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1巻
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プロローグ
「ねぇ、もうお求めになった? マダム・リーシャの新作小説『サキュバス夫人の閨作法~第三巻~』。今回も相変わらず刺激的で、官能的で……素敵だったわ」
「あら、このシリーズは私も大好きよ。容姿端麗な旦那様も素敵なのだけれど、その奥方が実はサキュバスというのが面白いわよね」
「そうそう。サキュバスである夫人がリードして、二人は情熱的な愛を度々交わすのよ」
「でも、実際に本の内容を実践するとなると……私には恥ずかしくて」
近頃王都にある書店では、このような会話が聞こえる機会が多くある。
ずらりと並んだ書架の一番目立つところに飾られたマダム・リーシャの本は、市井の民たちは勿論、お忍びで令嬢方が買い求めに来るほど人気の官能小説だった。
「あら、私はマダムの本を参考に色々と試してみたわよ。いつも巻末で詳しいやり方を解説してくださっているじゃない? それを参考にしてみたの」
「え! どうだった?」
恥ずかしいと口にした娘も、友人の意外な告白に興味津々といった様子で食い付き、ポッと頬を桃色に染めながらもしっかりと身を乗り出している。
「そんなの、ここじゃとても話せる訳ないじゃない。ふふふ……場所を変えましょう。あのカップケーキのお店なんてどう?」
「いいわね! 行きましょう」
やがて二人はマダム・リーシャの新作を手にし、足早に書店の扉をくぐった。
そんな若い娘たちの会話は、書架を挟んで向き合っていた男の耳にしっかりと届いている。彼女たちも、まさか書架の向こうに人がいるとは思ってもいなかったのだろう。
男の方も別に立ち聞きの趣味がある訳ではなく、ただ『マダム・リーシャ』という名に思わず反応してしまっただけだった。
「団長様、相変わらず勉強熱心ですな。今日は異国の武器と兵法についての本ですか」
「うむ。この書店は様々な種類の本が置いてあり、非常に品揃えが良いからな。私のような本の虫からするとありがたい事だ。これからもよろしく頼む」
顔馴染みの店主に目的の本を差し出すと、心底感心したように声をかけられたのだが、先程思いがけず立ち聞きしてしまった後ろめたさから、ついついいつもより饒舌になる。
「おやおや。我が国の英雄ベルトラン騎士団長様にそこまでお褒めいただくとは、光栄ですな。確かに最近出版されました珍しい毛色の本がよく売れておりまして、若いお客様も随分と増えたのです」
「そのようだな。妻も喜ぶ……」
「え?」
「いや、何でもない。では、また寄らせてもらおう」
「ええ、どうもありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
目当ての兵法の本を手にしたベルトランは、最愛の妻が好きなところだと幾度も褒めてくれる眦の皺を深め、大股で街を闊歩する。
今は一刻も早く屋敷に戻り、妻リリィの顔が見たかったのだ。
ベルトランが屋敷に戻ると、珍しく妻の出迎えがない。家令のジョゼフに問うたところ、どうやら午後から自室に籠って出てこないのだという。
体調でも悪いのかと心配になり、ベルトランは足早に屋敷の廊下を急いだ。
「リリィ、私だ。部屋から出てこないと聞いて心配になった。具合でも悪いのか?」
妻の部屋の扉をノックすると同時に声をかける。夫であるベルトランよりもずっと若い妻リリィが、体調を崩す事は珍しい。
「ベル? ごめんなさい! 出迎えに行けなくて……」
慌てた様子のリリィの声と、ガタガタと木製の家具が揺れるような大きな音がし、やがて短い悲鳴の後に人が倒れる気配がした。
室内で妻が転倒したのだと悟ったベルトランは、血相を変えて扉の取っ手に手をかける。
「リリィ! 大丈夫か!? 開けるぞ!」
「ま、待って……っ! お願い、まだ開けないで!」
「何を……!」
あまりに心配でリリィの返事を待たずに扉を開けたベルトランは、室内の様子を目にした途端、誰にも覗かれないよう反射的に扉を後ろ手に閉めた。妻が夜着姿だったからだ。
「開けないでって……お願いしたのに」
自分とは違う匂いのする妻の部屋。毛足の長いふかふかの絨毯の上には涙目の若妻リリィがいて、夜着の裾から露わになった膝を押さえている。どうやら転倒して床に膝を打ち付けたようだった。
「転んだのか? 怪我は?」
「少し膝を打ったけれど、平気よ。出迎えが出来なくてごめんなさい」
「気にするな。体調が悪かったのだろう」
朝には確かにドレスに着替えていたはずなのに、再び夜着だけを身に纏っているところを見るに、やはり具合が悪いのだろうかとベルトランは不安になる。
何気なく、座り込む妻の柔らかなウェーブのかかった髪にそっと手を触れ、優しく撫でた。いつもそうしているように。
けれどもリリィの方はというと、明らかに狼狽した様子で肩をビクリとさせた。
「いえ……あの、体調が……悪い訳では……」
日頃は素直なリリィが珍しく歯切れが悪い。それどころか、苦しそうな表情を浮かべ、ベルトランの視線から自らの身体を隠そうとする。
やがて視線をふいと逸らし、細身をギュッと縮こまらせた。
「しかし、午後になって部屋から出てこないとジョゼフが言っていた。それにその格好は、寝ていたのだろう」
体調不良ではないと知り安心したベルトランは、ここでやっと最愛の妻の変化に気付く。
未だに床に座り込んだままのリリィは、頬を薔薇色に上気させ、美しいエメラルド色の瞳は涙の膜で潤み、苦しげに吐息を漏らす唇は濡れて艶を纏っていた。
長袖、くるぶし丈の夜着は夜を楽しむための淫らな作りでもなく、普段から見慣れたもののはずなのに、そこから僅かに覗く陶器のような肌が今は酷く扇情的に思える。
この場で乱暴に脱がして、リリィの全てを露わにしたいという欲求に駆られそうなほど。
「リリィ、どうした? 怪我の痛みで起き上がる事が出来ないか?」
努めて平静を保ったベルトランがそっと膝をつき、何気なく夜着越しにリリィの肩に触れた。
「きゃ……あん」
その瞬間、ビクリと大きくリリィの身体が震え、同時に小さく悲鳴のような声が漏れる。思いがけない反応に驚いたベルトランが、いつもとは明らかに違う様子のリリィの顔を間近に覗き込む。
「や……っ、はぁ……ごめんなさい、これには……訳があって……っ」
「話を聞くにせよ、このような場所では風邪を引く。歩けないのであれば私が運ぼう」
うっとりとしたような、けれども苦しげな表情にも見えるリリィを見下ろし、ベルトランは優しく身体を抱いた。
「きゃあ……っ」
すると全身に電気が走ったかのようにリリィの身体はふるふると震え、ベルトランの逞しい体躯に力一杯しがみつく。
明らかに様子がおかしいリリィをベルトランは寝台の端に座らせると、自らもその隣に身体が触れぬようほんの少し距離を置いて腰かけた。
「一体何があったんだ?」
言いつつ、いつもの癖でリリィの丸い頬に触れようとして、ベルトランはグッと拳を握りしめる。そしてそれを騎士服を纏った膝の上に置く。
「実は……」
観念したのか、相変わらず艶めいた吐息を挟みながらもリリィは説明をし始める。それにより、ベルトランはどうして妻がこのような事態になったのかを理解した。
「なるほどな。新たな小説を書く上で彼女を呼び、相談したところ、まんまと茶に媚薬を盛られたという事か」
「そう……なの。『媚薬を使った閨作法も面白そうよね』と言われたけれど……まさかこんな……」
リリィは自分の身体を抱きすくめるようにして、小さく吐息を漏らす。悪戯好きの友人を信じきったばかりに、リリィは思いがけずこんな辛い目に遭っているのだ。
実はその友人、清廉潔白な印象のリリィに似合わぬ悪友なのである。彼女はリリィの書く小説のアイディアを提供するために、度々屋敷を訪れていた。
「全く、母親になっても彼女は相変わらず奔放だな。しかし、これではリリィがあまりにも辛そうだ」
まんまと策に嵌まった涙目の妻を慰めてやりたくても、ベルトランが少し肩や頭に触れただけでも敏感になっているようだし、その表情は苦しげだ。
「あれからすごく……身体が熱いの。それに……ベルに触れられると、何だか……おかしくて」
返事の途中にも、幾度も漏れる吐息が甘さを纏っている。最愛の妻が媚薬で苦しんでいるというのに、ベルトランはこれまでに感じた事がない昂りを自覚していた。
「……私は、どうしたらいい?」
そう尋ねたベルトランの声は低く、甘い。少なくとも今のリリィにとっては、砂糖菓子よりも甘くて魅力的な言葉に思えた。
「お願い……」
小さく懇願する声は、しっかりとベルトランの耳に届いていた。けれども今はどうしてか、目の前の妻を困らせてしまいたいと思ってしまう。
「リリィ、どうして欲しいんだ?」
普段なら、すぐにでも媚薬を解毒出来るよう手を尽くしただろう。使いを出し、解毒薬を薬師に作らせる事も出来た。けれども今目の前にいる妻があまりにも扇情的で、淫らで、可愛らしく、愛おしすぎる。
「ベル……お願いよ」
リリィが切なげに口にした『ベル』というのは二人の間の秘密の呼び名だった。普段は決して口にしない、閨事でだけの特別な呼び名なのだ。
とうとうベルトランは堪らなくなって、リリィの薄らと開いた唇に口づけをする。啄むような口づけはほんの二、三度、あとはお互いの熱を交換するように舌を絡ませた。
「ん……はぁ、ベル……もっと」
媚薬のせいかリリィの体温がいつもより高く感じる。ベルトランは自分の頬をがっちりと掴んで離さないようにしておねだりをする可愛い妻の表情と仕草に、己の下半身へと熱が集まるのを自覚した。
「奥様、今日は私が媚薬に酔わされた貴女を楽にして差し上げましょう」
「ああ……ベル。お願い……っ、苦しいの」
いつからか二人の約束事として、閨事でベルトランをベルと呼ぶように、リリィを奥様と呼ぶと決められている。そして年上のベルトランがリリィに敬語を使い、まるで主従関係にあるような振る舞いをするのだ。
何故そうするのかと言えば、とある事情からこの夫婦は女性上位の交わりをする事が多く、リリィが主導権を握り、積極的にベルトランを攻め立てるのが二人の閨でのやり方であったから。
「久しぶりですね。私の方が貴女を攻めるのは」
どこか嬉しそうにそう言いつつ、ベルトランはリリィの夜着に手をかける。肌に触れるか触れないかのところで上手く脱がせていくので、媚薬に苦しむリリィはもどかしくて堪らない。
「ベル、早く……」
「いつも私を焦らすのは奥様の役割でしたが、今日は反対ですね。どうですか? 焦らされる気分は」
日頃のベルトランは三十も年下の妻に常に優しく、甘く、年長者として包み込むような優しさを見せるのだが、今日はその瞳に獰猛な昂りと少しの意地悪さを孕んでいた。
けれどもそんな夫に更に興奮を覚えた妻は、大きな期待にますます頬を赤らめる。
「焦らされるのは……辛いわ。でも、そんな意地悪なベルも素敵よ……って、あぁ……んっ!」
すっかり肌を露わにされ寝台に横たえられたリリィは、ベルトランが火照った全身に次々と降らせる口づけの雨に身体を震わせた。
「それは僥倖。この世で誰に嫌われようが、奥様にだけは嫌われたくはありませんからね」
口づけをされ、舌先で絹のような肌を撫でられるだけでも全身に痺れるような甘い刺激が走る。悪友がもたらした媚薬の効果は絶大だった。
「では、もっと意地悪な事をしましょうか」
「もっと……?」
期待に満ちたリリィの声に、ベルトランは満足げな表情で頷く。
そして子を産んでからも変わらず豊かで形の良い乳房を掴んだ。やわやわと真っ白な双丘を揉み上げ、先端にある桃色の突起に舌先でチョンと触れる。
「ふ……うぅん、あ……ぁ!」
「二人も子を産んでくれて、母となっても、この場所は相変わらず神聖で美しい」
妻に対する賛辞を口にする度、ベルトランの吐息が濡れた突起にかかるのがリリィにはもどかしくて堪らないようだった。
「ベル……嬉しい……でも、もっと……」
「もっと? 媚薬で苦しいから、早く楽にして欲しいと?」
「ええ。お願いよ……ベル。お願い、愛しているから、貴方にもっと触れて欲しいの」
「今の奥様に過度な刺激は辛いだろうと、じっくり宥めるつもりでしたが、お気に召しませんか?」
言いつつ突起の周りを分厚い舌で優しく撫でるようにして愛撫すると、リリィは悦びの嬌声を上げる。媚薬の効果で、いつもの数倍も気持ちがいい。
「あ、あぁ……ッ! ベル……っ、ベル……ぅ」
「可愛らしいですね。いつもは私の方が貴女に懇願するというのに」
もう一度、今度は赤い苺のように熟れてきた突起を甘噛みし、同時に薄い腹を手でなぞる。
「ひ、あ、あぁん!」
それだけでも大きな快感の波がリリィを呑み込んだようで、ガクガクと大きく身体を震わせる。無意識にリリィは自分の濡れた胸元へギュッとベルトランの頭を抱き寄せ、少ししてからだらりと弛緩した。
「胸だけで達したか。一体どんなに強力な媚薬を盛ったんだ。リリィに何かあればどうする」
そう独り言を呟くベルトランは、今度その悪友に会ったら文句の一つでも言ってやろうと思う反面、普段よりも敏感に悶えるリリィに異常な昂りを覚えてしまい、自らの複雑な心境に自嘲の笑みを漏らした。
「はぁ……ハァ……っ、ベル?」
押し黙ったままのベルトランを不思議に思ったのか、リリィは荒い息遣いと共に夫の名を呼ぶ。そしてモゾモゾと両膝を擦り合わせた。
「リリィ、綺麗だ。そのように乱れた姿も美しい。ずっと見ていたいと言えば、怒るだろうか?」
「そんな……酷いわ……! それに今はリリィじゃなくて……」
「いや、今日はリリィと呼びたい。たまにはいつもと違うのもいいだろう?」
まるで獲物を前にした野獣のように、色気と品性を兼ね備えた顔立ちに獰猛な笑みを浮かべたベルトランは、意地悪な口ぶりに反し優しい口づけでリリィの言葉を奪う。
そうしながらも、ベルトランの手はとうとう手触りの柔らかな茂みに辿り着いた。既にじとりと濡れそぼり、触れれば淫らな水音をさせるその場所を、大きな手でくちゅりくちゅりと揉み、撫で上げる。
「んぅんんん……っ!」
未だ口づけをされているので声も息も逃す事が出来ず、媚薬によって蕩けた下半身に与えられた刺激に、リリィの背はきゅんと弓形になって震えた。
もう幾度も達しているというのに、それでもより強い快感を渇望してしまう。早く与えて欲しいのに、今日のベルトランはなかなかそれをくれない。
どこか嬉しそうに自分を見下ろすベルトランに、眉根を寄せたリリィはとうとう涙を零しながら訴える。
「ふ……あ、ハァ、ハァっ、ベル、ベル……っ! もう……っ、私……」
「泣かないでくれ、リリィ。すまない。あんまり可愛らしいものだから、つい虐めすぎてしまったか」
幾筋も流れる涙を拭いつつ、ベルトランはリリィを宥める。いくら何でも、あんまりやりすぎて妻に嫌われてしまえば堪らない。
「酷い……私、こんなに……一人で恥ずかしい事になってしまったのに……いつまでも……挿れてくれないなんて」
「悪かった、許してくれ。リリィに嫌われたら、私は生きていけないだろう」
この時ベルトランは涙を流しながらも自分を求める妻を可愛いなどと思っていたのだが、次に発せられたリリィの言葉に、そのような呑気な気持ちはすっかり霧散する。
「……いいえ、許さないわ」
「何?」
思いがけず最愛の妻に許さないと言われ、一瞬怯んだベルトランをリリィは見逃さなかった。
仰向けにされた自分の上で呆然とするベルトランの、大きく聳え立つように硬くなった下半身をトラウザーズごと握り、「ウッ」と呻いた相手に嫣然として一笑する。
「さぁ、そろそろ晩餐に向かわなくちゃ。今日は私を虐めた罰として、これ以上は『おあずけ』よ、ベル」
「何を……」
「お陰さまで、媚薬の効果は切れたみたい。さぁさぁ、着替えて行きましょう」
逞しく鍛え上げられたベルトランの下から、スルリと小柄な身体を滑らせたリリィは寝台から降り、サッと夜着を手に取ると裸体のまま部屋を横切る。
呆気に取られていたベルトランが慌てて起き上がる頃には、リリィの姿はワードローブの扉の向こうに消えていた。
「リリィ……貴女は時々、私にとって悪魔そのものだ」
呻くように呟いたベルトランは、逞しい肩をガックリと落としてからいそいそと衣服を整える。
調子に乗って媚薬に酔ったリリィを弄んだせいで、ベルトランはこの後戦にでも出ねば気を紛らわせられないと思うほど、悶々とした悪夢のような一夜を過ごす羽目になった。
またリリィの方はというと、『媚薬を使った閨事』と『突如意地悪く豹変した夫に惚れ直した』事、『おあずけという名の放置』という新たなネタを元に、その夜は一気に人気作家マダム・リーシャとしての執筆活動が進んだのである。
ここブロスナン王国の王都には、数キロにも及ぶひときわ賑やかな通りがあった。
王族が住まう城から王都の端まで続くこの通りは、城に近ければ近いほど高価な品を扱う立派な佇まいの店が多くなり、遠のけば庶民でも手を出しやすい品々が並んだ露店へと移り変わる。
白色から濃い灰色へと美しいグラデーションになった石畳の通りは、各地からたくさんの人々が訪れる名所となっていた。
その石畳はかつて先代国王が息子の婚約成立記念にと、数年の月日をかけて造らせたという豪華な代物である。
それだけ聞けば、派手な注文をした国王に国民の批判が集まりそうなものだが、そうはならなかった。
当時、稀に見る不作で飢えていく民たちに仕事を与えるため、膨大な人手が必要な石畳の道を造るのを命じたのだと、彼らは知っていたからだ。
平民が飢えればやがて貴族も困る。利口で行動力がありつつも、決して恩着せがましいところのない国王は、平民からも貴族からも敬われていた。
優れた統治を長らく続けてきた王族に対して国民からの信頼は厚く、少々変わり者と言われる現国王の代になってもそれは変わらない。
そしていつからかこの辺りは庶民にはなかなか手が出ないような、裕福な商人や貴族を相手取った高級店がずらりと立ち並ぶ一帯となり、人気を博している。
行きつけである煌びやかな装飾品を扱う店へと向かっていた令嬢たちの一人が、とある方向に目をやるなりアッと声を上げたのだった。
「まぁ! ほら、あそこを見て。書蠧令嬢リリィ様よ!」
書蠧……というのは紙魚とも呼ばれ、主に書物の紙を食い荒らす小さな虫である。
「あちらの方角は……きっと今から本をお召し上がりに教会へ行くのね。うふふ」
「それにしても、相変わらず地味な……失礼、大人しい装いだこと。誰が呼び始めたのかは知らないけれど、『地味』と『紙魚』をかけるなんて滑稽よねぇ」
この辺りを歩く貴族たちの中では一番、何だったらそこにいる背中が曲がった老婦人よりも地味な装いとも言える一人の令嬢がいた。
二台の馬車が余裕を持ってすれ違えるような幅広い石畳の通りを、地味だと揶揄された令嬢はトコトコと足早に横切ろうとしている。
途中で一度人混みを縫うように向けられた視線の先には、王都で一番大きな教会がある。そこに繋がる路地へと進みたいようだ。
書蠧令嬢と呼ばれたその娘は令嬢らしい髪飾りもなしに、ただリボンで結われただけのふわふわと揺れるプラチナブロンドの髪を風に靡かせていた。
華やかな通りから路地へとその身体が消える寸前、書蠧令嬢は大きな丸眼鏡を右手で一度ずり上げた。
「それにしてもあの野暮ったい眼鏡、お顔の半分も隠しているじゃない。そういえば私、まともにリリィ様のお顔を見た記憶がなくってよ」
「あら、そんなの私だって。ここだけの話だけれど、リリィ様はきっと眼鏡で隠さなければならないような容姿なのだわ。かの宰相閣下も厳めしくて恐ろしいお顔をしているじゃない」
「せっかく王族の次に高貴なお生まれなのに、残念だわ。宝石やドレスで着飾るよりも本を読むのが好きだなんて、私には到底考えられないもの」
一目見てすぐ分かるほどに高価な品々で着飾った令嬢三人が、いかにも意地悪げな嘲笑を浮かべながら、書蠧令嬢リリィが消えていった路地の方向を見つめていた。
「私だってそうよ。だからこそ社交界で『書蠧令嬢』だの、『高貴な行き遅れ』だのと言われてすっかり浮いた存在なのだわ。お父上でいらっしゃる宰相閣下もお可哀想に……」
陰口に精を出す彼女たち三人は高位貴族の令嬢で、社交界でも特に目立った存在であった。
誰よりも美しく派手に着飾り、自らの価値を高め、より条件の良い嫁ぎ先を見つける事に力を入れているものだから、社交界では明らかに異質な存在であったリリィを良く思っていなかったのだ。
何よりこの国を支える宰相の娘であるリリィが、国王をはじめとした王族からの覚えがめでたいのも気に入らなかった。
本の虫と呼ばれるほど読書家で勤勉なリリィは、重要な外交の際に国王から助言を求められるほどの才女である。
華美に着飾らず、通常貴族令嬢には必要とされない豊富な知識を持ったリリィだったが、彼女自身の魅力と家柄も相まって熱い視線を送る貴族令息も一定数いる。
現に、先程まさに地味な装いでこの賑やかな通りを早足に横切っただけのリリィを、通り過ぎ様に振り返るようにして見る男たちも幾人かいたのだった。
その事が、誰よりも良い嫁ぎ先を求める彼女たち三人にとっては面白くないのだった。
「ふん! 少しばかり胸元が豊かだからって何よ。娼婦じゃあるまいし」
「まぁ……殿方はああいった身体つきがお好きですからね」
流石は宰相家の令嬢と言うべきか、リリィの衣装は良質な素材がふんだんに使われているものの、煌びやかさがなく地味で野暮ったい印象を与える色形をしている。けれどもその下にある豊かで形の良い胸と色白で華奢な首元や手足は、どうしたってその魅力を隠しきれずに、周囲の男たちの目を引く機会も多い。
三人の令嬢は、そっと自分たちの胸元を見下ろした。
腰を細く見せようとコルセットをギュウギュウに締め上げ、派手なドレスを纏った胸元を様々な方法で豊かに見せようと努力した身体がそこにある。
それでも男たちが思わず目を奪われるようなリリィの体型には敵わない。女同士だからこそ、自身が一番よく分かっていた。
令嬢たちはいつの間にやら無言になったところでふと我に返り、それを誤魔化すかのように引き攣った口元に扇を当てる。
「……さ、もう行きましょう」
「え、ええ! いつものお店、新作の髪飾りがたくさん入荷しているそうだから」
「へ……へぇ! 楽しみだわぁ!」
などと言いつつさっさとその場を後にし、お目当ての店へと連れ立っていったのだった。
一方のリリィはというと、遠巻きな令嬢たちの嘲笑や陰口など気付きもせずに、ただひたすらに教会への道のりを早足で進んでいく。
屋敷を出てからというもの脇目も振らずに街中をひたすらに進んできた彼女は、やっとの事で目前に迫った場所にホッとし、息を吐く。
「ふぅ……今日は図書室に長く籠って、屋敷を出るのがつい遅くなってしまったわ」
近頃リリィはブロスナン王国を悩ませている疫病に対して、何かしらの有効な手立てはないものかと日々様々な書物を読み漁っていた。
彼女が生まれ育った侯爵家には、やり手の宰相と言われるペリシエール侯爵の蔵書だけでもかなり多くの書物が保管されている。加えて屋敷の一角にある図書室にも、他家と比べても膨大な量の本が揃えられていたのだ。
「一般的な知識は屋敷の図書室で調べて理解したけれど、やはり肝心の『悪魔』に関しては分からない事も多いのよね」
悪魔、というのはこの世界に様々な厄災をもたらす存在である。古から存在するという彼らについて、人間は未だその全てを理解出来ずにいた。
ただ、分かっている事もある。ブロスナン王国に蔓延る疫病が『疫病の悪魔』によってもたらされているというのだ。
「ねぇ、もうお求めになった? マダム・リーシャの新作小説『サキュバス夫人の閨作法~第三巻~』。今回も相変わらず刺激的で、官能的で……素敵だったわ」
「あら、このシリーズは私も大好きよ。容姿端麗な旦那様も素敵なのだけれど、その奥方が実はサキュバスというのが面白いわよね」
「そうそう。サキュバスである夫人がリードして、二人は情熱的な愛を度々交わすのよ」
「でも、実際に本の内容を実践するとなると……私には恥ずかしくて」
近頃王都にある書店では、このような会話が聞こえる機会が多くある。
ずらりと並んだ書架の一番目立つところに飾られたマダム・リーシャの本は、市井の民たちは勿論、お忍びで令嬢方が買い求めに来るほど人気の官能小説だった。
「あら、私はマダムの本を参考に色々と試してみたわよ。いつも巻末で詳しいやり方を解説してくださっているじゃない? それを参考にしてみたの」
「え! どうだった?」
恥ずかしいと口にした娘も、友人の意外な告白に興味津々といった様子で食い付き、ポッと頬を桃色に染めながらもしっかりと身を乗り出している。
「そんなの、ここじゃとても話せる訳ないじゃない。ふふふ……場所を変えましょう。あのカップケーキのお店なんてどう?」
「いいわね! 行きましょう」
やがて二人はマダム・リーシャの新作を手にし、足早に書店の扉をくぐった。
そんな若い娘たちの会話は、書架を挟んで向き合っていた男の耳にしっかりと届いている。彼女たちも、まさか書架の向こうに人がいるとは思ってもいなかったのだろう。
男の方も別に立ち聞きの趣味がある訳ではなく、ただ『マダム・リーシャ』という名に思わず反応してしまっただけだった。
「団長様、相変わらず勉強熱心ですな。今日は異国の武器と兵法についての本ですか」
「うむ。この書店は様々な種類の本が置いてあり、非常に品揃えが良いからな。私のような本の虫からするとありがたい事だ。これからもよろしく頼む」
顔馴染みの店主に目的の本を差し出すと、心底感心したように声をかけられたのだが、先程思いがけず立ち聞きしてしまった後ろめたさから、ついついいつもより饒舌になる。
「おやおや。我が国の英雄ベルトラン騎士団長様にそこまでお褒めいただくとは、光栄ですな。確かに最近出版されました珍しい毛色の本がよく売れておりまして、若いお客様も随分と増えたのです」
「そのようだな。妻も喜ぶ……」
「え?」
「いや、何でもない。では、また寄らせてもらおう」
「ええ、どうもありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
目当ての兵法の本を手にしたベルトランは、最愛の妻が好きなところだと幾度も褒めてくれる眦の皺を深め、大股で街を闊歩する。
今は一刻も早く屋敷に戻り、妻リリィの顔が見たかったのだ。
ベルトランが屋敷に戻ると、珍しく妻の出迎えがない。家令のジョゼフに問うたところ、どうやら午後から自室に籠って出てこないのだという。
体調でも悪いのかと心配になり、ベルトランは足早に屋敷の廊下を急いだ。
「リリィ、私だ。部屋から出てこないと聞いて心配になった。具合でも悪いのか?」
妻の部屋の扉をノックすると同時に声をかける。夫であるベルトランよりもずっと若い妻リリィが、体調を崩す事は珍しい。
「ベル? ごめんなさい! 出迎えに行けなくて……」
慌てた様子のリリィの声と、ガタガタと木製の家具が揺れるような大きな音がし、やがて短い悲鳴の後に人が倒れる気配がした。
室内で妻が転倒したのだと悟ったベルトランは、血相を変えて扉の取っ手に手をかける。
「リリィ! 大丈夫か!? 開けるぞ!」
「ま、待って……っ! お願い、まだ開けないで!」
「何を……!」
あまりに心配でリリィの返事を待たずに扉を開けたベルトランは、室内の様子を目にした途端、誰にも覗かれないよう反射的に扉を後ろ手に閉めた。妻が夜着姿だったからだ。
「開けないでって……お願いしたのに」
自分とは違う匂いのする妻の部屋。毛足の長いふかふかの絨毯の上には涙目の若妻リリィがいて、夜着の裾から露わになった膝を押さえている。どうやら転倒して床に膝を打ち付けたようだった。
「転んだのか? 怪我は?」
「少し膝を打ったけれど、平気よ。出迎えが出来なくてごめんなさい」
「気にするな。体調が悪かったのだろう」
朝には確かにドレスに着替えていたはずなのに、再び夜着だけを身に纏っているところを見るに、やはり具合が悪いのだろうかとベルトランは不安になる。
何気なく、座り込む妻の柔らかなウェーブのかかった髪にそっと手を触れ、優しく撫でた。いつもそうしているように。
けれどもリリィの方はというと、明らかに狼狽した様子で肩をビクリとさせた。
「いえ……あの、体調が……悪い訳では……」
日頃は素直なリリィが珍しく歯切れが悪い。それどころか、苦しそうな表情を浮かべ、ベルトランの視線から自らの身体を隠そうとする。
やがて視線をふいと逸らし、細身をギュッと縮こまらせた。
「しかし、午後になって部屋から出てこないとジョゼフが言っていた。それにその格好は、寝ていたのだろう」
体調不良ではないと知り安心したベルトランは、ここでやっと最愛の妻の変化に気付く。
未だに床に座り込んだままのリリィは、頬を薔薇色に上気させ、美しいエメラルド色の瞳は涙の膜で潤み、苦しげに吐息を漏らす唇は濡れて艶を纏っていた。
長袖、くるぶし丈の夜着は夜を楽しむための淫らな作りでもなく、普段から見慣れたもののはずなのに、そこから僅かに覗く陶器のような肌が今は酷く扇情的に思える。
この場で乱暴に脱がして、リリィの全てを露わにしたいという欲求に駆られそうなほど。
「リリィ、どうした? 怪我の痛みで起き上がる事が出来ないか?」
努めて平静を保ったベルトランがそっと膝をつき、何気なく夜着越しにリリィの肩に触れた。
「きゃ……あん」
その瞬間、ビクリと大きくリリィの身体が震え、同時に小さく悲鳴のような声が漏れる。思いがけない反応に驚いたベルトランが、いつもとは明らかに違う様子のリリィの顔を間近に覗き込む。
「や……っ、はぁ……ごめんなさい、これには……訳があって……っ」
「話を聞くにせよ、このような場所では風邪を引く。歩けないのであれば私が運ぼう」
うっとりとしたような、けれども苦しげな表情にも見えるリリィを見下ろし、ベルトランは優しく身体を抱いた。
「きゃあ……っ」
すると全身に電気が走ったかのようにリリィの身体はふるふると震え、ベルトランの逞しい体躯に力一杯しがみつく。
明らかに様子がおかしいリリィをベルトランは寝台の端に座らせると、自らもその隣に身体が触れぬようほんの少し距離を置いて腰かけた。
「一体何があったんだ?」
言いつつ、いつもの癖でリリィの丸い頬に触れようとして、ベルトランはグッと拳を握りしめる。そしてそれを騎士服を纏った膝の上に置く。
「実は……」
観念したのか、相変わらず艶めいた吐息を挟みながらもリリィは説明をし始める。それにより、ベルトランはどうして妻がこのような事態になったのかを理解した。
「なるほどな。新たな小説を書く上で彼女を呼び、相談したところ、まんまと茶に媚薬を盛られたという事か」
「そう……なの。『媚薬を使った閨作法も面白そうよね』と言われたけれど……まさかこんな……」
リリィは自分の身体を抱きすくめるようにして、小さく吐息を漏らす。悪戯好きの友人を信じきったばかりに、リリィは思いがけずこんな辛い目に遭っているのだ。
実はその友人、清廉潔白な印象のリリィに似合わぬ悪友なのである。彼女はリリィの書く小説のアイディアを提供するために、度々屋敷を訪れていた。
「全く、母親になっても彼女は相変わらず奔放だな。しかし、これではリリィがあまりにも辛そうだ」
まんまと策に嵌まった涙目の妻を慰めてやりたくても、ベルトランが少し肩や頭に触れただけでも敏感になっているようだし、その表情は苦しげだ。
「あれからすごく……身体が熱いの。それに……ベルに触れられると、何だか……おかしくて」
返事の途中にも、幾度も漏れる吐息が甘さを纏っている。最愛の妻が媚薬で苦しんでいるというのに、ベルトランはこれまでに感じた事がない昂りを自覚していた。
「……私は、どうしたらいい?」
そう尋ねたベルトランの声は低く、甘い。少なくとも今のリリィにとっては、砂糖菓子よりも甘くて魅力的な言葉に思えた。
「お願い……」
小さく懇願する声は、しっかりとベルトランの耳に届いていた。けれども今はどうしてか、目の前の妻を困らせてしまいたいと思ってしまう。
「リリィ、どうして欲しいんだ?」
普段なら、すぐにでも媚薬を解毒出来るよう手を尽くしただろう。使いを出し、解毒薬を薬師に作らせる事も出来た。けれども今目の前にいる妻があまりにも扇情的で、淫らで、可愛らしく、愛おしすぎる。
「ベル……お願いよ」
リリィが切なげに口にした『ベル』というのは二人の間の秘密の呼び名だった。普段は決して口にしない、閨事でだけの特別な呼び名なのだ。
とうとうベルトランは堪らなくなって、リリィの薄らと開いた唇に口づけをする。啄むような口づけはほんの二、三度、あとはお互いの熱を交換するように舌を絡ませた。
「ん……はぁ、ベル……もっと」
媚薬のせいかリリィの体温がいつもより高く感じる。ベルトランは自分の頬をがっちりと掴んで離さないようにしておねだりをする可愛い妻の表情と仕草に、己の下半身へと熱が集まるのを自覚した。
「奥様、今日は私が媚薬に酔わされた貴女を楽にして差し上げましょう」
「ああ……ベル。お願い……っ、苦しいの」
いつからか二人の約束事として、閨事でベルトランをベルと呼ぶように、リリィを奥様と呼ぶと決められている。そして年上のベルトランがリリィに敬語を使い、まるで主従関係にあるような振る舞いをするのだ。
何故そうするのかと言えば、とある事情からこの夫婦は女性上位の交わりをする事が多く、リリィが主導権を握り、積極的にベルトランを攻め立てるのが二人の閨でのやり方であったから。
「久しぶりですね。私の方が貴女を攻めるのは」
どこか嬉しそうにそう言いつつ、ベルトランはリリィの夜着に手をかける。肌に触れるか触れないかのところで上手く脱がせていくので、媚薬に苦しむリリィはもどかしくて堪らない。
「ベル、早く……」
「いつも私を焦らすのは奥様の役割でしたが、今日は反対ですね。どうですか? 焦らされる気分は」
日頃のベルトランは三十も年下の妻に常に優しく、甘く、年長者として包み込むような優しさを見せるのだが、今日はその瞳に獰猛な昂りと少しの意地悪さを孕んでいた。
けれどもそんな夫に更に興奮を覚えた妻は、大きな期待にますます頬を赤らめる。
「焦らされるのは……辛いわ。でも、そんな意地悪なベルも素敵よ……って、あぁ……んっ!」
すっかり肌を露わにされ寝台に横たえられたリリィは、ベルトランが火照った全身に次々と降らせる口づけの雨に身体を震わせた。
「それは僥倖。この世で誰に嫌われようが、奥様にだけは嫌われたくはありませんからね」
口づけをされ、舌先で絹のような肌を撫でられるだけでも全身に痺れるような甘い刺激が走る。悪友がもたらした媚薬の効果は絶大だった。
「では、もっと意地悪な事をしましょうか」
「もっと……?」
期待に満ちたリリィの声に、ベルトランは満足げな表情で頷く。
そして子を産んでからも変わらず豊かで形の良い乳房を掴んだ。やわやわと真っ白な双丘を揉み上げ、先端にある桃色の突起に舌先でチョンと触れる。
「ふ……うぅん、あ……ぁ!」
「二人も子を産んでくれて、母となっても、この場所は相変わらず神聖で美しい」
妻に対する賛辞を口にする度、ベルトランの吐息が濡れた突起にかかるのがリリィにはもどかしくて堪らないようだった。
「ベル……嬉しい……でも、もっと……」
「もっと? 媚薬で苦しいから、早く楽にして欲しいと?」
「ええ。お願いよ……ベル。お願い、愛しているから、貴方にもっと触れて欲しいの」
「今の奥様に過度な刺激は辛いだろうと、じっくり宥めるつもりでしたが、お気に召しませんか?」
言いつつ突起の周りを分厚い舌で優しく撫でるようにして愛撫すると、リリィは悦びの嬌声を上げる。媚薬の効果で、いつもの数倍も気持ちがいい。
「あ、あぁ……ッ! ベル……っ、ベル……ぅ」
「可愛らしいですね。いつもは私の方が貴女に懇願するというのに」
もう一度、今度は赤い苺のように熟れてきた突起を甘噛みし、同時に薄い腹を手でなぞる。
「ひ、あ、あぁん!」
それだけでも大きな快感の波がリリィを呑み込んだようで、ガクガクと大きく身体を震わせる。無意識にリリィは自分の濡れた胸元へギュッとベルトランの頭を抱き寄せ、少ししてからだらりと弛緩した。
「胸だけで達したか。一体どんなに強力な媚薬を盛ったんだ。リリィに何かあればどうする」
そう独り言を呟くベルトランは、今度その悪友に会ったら文句の一つでも言ってやろうと思う反面、普段よりも敏感に悶えるリリィに異常な昂りを覚えてしまい、自らの複雑な心境に自嘲の笑みを漏らした。
「はぁ……ハァ……っ、ベル?」
押し黙ったままのベルトランを不思議に思ったのか、リリィは荒い息遣いと共に夫の名を呼ぶ。そしてモゾモゾと両膝を擦り合わせた。
「リリィ、綺麗だ。そのように乱れた姿も美しい。ずっと見ていたいと言えば、怒るだろうか?」
「そんな……酷いわ……! それに今はリリィじゃなくて……」
「いや、今日はリリィと呼びたい。たまにはいつもと違うのもいいだろう?」
まるで獲物を前にした野獣のように、色気と品性を兼ね備えた顔立ちに獰猛な笑みを浮かべたベルトランは、意地悪な口ぶりに反し優しい口づけでリリィの言葉を奪う。
そうしながらも、ベルトランの手はとうとう手触りの柔らかな茂みに辿り着いた。既にじとりと濡れそぼり、触れれば淫らな水音をさせるその場所を、大きな手でくちゅりくちゅりと揉み、撫で上げる。
「んぅんんん……っ!」
未だ口づけをされているので声も息も逃す事が出来ず、媚薬によって蕩けた下半身に与えられた刺激に、リリィの背はきゅんと弓形になって震えた。
もう幾度も達しているというのに、それでもより強い快感を渇望してしまう。早く与えて欲しいのに、今日のベルトランはなかなかそれをくれない。
どこか嬉しそうに自分を見下ろすベルトランに、眉根を寄せたリリィはとうとう涙を零しながら訴える。
「ふ……あ、ハァ、ハァっ、ベル、ベル……っ! もう……っ、私……」
「泣かないでくれ、リリィ。すまない。あんまり可愛らしいものだから、つい虐めすぎてしまったか」
幾筋も流れる涙を拭いつつ、ベルトランはリリィを宥める。いくら何でも、あんまりやりすぎて妻に嫌われてしまえば堪らない。
「酷い……私、こんなに……一人で恥ずかしい事になってしまったのに……いつまでも……挿れてくれないなんて」
「悪かった、許してくれ。リリィに嫌われたら、私は生きていけないだろう」
この時ベルトランは涙を流しながらも自分を求める妻を可愛いなどと思っていたのだが、次に発せられたリリィの言葉に、そのような呑気な気持ちはすっかり霧散する。
「……いいえ、許さないわ」
「何?」
思いがけず最愛の妻に許さないと言われ、一瞬怯んだベルトランをリリィは見逃さなかった。
仰向けにされた自分の上で呆然とするベルトランの、大きく聳え立つように硬くなった下半身をトラウザーズごと握り、「ウッ」と呻いた相手に嫣然として一笑する。
「さぁ、そろそろ晩餐に向かわなくちゃ。今日は私を虐めた罰として、これ以上は『おあずけ』よ、ベル」
「何を……」
「お陰さまで、媚薬の効果は切れたみたい。さぁさぁ、着替えて行きましょう」
逞しく鍛え上げられたベルトランの下から、スルリと小柄な身体を滑らせたリリィは寝台から降り、サッと夜着を手に取ると裸体のまま部屋を横切る。
呆気に取られていたベルトランが慌てて起き上がる頃には、リリィの姿はワードローブの扉の向こうに消えていた。
「リリィ……貴女は時々、私にとって悪魔そのものだ」
呻くように呟いたベルトランは、逞しい肩をガックリと落としてからいそいそと衣服を整える。
調子に乗って媚薬に酔ったリリィを弄んだせいで、ベルトランはこの後戦にでも出ねば気を紛らわせられないと思うほど、悶々とした悪夢のような一夜を過ごす羽目になった。
またリリィの方はというと、『媚薬を使った閨事』と『突如意地悪く豹変した夫に惚れ直した』事、『おあずけという名の放置』という新たなネタを元に、その夜は一気に人気作家マダム・リーシャとしての執筆活動が進んだのである。
ここブロスナン王国の王都には、数キロにも及ぶひときわ賑やかな通りがあった。
王族が住まう城から王都の端まで続くこの通りは、城に近ければ近いほど高価な品を扱う立派な佇まいの店が多くなり、遠のけば庶民でも手を出しやすい品々が並んだ露店へと移り変わる。
白色から濃い灰色へと美しいグラデーションになった石畳の通りは、各地からたくさんの人々が訪れる名所となっていた。
その石畳はかつて先代国王が息子の婚約成立記念にと、数年の月日をかけて造らせたという豪華な代物である。
それだけ聞けば、派手な注文をした国王に国民の批判が集まりそうなものだが、そうはならなかった。
当時、稀に見る不作で飢えていく民たちに仕事を与えるため、膨大な人手が必要な石畳の道を造るのを命じたのだと、彼らは知っていたからだ。
平民が飢えればやがて貴族も困る。利口で行動力がありつつも、決して恩着せがましいところのない国王は、平民からも貴族からも敬われていた。
優れた統治を長らく続けてきた王族に対して国民からの信頼は厚く、少々変わり者と言われる現国王の代になってもそれは変わらない。
そしていつからかこの辺りは庶民にはなかなか手が出ないような、裕福な商人や貴族を相手取った高級店がずらりと立ち並ぶ一帯となり、人気を博している。
行きつけである煌びやかな装飾品を扱う店へと向かっていた令嬢たちの一人が、とある方向に目をやるなりアッと声を上げたのだった。
「まぁ! ほら、あそこを見て。書蠧令嬢リリィ様よ!」
書蠧……というのは紙魚とも呼ばれ、主に書物の紙を食い荒らす小さな虫である。
「あちらの方角は……きっと今から本をお召し上がりに教会へ行くのね。うふふ」
「それにしても、相変わらず地味な……失礼、大人しい装いだこと。誰が呼び始めたのかは知らないけれど、『地味』と『紙魚』をかけるなんて滑稽よねぇ」
この辺りを歩く貴族たちの中では一番、何だったらそこにいる背中が曲がった老婦人よりも地味な装いとも言える一人の令嬢がいた。
二台の馬車が余裕を持ってすれ違えるような幅広い石畳の通りを、地味だと揶揄された令嬢はトコトコと足早に横切ろうとしている。
途中で一度人混みを縫うように向けられた視線の先には、王都で一番大きな教会がある。そこに繋がる路地へと進みたいようだ。
書蠧令嬢と呼ばれたその娘は令嬢らしい髪飾りもなしに、ただリボンで結われただけのふわふわと揺れるプラチナブロンドの髪を風に靡かせていた。
華やかな通りから路地へとその身体が消える寸前、書蠧令嬢は大きな丸眼鏡を右手で一度ずり上げた。
「それにしてもあの野暮ったい眼鏡、お顔の半分も隠しているじゃない。そういえば私、まともにリリィ様のお顔を見た記憶がなくってよ」
「あら、そんなの私だって。ここだけの話だけれど、リリィ様はきっと眼鏡で隠さなければならないような容姿なのだわ。かの宰相閣下も厳めしくて恐ろしいお顔をしているじゃない」
「せっかく王族の次に高貴なお生まれなのに、残念だわ。宝石やドレスで着飾るよりも本を読むのが好きだなんて、私には到底考えられないもの」
一目見てすぐ分かるほどに高価な品々で着飾った令嬢三人が、いかにも意地悪げな嘲笑を浮かべながら、書蠧令嬢リリィが消えていった路地の方向を見つめていた。
「私だってそうよ。だからこそ社交界で『書蠧令嬢』だの、『高貴な行き遅れ』だのと言われてすっかり浮いた存在なのだわ。お父上でいらっしゃる宰相閣下もお可哀想に……」
陰口に精を出す彼女たち三人は高位貴族の令嬢で、社交界でも特に目立った存在であった。
誰よりも美しく派手に着飾り、自らの価値を高め、より条件の良い嫁ぎ先を見つける事に力を入れているものだから、社交界では明らかに異質な存在であったリリィを良く思っていなかったのだ。
何よりこの国を支える宰相の娘であるリリィが、国王をはじめとした王族からの覚えがめでたいのも気に入らなかった。
本の虫と呼ばれるほど読書家で勤勉なリリィは、重要な外交の際に国王から助言を求められるほどの才女である。
華美に着飾らず、通常貴族令嬢には必要とされない豊富な知識を持ったリリィだったが、彼女自身の魅力と家柄も相まって熱い視線を送る貴族令息も一定数いる。
現に、先程まさに地味な装いでこの賑やかな通りを早足に横切っただけのリリィを、通り過ぎ様に振り返るようにして見る男たちも幾人かいたのだった。
その事が、誰よりも良い嫁ぎ先を求める彼女たち三人にとっては面白くないのだった。
「ふん! 少しばかり胸元が豊かだからって何よ。娼婦じゃあるまいし」
「まぁ……殿方はああいった身体つきがお好きですからね」
流石は宰相家の令嬢と言うべきか、リリィの衣装は良質な素材がふんだんに使われているものの、煌びやかさがなく地味で野暮ったい印象を与える色形をしている。けれどもその下にある豊かで形の良い胸と色白で華奢な首元や手足は、どうしたってその魅力を隠しきれずに、周囲の男たちの目を引く機会も多い。
三人の令嬢は、そっと自分たちの胸元を見下ろした。
腰を細く見せようとコルセットをギュウギュウに締め上げ、派手なドレスを纏った胸元を様々な方法で豊かに見せようと努力した身体がそこにある。
それでも男たちが思わず目を奪われるようなリリィの体型には敵わない。女同士だからこそ、自身が一番よく分かっていた。
令嬢たちはいつの間にやら無言になったところでふと我に返り、それを誤魔化すかのように引き攣った口元に扇を当てる。
「……さ、もう行きましょう」
「え、ええ! いつものお店、新作の髪飾りがたくさん入荷しているそうだから」
「へ……へぇ! 楽しみだわぁ!」
などと言いつつさっさとその場を後にし、お目当ての店へと連れ立っていったのだった。
一方のリリィはというと、遠巻きな令嬢たちの嘲笑や陰口など気付きもせずに、ただひたすらに教会への道のりを早足で進んでいく。
屋敷を出てからというもの脇目も振らずに街中をひたすらに進んできた彼女は、やっとの事で目前に迫った場所にホッとし、息を吐く。
「ふぅ……今日は図書室に長く籠って、屋敷を出るのがつい遅くなってしまったわ」
近頃リリィはブロスナン王国を悩ませている疫病に対して、何かしらの有効な手立てはないものかと日々様々な書物を読み漁っていた。
彼女が生まれ育った侯爵家には、やり手の宰相と言われるペリシエール侯爵の蔵書だけでもかなり多くの書物が保管されている。加えて屋敷の一角にある図書室にも、他家と比べても膨大な量の本が揃えられていたのだ。
「一般的な知識は屋敷の図書室で調べて理解したけれど、やはり肝心の『悪魔』に関しては分からない事も多いのよね」
悪魔、というのはこの世界に様々な厄災をもたらす存在である。古から存在するという彼らについて、人間は未だその全てを理解出来ずにいた。
ただ、分かっている事もある。ブロスナン王国に蔓延る疫病が『疫病の悪魔』によってもたらされているというのだ。
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