じゃ役立たずだからこの子を呼ぶようにって言われたのよ」

 硬い声のラウルと、これまでの経緯を淡々と説明をするナナの会話が耳に届くけれど、アネットは未だ視線を上げられないでいた。

「オババ、アネットの事情は知っているだろ」

 今度はラウルがオババに向かって抗議する。けれどもそんなラウルの言葉をオババは全く意に介さず、いつもの調子で言い返す。
 その間も、アネットはじっと下を向いて時間が過ぎるのを待つしか無かった。
 
「だからって集落の一大事に、お前さんの可愛いお姫様を使わない手はないよ。この子はもうすっかり立派な薬師なんだからね」
「それは……」
「ほう、それとも何かい? この子を守る為だと言って、お前さんはずっとアネットを部屋に閉じ込めておく気かい? それじゃああの変態公爵と変わらないと思うけどね」
「まさか! 俺はそんなつもりじゃ……!」

 今度はラウルとオババが険悪な雰囲気になってしまい、アネットは自分のせいであちこち揉め事に発展しているようで、目頭が熱くなり、胸が締め付けられるように辛くなる。
 突然この集落に身を寄せることになった自分の存在が、皆を不和に導いている気がして居た堪れない。

「ラウル……私、大丈夫。ここにはオババとナナ様しかいないし、家を出る時にはストールで顔を隠したから、誰にも見られていないの。だから、オババを怒らないで」

 大好きなラウルに意見するのは苦しかったが、それでも言わなければならないと思った。
 ラウルは声を震わせながらも強い意志を孕んだアネットの言葉に、グッと唇を噛み拳を握る。

「俺はアネットを思って……」
「分かってるよ。ありがとう。でも、私もここでラウルの役に立ちたい。それに、子ども達やネリーは、私にとってラウル以外では初めての大切なお友達だもの」

 ずっと囚われ、孤独に暮らして来たアネットにとって初めての友達はラウルだった。そして、ここに来て出来た友達は子ども達やネリーである。
 皆アネットにとってかけがえのない、大切な存在だった。

 アネットのまっすぐな言葉に、ラウルはハッとして握り込んだ拳を緩めた。そして心なしか元気のない声で、神妙な面持ちをしたラウルはオババとナナに向き直る。

「悪かった。お前の気持ちを考えず、俺の勝手な思いだけで決めつけてたよ。オババもナナも、悪かったな」

 ラウルの謝罪にオババは豪快に笑い声を上げ、ナナは大きく息を吐いてから肩をすくめた。
 それを見てアネットはホウッと息を吐き、肩を落としたラウルに微笑みかける。ラウルの素直さと優しさは、大人になっても変わらないのだと改めて分かり、嬉しくなった。

「今日はもうアネットのお陰で薬が皆に行き渡る量が出来たし、あとはジャンが届けてくれるだろうから、頭領達は帰って朝に備えて寝な。あと数時間で夜明けだからね」

 そう言って窓の外を眺めたオババの言葉に、いつの間にか出来上がった薬を瓶に詰め終えていたジャンは、皆に向かって手を挙げてからオババの家を飛び出して行く。

「さぁ、ナナも帰りな。朝になったらまた忙しくなるよ。薬を飲んで患者がどうなったか、頭領達と一緒に情報を集めてくれないと。ナナにはナナのやるべき事があるだろう」

 オババの声掛けに、ナナは不満そうにそっぽを向く。そんな孫の様子を見て、オババは皺だらけの顔に苦笑いを浮かべた。
 そんな祖母と孫のやり取りをどんな思いで見ていたのか……。アネットの肩をそっと抱いたラウルは、懸命に薬を作り続けたオババに向かって労いの言葉を掛ける。

「オババも休んでくれ。遅くまで無理をさせてすまない」
「まだ若いからね、これくらい平気だよ。それじゃあアネットは朝からここへ来て、追加の薬を作るのを手伝っておくれ。症状が変わっていたら薬も変えないといけないからね」

 多く歳を重ねた身体のどこにそのパワーが漲っているのかは分からないが、確かにいつもと変わらない様子のオババはアネットに向かって語りかける。

「分かった。オババ様ありがとう。しっかり休んでね」
「心配性だねぇ。ちょっとくらい眠らなくても、か細いアンタよりよっぽど元気だよ。けど、アネットが来てくれて良かった。もうすっかり頼れる右腕だね」
「そんな……私はまだまだ勉強不足よ。でも、オババがそう言うなら良かったわ」

 本当の孫と祖母のようなアネットとオババの気安いやり取りを目の当たりにして、実の孫であるナナは面白くなさそうだ。「それじゃあお先に」と、乱暴な足取りで皆の前を横切り、月明かりが照らす未だ暗い道を早足で行くのが、オババの部屋の窓越しに見えた。

「ラウル……私、もしかしてナナ様を怒らせちゃった?」

 あれからオババの家を後してラウルの家へと戻ったアネットは、ずっと気になっていた事を口にする。ラウルと共に寝台に潜り込みながら、痛む胸をそっと押さえた。
 
「いや、これはナナとオババの問題だからな。お前が気にする事じゃない。どちらかといえば、オババがわざとナナを焚き付けてるのが悪い」
「でも、オババ様はどうしてナナ様にキツく当たるの? 血の繋がった孫なのに、突き放すような事をするのはどうして?」
「目に見えるものが全てじゃないって事もあるんだ」

 そっと自分の胸元にアネットの身体を抱き寄せ、そう告げたラウルの言葉はアネットにとって難しく、すぐには理解できそうもない。

「ほら、もう寝るぞ。朝になったらまた忙しくなる」
「うん。おやすみ」

 アネットはラウルの胸に抱かれながら、ゆっくりと瞼を閉じた。ラウルの温もりに包まれて眠るこの瞬間は、アネットにとってこの上ない幸せであり、今は何も考えずゆったりとした睡魔の波に身を任せる。

「おやすみ、アネット」

 額に触れた柔らかな感触と、前髪を揺らすラウルの声が随分と遠くに聞こえ、アネットは深い眠りに沈んでいった。
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