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28. 紗夜
しおりを挟む「久しぶりだね。きりとと図書室に来るの」
俺達の定位置になっている『郷土史』のコーナーは誰も本を借りに来ない。だからそこの本棚の前に座り込んでヒソヒソと話すのがさやとの決まり事だった。
「ここんところ毎日『紗陽』だったからね。俺があんな事言ったからかと……」
この場所で「好きだ」と伝えてしまった。それからさやは現れなくなったから、気になっていた。あの時さやは笑って「ありがとう」と言ってくれたけど、避けられているのかなって。
「違うよ! あれは……、本当に嬉しかったの。でも、学校に来たくても紗陽が許してくれなくて……。今までも紗陽の方が多かったけれど、それでも順番こだったのに」
またさやに会えなくなるのは嫌だった。自己中心的な紗陽の事は、やっぱりどうしても苦手だった。
もしあの時も、カモに襲われた日も、あれが紗陽じゃなくてさやだったら……。同じ身体でも、二人は全然違うから。さやだったら俺は……、俺がカモを……。
いや、結局俺は何も出来なかった。足が震えて、身体が動かなかった。あの時だって手に棒切れを持ったままで随分長く躊躇したんだから。
「俺、弱虫でごめん。あの時も、助けられなくてごめん。カモに紗陽が襲われた時、手に棒切れを持ってたのに動けなくて……。怖くて……」
心の底から謝った。あの時襲われたのは紗陽の方だったし、さやにはその時の記憶は無いだろうけど。
「いいの。ありがとう、きりと。きりとのお陰で私は学校に来れるようになったの。これからはもう、ずっと一緒だよ」
「え……。紗陽は……? 二人は二重人格なんだよね? 紗陽の人格はどこに行ったの?」
紗陽の人格はどこに隠れてしまったんだろう? カモを殺してしまったショックでいなくなってしまったとか? そんな事、あるのだろうか?
「紗陽の……人格……二重人格……」
さやは考え込むように細くて白い顎に手を当てて、俯き加減に黙ってしまった。何だか不安になってきて、続けて聞かずにはいられなかった。
「もう……紗陽の人格は、現れないの? ずっと俺が好きな、さやの人格のまま?」
俺が思わずさやの両手を取ってそう口にすると、さやは顔を上げてじっと目を見つめてきた。目を逸らせたらさやがいなくなってしまう気がして、俺はずっと目を合わせたままでいる。
「……大丈夫。これからはずっと私のまま。さやのままだよ」
窓からぴゅうっと風が入って来る。さやの長い黒髪がふわりと揺れて頬と口元隠した。一瞬さやが泣きそうな顔を浮かべたように見えたのは気のせいだろうか。
「きりとにだけ特別に教えてあげる。本当はね、紗陽と私は名前の漢字が違うの」
「えっ! 本当に?」
「ほんとだよ。『紗陽』はこの漢字でしょう?」
さやはそっと俺の手を離すと、図書室の床に敷き詰められたカーペットに「紗陽」と書いた。
「私はね、『紗夜』」
次にさやは同じように指を使って「紗夜」と書く。
「紗陽は太陽のヨウ、紗夜は夜って漢字なんだ」
「うん、そうなの。皆は知らない、それが私の名前なのよ」
月夜に出会った綺麗な女の子。あの日からずっと、俺は胸がザワザワとして紗夜の事が頭から離れなかった。
「そっか。紗夜、か」
口に出す音はいつもと同じ「さや」なのに、違って聞こえるから不思議だ。紗夜という名前は、あの月夜の記憶と合わせてもピッタリだと思った。
「そういえば、神事ってもうすぐだけど。神子はどんな事するの?」
「……神事は、祈るだけだよ。この村の平和を」
「怖い事、したりしないよね?」
あの時見た夢みたいに、穴の中に紗夜が入ったりとか……。
「大人達と神子が、ただじっと祈るだけだよ」
「そっかぁ……」
――『ワシは、雫山村の大人が怖い。どうしてあんな酷い事ができるんだと心底思っていたのに、それでも結局ワシはこの村で死んでいく。お前は大人になる前にこの村を出て行け。絶対に神子と神事には関わるな』
それなら、三谷の祖父はどうしてあんな事を言ったんだろう? もしかして俺みたいにあの変な葬式を見て神事だと思ったんだろうか? 大人達もあの時は葬式の事を「神事」だと言っていた。だからなのか?
じゃあ、「神子と神事に関わるな」ってどういう意味だろう。神事はともかく……、神子は?
「ねえ、神子ってどうやって選ばれるの?」
俺がそう口にした時、バチン! というような激しい音がした。図書室の中はザワザワとし始めて、俺達は本棚の間から閲覧スペースへと出る。
「こわーい」
「びっくりしたぁ」
「死んじゃったの?」
そんな事を口々に言う生徒たちの中に、三谷の妹を見つけたから声を掛けた。その辺りにいた生徒達は皆、窓の方を見たり指差しながらざわついていた。
「ねぇ、何があったの?」
「あ、明日香のお兄ちゃん。あのね……」
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