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11. 認識阻害の効果
しおりを挟む午後にはヴェラが来るからと、ユーゴはルネを治療室に待たせていた。
そして自分は訓練へと戻って行ったのだが……。
午後になって様子を見に治療室を訪れたユーゴが薬師のヴェラから聞いたのは、ルネは体調の回復を優先する為に暫くはパン屋を休むということ。
「ルネさんは、『騎士団の皆さんに感謝しています』と言っていました。そして、『どうか、お昼はきちんと食べてください』と伝えて欲しいと」
すでに、この独特の薬の匂いが漂う治療室に、ルネの姿はなかった。
代わりにヴェラが、ルネからの伝言をユーゴに伝えた。
「そうか……。何よりも、体が一番だからな。気付かず申し訳ない事をした」
ユーゴはヴェラから聞いた事を素直に受け止めて、疑うこともなく信じた。
心なしか肩を落としてガックリとしているようにも見える。
「団長さん、私はルネさんからしっかりと見守るように頼まれていますから。皆さんがきちんと昼食を食べられるように、食堂の状況改善を願い出るようにお願いしますわね」
いつもより少し厳しい声音をしたヴェラは、自分も上に掛け合ってみるからと言って、ユーゴにもしっかりそれを約束させた。
「分かった……」
返事にいつものに覇気のないユーゴも、ルネのおかげできちんと食事を摂ることの大切さは感じていた。
だから、長らく歴代の騎士団長が放置してきた食堂問題を、とうとう解決することにしたのだった。
「団長、ちょっといいですか?」
訓練場に戻り、部下達に指示を出すユーゴに、アプリコット色の髪を揺らして近付いたポールが囁いた。
「何だ?」
「実は……ルネちゃん、手のひら怪我してたでしょう? それに加えて、顔を腫らせてたんです。気付きました?」
「顔……? いや、気付かなかったな。手のひらは……確かに小さな当て物をしていたような気がする」
部下にそう言われて、ユーゴはルネの顔を思い出そうと、視線を宙に浮かせながら考える。
「……なあポール、ルネの顔が思い出せないんだが。ブルネットの三つ編み、エプロンとワンピースは鮮明に思い出せるのに。どんな顔だったのか……何故思い出せないんだ?」
「団長、冗談はやめてくださいよ。あれだけルネのこと気にかけておいて……」
流石のポールも、肩を竦めて苦笑いを浮かべながらユーゴに返事をする。
ルネの顔に認識を阻害する加護が付いているなど、二人にしたら思いもよらないことであった。
何故あれだけ気にかけていたルネの顔が思い出せないのか……、二人は唸りながら考える。
「でも……そう言われたら、僕もルネちゃんの顔がどんなだったか……。いや、顔が腫れてるっていうのは分かったんですけどね。どんな瞳の色だとか、目鼻立ちとか、分かんなくなってきました」
ポールも、何故だかルネの顔立ちがぼんやりとして思い出せなくなっていて、二人とも首を何度も傾げながら眉間に皺を寄せる。
「俺もお前も、随分と疲れているようだ」
「そうですね……。知らず知らずに疲れが溜まっていたのでしょうね」
結局、この不思議な現象を疲れのせいにした二人は、先程の話の続きに戻る。
二人が随分と長く悩んでいるうちに、いつの間にか訓練場の騎士達は次の訓練に移っていた。
「そう、それで団長。ルネちゃんの手のひらは傷があるようだし、頬は確かに腫れていたんです。転んで出来たにしては不可解だなと」
「それで? お前はどう考える?」
二人の間にひやりとした空気が流れる。
戦況を報告して、これから先の作戦を考える時のように、ピリピリとした雰囲気が二人を包んだ。
「ルネちゃんが、誰かに暴力を振るわれたことは確かです。しかも、パン屋を休むというのもきっと……もう二度とここに来ることはないでしょう」
人当たりが良く、派手な交友関係を持つポールは、こういう時の勘が鋭い。
腕組みをし、難しい顔つきで地面を睨みつけるユーゴは、今にもその誰かを射殺さんとする目をしている。
「もしかして、その無体を働いたのが騎士団の内の誰かということは……」
「……それもあり得るかもしれません。とにかく、僕らは今まで以上に注意深く彼らの動向を見て、ルネちゃんが安心して静養出来る様にしてあげましょう」
二人の考えはあながち間違ってはいない。
犯人は騎士団の者ではないが、騎士団に出入りするプリシラなのだから。
「しかし、部下にそのような無体を働くような奴は居ないと思っていたが……」
「僕だってそうですよ。しかし、注視するに越したことはありませんから」
二人は胸に重苦しいものを抱えた様子で、うーんと暫く唸りながら訓練場を見つめていた。
その日、薬師のヴェラは勤めを終えたその足で、女神アフロディーテの神殿へと向かった。
美しい神殿は、いつも心を和ませる。
不思議な事に、モフが誰かの姿でここを訪れる時には神殿の奥まですんなりと入ることができた。
誰にも会わず、何故だか見張りも居ない。
きっとそれも女神アフロディーテの仕業であろうと、モフは何度目かの訪問で気付くことが出来た。
「アフロディーテ様、お願いがございます」
硬い大理石の床に跪き、真摯に願っていると、柔らかな声が頭上から降ってくる。
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