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16. 包丁の使い方はやはりきちんと聞いておくべきでしたわ
しおりを挟む「キリアン様、素敵なお部屋をありがとう存じます」
自室となった部屋から出てキリアンの待つダイニングへと向かえば、キリアンは何やら野菜を桶で洗っている。
ジュリエットの声かけに漆黒の髪をサラリと揺らして振り向いた姿に、ジュリエットはまたハッと息を飲むのであった。
どうにもこの夫となったキリアンのふとした仕草一つ一つが、ジュリエットにとっては眼福なのだ。
しかしそんなキリアンの口から返ってくるのは素っ気ない言葉ばかりである。
「ジャンが手配したからな。俺は何もしていない」
「それでも、日当たりの良いお部屋を融通してくださったでしょう? キリアン様はどちらで眠るおつもなのですか?」
「そこのソファーで寝てる」
キリアンが指さした先にはどう見ても身体を丸めなければ成人男性は横になれないような大きさのソファーがあった。
そこにはクッションと掛布が乱雑に置いてあり、キリアンが寝たような形跡がある。
「このようなところでお休みになられてはお身体を壊しますわ。他に良いところは……」
「こんな狭い家にいくつも部屋はないからな。別に慣れりゃなんて事ないから気にすんな。それよりさっさと夕飯にしちまうぞ」
そう言ってまた野菜を洗い始めたキリアンの傍にジュリエットは近寄る。
「キリアン様、私は何をお手伝いいたしましょう?」
「メインのシチューは今朝の残りがあるから、あとはこの野菜を切るだけだ」
「それでは私がやりましょう。お任せくださいませ」
キリアンが訝しげな顔をしながらも自信満々のジュリエットに場所を譲れば、ジュリエットは洗った野菜をまな板の上に乗せる。
そしてキリアンが手渡した包丁を右手に持ち、左手は随分と野菜の端っこを持った。
やがて手に持った包丁を振りかぶり、勢いよく振り下ろす。
「「おい! やめろ!」」
キリアンとジャンの重なった制止も虚しくジュリエットの勢いは止まらない。
――ガンッ……!
「いけませんか?」
確かにまな板の上の葉物は右三分の一程度のところで切れている。
……が、余りにも刺激的な包丁捌きにキリアンもジャンもドッと疲れが出たようだ。
「もういい……。今日は見学しとけ」
「うちのシェフはこのように包丁を振り下ろしていたように思えたのですが……。申し訳ありません」
ジュリエットはシュンと悲しげな表情をしながら、手に持った包丁と場所をキリアンに素直に譲った。
「いいか、とりあえず最初はよく観察しろ。あんたのとこのシェフが何を作っていたのかは知らないが、庶民の包丁の使い方はこうだ」
そう言ってキリアンは葉物を細く切って皿に盛り付けた。
「まあ、思ったよりも料理とは穏やかに進行するものなのですわね。深く反省いたします」
「ま、まあ今日は初めてだったんだし! これから覚えたらいいよ! ねっ⁉︎」
ジャンがしょんぼりと肩を落としたジュリエットをフォローすると、ジュリエットはすぐさま元気を取り戻して両手を打った。
「そうですわよね! 今日は初めてだったのですもの。これからきちんと料理を学んでキリアン様を驚かして差し上げますからお楽しみになさってくださいね」
何をやっても前向きなジュリエットに、キリアンもジャンも尊敬の念すら覚えた。
貴族なんてただプライドが高くてとにかく自己中心的な人間ばかりだと思っていたが、どうやらこの令嬢に限ってはそうではないらしいと今日一日を通して感じたことである。
キリアンを半強制的に伴侶にしたことは別として、なんだかんだで努力を怠らないのだ、この令嬢は。
「……とにかく食おうぜ。集会に間に合わねえ」
「はい!」
素朴なテーブルにシチューと葉物を切っただけのサラダが並び、三人は席についた。
生まれが貴族であるジュリエットは、献立から始まり給仕の仕方や食事作法など、まるで庶民の当たり前など知らなかった為にキリアンとジャンの動きを一生懸命に真似ていることを二人は気づいていた。
しかしジュリエットは決して諦めないし、こんなのは嫌だと言わなかった。
そんな三人の何となく静かな晩餐は無事終わったのだった。
「今からこの集落に住む家長たちが集まって集会が開かれる。今日はあんたがこの集落に来たから、それを皆に周知する為に集まってもらうんだ。とりあえずいつもみたいにニコニコしてりゃあ問題はないだろ」
「承知いたしました。お任せください」
食後にキリアンがそう切り出したので、ジュリエットも了承した。
今から集落の中心部にある集会場に向かうと言うのだ。
「僕も付いてるからさ。キリアンもいるし大丈夫だとは思うけど。まあ元貴族のお嬢のことを良く思わない奴らもいるかも知れないけど、気にしないようにね!」
「分かりましたわ。大丈夫です」
ジュリエットはキリアンの伴侶となった限りは何でもする気なのだ。
そうしないと、無理矢理に伴侶にしたキリアンから自分へ愛情を受けることなどないと知っていたから。
「じゃあ行くぞ」
そう言って、再びすりガラス入りの玄関ドアからすっかり暗くなった外へと三人は出たのであった。
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