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33. この展開は

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 始まりは美桜が自分自身の為に作った、特製のハンドソープ。
 それがふとしたきっかけでラナトゥル王国の未来を支える子ども達の健康と命を守るようになり、そのうち貴族や平民問わず手洗いの習慣は広がっていったのだった。

 経済的に余裕のない平民にはシンプルで、コストパフォーマンスに優れた商品を。裕福な者や新しい物好きの貴族には手の込んだ高級志向の商品を。
 美桜は日本での経験を活かしてラナトゥル王国を中心に基本的な清潔習慣を広め、次々と新たな商品を売り出した。

「こんにちは、シヴァ様! これ、新しく販売する事になったお茶石鹸です! 是非騎士団の方々で使ってみてくださいね」
「これはこれはシュタルク侯爵夫人! 相変わらずお元気なようで。いつも珍しい差し入れをありがとうございます!」

 美桜はその日第三騎士団の詰め所を訪れ、魔法使いシヴァの元へ新作の石鹸を届けに来ていた。
 新作は茶葉とオリーブオイルを混ぜて作った茶石鹸で、前回詰め所を訪れた際に騎士達から集めたアンケートを元に作られた物である。

 木箱にいっぱい詰められた石鹸を覗き込むシヴァは、そこから一つ手に取り物珍しそうに鼻を近づけたり、爪先で少し削って指先で擦ったりしている。

「これは……どんな効果があるんです?」

 魔法使いであるシヴァも万能ではない。いくら治癒魔法が使えたとしても、戦場で感染症が広がればそれだけで手一杯だ。
 その上負傷した騎士を癒したり、時には騎士達と共に自ら前線に立つのだから、美桜の作る商品のお陰で騎士達の健康が守られるのは非常に助かる。

 元から薬草の知識も豊富なシヴァだったが、異国から来た美桜の突飛とも思えるアイデアと行動力にはすっかり脱帽し、尊敬の念さえ覚えていた。
 
「抗菌効果、ニオイを抑える効果、それに肌を若々しく綺麗に保つ効果があります」
「ほう、魔法のような石鹸ですね! 流石は夫人! 恐れ入ります」
「ラナトゥル王国を守る為、常に戦の最前線に立たれている第三騎士団の方々が少しでも快適に過ごす事が出来たなら、私はとっても嬉しいんです」

 そう言って美桜は視線を後方に向けた。マリアをはじめとした侯爵家の使用人達が、次々と石鹸の入った木箱を詰め所の中に運び入れているのを笑顔で確認し、再びシヴァの方へと視線を戻す。

「夫婦愛ですねぇ、素晴らしい。ああ、僕とした事が。こんな所で立ち話もなんですから、どうぞ応接室へ」

 白いローブ姿のシヴァがひらりと裾を翻し、詰め所の奥へと美桜を誘う。
 長く続く石造りの外廊下を進みながら、大小いくつもある訓練場で汗を流す騎士達の姿を眺めていた美桜は、ゆったりとした口調でシヴァに話し掛けた。

「デュオンは訓練中ですか?」
「……まぁ、そんな所です。まだ騎士団に入ったばかりで右も左も分からないような新人騎士が多い時期ですから。色々と教える事があるみたいで……だからこそ今のうちに夫人を応接室に……」

 ブツブツと言葉尻を段々と小さくして、心なしかシヴァは引き攣った笑顔を浮かべている。何度もこめかみの汗を乱暴に拭う姿に、美桜はうんうんと頷いた。

(確かにデュオンの指導って、めちゃくちゃ怖そうだもんね。新人騎士達も可哀想に。私が新人の頃も、怖い先輩は居たなぁ……)

 日本での社会人生活を懐かしみつつ、美桜はシヴァの少し後ろを歩いて進む。何度か通された事のある応接室は、この通路の一番奥まった区域にあった。
 
「あれ? シヴァさん! もしかしてその人って……噂の恋人ですか?」

 遠くに聞こえる騎士達の掛け声や、リズミカルに剣を切り結ぶ音に耳を傾けていた美桜は、突然聞こえた声の方へと体ごと顔を向ける。
 それはシヴァも同じだった。ただし、シヴァは今にも死にそうな程青褪めた顔をして、体をブルブルと震わせている。

「うぉーっ、すごい綺麗な人じゃないですか! シヴァさん、大人しそうな顔してすみに置けないなぁ! ほらほら、素敵な恋人さんに僕らの事紹介してくださいよ!」
「名前は何て言うんですか? 俺はジャンって言います! 新人の中では期待の新星って言われてるんですよ!」
 
 まだ顔立ちに子どもらしさの残る、二人組の若い騎士が立っていた。十代後半くらいだろうか。

(若いなぁ。日本で言う高校生くらいかな)
 
 美桜は若々しいエネルギー溢れる二人の騎士に、かつては街でよく見かけた男子高校生の姿を重ねていた。
 体つきはすっかり大人と変わらないのに、話している事ややっている事は子どもそのもの。そういう若さが美桜にはとても眩しかったのを思い出す。

「元気でいいね! 私はミオ。残念ながらシヴァ様の恋人では無いんだけど、夫が此処に居るの。夫の名前は……」
「う、わァァァァァァッ! す、すみません! すみません! すみません! すみません!」

 美桜がそこまで口にした所で、突然シヴァが悲鳴を上げた。何に対してか分からないが、何度も謝罪の言葉を繰り返している。
 見れば上下の歯をガチガチ音を立てて合わせながら、青白い顔で通路に尻もちをついていた。

「シヴァ様? 大丈夫ですか⁉︎」

 驚いた美桜はシヴァに駆け寄り、手を差し伸べる。しかしシヴァはその手を取ろうとするどころか、体を捩り、その場から逃げ出そうとする仕草を見せた。
 
「み、み、ミオさ……いえっ、夫人! すみません! 僕は……っ、大丈夫ですから……! あのっ、それより……今すぐ彼らを……避難……」

 シヴァのどうにも要領を得ない言葉に美桜が首を傾げていると、その場に聞き慣れた声が響く。

「ミオ」

 姿が見えなくとも美桜が一番愛する人の声を分からない訳がない。

「デュオン!」
「ひ、ヒィィィィィ……ッ!」

 美桜がすぐそばに立つ騎士服姿のデュオンをその目に認めると同時に、シヴァが断末魔の悲鳴のような声を上げた。

「シヴァ様? どうし……」
 
 どうしたのですか? と聞こうとして、やっと美桜はシヴァの言っていた意味を理解する。

(まずい……)
 
 二人の新人騎士達だけではない。近くの訓練場で訓練が終わったのか、多くの騎士達が続々と歩いて近くを通る衆人環視の中、デュオンは美桜を乱暴に抱き寄せると、顎をグイッと持ち上げ、いきなり深い口付けを落としたのだ。

「ん……っ、ふ、ぅぅ……んっ」

 人前で口付けを交わす恥ずかしさから、何とかしてデュオンを自分の身から剥がそうとしても、逞しく鍛え上げられた体躯はびくともしない。
 それどころかデュオンの熱い舌が美桜の舌を、呼吸をどんどん絡め取り、抱擁をきつくする。

 美桜の視界の端には突然目の前で繰り広げられる口付けに呆気にとられた新人騎士達と、悪魔を目の前にしたかのように絶望するシヴァの姿があった。

(これ、あれだ。ヤンデレヒーローでよくあるやつ。絶対に怒られるやつだ)

 暫くの間美桜の唇を貪ったデュオンは、腕の中の華奢な体が脱力してしまうかしまわないかの瀬戸際で開放する。
 
 美桜は息苦しさから一気に開放された事で呼吸を荒らげながらも、デュオンの利き手をガッチリと掴んだ。
 騎士達の命がかかっているのだ。何としても緩める事は出来ない。

「デュ……デュオン……っ、はぁ……はぁ……死ぬ」
「大袈裟な。いつもしている事だろう」

 いつもながら、凶悪な笑みですら息を呑むほど美しいデュオンは、もう一度軽く美桜の額に口付けを落とす。

(見せつけてる……完全に見せつけてる)

 最早騎士達も皆、美桜の正体に気付いたのだろう。直立不動で紙のように顔を白くしている。

「あの……っ、私デュオンの執務室って行った事ないから、見せて貰いたいなぁー! ね⁉︎ 行こう! お願いっ、見せて見せて!」

 自分のせいで此処にいる全員が死にそうな顔をしている。居た堪れなくなった美桜は、デュオンの腕を取り、グイグイと引っ張ってみた。
 
 勿論デュオンは美桜の非力な力では多少も動じないのだが、何故か急に機嫌が良くなったらしく、素直に美桜に連れられてその場から立ち去る素振りを見せる。

「それでは皆さん、ごきげんよう!」

 場違いな程明るい美桜の声が遠のいていくのと同時に、残された騎士やシヴァは大きく息を吐く。
 知らず知らずのうちにずっと息を詰めていたので、本当に死ぬ所であった。

 

 
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