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26. アラフォー女子の精一杯

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 書き物机に両腕をついて突っ伏したまま、美桜はいつの間にかウトウトしてしまっていたようだ。
 ふと肩に何か触れたような気がして目を開けると、ぼんやりとした視界の先には黒っぽいトラウザーズと立派に割れた逞しい腹筋がある。

「お前は何処でも寝られるんだな」

 頭上から掛けられたのは呆れたような声だったが、美桜が座る椅子を軽々と片手で移動させ、未だ気怠く動かない体を抱き上げる手付きは優しい。
 
「ん……、あれ? デュオン?」
「何か書いていたのか? ひどく破いているところを見ると、書くのを失敗したようだな」
「うーん、まあ……そんなところ」

 寝起きのボンヤリとした頭で返事をする。デュオンの逞しい腕の中でゆらゆらと揺られているのはとても心地良い。
 何も着ていないデュオンの上半身の肌の温もりがまた眠りを誘い、起きなきゃと思うのに自然と瞼が落ち込んでしまう。
 
 今日は久々に出掛けたものだから余程疲れてしまったらしい。
 
「手紙なのか?」
「え?」
「書いていたのは、手紙か?」

 寝台に美桜をゆっくりと横たわらせたデュオンは、いつも帰って来たらするように軽く口付けをした後尋ねた。
 これだけ見れば二人はとても仲の良い恋人同士のようにしか思えないのだが、美桜自身はこの国で交わす挨拶のようなものだと思っている。

「手紙じゃない……ただのメモ」

 ふわりと香るデュオン愛用の香水が、何度も目を開けたり閉じたりする事で少しずつ意識をはっきりさせてきた美桜の鼻をくすぐった。
 
 いつもなら絶対にしないのだが、両腕を伸ばした美桜はデュオンの首を抱き寄せ、もう一度口付けをして欲しいというように目を閉じる。
 普段と違う行動に戸惑ったのか、ハッと息を呑むような気配がした後、デュオンの唇が美桜のそれに重なった。

(し慣れない事したから、デュオンったらびっくりしてる)

 ニヤニヤと自然に頬が緩んでしまうのを堪える美桜を見て何か思うところがあるのか、デュオンはほんの少し不機嫌な声になって問うた。

「メモ? 何だそれは」
「うーん……覚え書きみたいなものだよ」

 完全に眠気が覚めた美桜の目が、すぐ間近にあるデュオンの顔を捉える。シュッとして形の良い頬に美桜の手が添えられた。
 首筋を撫でられた猫のように、デュオンの切れ長の瞳が僅かに細まる。

「おかえり」
 
 入浴を終えたばかりなのだろう。濡れた金の毛先から垂れた雫が美桜の頬を濡らした。
 住む世界も風習も違うデュオンは、決して「ただいま」とは答えない。それでも美桜は毎日「おかえり」と伝えるようにしている。

 いつからそうするようになったのかは覚えていない。自然とそうなっていた。

「以前から気になっていたが、その『おかえり』というのはどういう意味なんだ?」

 デュオンの口から初めての疑問が投げかけられる。思いがけない言葉に美桜は目を見開いて驚くと共に、胸の真ん中に熱くてくすぐったい何かがジワジワと広がっていく心地がした。

 美桜の顔に満面の笑みが広がる。

「好きな人が無事に帰って来てくれて嬉しいって意味だよ」

 バッと音が立つくらい勢いよくデュオンが後退りする。想像もしていなかった反応に美桜も寝台から慌てて起き上がり、様子を伺った。

「え……どうしたの? 大丈夫?」
 
 心配する美桜から逃れるようにして二、三歩後退りするデュオンの様子は、明らかにおかしい。
 片腕で顔を覆い隠すようにして美桜から距離を取ろうとしているのだ。

「こちらへ近付くな」
「何で? ねぇ、どうしたの?」

 何がきっかけになったのか、訳が分からない美桜は寝台から足を下ろし、毛足の長い絨毯を踏みしめながらデュオンに近付いた。
 こちらが一歩足を踏み出す度にデュオンが後退るという一進一退の攻防の末、万が一にも考えもしなかった事が美桜の頭をよぎった。

(これってもしかして……照れてる? 嘘でしょ⁉︎ あのデュオンが⁉︎)

 信じられない事だった。いつも余裕で、傲慢で、強気なデュオンが、美桜の何気ない言葉で取り乱している。
 これはもしかすると夢でも見ているのではないかと思い、思い切り頬をつねってみた。非常に古典的な方法ではあるが、それだけしっかりと効果はある。

「い……ったぁ! やっぱり夢じゃない!」

 突然の美桜の行動が不審に映ったのか、デュオンはいつの間にやら普段通りの表情に戻り、どう言葉を掛けたらよいものかと思案しているようだ。

 これが二次元の世界のヒロインであれば、もっとドラマチックな展開に持っていけたかも知れない。
 
 ただし美桜の中身は日本生まれ日本育ちの、現実的な社会を生きて来たアラフォー女だ。それも、ある程度年齢がいってから乙女ゲームにハマるくらいだから、恋愛に関しては大した経験値もない。

 だからこそ自分の気持ちに素直に生きた方が小難しくなくて楽だった。

(今更失う物なんてそう多くはない。最近の感じだと即殺されるような事もないだろうし、それなら一か八か、当たって砕けろの精神よ! ウジウジ悩む方が面倒だもん!)

「私、デュオンの事が好きなんだけど。もしかしてデュオンも、私の事……好き?」

 照れ隠しに頬を掻きつつ、美桜の目はあちこちに泳いでいる。ドラマチックな恋の駆け引きなど知らないアラフォー女子の、精一杯の告白だった。

 
 

 

 
 
 
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