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3. パン屋のルネ
しおりを挟む「騎士の皆様、お疲れ様です!」
「おお! ルネちゃん、今日のおすすめは何?」
「今日は、厚切りハムとたっぷり野菜のフィセルがおすすめですよ」
「じゃあそれ貰おう!」
王城敷地内にある騎士団の駐屯地に、最近移動販売のパン屋が訪れるようになった。
騎士達は厳しい訓練の合間に美味しいパンが食べられると、『ルネのパン屋』は人気を博している。
「あっ……騎士団長さんも、宜しければいかがですか?」
「それじゃあ、フィセルを貰おう」
「はい、すぐに包みますね!」
ルネというのは、胸くらいの長さのブルネットの髪を左右で緩く編み込んだ娘で、愛想の良い笑顔と明るい接客が騎士達に好まれていた。
平民らしい質素なワンピースに、白いエプロンは清潔感があり、彼女の作るパンはとても美味しい為にユーゴも密かな好物であった。
「団長、ルネちゃんって本当に可愛くて気立が良くて……素敵な娘ですよね」
そう囁いてきたのは、副長であるポール・ド・ペラン。
彼はアプリコット色の前髪をサラリと揺らして、緑色の爽やかな視線をルネに向けている。
「ポールはあのような娘が好みなのか?」
駐屯地の片隅でルネの作ったフィセルを頬張りながら、ユーゴは隣に座るポールへと尋ねた。
「そりゃあ、明るくて笑顔が可愛らしいじゃないですか。邪な意味で好きだと言っているわけではないですよ。だって……ねえ? ルネちゃんは想い人がいるようですし」
どうやらパン屋のルネには想い人がいるらしい。
交友関係が派手なポールは、そのようなことに聡いので、相手が誰なのか分かっているようだ。
「そうなのか? なるほど、騎士の連中の誰かということか……」
「いや、まあ……。団長はそういうことに関しては鈍いんですね」
はぁー……っと大きなため息をこぼした副長に、ユーゴは怪訝そうな視線を向けた。
「だが、彼女のおかげで俺は昼飯を食いっぱぐれることはなくなったし、何となく身体も調子が良い気がする」
「ルネのパンはきちんと栄養も考えられていますしね。騎士達の体に必要な物が何なのか、彼女は勉強してるようですよ」
そう言われたユーゴは、左右の三つ編みを揺らしながら忙しなく騎士達にパンを売るルネをじっと見つめた。
「若いのに、勉強家で商売上手なんだな」
そう呟いたひどく鈍感な団長に、副長ポールは肩をすくめて苦笑いをこぼした。
ルネはお昼過ぎにはほとんどのパンを売り切って、午後の鍛錬に向かう騎士達を見送った。
その中には、副長ポールと共に訓練場へ向かうユーゴの姿もある。
そもそも駐屯地に食堂はあるが、騎士全員が入るには席が足らずに食べるまでに時間もかかる。
だから自ら持参するか、ユーゴのように面倒がって食べない者も多かった。
ユーゴが昼食を食べないことが多いと聞いてから、ルネはユーゴの為に栄養を考えた美味しいパンを移動販売することに決めたのだ。
王城内の駐屯地に出入りするにはそれなりの許可が必要である。
ルネがスムーズに許可を得られたのには理由があった。
「私の可愛い愛し子よ、今日も貴女の作ったパンを食べて貰えたの?」
「はい、アフロディーテ様。今日はユーゴ様に厚切りハムとたっぷり野菜の入ったフィセルを食べてもらいました」
王城から少し離れたところにある女神アフロディーテの神殿に、ルネは毎日通った。
天井までの高い大理石の柱が狭い間隔で何本も伸びる神殿の奥で、ルネは美しい女神アフロディーテに首を垂れる。
「それで? また何か心配ごとでも?」
美しい管楽器のような声で、アフロディーテは長いまつ毛を伏せて俯くルネに向かって問いかけた。
「はい、騎士達の駐屯地では薬師が足りないようです」
薬師は怪我や病気の診断、そしてそれに合った薬の処方や調剤を行う職業である。
メルシェ王国に限ったことではないが、薬師というのはまだ数が少なかった。
市井の民たちは民間医療や、修道院に併設された施設で治療を受ける。
騎士駐屯地にも薬師が派遣されるが、それも毎日のことではなかった。
「ユーゴ様が負傷しても、部下の方たちを優先的に診てもらうようで……ご自分は怪我をなさったままで帰られることもあるのです」
心配そうに語るルネに、アフロディーテは慈愛に満ちた視線を向ける。
そして、長く美しい白髪をサラリとこぼれ落とした女神は、ルネに優しく囁いた。
「可愛い私の子、とても優しくて健気な子。随分とユーゴに愛情を注がれているわね。それならそろそろ大丈夫かしら」
アフロディーテはルネの頭をゆっくりと撫でた。
「それでは薬師のヴェラを授けるわ」
アフロディーテの言葉に、ルネは三つ編みを揺らしてパッと顔を上げた。
「アフロディーテ様、感謝いたします」
「ふふっ……、私の可愛い愛し子の願いですもの。いい? ルネは四時間、ヴェラは八時間だけよ」
女神は立てた人差し指を口元に当てて、ルネに言い含めた。
女神の加護によって、彼女は人間に姿を変える。
そして、周囲の人間たちはそれをさも当たり前のように受け入れるのだ。
顔だけは自然に認識を阻害するようになっている。
その日ルネという娘が、アフロディーテの神殿を出るところを見た者は居なかった。
代わりに、神殿からフワフワと風に乗って飛んで行ったのは真っ白でモフモフとした毛玉、ケサランパサランで。
女神の加護により、ケサランパサランは人間に見つかることなくユーゴの邸宅へと帰ることが出来た。
いつもの通り、屋根の裏の僅かな隙間から邸宅へ入り込む。
そうすると、ケサランパサランはまるでずっとそこに居たかのように、ユーゴの居室のソファーへふわりと降りた。
「モキュー……」
ふうっと安堵のため息を吐くような鳴き声をあげて、ケサランパサランのモフは主人の帰りを待つ。
もうすぐ、大好きな主人が帰って来る。
今日のフィセルの味はどうだったのだろうか?
怪我はしなかった?
ゆらゆらと体を揺らしながら寛ぐモフは、主人とのそのような会話を楽しみにしているようだった。
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