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12. 褥で流す涙
しおりを挟む小瓶の薬はアネットの意識をぼんやりとさせ、痛みも苦しみも遠い過去の出来事のように鈍くする。
「う……うぅ……っ」
それでも、寝台の上で苦しげな声を上げるアネットは、自分の上にのしかかる公爵の目が恐ろしかった。この男の視線はいつも冷たくて、痛い。
整った顔立ちに浮かぶ笑みは、アネットを虐げる事に喜びを感じているのだと分かる。
「あの媚薬は何より強力な物だ。手練れの娼婦でさえ飲めば激しく乱れ狂うというのに、何故お前の涙は未だ宝石にならないのだ」
「ふ……っ、うう」
不機嫌にそう言った公爵は服を着たまま、薄い夜着姿のアネットの胸元をガブリと噛んだ。
真っ白な肌に歯形が痛々しく残る。そこからじんわりと血が滲むのを公爵は冷たい眼差しで見下ろす。
公爵の赤い唇の端には、アネットの血が僅かに付いていた。
「もっと泣け」
「ひ……っ」
薬のせいで抵抗する術がないアネットの下半身を、公爵は一方的に弄る。狭い場所でも遠慮なしに指が動かされると、その違和感と恥ずかしさにアネットは小さく悲鳴を上げた。
「憎らしい。私が直々に手を貸してやっているというのに。ただの涙ばかり流さずに、早く宝石を出さぬか!」
こめかみをピクピクとさせながら怒鳴った際に、公爵の蛇のような赤い唇と舌が見えると、アネットは身体にのしかかった大蛇に食べられてしまっているような気がして恐ろしい。
この辛い時間が早く終わればいいのにと、ただそれだけを願い、ぎゅっと目を瞑る。眦から冷たい涙がいく筋も流れ、アネットの髪を濡らした。
「ふむ。やはり、満月の褥で流す聖女の涙が宝石に変わるという話は、偽りだったと言うのか? 痛みでも、快楽でも駄目だとは」
「ふ……っ、うぅ……っ」
「お前の瞳は王妃のそれよりも明らかに輝きが少ない。聖女の瞳は十二の歳を過ぎれば宝石のように煌めくというのに。稀少な聖女だと聞いていたが、実のところは出来損ないだったのか?」
それまでアネットにのしかかっていた公爵がそう言って起き上がると、真っ白な太ももの間、薄い下生えの辺りに感じる異物感がスッと楽になった。
「は……っ」
思わず詰めていた息を吐き出すと、用意されていた布で手を拭いていた公爵が、ギロリとアネットを睨みつけた。
「役立たずめ。涙から宝石を生み出すという話が偽りであったなら、お前達聖女などやはりただの飾りに過ぎんな」
どういうわけかアネットに人より遅い月のものが来始めたころから、満月の夜になると公爵がこうやって部屋を訪れ、「涙を流せ」と迫って来るようになった。
時にはナイフで肌を傷つけられ、時には胸や下半身に触れられる。
アネットにはその行為の意味が分からず、ただ恐ろしくて気持ちが悪いと思っていた。早く終わって欲しいと、ただそれだけを思ってやり過ごす。
小瓶の薬で意識が朦朧とする中、アネットは与えられる痛みと恥ずかしさ、そして翌朝も続く下半身の違和感にこれまで多くの涙を流してきた。
けれどもどうやら公爵が求める涙とアネットが流す涙とは違ったらしく、忌々しいと叱られてばかりなのである。
「『聖女が満月の褥で流す涙』というのがあまりにも抽象的過ぎますよね。涙というのが痛みからのものなのか、それとも……。わざわざ褥という程ですから、そういう涙だと思ったのですが」
寝台から少し離れた所にある椅子に腰掛けたまま、さもおかしそうにそう話すのは騎士服姿では無く、ゆったりとした服装のヘンリーだった。
「お前がそう言うから、こうして私が直々に聖女を泣かせているのではないか。痛みも快楽も存分に与えて」
「宝石と変わらぬ煌めきを持つ瞳が聖女の証とされていますからね。何らかの事情で輝きを失ったか、または生まれつき出来損ないの聖女なのか」
「稀少な聖女だという話は嘘だったと?」
「さぁ、そこまではまだ分かりません。この女は十二を過ぎてもあの森に住んでいて、本来聖女が居るべき神殿で過ごしていませんから、その辺りが関連しているのかも」
「そうだとすれば、コイツはただの役立たずではないか。今更神殿に預けて、あのいけ好かない神使の好きにさせる訳にもいかん」
フンと鼻を鳴らした公爵は相変わらず不機嫌そうな口ぶりだが、ヘンリーは気にする素振りを見せない。
「まぁまぁ、今は神殿に紛れさせた間者からの情報を待ちましょう」
笑みさえ浮かべたヘンリーの言葉に、公爵は大きく溜息を吐いた。
「お前は気が長いな。時期を逸すれば、何が命取りになるか分からんぞ」
ヘンリーをギロリと睨みつけた公爵は、手に取ったグラスでワインを口に含むと、ゴクリと喉を鳴らして飲み込む。
「しかし快楽の涙が正解だとすれば、娼婦ならいざ知らずこの娘は処女ですし、いくら媚薬を盛ろうとも、公爵様の愛撫だけでそう簡単に泣いて達する事など難しいでしょうね」
「どうしろと言うのだ?」
「愛撫だけでなく、いっその事貫いてしまうとか。あぁ、そうだった、公爵様は女嫌いの不能者でした! 無理な提案でしたね! ははは!」
性の知識に未熟はアネットには二人の会話の意味が全く分からなかったが、何やらヘンリーが公爵を馬鹿にしているような言葉を発したという事だけは感じ取れた。
それでも公爵はヘンリーに怒る気配を見せず、むしろシャツ姿のヘンリーの肩へ手を置くと、項垂れるようにしてため息を吐く。
公爵の本性を知らない者からすれば、その姿は儚く美しいとさえ思えるだろう。
「笑うな、ヘンリー。しかしどうする事も出来まい。聖女がここに居るのを知っている男はお前と私だけだというのに」
「その役目、僕がやりましょうか? もうそろそろ公爵様も女子の相手をするのに疲れて来たところでしょう。元々女嫌いなんですから。ご無理なさらずに。ふふ……」
公爵はヘンリーによる数々の無礼を叱る事なく、それどころかひどく親しげにヘンリーの肩へ手を沿わせつつ、その後も会話を続けた。
「いや、やはり涙が宝石に変わるなどという与太話を信じたのが間違いだった。神殿に潜ませてある間者の言う事だからと、私が信用し過ぎたようだ」
「おやおや。公爵様ともあろうお方が、諦めるのですか? らしくありませんね。それとも、もしかして僕が聖女の相手をするのが嫌なのですか?」
ヘンリーはわざとらしく驚いた素振りを見せた後にニヤリと笑う。対して公爵は苦々しい顔で言葉を発する。
「たわけ者め。どちらにせよ、このアレキサンドライトの聖女があの女よりも貴重な存在だという事に変わりはない。不調の兄上に代わって私が王位につくには必要な存在だ」
「国王陛下も、遅効性の毒のおかげで随分と弱っておいでのようですからね。あと一二年すれば、すっかり床に臥せるでしょう」
「そうなれば、私がこの聖女を連れて新たな王になると宣言する。死んだと思われていた貴重な聖女が、森の奥で監禁されていた所を偶然にも見つけ出し、救い出したという筋書きでな」
公爵はヘンリーの肩へ置いていた手をスススと首筋に沿って持ち上げ、頬に触れる。その手つきはアネットに対するものとは違い、ひどく優しいものだった。
「その時は、僕を大臣の一人にでもしてくださいよ。あ、宰相でもいいですね」
ニヤリと口の端を持ち上げながらヘンリーが軽口を叩くと、先ほどまでアネットに苛立っていたはずの公爵は、すっかりご機嫌な様子で高らかに笑う。
「はははは! お前の大それた野心にはつくづく感心するわ! それは父親である宰相への仕返しのつもりか? しかし間違っても私に噛み付くような真似をせぬように気をつけよ」
「分かっています。庶子の僕をここまで取り上げてくださった公爵様に噛み付くだなんて、そんな事する訳がないですよ」
どうやらこのヘンリーという男は現宰相の妾の子……庶子であり、父親を強く恨んでいるらしい。
ヘンリーは利害の一致によって王弟である公爵と手を組み、二人して何やら大それた悪巧みをしているのだという事は、寝台の上で身体を縮こませるアネットにも少しは理解できた。
この場所に来てからというもの、色々な本を読んだお陰でアネットも新しい事をたくさん学んだ。
二人の魂胆やこれから自分がどのように扱われるのかという事も、決して全てではないものの、分かってしまう。
ラウルとの約束を守れず、役立たずの自分を助けようとしてくれる優しい気持ちを裏切る事になってしまったせいで大きなバチが当たったのだと、アネットはまた涙を流す。
今辛い思いや痛い思いをするのも、全て自分の存在のせいで両親をはじめとした周囲の人々を死に追いやってしまったせいだと責めた。
「よいか聖女よ、次の満月の晩には必ず宝石を出せ。お前自身の事だ。どうすれば良いか、分からぬ訳がないだろう」
やはり公爵は希少な宝石の涙を諦めきれないのか、それとも辛そうにするアネットを虐める事で憂さ晴らしでもしているのか、どちらかは分からないがそう冷たく言い放つ。
寝台の上で身体を丸め、かろうじて引っ張った掛布で身体を隠したアネット。もう返事をするのも辛いほど疲弊していて、薬のせいも相まって反応出来ずにいる。
ただ薬の効果で呼吸が浅くなりがちなのを整えるので精一杯だった。
「サンドラ! 後始末をしておけ」
どこか楽しそうなヘンリーと連れ立って扉の外へ出て行った公爵の怒鳴り声が、かすかにアネットの耳にも届く。
サンドラは部屋のすぐ近くに控えていたようで、二人と入れ替わりに部屋に入って来る。
「聖女様……聖女様! 大丈夫ですか⁉︎」
虚な目をしたアネットの胸元の咬み傷に気付いたサンドラは、手に持った桶のお湯で丁寧に身体を清め、傷に清潔な布をあてがった。
「痛みますか?」
寝台の上で仰向けになり、未だ薬によって身体の自由がきかないアネットは、ゆっくりと首を振る。
決して強がりではなく、今は薬のせいで痛みが鈍くなっているのだ。
「もう、今宵はお休みください。お疲れでしょう」
サンドラは痛々しげな視線をアネットに注ぐ。
本来なら令嬢として大人の仲間入りであるデビュタントを迎える年頃。けれどもアネットはこれまでの生活環境から、まだまだあどけなさが残る少女だった。
それが聖女だという理由だけで強い媚薬を飲まされ、好きでもない男に満月の度に無理矢理性暴力を受けるのだ。
サンドラ自身がその行為を止められない立場にある癖に勝手な事だが、自分だったら到底堪えられないと思っていた。だから傷付いたアネットには、なるべく優しくするよう心がけているのだ。
出会った頃に比べれば、どうしたって毎日世話をするアネットに愛着が湧いていたし、自分に懐く子どものように素直な少女を可愛いと思うことさえあったサンドラ。
「きっと私にも、いつか天罰がくだるのでしょう」
いつの間にか眠ってしまったアネットに向けて、サンドラは小さく呟いた。すっかり安心し切った表情の少女の夢が、せめて幸せなものであるようにと祈りながら。
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