宝石眼を持つ名ばかりの聖女、盗賊になった幼馴染にハジメテを奪われる

蓮恭

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21. 世間知らずなアネットの不安

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 ラウル達男衆が仕事から戻ったのは、彼らが集落を出て五日後の事だった。
 
 今回は人身売買に手を染める悪徳商人の屋敷を標的にしたらしく、助け出した子ども達を保護してもらった孤児院に多額の金を渡しても、なお有り余るほどの首尾があった。
 それだけこれまで多くの子どもや女達の命が軽んじられ、商人の手によって売買されていたという事になり、ラウルはいつもにも増して疲れた表情で帰って来たのである。

「役人と商人が癒着し、国境を越えての人身売買が横行していた。取り締まるべき役人が腐っていては、弱者ばかりが虐げられる事が当然になってしまう」

 普段ならアネットに仕事の話をしたがらないのに、今夜のラウルは自室で珍しく酒を煽りながら饒舌に語る。どうやらアネットのおかげで機嫌は少し上向きになったらしい。
 実はアネットがラウルの居ないこの五日の間に、控えめな声量であればまともに声を出して話せるようになり、仕事から戻るなりそれを知ったラウルは、心から喜んでくれたのだった。
 
 仕事終わりの男達は今回の成果で派手な宴を開くのだと張り切り、夕方ごろからは集落の中心にある広場がまるで祭りのように賑やかだった。

「悪い役人を懲らしめるのは、偉い人……国王陛下のお仕事なんでしょう? どうしてそんな悪い役人が野放しになっているの?」

 夜着の上にストール姿のアネットは、そう言いながら窓辺に近付き、カーテンの隙間からそっと外の様子を窺う。
 少し離れた場所にある広場にまだ赤々と松明や焚き火が燃やされているのが、火の粉が舞う空の色で確認出来た。

「……アネット、あまり窓辺に近付くな」

 ラウルの声が、ほんの少し低くなった。
 
「どうして?」
「暗がりからは明るい部屋の中に居るお前の姿がよく見える。変化した瞳を見られるのもそうだが、夜着姿を見られてもいいのか?」
「それもそうね! ごめんなさい」

 椅子に座って酒を飲んでいたラウルは仏頂面でグラスをテーブルに置くと、すくっと立ち上がり、窓辺にいるアネットの方へと歩いて来る。
 アネットは慌ててカーテンを元に戻し、肩に掛けたストールを胸の前で掻き合わせた。

「そうだ! ねぇ、ラウル」

 戻って来た時に酷く疲れて元気が無かったラウルを励まそうと、アネットは務めて明るい声を出して話題を振る。

「声が出るようになった途端おしゃべりになったな。それで、どうしたんだ?」

 隣に立ったラウルは仏頂面をすっかり引っ込めて、それどころかほんの僅かな笑みを口元に浮かべ、じっとアネットの瞳を覗き込んだ。

「貴方って私と出会った時は随分と粗野な物言いをしていたけれど、あれって一生懸命親父さんの口真似をして、仲間にしてもらおうと頑張っていたのね」
「……オババから聞いたのか?」
「そう。ラウルが居ない間、毎日のように昔話をたくさんしてくれたわ」

 自分の知らない頃のラウルを知り、嬉しくなったアネットは無邪気に笑っているものの、ラウルの方はというと心なしか苦々しい表情を浮かべている。

「何も面白い話なんか無かっただろう。オババの事だから、どうせ俺が親父に何度も捨てられてはしつこく舞い戻ったって話を、お前にしたんだろうけどな」
「そう! ある日小さなラウルが親父さん達の前に突然現れて、『仲間にしてくれ』って何度も頼み込んだって」

 やっと治った声が一気に弾むくらいに高揚したアネットをすっぽり包み込むようにして、ラウルがその華奢な身体を抱いた。
 そしてアネットの白金色の髪に顎を埋める。

「お前とあの森で出会ったのも、親父から『森の中で木の実を探して来い』って、堅気の仕事帰りにいきなり放り出された時だった」
「確かにそう言ってたよね。でも、それは親父さんの口実だったんでしょう」
「ああ。俺をどうしても盗賊にしたくなくて、親父はいつも無理難題ばかり言いつけてきた。そうすりゃ、そのうち諦めるだろうって思ってたんだろうな」

 自分を包み込むラウルの腕の中で、逞しい胸板にそっと耳を当てていると、心臓の音と共に心地良い響きで声が聞こえて来る。
 アネットは自分もラウルの背中へと手を回し、もっとよく聞きたいとばかりに頬を密着させた。

「ラウルはどうして盗賊になろうとしたの?」

 そう言えば聞いた事が無かったと、アネットが純粋な質問を投げかける。ラウルは暫しの沈黙の後に、ポツリポツリと語り始めた。
 
 ラウルにとって本心ではあまり語りたくはない昔話であったが、アネットにこうしてせがまれれば仕方ない。
 ラウルはアネットに対して誰よりも甘いのだから。

「俺は幼い頃から、義賊として生きる親父さんの噂を耳にしていた」
「それほど有名だったのね」
「王都では特に、な。確かにやってる事は盗賊と変わらないが、そこには親父さんなりの正義があった」
「どんな正義なの?」
「平民からは決して奪わず、悪どい奴らばかりを狙い、お宝を貰うついでにそいつらの悪事を露呈させるって事だ」

 ラウル達が親父と呼ぶ先代頭領は、アネットが此処に来る少し前に病で亡くなっている。
 オババからその話を聞いていたアネットは、先代の話をする時にラウルがとても寂しそうな顔をしているのを見て心苦しく思う。

「だからラウルも、憧れの親父さんと同じ事をしているの? でも……いつか役人に捕まったりしない?」

 ここのところオババから色んな事を見聞きするアネットは、ここルメルシェ王国についてや世間の常識と言われる事も沢山学んだ。
 物心ついた時からずっと、世間から隔離された森の中や塔の部屋で過ごしていたアネットは、どうしたって世情に疎い。

 けれども今少しずつではあるが、社会の仕組みを学んでいて、盗賊は役人に捕まれば酷い目に遭うのだと知っていた。
 だからここの所盗賊稼業で忙しそうにしているラウルの事が心配でたまらないのだ。
 
「義賊とはいえ、捕まれば絞首刑だろうな」
「絞首刑……。いや! ラウルがそんな目に遭うのは嫌よ!」

 アネットは自分よりも大きなラウルの身体をギュッと抱きすくめ、決して離れまいとする。

「俺を心配してくれるのか?」
「当たり前じゃない。ラウル達が怪我をしたりしないか、いつも心配しているのよ」
「はは! それは嬉しいな」
「もう! どうして笑うの? 私は真剣なのに」

 分かりやすく嬉しそうな声色のラウルに、アネットは極めて真剣な声で答えた。あまりにアネットが真面目な顔をしているものだから、ラウルもそのうち笑みを引っ込める。
 
「そうか、すまなかった。」
 
 ある時から先代に正式な仲間として認められ、今では賊をまとめる新頭領となったラウルは、先代の意志をしっかりと継いでいる。
 義賊の頭領として、そして集落の長として集落に住む人々をまとめ上げられるのは、ラウルの人望とこれまでの努力の賜物だろう。

「ねぇ、それじゃあ盗賊になる前は、どこでどんな生活をしていたの?」

 アネットはラウルの事をまだまだ知らない。もっとたくさんの彼を知りたくて、つい質問攻めにしてしまう。いくら積極的に話し掛けても、ラウルは「うるさい」と怒ったりしないと分かっているから。

「盗賊になる前……」

 珍しくラウルは口籠もる。
 
 普段なら、まだまだ世間知らずなアネットが分からない事をいくつも尋ねたとしても、嫌な顔ひとつせず優しく答えてくれるのに。
 色が悪くなるほど唇をギュッと結び、ひどく難しい顔をしていた。一見すると、怒っているようにも見える。

「ラウル、怒ったの? ごめんなさい!」

 アネットは知らず知らずのうちにラウルを怒らせたのだと思って、声が戻ったからとおしゃべりになり過ぎた自分を恥じた。
 これまでの暮らしで人との関わりが極端に少なかったアネットは、どのように他人と接するのが正しいのかを、未だに分からない事があったからだ。

「いや、怒ったりしない。何故俺がアネットに怒るんだ?」

 思わずラウルから身体を離したアネットを再び自分の胸元へと引き寄せると、難しい顔を崩したラウルはフッと笑う。

 その表情と行動に心の底からホッとしたアネットは、もう一度小さく「ごめんなさい」と言ってラウルを抱きしめた。

「謝るな。怒ってる訳じゃない」
「でも……私、さっきはついおしゃべりし過ぎてしまったわ。声が戻って嬉しくなっちゃったの。それに、人と話す時にどういう振る舞いをすれば良いのか、まだその加減が分からなくて。知らないうちに相手を怒らせたり、迷惑を掛けそうで怖いの」

 森の小屋でも、囚われていた塔でも、自由に話す事を許されていなかったアネット。口を開けば怒られ、暴力を振るわれ、馬鹿にされる事も多かった。

 身の回りの世話をしてくれていた公爵家の侍女長、サンドラとの交流くらいしかまともに他人と関わる機会が無かったので、それも仕方がない事だった。
 
 これまでアネットが見ていた世界は、他の人と比べてとても狭かったのだから。

「アネット、気にしなくていい。別にお前の振る舞いはおかしく無いし、俺はアネットと居るこの時間が一番癒されるんだ」
「癒される? 本当?」

 世間知らずで、まだ知識が未熟な所があるアネットは、無意識のうちに相手の言葉を繰り返し、そして確認し、新しい知識と安心を得る。
 
 ラウルもオババも、そしてかつてはサンドラも、アネットがどうしてそのように振る舞うのかを理解していた。

「本当だ。だからこそ、俺のつまらない過去の話をしてもいいのかと考えていた」
「聞きたいわ。だって私……ラウルの事をもっと知りたい」

 ギュッとラウルの服を摘んだアネットは、長いまつ毛の下にある頬を紅色に染めつつそう告げる。
 ラウルはそんないじらしいアネットの丸みを帯びた頬に、ぷっくりとした唇に噛みつきたくなるほどの衝動を覚えたが、天井を仰ぐ事でグッと我慢をした。

「それじゃあ話してやる。長くなるから座ろう」

 アネットの小さな手を引き寝台の端へと腰掛けさせ、自らも隣に座ったラウルは広げた膝の上に肘を置き、首を垂れる。
 しばらく黙ってじっと床を見つめていたラウルに、アネットは不安になった。

「大丈夫? 話したくないなら無理しなくても……」
 
 心配そうに問うアネットにラウルは一度大きく息を吐き出すと、決意を秘めた眼差しで語り始めた。

「俺は……実の父親に殺されるところだった」
 
 

 
 
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