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38. サラの誘拐
しおりを挟む「団長! 大変です!」
訓練場で騎士達に稽古をつけていたユーゴに走り寄ってきた騎士は、顔を青褪めさせて唇は真っ白で小刻みに震えていた。
「どうした?」
稽古をしていた周囲の騎士達も手を止めて、その異様な様子に注目している。
「ち、治療室の見張りに立っていた騎士がやられました!」
一般人の出入りが自由な治療室、見張りとして立てらせていた騎士がやられたとなると、そこに居たはずの愛妻サラはどうなったのか、ユーゴは憤怒と焦燥の表情を浮かべる。
だが今は一刻も早く現場に駆けつける為にユーゴはその身体を翻した。
その後ろからは続々と他の騎士達も追いかける。
「サラ!」
深傷を負わされた見張りの騎士は、急遽呼ばれた王城の薬師が既に手当てしているところであった。
ユーゴは一刻も早く愛しい妻の姿を確認したかった。
怪我をしていないか、怖い思いをしなかったか、早くそばに寄って抱き締めてやりたかったであろう。
バタン! と勢い良く開けたその扉は、奇しくも以前ヴェラが男たちに襲われた時にユーゴが蹴破ったものである。
新しく付け替えられたその扉を、再びユーゴは怒りの形相で開いたのだった。
「サラ!」
いつもなら、勤務が終われば診察室でニッコリと微笑みながら迎えてくれる美しい妻はそこに居なかった。
診察用に置かれた椅子は倒れ、薬品棚の中身は床に零れ落ちていた。
診察台は乱れては居なかったが、代わりにその上にはパンを差し入れる為にサラが持って来ていた籠が無造作に転がっている。
「何があった⁉︎」
ユーゴは咆哮した。
ついて来ていた屈強な騎士達が、思わずすくみ上がるほどの殺気を放ちながら。
「団長、報告いたします!」
「何だ⁉︎」
「深傷を負っていた騎士が何とか話したところによれば、一般人に紛れて賊がたった一人で侵入し、目的は端からサラさんの誘拐であったようだと」
たった一人の賊に屈強な部下がやられたとなると、ユーゴはギリギリと歯を噛んだ。
「それで、賊の特徴は?」
このように強い怒りを押し殺した声音で問う騎士団長に報告するのは、この騎士も恐ろしかったであろう。
震える声で何とか返答した。
「それが……。我々が最近追っていた『タンジー』の『ヒイロ』ではないかと……」
「ヒイロ……」
最近巷を騒がせている盗賊『タンジー』の頭領が『ヒイロ』と呼ばれていた。
黄色いキク科の花であるタンジーの花言葉は『あなたとの戦いを宣言する』。
まさに賊を取り締まる騎士団にとっては、目の敵である輩なのだ。
彼等は金持ちや貴族から盗みを働き、その分け前を貧しい者にもばら撒く事から、義賊として市井の民には人気がある者たちである。
ギリっと食いしばったユーゴが目にしたのは、机の上に置かれた黄色いタンジーの花。
ポンポンと花の付いた可愛らしい姿は、何でもない時のユーゴであれば愛でる事が出来たであろう。
だが今は、賊が己の主張の為に置いていったその花をユーゴはぐっと握りしめた。
「くそ……っ!」
何故サラが攫われなければならないのか、自分が騎士団長であるから狙われたのか。
ユーゴはとにかくサラの無事を祈りながら、妻を攫った盗賊の頭領であるヒイロの行方を追うべく、部下に命令を下した。
部下である騎士達も、サラには差し入れや治療で世話になった者たちばかりであるから、何とか無事に取り返そうと血気盛んに飛び出して行ったのであった。
「団長、見張りをしてた奴が団長に謝りたいと言ってます。会ってやってください」
未だ診察室で拳を握りしめ、殺気立つ怒りを押し殺すユーゴに声を掛けられるのは、副長であるポールしか居ない。
「……ああ、様子を見てやらないとな」
ユーゴは負傷した騎士に面会し、とにかく早く身体を回復するようにと告げた。
見張りに立っていた騎士はかなり屈強な若者で、決して簡単に負けるような者ではなかったのだ。
「団長、本当に……力不足で……サラさんを守れず、申し訳ありません」
「いや、随分と深く傷を負っていると聞いた。無理をするなよ」
騎士は首筋に深い傷を負っていた。
一歩間違えれば死んでいただろう。
「奴は……サラさんを守ろうと必死で抵抗する俺を殺す気でした……。サラさんがそんな俺らを見て、『要求は何ですか?」と……。そしたら奴は『アンタだよ』って言ったもんだから……。それでサラさんは……」
聞けばサラは攫われる際に、手荒な真似はされなかったという。
薬品のようなものを嗅がされて、意識を無くしたサラをヒイロが抱えて去ったのを、この騎士は床に倒れて動けないままに見ていた。
「分かった。とにかく今は養生しろ」
ユーゴは努めて穏やかに声を掛けた。
部下が必要以上に責任を感じないように。
きっとこの優秀な騎士でも止められなかったということは、ヒイロは相当の手練れであるのだろう。
「団長、とりあえずは皆からの報告を待ちましょう。こういう時こそ冷静にならないと」
「分かっている。それに、俺は冷静だ」
「本当に? サラさんが心配なのは僕も同じですよ。それは他の騎士達もね」
団長執務室でのユーゴは、居ても立っても居られない様子でタンジーの花を手に握ったまま彷徨いていた。
こういう時のユーゴに物申す事が出来るのは、やはりポールしか居ないのだ。
「……悪かった。もう少し頭を冷やす」
「さあ、そのタンジーの花は証拠品ですからね。預かりますよ」
ポールにはそう言ったものの、ユーゴは頭を抱えて寝込んでしまいそうなほどに、サラのことが心配でならなかった。
今すぐにでも駐屯地を飛び出して、この国中をしらみつぶしに探したいほどの衝動に駆られていたのだ。
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