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28. 足の小指が

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 婚姻の儀を近くに控えて、リュシエンヌはクレメンティー伯爵家で残り少ない日々を過ごしていた。
 伯爵もリュシエンヌがもうすぐ邸から去って行くことを寂しく思い、夜は早く勤めを終えて帰って来る。

 その日も伯爵とダイアナ、リュシエンヌで晩餐を終えて各自が部屋で寛いでいた時に事は起こった。




「もうすぐリュシエンヌの婚姻式もあるし、あの娘がこの家から出て行ったらローランもリュシエンヌについて居なくなるでしょうね。はあ……。長かったわ」

 ダイアナはあれほど熱心に行っていた社交を伯爵に禁じられ、ドレスや装飾品それに宝石の購入も禁じられていた為に随分と鬱憤が溜まっていた。

 この女の生きがいは社交と贅沢をすることであるから、それを奪われたことが耐え難い苦痛なのだった。

「それにしても、ポーレット……。あの子がまさかローランを殺していたなんて。さすがにそこまでは思わなかったわ。昔はそんな恐ろしいことをする子だと思わなかったけれど」

 ダイアナは贔屓の商会が届けた最新の商品の載った本をパラパラと捲りながら呟いた。

「まあ、これは素敵なネックレスね。こちらのドレスも最新のデザインだし。ああ……」

 長らく禁じられている贅沢をしたくてムズムズしてきたダイアナは、最近ではきちんと家政を執り仕切り、リュシエンヌともまずまず良好な関係を保てていたから心に油断が生まれたのかもしれない。

「……少しくらいいいわよね。明日ルイ伯爵は居ないし、リュシエンヌもミカエル様のところへ行くと言っていたわ。商会を呼んでこっそり注文すれば分からないわよね」

 懲りないこの女は、また贅沢の兆しが現れたのである。

「本当に、この女は懲りんな。娘の死に様をもう忘れたのか」
「私たちのことは知らないから、ローランが居なくなればバレないと思っているのよ」
「馬鹿だねー。こういう馬鹿は死ななきゃ治らないんだよ」
「エミール、すぐに殺そうとするのはやめろ」
「あら、見て。もう買う気満々で本の隅を折って印を付けているわ。ウフフ……」
「ねえねえ、ちょっとだけ脅かそうよー。だってコイツ、全く反省してないよ?マルクの屑ももう反応しなくなってきたしさあ」

 相変わらず幽霊たちは牢のマルクのところへ交代に遊びに行っているが、最近ではマルクは生きているのか死んでいるのかさえ曖昧なほどに精神を病んで、幽霊たちが脅かしてもあまり反応を見せなくなったのだ。

 そろそろポーレットと同じように黄泉ハデスまたは永遠の地獄ゲヘナへ向かうのだろう。


「仕方ないわねえ。ちょっとだけよ。ウフフ……」
「やったー!」
「エミール、物は壊さんようにな。リュシエンヌが悲しむぞ」
「はーい!」

 ダイアナが本を捲る手を止めて耳を澄ませると、どこからか紙の音が聞こえる。
 自分の持っている本ではない。
 辺りを見回すと、書き物机の上に置いた便箋に筆ペンが一人でにどんどんと文字を連ねている。

『全てはリュシエンヌの為に』
『全てはリュシエンヌの為に』
『全てはリュシエンヌの為に』
『全てはリュシエンヌの為に』
『全てはリュシエンヌの為に』
『全てはリュシエンヌの為に』…………

「ヒイっ……!」

 いつの間にか声にならない声を上げたダイアナの傍に、ポーレットの部屋に置いてあったはずの人形が落ちている。
 そうしてダイアナがそれに気づくと、人形は一人でに動き出して、まるで踊るように部屋中を飛び回った。

 続いてガタガタと窓枠が鳴ったかと思えば、窓に嵌め込まれたガラスに赤い文字が浮かび上がる。

『もう忘れたの?私のことを』

「ポーレット! ……ごめんなさい! 許して!」

『全てはリュシエンヌの為に』

「ギャーッ!」

 その文字がガラスに浮かび上がったのを見たダイアナは、金切声を上げて足を絡れさせて何度も転びながら部屋を飛び出して行った。

「見た? あの顔。物凄く醜い顔をしてたよ」
「何度も転んで足をぶつけていたけど、右足の小指があらぬ方向に向いていたわよ。可哀想にね」
「これでまた暫くは大人しくするだろう」

 三人の幽霊たちはダイアナが飛び出して行った後ろ姿を見つめながら、ひどく嗜虐的な表情を浮かべて笑い合った。

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