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47. 身体の変調は心をも蝕むのです
しおりを挟む「実は、お前に婚姻を勧めていた相手の中にピエール殿という方がいただろう。グロセ伯爵家の嫡男の。あの日、キリアン殿をこの邸へ招いた時に門の前で会った方だ」
ジュリエットは口元に手を当てて考える素振りをしたあとに、「ああ!」と両の手を打った。
「あの気障な方! 私、あの方のことは大嫌いでしたから危うく記憶から抹消するところでしたわ」
そんなジュリエットに、伯爵は頭を左右に振ってからため息を吐いた。
「今思えば、あれは私も悪かったのだが……。実はあのピエール殿が未だにお前のことを諦めていないらしくてな。お前の居場所をしつこく尋ねてきたので追い返しているんだが、そのうち方々の街でお前のことを尋ねているらしいと耳にした。そのように深い森の中であれば到底見つけることはできんだろうが……」
不安そうな伯爵に、夫人も声を上げた。
「それでも、あの方もおかしな方ね。ジュリエットはキリアン様と婚姻を結んだこともグロセ家にお伝えしているというのに、何故未だにジュリエットを探すのかしら?」
「もしかして、仕返ししようとしているとか? 姉上、お気をつけください」
マルセルの忠告に、ジュリエットは目を細めて微笑んだ。
「大丈夫よ、集落は普通の人では辿り着けませんし私ももう暫くは街にも出ないと思いますから。それに、怖いことがあったらキリアン様が助けてくださるわよ。あの方は私の王子様ですもの」
恍惚とした表情で語るジュリエットに、家族たちも安心した様子で表情を緩めた。
そこで、黙って聞いていたジャンも口を開く。
「何度も言いますが、集落は余所者が簡単に見つけられるようなところではありません。それに例え余所者が入り込んだとしてもすぐに分かるほどには皆が顔見知りなので心配いりませんよ」
「そうか……それならば安心だな。ジュリエット、あの時には私も焦りから正常な判断ができなかったのだ。本当に愚かな父を許してくれ」
伯爵はあれからもずっと罪悪感に苛まれていたのだろう。
自分のせいで呪いに冒された娘を思う余りに、正常な判断も出来なくなっていた。
結果、キリアンという伴侶を見つけ出すことができたがそれも所詮結果論ゆえ……ずっと伯爵は心を痛めていたのだ。
「今、お前が幸せそうに笑っていられるのもキリアン殿のおかげなんだな。平民と婚姻を結ぶことに不安はあったが、それでもお前の愛と頑張りが実を結んだのであろうな。どうかキリアン殿にもよろしく伝えてくれ」
ジュリエットの心は複雑であった。
まだキリアンの気持ちを自分に向けることはできていないということを言い出すことは出来なかった。
それに、人魚の呪いの真実についても。
「分かりました。お父様、お母様、マルセル……今日はありがとうございました。明日早くに立つ予定ですから、今日はもう休ませていただきますわね」
目の奥がツンとするのを必死で堪えながら、なんとかジュリエットは食堂から自室へと戻るのであった。
ジャンはまだ伯爵と酒を酌み交わしているようだ。
マーサに湯浴みの手伝いの声掛けがあったが、もう自分一人で出来るからと断った。
本当はもっとマーサに甘えたかったし話す時間も欲しかったが、鱗のある身体を見せることも真珠に変わる涙も知られる訳にはいかないのだ。
チャプンと久方ぶりの湯船には、薔薇の花びらが浮かべられている。
以前はこのような暮らしが当たり前であったが、今は泉で水浴びをするのが日課なのだ。
水面に浮かんだ花びらの隙間から煌めく鱗が見える。
鱗は脇腹だけでなく、胸元や背中、太ももなどにも見られている。
ジュリエットの見えない気づいていない場所にも増えているのかも知れないが、誰にも話すことができていない現状では知る術はないのである。
「脚も動きが悪くなることが段々と増えて来たわ。まだ誕生日は先のことなのに、着々と呪いは浸潤していくのね」
湯船の中でそっと鱗に触れてみる。
虹色に煌めくそこは硬くて、時々ピリピリとした痛みが走ることもあった。
湯船から上がるとなお一層煌めくそこは美しいが、ジュリエットにとれば禍々しい呪いの印なのである。
一人で湯浴みを終えて夜着に着替える。
集落の生活では当たり前となっていたが、この邸では初めてのことである。
広々としたフカフカの寝台はマーサが整えてくれたものだ。
「辛くなんてないわ……」
瞬きをすれば、そこから雫がこぼれ落ちて寝台の上にパラパラと美しい真珠が転がった。
その真珠の美しさは、この国の特産品である真珠の中でも比べようもないほどの深みのある輝きと色合いであった。
この美しい宝石のために、人魚は人間に虐待されるのだ。
ジュリエットは何故か涙が止まらなかった。
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