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30. 甘い甘いクッキーの味
しおりを挟む邸宅に到着すると、サラは初めて人間の姿で玄関から中へと入った。
ユーゴは扉を押さえてサラを中に入れ、家族以外の女性を初めて家に入れた。
「なんか、変な感じ……。ユーゴの家に、人間の姿で玄関から入るのは初めてだから」
サラは慣れない雰囲気に、キョロキョロと周囲を見渡した。
見慣れた場所のはずなのに、自分が人間になったというだけでこんなにも違って見えるのかと、落ち着かない様子だ。
「あー……だが、これからは……ここはサラの家でもあるから……」
僅かに頬を赤らめたユーゴは、フイッとさりげなく視線を逸らしながらもそう告げた。
サラはとても嬉しそうに、無邪気にユーゴの腕に抱きつく。
「そうだね! これからは、この家でたくさんパンも焼けるし。楽しみだね!」
「それは確かに楽しみだな」
動くたびにサラサラと揺れる薄紅色の長い髪を、ユーゴは目を細めて眩しそうに見つめている。
「ユーゴ、お腹空いた? 夕食食べてないもんね?」
「まあ、確かに……。今日はもう遅いから、この時間でも開いてる酒場ででも俺が買って来よう」
「私も一緒に行く?」
小首を傾げて問う可愛らしい娘を、ユーゴはじっと見つめてから首を横に振った。
「いや、一緒に行くのはまた今度にしよう。服とか、色々と揃えてからだな」
真っ白なワンピースに、シンプルな革の靴を履いただけの人並外れた美しい娘は、酒場に連れて行くにはあまりにも目立ち過ぎる。
「ユーゴ、いってらっしゃい」
「すぐ帰る」
ユーゴはサラを邸に置いて、近くにある酒場へ食料を調達しに出かけて行った。
月明かりと、たくさん建ち並ぶ酒場の灯りが通りを橙色に照らしている。
通りに面した窓からは、店内で酒を酌み交わす人々が笑っているのが見えた。
そして選んだのは、ユーゴのみならず騎士達が贔屓にしている一軒の酒場であった。
くしゃりとした顔の皺が目立つ小柄な男性が、来店したユーゴに威勢の良い声をかける。
「いらっしゃい!」
「店主、ビーフシチューを二人前とパンを二つ。持って帰るから包んでくれないか」
「あれ? 団長さん、遅くまでお疲れ様だね!」
年配の夫婦が営むこの酒場は、一階が酒場と食堂を兼ねていて、二階は宿になっていた。
だから割と夜遅くまで客が切れない人気の店なのだ。
「店主も、相変わらず忙しそうだな」
「おかげさまで! 騎士さん達が利用してくれるからおかしな輩も来ないし、安心して飲める酒場だって繁盛してますよ!」
「それは良かった」
待っている間、さりげなく店内の様子を窺う。
酒場にはありがちな柄の悪い輩は見られず、善良な人々が楽しく食事や酒を楽しんでいた。
チラチラと騎士団長であるユーゴの方を見てペコっと頭を下げるのは、若い青年達であった。
彼等は騎士という職業に憧れて、しかも平民からのし上がり、若くして騎士団長という名誉ある地位を得たユーゴに尊敬を抱く、ちょっとした信者のような者たちである。
彼等は普段ユーゴに話しかけることはしないが、その一挙一動をつぶさに観察しているのだ。
「はい、騎士団長さん。お待ち遠さま。今日は二人分だなんて、初めてだね。もしかして……良い人が出来たのかい?」
ユーゴに包みを手渡す丸顔の老女は店主の妻で、ニコニコとした愛想の良さがこの店の人気の秘密でもあるのだ。
「ああ、また近々改めて連れて来よう」
「まあ! それは嬉しいこと! それじゃあそのとっても幸せな娘さんに、このクッキーを持って帰ってあげてね」
「すまない。感謝する」
店内の多くの客は、ユーゴと老女の会話に聞き耳を立てていた。
騎士としては確かに有能だが、寡黙で目つきの悪いユーゴには今まで浮いた話の一つもなかったからだ。
……というか、ユーゴが相手にしていなかったという方が正しいのか。
くだんの騎士団長が店から出た後の店内では、相手は一体誰なんだと、暫く大騒ぎになったのであった。
そんなことはつゆとも知らず、ユーゴはサラの待つ邸へと、橙色の通りを早足で帰った。
邸の玄関まで辿り着いた時、いつもなら真っ暗な邸の中から先程の店と同じ温かな灯りが漏れていることに、ユーゴはほのかに笑ったのだった。
ガチャリと音を立てて、やたらと重くて頑丈な玄関扉を開けたなら、ふわりと白いワンピースを靡かせてサラが駆け寄ってくる。
「ユーゴ、おかえり!」
「ああ。わざわざここで待っていなくとも、中で待っていれば良いのに」
「でも、何だか落ち着かなくて……」
まだ新しいサラという人間の身体に慣れていないのか、それとも本当に自分が人間になった事が信じられないのか、美しい娘はどこかソワソワしていた。
「そうか。ここらで一番美味い店で買ってきたから、食堂で一緒に食べよう」
「うん!」
その日、初めてサラはユーゴから天花粉以外の食べ物を与えてもらって、とても嬉しそうに食べた。
「ユーゴ、これ美味しいね」
「ああ、それは店のおばあさんが、サラにやってくれと、くれた物だ」
食後に老女から貰ったクッキーをサラへ手渡したユーゴは、彼女がそれを小さな手でつまんで、アーンと美味しそうに口に運ぶのを見ていた。
「なあに? ユーゴ、あんまり見てたら食べられないよ」
「いや、食べてるところは何となくモフの頃と似ているんだなぁと思って……」
「そう? 似てるのかな?」
「モッシャモッシャって、美味しそうに天花粉を頬張るモフはすごく可愛かったぞ」
突然飛び出したユーゴの褒め言葉に、サラは耳まで真っ赤にしたと思えば、思いついたようにクッキーを一枚手にする。
そしてそれをユーゴの口に近付けて、反射的にユーゴが開口した時を見計らって中へ放り込んだ。
「私ばっかり食べてるのを見られるの、すごく恥ずかしい! ユーゴも食べて!」
そう言いながらも、サラはユーゴと二人で同じ物を食べられる喜びを噛み締めていた。
翌日、騎士団駐屯地へ出仕したユーゴが大変な目に遭うなどということは、呑気に食事をしているこの二人はまだ知らずにいた。
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