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14. 集落には私のような異端の令嬢が居てもよろしいのでは
しおりを挟むその後は黙々と三人で獣道を一時間ほど歩けば、段々と木々が減りやがてすっかり空が見えるほどに開けた場所に出た。
「ここが俺たちの集落の入り口だ」
キリアンは後ろを歩くジュリエットに、目的地へ到着したことを告げた。
ここは集落の入り口となる場所で、先程の深い森の中とは違ってやっと人の気配というものを感じられた。
その場所から少し奥に目を向ければ何軒か木造の家が見えており、ここから先は広く森を切り拓いている様子が窺える。
「まあ、素敵なところですわね。自然が溢れていますわ」
「用心深い奴らが多いからな。余所者が簡単に入って来ないようにこんな深い森の奥に住んでるんだ。ここに住むのは訳ありの人間がほとんどだからな」
「訳あり、でございますか?」
「ああ、まともな仕事に就けない奴らや他国からの亡命者、後は事情があってなるべく人に関わりたくない人間……だな」
キリアンは世間知らずのジュリエットをそう言って軽く脅して、あわよくば怖がってこんな怪しげな集落は出て行くと言えば助かると思っていた。
婚姻は取り消すことができないが、例えばジュリエットは便利なティエリーの街で、キリアンは住み慣れたこの集落で別居生活をしても良いのでは無いかと。
婚姻を結ぶことまではしたのだからそれ以上は無理に付き合ってやる必要はないのではないかと考えていたのだ。
そもそもジュリエットが本気でこの集落までやって来るとは思っていなかったのだが。
しかしどうやらこの集落には個性的な面々が住んでいるという風に理解したジュリエットは、それを怖がるどころかみるみる表情を明るくして白魚のような両手をパチンと合わせたのであった。
「それでは私のような異端の令嬢がいても大丈夫ですわね。すぐに馴染んでみせますわ」
「……あんたは随分と前向きなんだな」
思ったような反応が得られず、別居という一縷の望みを断たれたキリアンは仕方なく集落の奥にある自分の家の方へと歩き始めた。
「キリアンとジャン! お帰り! その人誰?」
「綺麗な女の人連れてるー」
「ピンクの髪のおねえさん、誰、だれー?」
「見たことなーい」
「名前はー?」
民家の前の道端で集まって遊んでいた幼い男女の子どもたち五人が、親しげな笑顔でキリアンたちに近寄って話しかける。
キリアンは子どもたちの頭をぐしゃぐしゃと順番に撫でてからしゃがんで目線を合わせて答えた。
「これは俺の嫁さんだよ。お前らはこの集落の先輩なんだから色々と教えてやってくれよな」
黒曜石のような瞳を細めて子どもたちがいかにも喜びそうな言い回しをするキリアンを、ジュリエットはうっとりと眺める。
キリアンが子どもに対してこのような優しげな顔をするとは意外であったのだろう。
その穏やかな横顔をじっと見つめた後にハッと思い出したかのように動く。
「キリアン様の妻でジュリエットと申しますわ。よろしくお願い申し上げます。可愛らしい先輩がた」
ジュリエットは子どもたちに向かって、疲れた足を叱咤しながら得意のカーテシーで挨拶をした。
子どもたちは初めてみる挨拶に可愛らしい目をまん丸にしていたが、やがてジュリエットの人懐っこい笑顔につられてニカッと笑う。
「いいよー! 教えてあげるー!」
「紫の目をしたキリアンのおくさんー!」
「ジュリエットって名前可愛い!」
「変わった喋り方だねー」
「お姫さまみたーい!」
口々に話す子どもたちに、キリアンは満足げに頷いてその整った口の端を軽く上げた。
「頼んだぞ。今日は急ぐからまたな」
キリアンは優しい声音でそう言って、つぶらな瞳をキラキラとさせながらジュリエットを見つめる子どもたちと別れた。
自宅の方へと向かうキリアンについて歩きながらジュリエットがチラリと後ろを振り返れば、ジャンの背後に大きく手を振る子どもたちの姿が見えてとても微笑ましかったのだった。
「キリアン様、ここには多くの子どもたちがいらっしゃるのですか? 学校は?」
「まあ、そうだな。赤ん坊からある程度大きな年頃まで色々いる。学校なんていう立派なもんには通えないから大人たちが字を教えたり社会について教えたりしてるんだ。貴族と違って平民ってやつはそんなもんさ」
「そうなのですね。それにしても人懐っこくて可愛らしい子どもたちでしたわ」
ジュリエットは今まで弟のマルセルくらいしか幼い子どもと関わることはなかったが、あのように素直な子どもたちの姿を見れば貴族と平民の子の生活の違いについて色々と思うところもあるのだろう。
遠くを見つめるようにして何かを考えながら足を進めていく。
「子どもは正直だし素直だからな。ここの大人たちは気難しい奴らも多いが、子どもから親しくなればあんたも早くここに馴染めるだろうよ」
「そうですわね。そういたします」
この頑固な令嬢はここで庶民の生活を送るという無謀な考えを改めることはなさそうだと、キリアンは潔く別居を諦めた。
それならば自分に害が及ばないよう、なるべく問題を起こさずにこの集落に馴染んでもらうしかないと、先ほどの言葉はキリアンなりに考えた結果の配慮であった。
集落の中は同じような造りの木造の家がそこかしこに建ち並び、皆家の周りで畑を作ったり家畜を繋いでいたりする。
集落の女たちは外で洗濯などの家事をしたり子どもを連れて井戸端会議をしたりしているが、集落のリーダーであるキリアンとその右腕ジャンが見知らぬ女ジュリエットを連れて歩いていれば物珍しそうに視線を向けるのであった。
その女たちに向けてもジュリエットはニコニコと笑顔でお辞儀をしながら歩いていた。
もうすでに箱入り令嬢であるジュリエットの足は限界を迎えて痛むだろうし、力も入らないほどに疲労が溜まっているだろうに、それでもそんなことは微塵も感じさせずにいた。
「案外頑張るなあ……お嬢は」
キリアンの後ろについて歩くジュリエットの背中に向けて、最後尾のジャンは独りごちた。
「はい? ジャン、何かおっしゃいました?」
「いいや、お嬢は本当パワフルですごいなあって話だよ」
「ぱわふる? なんですの、それは?」
疲労を見せない澄ました顔でコテンと首を傾げながらも休みなく足を動かすこの令嬢は、実はとんでもない女かも知れないとジャンは思うのだった。
「僕は応援してるよ」
「ジャン、そのような言い方ばかりでは私には意味が分かりませんわ」
「分かんなくていいよ」
そんなジュリエットに思わず頬を緩めたジャンは、これからこのトンデモ令嬢に振り回されるキリアンを想像しては面白くなりそうだと再びほくそ笑むのだった。
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