27 / 35
26. アラフォー女子の精一杯
しおりを挟む書き物机に両腕をついて突っ伏したまま、美桜はいつの間にかウトウトしてしまっていたようだ。
ふと肩に何か触れたような気がして目を開けると、ぼんやりとした視界の先には黒っぽいトラウザーズと立派に割れた逞しい腹筋がある。
「お前は何処でも寝られるんだな」
頭上から掛けられたのは呆れたような声だったが、美桜が座る椅子を軽々と片手で移動させ、未だ気怠く動かない体を抱き上げる手付きは優しい。
「ん……、あれ? デュオン?」
「何か書いていたのか? ひどく破いているところを見ると、書くのを失敗したようだな」
「うーん、まあ……そんなところ」
寝起きのボンヤリとした頭で返事をする。デュオンの逞しい腕の中でゆらゆらと揺られているのはとても心地良い。
何も着ていないデュオンの上半身の肌の温もりがまた眠りを誘い、起きなきゃと思うのに自然と瞼が落ち込んでしまう。
今日は久々に出掛けたものだから余程疲れてしまったらしい。
「手紙なのか?」
「え?」
「書いていたのは、手紙か?」
寝台に美桜をゆっくりと横たわらせたデュオンは、いつも帰って来たらするように軽く口付けをした後尋ねた。
これだけ見れば二人はとても仲の良い恋人同士のようにしか思えないのだが、美桜自身はこの国で交わす挨拶のようなものだと思っている。
「手紙じゃない……ただのメモ」
ふわりと香るデュオン愛用の香水が、何度も目を開けたり閉じたりする事で少しずつ意識をはっきりさせてきた美桜の鼻をくすぐった。
いつもなら絶対にしないのだが、両腕を伸ばした美桜はデュオンの首を抱き寄せ、もう一度口付けをして欲しいというように目を閉じる。
普段と違う行動に戸惑ったのか、ハッと息を呑むような気配がした後、デュオンの唇が美桜のそれに重なった。
(し慣れない事したから、デュオンったらびっくりしてる)
ニヤニヤと自然に頬が緩んでしまうのを堪える美桜を見て何か思うところがあるのか、デュオンはほんの少し不機嫌な声になって問うた。
「メモ? 何だそれは」
「うーん……覚え書きみたいなものだよ」
完全に眠気が覚めた美桜の目が、すぐ間近にあるデュオンの顔を捉える。シュッとして形の良い頬に美桜の手が添えられた。
首筋を撫でられた猫のように、デュオンの切れ長の瞳が僅かに細まる。
「おかえり」
入浴を終えたばかりなのだろう。濡れた金の毛先から垂れた雫が美桜の頬を濡らした。
住む世界も風習も違うデュオンは、決して「ただいま」とは答えない。それでも美桜は毎日「おかえり」と伝えるようにしている。
いつからそうするようになったのかは覚えていない。自然とそうなっていた。
「以前から気になっていたが、その『おかえり』というのはどういう意味なんだ?」
デュオンの口から初めての疑問が投げかけられる。思いがけない言葉に美桜は目を見開いて驚くと共に、胸の真ん中に熱くてくすぐったい何かがジワジワと広がっていく心地がした。
美桜の顔に満面の笑みが広がる。
「好きな人が無事に帰って来てくれて嬉しいって意味だよ」
バッと音が立つくらい勢いよくデュオンが後退りする。想像もしていなかった反応に美桜も寝台から慌てて起き上がり、様子を伺った。
「え……どうしたの? 大丈夫?」
心配する美桜から逃れるようにして二、三歩後退りするデュオンの様子は、明らかにおかしい。
片腕で顔を覆い隠すようにして美桜から距離を取ろうとしているのだ。
「こちらへ近付くな」
「何で? ねぇ、どうしたの?」
何がきっかけになったのか、訳が分からない美桜は寝台から足を下ろし、毛足の長い絨毯を踏みしめながらデュオンに近付いた。
こちらが一歩足を踏み出す度にデュオンが後退るという一進一退の攻防の末、万が一にも考えもしなかった事が美桜の頭をよぎった。
(これってもしかして……照れてる? 嘘でしょ⁉︎ あのデュオンが⁉︎)
信じられない事だった。いつも余裕で、傲慢で、強気なデュオンが、美桜の何気ない言葉で取り乱している。
これはもしかすると夢でも見ているのではないかと思い、思い切り頬をつねってみた。非常に古典的な方法ではあるが、それだけしっかりと効果はある。
「い……ったぁ! やっぱり夢じゃない!」
突然の美桜の行動が不審に映ったのか、デュオンはいつの間にやら普段通りの表情に戻り、どう言葉を掛けたらよいものかと思案しているようだ。
これが二次元の世界のヒロインであれば、もっとドラマチックな展開に持っていけたかも知れない。
ただし美桜の中身は日本生まれ日本育ちの、現実的な社会を生きて来たアラフォー女だ。それも、ある程度年齢がいってから乙女ゲームにハマるくらいだから、恋愛に関しては大した経験値もない。
だからこそ自分の気持ちに素直に生きた方が小難しくなくて楽だった。
(今更失う物なんてそう多くはない。最近の感じだと即殺されるような事もないだろうし、それなら一か八か、当たって砕けろの精神よ! ウジウジ悩む方が面倒だもん!)
「私、デュオンの事が好きなんだけど。もしかしてデュオンも、私の事……好き?」
照れ隠しに頬を掻きつつ、美桜の目はあちこちに泳いでいる。ドラマチックな恋の駆け引きなど知らないアラフォー女子の、精一杯の告白だった。
151
お気に入りに追加
652
あなたにおすすめの小説
妹のせいで婚約破棄になりました。が、今や妹は金をせびり、元婚約者が復縁を迫ります。
百谷シカ
恋愛
妹イアサントは王子と婚約している身でありながら騎士と駆け落ちした。
おかげでドルイユ伯爵家は王侯貴族から無視され、孤立無援。
「ふしだらで浅はかな血筋の女など、息子に相応しくない!」
姉の私も煽りをうけ、ルベーグ伯爵家から婚約破棄を言い渡された。
愛するジェルマンは駆け落ちしようと言ってくれた。
でも、妹の不祥事があった後で、私まで駆け落ちなんてできない。
「ずっと愛しているよ、バルバラ。君と結ばれないなら僕は……!」
祖父母と両親を相次いで亡くし、遺された私は爵位を継いだ。
若い女伯爵の統治する没落寸前のドルイユを救ってくれたのは、
私が冤罪から助けた貿易商の青年カジミール・デュモン。
「あなたは命の恩人です。俺は一生、あなたの犬ですよ」
時は経ち、大商人となったデュモンと私は美しい友情を築いていた。
海の交易権を握ったドルイユ伯爵家は、再び社交界に返り咲いた。
そして、婚期を逃したはずの私に、求婚が舞い込んだ。
「強く美しく気高いレディ・ドルイユ。私の妻になってほしい」
ラファラン伯爵オーブリー・ルノー。
彼の求婚以来、デュモンの様子が少しおかしい。
そんな折、手紙が届いた。
今ではルベーグ伯爵となった元婚約者、ジェルマン・ジリベールから。
「会いたい、ですって……?」
=======================================
(他「エブリスタ」様に投稿)
あの日、さようならと言って微笑んだ彼女を僕は一生忘れることはないだろう
まるまる⭐️
恋愛
僕に向かって微笑みながら「さようなら」と告げた彼女は、そのままゆっくりと自身の体重を後ろへと移動し、バルコニーから落ちていった‥
*****
僕と彼女は幼い頃からの婚約者だった。
僕は彼女がずっと、僕を支えるために努力してくれていたのを知っていたのに‥
乳白色のランチ
ななしのちちすきたろう
恋愛
君江「次郎さん、ここが私のアパートなの。」
「よかったらお茶でもしながら家の中で打ち合わせします?この子も寝てるし…」
このとき次郎は、心の中でガッツポーズを決めていた。
次郎の描く乳白色のランチタイムはここから始まるのだから…
冷酷な少年に成り代わってしまった俺の話
岩永みやび
BL
気が付いたら異世界にいた主人公。それもユリスという大公家の三男に成り代わっていた。しかもユリスは「ヴィアンの氷の花」と呼ばれるほど冷酷な美少年らしい。本来のユリスがあれこれやらかしていたせいで周囲とはなんだかギクシャク。なんで俺が尻拭いをしないといけないんだ!
知識・記憶一切なしの成り代わり主人公が手探り異世界生活を送ることに。
突然性格が豹変したユリスに戸惑う周囲を翻弄しつつ異世界ライフを楽しむお話です。
※基本ほのぼの路線です。不定期更新。冒頭から少しですが流血表現あります。苦手な方はご注意下さい。
悪役令息レイナルド・リモナの華麗なる退場
遠間千早
BL
※8/26 第三部完結しました。
12歳で受けた選定の儀で俺が思い出したのは、この世界が前世で流行った乙女ゲームの世界だということだった。深夜アニメ化までされた人気作品だったはずだけど、よりによって俺はそのゲームの中でも悪役の公爵令息レイナルド・リモナに生まれ変わってしまったのだ。
さらに最悪なことに、俺はそのゲームの中身を全く知らない。乙女ゲームやったことなかったし、これから俺の周りで一体何が起こるのか全然わからないんですけど……。
内容は知らなくとも、一時期SNSでトレンド入りして流れてきた不穏なワードは多少なりとも覚えている。
「ダメナルド安定の裏切り」
「約束された末路」
って……怖!
俺何やらかすの!?
せっかく素敵なファンタジーの世界なのに急に将来が怖い!
俺は世界の平和と己の平穏のために、公爵家の次男としてのほのぼの生活を手にするべく堅実に生きようと固く決心した……はずだったのに気が付いたら同級生の天才魔法使いの秘密をうっかり知ってしまうし、悪魔召喚を企てる怪しい陰謀にすっかり巻き込まれてるんですけど?!
無事約束された末路まで一直線の予感!?
いやいや俺は退場させてもらいますから。何がなんでもシナリオから途中退場して世界も平和で俺も平和なハッピーエンドをこの手で掴むんだ……!
悪役になりたくない公爵令息がジタバタする物語。(徐々にBLです。ご注意ください)
第11回BL小説大賞をいただきました。応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。
【完結】救済版:ずっと好きだった
ユユ
恋愛
『ずっと好きだった』を愛読してくださった
読者様にお応えして、救済版として作りました。
あのままでいいという方は読まないでください。
かわいそうなエヴァンとライアンの為のものです。
『ずっと好きだった』を読まないとこの話は理解できないようになっています。
章分けしています。
最初はエヴァン。次はライアン。
最後はライアンの子の章です。
エヴァンとライアンの章はそれぞれ纏めて公開。
ライアンの子の章は1日1話を公開します。
暇つぶしにどうぞ。
* 作り話です。
* 完結しています。
* エヴァンの話は別ルートです。
* ライアンの話は転生ルートです。
* 最後はライアンの子の話しです。
記憶を持ったままどこかの国の令嬢になった
さこの
恋愛
「このマンガ面白いんだよ。見て」
友人に言われてマンガをダウンロードして大人しく読んだ。
「君はないね。尻軽女にエルマンは似合わないよ」
どこぞの国の物語でのお見合い話から始まっていた。今はやりの異世界の物語。年頃にして高校生くらいなんだけど異世界の住人は見るからに大人っぽい。
「尻軽ですって!」
「尻軽だろう? 俺が声をかけるとすぐに付いてくるような女だ。エルマンの事だけを見てくれる女じゃないと俺は認めない」
「イケメンだからって調子に乗っているんじゃないでしょうね! エルマン様! この男は言葉巧みに私を連れ出したんですよ!」
えっと、お見合い相手はエルマンって人なんだよね? なんで一言も発さないのよ!それに対して罵り合う2人。
「もういい。貴女とは縁がなかったみたいだ。失礼」
冷酷な視線を令嬢に向けるとエルマンはその場を去る。はぁ? 見合い相手の女にこんな冷たい態度を取るなら初めから見合いなんてするなっての! もう一人の男もわざとこの令嬢に手を出したって事!? この男とエルマンの関係性がわからないけれど、なんとなく顔も似ているし名前も似ている。最低な男だわ。と少し腹がたって、寝酒用のワインを飲んで寝落ちしたのだった。
悪役令嬢に転生した私は、ストーリー通り婚約破棄されたので、これからは好きに生きていきます
光子
恋愛
「《ティセ=キュリアス》!俺は、お前との婚約を破棄する!」
乙女ゲームの悪役令嬢が、婚約者に婚約破棄を告げられるお決まりの光景。
ここは、私が前世でプレイしていた乙女ゲーム《光の聖女の祝福》の世界。
私はこのゲームの世界に、悪役令嬢ティセ=キュリアスとして転生した。
前世の記憶が戻ったのは婚約破棄される二年前で、それ以前の私が最低な性格をしていた所為で友達もおらずぼっちで、悪役令嬢のポジションなのにクラス最弱だけど、私は、悪役令嬢に生まれ変われた私グッジョブ!と心から喜んだ。
なぜなら私は、ゲームの非攻略対象キャラである、悪役令嬢の執事、《ウィル》が何よりも好きだから!
無事に婚約破棄され、晴れてフリーになったので、私はここから、非攻略対象キャラの悪役令嬢の執事、ウィルとのハッピーエンドを目指します!
ヒロインと攻略対象キャラの邪魔は一切しません!空気のように過ごします!
ーーーと思っていたのに、何故かエンカウント率が高い……!なんで皆、私のまわりに集まってくるのーー?!
乙女ゲーム《光の聖女の祝福》の舞台、魔法学園で、前世出来なかった恋も勉強も青春も!一生懸命頑張ります!
不定期更新。
この作品は私の考えた世界の話です。魔物もいます。魔法学園です。設定ゆるゆるです。よろしくお願いします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる