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50. キリアン様、今日はとてもお優しいわ
しおりを挟むこうして無事に集落の入り口へと戻ったジュリエットは、森の奥深くの集落へ続く獣道を歩く。
途中で脚が上手く動かなくなる時もあった。
その都度キリアンやジャンは心配そうにしたが、久しぶりの外出の疲れからだと言って何とか乗り切った。
それでも集落までの険しい道のりを歩ききったのだから、やはりジュリエットは負けん気が強く、周囲に心配させまいとする性格はなかなかのものである。
集落の奥にあるキリアンとジュリエットの家に着いた時には、ジュリエットはすっかり疲れてしまい、力尽きて座ったソファーでそのまま眠ってしまった。
キリアンとジャンはそれぞれ荷物を片付けてダイニングの椅子に腰掛ける。
「それで? メノーシェ伯爵とは話せたのか?」
「それはもう、バッチリだよ。俺らのことは敢えて深く聞いて来なかったし、さすがって感じだね」
「そうか。それで奴隷売買が根絶されれはいいが……」
よく眠っているジュリエットはソファーでとうとうコロリと横になってしまった。
しかしそれでも目を覚ます様子はない。
そんなジュリエットに掛布をかけてやりながら、声を落としてキリアンはジャンとやり取りをする。
そんなキリアンに向けて、ジャンは口の端を緩く持ち上げながら話を続けた。
「あの伯爵ならきちんとやってくれそうだよ。その為に情報を渡したんだからね。やってもらわないと。……あっ!」
突然思い出したかのように、大きな声を上げたジャンにキリアンは口の前に人差し指を持って行って『静かにしろ』と制する。
「……悪い。実はお嬢のことをしつこく探し回ってる奴がいるらしい。それがあのグロセ伯爵家のピエールって息子だと」
「ピエール?」
「キリアンがお嬢に連れられて初めて伯爵邸に行った時に会わなかったか?」
キリアンが記憶を辿ってみれば、確かに伯爵邸で大騒ぎをしていたいかにも貴族のボンボンといった男がそんな名前だったと思い出す。
「そういえば、そんな奴いた気がするな。えらく怒ってて、ちょっと何言ってるか分かんない奴だったが」
「そのピエールが、お嬢に何かしようとしてるかも知れないんだよ。探すってことは目的があるんだろ。もうお前と婚姻を結んでることを知っていながら探すって、どうせロクな目的じゃないぞ」
キリアンは眉間に皺を寄せた難しげな表情で、穏やかに眠るジュリエットの寝顔を見つめている。
ジャンはキリアンが何か言うのをじっと待った。
「ジュリエットは、グロセ伯爵家のことが始末が付くまでは集落から出さない。ここに居ればおかしな奴も入って来れないだろ。それにしても、貴族って面倒くさい奴らだな。何をこんなお嬢さんにそこまで執着するんだか」
そう言いながらもキリアンの瞳が静かな怒りに燃えているのをジャンは気づいていた。
本人は気づいていないが、最近ではジュリエットのことを柔らかな瞳で見つめていることも多いのだ。
明らかに始めとはジュリエットに対する感情は変わってきているだろうと思えた。
「キリアン、お前……」
ジャンがキリアンに声をかけたところで、ジュリエットが身じろぎしたかと思えば急にバッと起き上がった。
「はっ……! 私、寝てしまいました! 申し訳ございません!」
まんまるに紫色の瞳を見開いて、ソファーで上半身を起こしたジュリエットはキリアンとジャンに向かって頭を下げた。
「いや、別に疲れてるなら寝とけよ」
「そうそう、昼食できたら起こしてあげるよ」
そういう二人に向かってジュリエットはブンブンと頭を左右に勢いよく振った。
「そんな訳には参りません! 私が昼食を作ります!」
掛布を掴んでソファーから降りようとしたジュリエットに、キリアンは普段よりも優しい声音で制した。
「いや、今日は休んどけ。いいな、明日はまたアンのとこで仕事があるんだからな。今日くらいはゆっくりしとけよ」
「そうだよー。今日くらいはキリアンが美味しいご飯作ってくれるからさ」
「ジャン、お前も手伝えよ。食うんだろ?」
「え……? 分かったよ……。ということだからさ、お嬢はゆっくりしてて」
二人のやりとりにジュリエットは頬を緩めて頷いた。
「それでは、お言葉に甘えて。本日は休ませていただきます。明日からまた頑張りますわね」
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