26 / 35
25. 美桜らしい決意
しおりを挟む「言いたい事がいっぱいあったのに、さっさと職場に戻っちゃうなんて」
美桜を屋敷に送り届けたデュオンはジョナサンとマリアに一言二言何か言うと、魔法使いと共にまた職務に戻って行った。
ものすごく不機嫌なのでは無いかとハラハラしたが、去り際に美桜を抱き寄せ深い口付けをしてから行ったので、どうやらそうでも無いらしい。
「魔法使い様がいらしていて良かったですね。火傷というのは痕が残りますから。ミオ様の腕に傷が残れば、デュオン様も悲しまれるでしょう」
汚れたドレスを脱ぎ、少し早めの入浴を済ませた美桜は、髪を梳かすマリアの言葉を黙って聞いていた。
「魔法使いって、たくさんいるの?」
「まさか。魔法使い様はこの国にもたった三人しかいらっしゃいません。そりゃあ世界を探せば一体どのくらいいらっしゃるのか、無知な私には分かりかねますが」
「あの人、デュオンの部下なのかな?」
「本日ミオ様をお連れになったのは第三騎士団に所属していらっしゃる方で、お名前はシヴァ様。三人の中では一番お若い魔法使い様です」
別れ際、ローブを目深に被っていた魔法使いの顔が一瞬だけチラリと見えたが、三十代後半から四十代くらいの、下がり眉と地味な顔立ちが何とも不幸そうに見える顔立ちをした男だった。
「シヴァ様……か。いい人そうだったな」
デュオンには苦労させられてそうだったけど、という言葉は飲み込んで、美桜は手のひらの化粧水を顔に塗り込んだ。
「それにしても、あのネックレスに魔石が埋め込まれていたなんて知らなかったよ。ねぇマリアは知ってた?」
「……ええ、まあ……」
「やっぱり。知ってたんだ」
どうしてあのタイミングで、騎士団の勤めに行っているはずのデュオンが、キンバリー伯爵家に突然現れたのかと不思議だった。
屋敷に戻ってからジョナサンとその話をしていたら、今朝方デュオン手ずから私の首に掛けてくれたあの重たいネックレスに、屋敷のあちこちに設置されてる映像記録用の魔石と同じ物が一つ埋め込まれていた事が判明したのだ。
「デュオンって鬼畜なだけじゃなく、ほんっとにかなりのヤンデレ気質だよね」
「何ですか? やんでれ?」
「……何でも無い」
元々美桜が茶会に行く事をあまり良く思っていなかったデュオンは、あの監視用ネックレスを特注して美桜に身に付けさせるという事で納得したらしい。
ジョナサンはデュオンに命じられてネックレスを特注したと話していたが、マリアもその事実を知っていた。
「何にも知らないのは私だけ……か」
改めて火傷をしたはずの右腕を眺めてみる。裏も表も全く火傷の痕など無く、綺麗なものだった。
熱々の紅茶が入ったティーカップを投げつけられたのは確かに驚いたけれど、あのくらいの年齢の箱入り娘だったら、思い通りにいかない事に癇癪を起こして物を投げつける事だってあるのかも知れない。
少なくとも二次元の世界では悪役令嬢がヒロインに紅茶をかけたり、池に突き落としたりするのはデフォだ。
「シンシア様、大丈夫かな?」
こうやって相手を心配出来ているのも、自分よりも苛烈にデュオンが怒っていたからだと思う。
それに火傷も治っているし痛みもないのだから、突然前髪を飛ばされたシンシアが何だか気の毒になった。
美桜の黒髪を梳かしていたマリアの手が止まる。それに気付いて美桜が振り返ると、マリアは何度か口を開けたり閉じたりしてから結局噤んだ。
「何?」
「キンバリー伯爵家はもう二度と、シュタルク侯爵家と関わろうとする事は無いでしょうね。デュオン様の大切な愛人であるミオ様を傷付けたのですから、即刻皆殺しにされたっておかしくは無いのですよ」
「えっ⁉︎ そんな大袈裟な……」
言いかけて躊躇なくシンシアに斬りつけたデュオンの姿を思い出す。確かにデュオンは、自分の『持ち物』に手を出した相手には容赦しないだろう。
この世界に友人と呼べるのはエリスだけ。美桜は密かに茶会に参加する事で友人が増えるのでは無いかと期待していたところもあったので、今日の噂が広まれば、もう二度と誰も美桜に気軽に近付こうとはしないだろうと思った。
「そもそもこんな事があったら、もうお茶会に行くのは禁止だってデュオンに言われそうだよね」
「まあしばらくの間は難しいでしょうね。社交界では瞬く間に噂というものが広がるものですから」
それでなくとも孤児院や買い物以外ではほとんどの時間を屋敷で過ごす毎日に、少々飽き飽きしてきていた。
時にはエリスに会いたいと手紙を送ったりもしてみたが、エリスはエリスで何やら忙しいようで、会えてもひと月に一度程度。
せめて新たな友人でも出来れば気が紛れるのにと思っていたところだったのだ。
(……って、私ったら何でこのままここでの生活に慣れようとしちゃってんの)
何もかも至れり尽せりのこの屋敷での生活は、居心地が良くてつい本来の目的を忘れてしまいそうになる。
マリアもジョナサンも、他の使用人達も美桜にとても良くしてくれる。これまで日本で孤独な一人暮らし生活を長い間送って来た美桜にとってみたら、ここでの暮らしはとても快適なのだ。
そう、ただ一つ、デュオンの気まぐれで美桜の生死があっけなく決定されるのだという事を除けば。
(いつまでたってもデュオンが何を考えているのか分かんないな。もしかしたら私の事好きなんじゃないかって思った事もあったけど、実際は替えのきく玩具としか思ってないって言ってたし)
忘れようとしていたはずなのに、思い出すと大きなため息が出る。
美桜が一人で何やら物思いに耽っては嬉しげにニヤリと笑ったり、反対に憂い顔でため息を吐くというのが日常的になっていたので、マリアも何も聞かずにテキパキと髪を整えていった。
「それではミオ様、一旦失礼いたします。何かあればお呼びください」
「ありがとう、マリア」
マリアが部屋から居なくなると、途端にシンとした沈黙が落ちる。
この世界に来て一番長い時間を過ごしている部屋。はじめは全てが目に新しく、文化の違いに戸惑いも多かったが、今では何処よりも落ち着く場所になっていた。
ふと目に留まったのは重厚な木で造られた書き物机。それと対になった椅子に浅く腰掛けてみる。
「ちょっと整理してみようかな」
美桜が日本で暮らしていた頃、時折スマートフォンのメモアプリにその時の状況や思いなどを書き記し、新たなアイデアやちょっとした気付きを得ていた。
今の状況に行き詰まりを感じていた美桜は、この世界ではかなり高級とされる紙を手に取り、これもまた憧れの道具だった羽ペンで考えをまとめる事にした。
恐らくテトラの補正によってラナトゥルの言語を難なく読み書き出来るのだが、日本語も書けるし読めるという事もつい先日気付いた。
今も紙に日本語で文字を書けば、美桜が何を考えているか誰にも知られずに済む。
「そもそも私が一千万リラを貯めようとしているのは……」
◆今の人生が終わる頃に、もう一度テトラと契約して新たな人生を得る為→もしやり直さなくていいなら一千万リラは不要◎
最後に美桜は羽ペンでグルグルと丸を描いた。初めは使い慣れなかった羽ペンも、今では上手く使いこなせている。
◆鬼畜ヒーローデュオンとの離縁→命の危機を脱する為→離婚してください系作品のヒロインはどうしてた? →知識を使って自立する? 姿を消す? 他の人とハッピーエンド?
羽ペンを持つ美桜の手が止まる。ペン先から流れたインクが、最後の文章をじんわりと滲ませた。
「他の人……」
(そういえば前に、テトラに攻略対象を変えてって頼んだ事もあったなぁ。私の好みは優しくて可愛いワンコ系キャラなのに、何でデュオンみたいな難易度高めのやつ鬼畜系ヤンデレキャラなのよって)
あんなに大好きだった乙女ゲーム、いつもドキドキしながら真っ先に攻略していたワンコ系キャラとの恋愛は、きっと大きな安心感と幸せを与えてくれるのだと思っていた。
(それなのに、何で今はデュオンの顔や声ばっかり思い浮かぶの……私の大好きなワンコ系キャラって、どんなだったっけ……)
どう考えても終わりは悲恋エンド、バッドエンドしか見えないはずなのに、他の人との幸せはもっと想像出来なくなっている。
机の上の紙を穴が開くほどじっと見つめ、長い唸り声を上げていた美桜はそのうち両手で紙をくしゃくしゃに丸め、そうかと思えばもう一度開いてからビリビリに破り始めた。
何か大きな決意をしたらしい美桜の横顔は、笑っていた。
「決めた。離婚してください系作品のヒロインになるのは諦める。どうせ病気で一回死んじゃったんだもん。今はボーナスステージだと思って、自分の心に正直に生きてみよ!」
142
お気に入りに追加
642
あなたにおすすめの小説
借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる
しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。
いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに……
しかしそこに現れたのは幼馴染で……?
ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない
斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。
襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……!
この人本当に旦那さま?
って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
彼氏に別れを告げたらヤンデレ化した
Fio
恋愛
彼女が彼氏に別れを切り出すことでヤンデレ・メンヘラ化する短編ストーリー。様々な組み合わせで書いていく予定です。良ければ感想、お気に入り登録お願いします。
お母様が国王陛下に見染められて再婚することになったら、美麗だけど残念な義兄の王太子殿下に婚姻を迫られました!
奏音 美都
恋愛
まだ夜の冷気が残る早朝、焼かれたパンを店に並べていると、いつもは慌ただしく動き回っている母さんが、私の後ろに立っていた。
「エリー、実は……国王陛下に見染められて、婚姻を交わすことになったんだけど、貴女も王宮に入ってくれるかしら?」
国王陛下に見染められて……って。国王陛下が母さんを好きになって、求婚したってこと!? え、で……私も王宮にって、王室の一員になれってこと!?
国王陛下に挨拶に伺うと、そこには美しい顔立ちの王太子殿下がいた。
「エリー、どうか僕と結婚してくれ! 君こそ、僕の妻に相応しい!」
え……私、貴方の妹になるんですけど?
どこから突っ込んでいいのか分かんない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる