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12. 父と娘
しおりを挟む――コンコンコン……
「リュシエンヌ、私だ」
「お父様?どうぞ」
伯爵は久しぶりにリュシエンヌの自室へ足を踏み入れた。
邸に帰ることも珍しくなって、娘の部屋に入り話をすることもまたなかなかないことであった。
「リュシエンヌ、お前がどこか元気がないように見えた。何か悩みがあるのか?」
伯爵はリュシエンヌと同じ澄み切った青空のようやブルーの瞳で、同じ色を持つ娘の瞳を見つめて問うた。
「ローランが亡くなって寂しくなっているだけです。この邸にはお義母様もポーレットもいるし、寂しいなどと思ってはいけないことは分かっているのですが。お父様も職務が忙しいようだからお体も心配ですし」
リュシエンヌはマルクとポーレットのことは伯爵に言うつもりはなかった。
義母と伯爵は仲が良いと思っていたから、困らせるようなことを言ってはいけないと考えていたからだ。
「マルク殿とうまくいっていない様子だとダイアナから聞いたが、大丈夫なのか?」
「お義母様が?」
「マルク殿はリュシエンヌと婚姻を結ぶことを熱心に望んでいたから、大切にしてくれると思っていたのだが。何かあったのか?」
そう聞かれても、婚約者と妹が不貞を働いているなどということをリュシエンヌは父親に話すことはできなかった。
そのようなことを話せばきっとこの優しい父は心を痛めるに決まっているし、家格が上の侯爵令息であるマルクと揉めることもよろしくないと考えたからだ。
「何もありません。先日も一緒にパーティーに参加しましたし、そこで上官のミカエル騎士団長様に紹介していただいて一緒にお話もさせていただいたのです。ミカエル様はさすがにとてもよく出来たお方でしたわ」
リュシエンヌは咄嗟に嘘をつくことができずに、ミカエルのことを話題にして話を逸らす事にしたのだ。
「ミカエル騎士団長か。あのお方は尊い血筋にも関わらず騎士団を自ら率いて戦場に出ることもある。確かに素晴らしい方だな。まだ婚約者はおられないが、令嬢方にも人気なのだろう」
「そうですね。ミカエル様は令嬢方にもとても人気があるようですわ。ポーレットも『応援する会』に入っているくらいですから」
「ポーレットか……」
そう言って伯爵は考え込むように黙ってしまった。
「リュシエンヌ、また何かあれば言いなさい。ローランはいなくなってしまったが、私はお前のことを大切に思っている。これからはお前が寂しくないようにもう少し帰ってくるように努めよう」
「はい、お父様。ご無理なさりませんように」
伯爵はリュシエンヌと語り合うことで長年の胸のつかえが少し楽になったのだ。
リュシエンヌと話すことは随分と勇気がいることだと思っていたが、話してみれば昔と変わらず笑いかけてくれた。
これからは妻ダイアナだけに家政をまかせ邸のことを放ったらかしにせず、もう少し娘のことを気にかけてやらねばならないと思ったのだった。
「ローラン、驚いたわね。お父様が私の部屋に来るなんて久しぶりのことよ」
「リュシエンヌお嬢様のことを心配なさって、奥様にも様子を聞いていましたよ」
「そうなの? ローラン、先程いなかったのはお父様とお母様の話を盗み聞きしに行っていたのね」
ローランは幽霊であるから、伯爵やダイアナはローランの存在には気づいていなかったが、先程の伯爵とダイアナの会話はすぐ隣で聞いていたのだった。
このように、ローランは時々リュシエンヌの傍を離れて他所の様子を見に行くことがあった。
「先程ダイアナ様が、ポーレットお嬢様の婚約者にミカエル様をと旦那様にお願いしておりました。もちろん旦那様はそのようなことは出来ないと断ってらっしゃいましたが」
「お義母様は何を考えてらっしゃるのかしら。伯爵家の方からミカエル様のような高貴なお方に婚約を申し込むなどとできるわけがないのに。それにミカエル様はポーレットのことをお好きではないようだったし」
「それはそうでしょう。ポーレットお嬢様のような好色家令嬢を婚約者にしたいなどと、市井ならばともかくまともな高位貴族ならば思いませんよ」
ローランは先日の出来事を思い出して腹が立ってきたのか、珍しく毒を吐いた。
「お父様にポーレットの悪評が耳に入らなければ良いけれど。きっと心を痛めるわ」
「リュシエンヌお嬢様はお優しい。旦那様も良い大人でございますから。何かあってもご自分で何とでもできるお方です」
「そうよね。大臣補佐官としてきちんとお務めを果たされているお父様なら、きっと大丈夫かしらね」
リュシエンヌは本当に優しい娘であったから、父親のことが心から心配であったし、同時に昔から多忙であったが務めを立派に果たす父を誇らしく思っていたのだ。
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