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15. 離縁されるという事

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「いつまで寝ているつもりですか! デュオン様はもうとっくにお出掛けになりましたよ! これももう何度目でしょうね⁉︎」

 相変わらず刺々しいマリアの声で目を覚ます。

 そのうちカーテンが傷むのではないかと思うくらい思いっきり引っ張り、わざと大きな音を立てながら部屋に光を入れた。
 勢いよく掛布をはぐられ、重だるい体を引きずるようにして浴室へと連れて行かれたのだった。

「今日は昼まで寝てていいって言われてるのに……」

 愚痴をこぼす美桜を放っておいて、粛々と自分の仕事をこなすマリアに体の隅々までを洗われながら、他人に体を洗ってもらうのに随分と慣れてしまった自分にハッとする。

 ここに来てすでに四ヶ月が過ぎていた。

 暦や時間に関して、日本と変わらないので非常に助かっている。読み書きや言葉の壁も無いのは、テトラの力だろうか。
 
「やっぱり……自分で洗うわ」
「ダメです。これは私の仕事ですから」
「そんなの、皆に黙ってたら分かんないでしょ?」
「分かりますよ。デュオン様はこの屋敷の至る所に映像記録用の魔石を配置しておられますから。もちろんこの浴室や、寝室なんかにも。声は記録されませんけどね」
「え⁉︎」

 キョロキョロと辺りを見渡してみても、それらしき石のような物は見当たらない。どれくらいの大きさでどんな見た目なのか聞いてみたかったが、マリアは絶対に教えてくれるような気がしなかったのでやめた。

「どうしてそんな事するの? 貴族って、それが普通なの?」
「まさか」

 貴族の屋敷には使用人がたくさんいる。もしかしたら主人が不在の間にきちんと仕事をしているか見張るためだろうか?
 そう思ったのが伝わったようで、マリアに鼻で笑われた。

「魔石はとても貴重な物で、映像記録用だとしても一つで数百万リラはするのですよ。一般的な事じゃありません。このお屋敷は特別です。全てミオ様の為にと、デュオン様がわざわざお買い求めになられたのですから」
「え……どういう意味?」
「お勤め中にミオ様が何をなさっているのか、以前は私共に逐一報告するよう申しつかっていましたけれど、どうやらそれではご納得いかないようで」

 背中をゾゾゾと寒気が駆け上がった。あの騎士達が集う夜以降、デュオンが美桜に対して妙に優しい時がある。
 相変わらず『夜の方』は激しかったが、以前に比べてしつこいくらい時間をかけて虐めてくるような気がしていた。

(もしかしてデュオン、私の事……好きになっちゃったの? あの夜騎士達にナンパされて私が言い放った言葉に、すっごく感動したとか? 「俺の事をそんなふうに庇ってくれる女はいなかった」とかなんとかで、ヒーローが恋に落ちるパターンってあるよね。ほら、乙女ゲームだけじゃなくて恋愛漫画でも結構そういうパターンって王道だし)

 そう考えてみたものの、まだ信じられない。

「……嘘」
「嘘などではございません。それだけデュオン様に大切にされているのですから、もっとあなたは愛人としての自覚をしっかりと持って……」

 思わず「嘘」と口に出してしまったせいで、それを違う意味に捉えたマリアは、美桜の髪にクリーム状の何かを塗り込む手を止める事なく、嬉々とした顔でお説教を始めてしまった。

「…………ですから、価値ある愛人とはそういうものです。そもそも…………」

 口も手も忙しそうなマリアをそのままに、美桜はまた一人思考の海にどっぷりと浸かる。マリアは美桜が神妙な面持ちでお説教を聞いていると思っているらしく、都合がいい。

(いやいや、それこそそんな都合のいい話ある? そりゃあテトラがまた何らかの力で補正を加えているのかも知れないけど。ああ、考えてみたらあの性格の悪い死神ならやりかねないわね)

 その時、ザバァッと大きな音を立てて頭のてっぺんから大量のお湯をかけられた。突然の事で目鼻にお湯が入ってゲホゲホと盛大にむせ込んだ美桜に、マリアが呆れたように言い放つ。

「そんな事ではデュオン様に離縁されますよ」
「ゲホ、ゴホッ……ゴホッ! え⁉︎ 今なんて?」
「ですから、日々の努力を怠ればすぐにデュオン様に飽きられて、離縁されますよと申し上げたのです」
「りえん……って、離縁? 私とデュオン、結婚してないけど」

 この時の美桜はものすごく間抜けな顔をしていた。マリアの怪訝な顔がそれを物語っている。とはいえ、彼女は常にこういう表情しか周囲に見せなかった。
 
 美桜がここに来てからというもの、マリアの笑顔など一度だって見た事がない。長い付き合いのジョナサンだってそう言っていたのだから、マリアが笑うところなど想像すら出来なかった。
 そのマリアが、今度こそ呆れ果てたとばかりに肩をすくめる。

「本当にこのラナトゥル王国の事を何も知らないのですね! よくもまぁそれでこの国に出稼ぎに来ようと思ったものです! ミオ様のように他国から来て愛人商売で食べて行こうという女性は数多くおりますが、このように世間知らずではすぐ悪徳商人に捕まって、いやらしい貴族ばかり集まるセリにかけられてしまう事だってあるのですからね!」

(私ってまさにその状況だったんですけど。もしかしてマリアは私がここに来た経緯を知らないのかな?)

 余程気が昂ったのか、いつもより少々乱暴な手つきで髪を拭き取っているマリアに向かって、美桜は恐る恐る口を開く。

「私……この国に愛人になる為に出稼ぎに来たとかじゃなくて、気付いたら森で倒れてて、悪徳商人に捕まってセリにかけられたんだけど」
「……何ですって? 今、何とおっしゃいました?」

 さっきまでプリプリと怒っていたマリアの手が止まった。ゴシゴシと乱暴な手つきで拭き取られた美桜の髪の水分は、もうとっくにそのほとんどが布地に吸われている。
 
「だから、私は元いた国から突然この場所に置いてけぼりにされて、森の中で悪い奴に捕まったの。それで無理矢理スタントン子爵って奴が主催するセリにかけられたのよ」
「それじゃあ……ミオ様は愛人商売の為にこの国に出稼ぎに来た図々しい異国人などではないと? ですが、デュオン様がそのようないかがわしいセリの場に足を踏み入れるなどと、ありえません」
「でも実際にデュオンはシャルマンと一緒にスタントン子爵のセリに現れて、私を高額で競り落としたんだから。愛人商売だなんて知らないわよ。私はそんなの望んでなかった」
「まさか! シャルマン様と⁉︎ それは本当ですか?」
「嘘なんかつかないわよ。ただ私は自由に、幸せになりたかっただけなのに。どうしてこうなっちゃったのか、自分でも分かんないんだから……」

 そこまで言うと、突然美桜の目から大粒の涙が零れ落ちた。自然の流れだった。それに気付いたマリアが頭上でハッと息を呑んだのを、気配で感じ取る。

 美桜は今泣くつもりなど無かった。テトラに手放しで感謝するのは癪だったが、病床の美桜にとって使い道のないお金と引き換えに第二の人生を歩む事になったのは、幸運だとさえ思っていたのだから。
 しかし慣れない日々の連続で、少々疲れが出ていたのだと思う。

「愛人らしくって言われたって、私のいたところと文化も食べ物も何もかも違ってるし、これまでの経験やスキルなんて何にも役に立たない。努力して努力して、自立したデキる女って思われてたはずなのに、ここじゃまるで子ども扱いだし」

 急に情けなさが込み上げ、悲しくなって、それこそ子どものようにワーワー大声を上げて泣いてしまう。幼い頃、スーパーでお高めの知育菓子を買って貰えずに泣いていたあの頃みたいに。

 意外にもマリアは泣き崩れる美桜をバスタブ越しにギュッと抱きしめると、背中をさすったり頭を撫でたりした。
 その手の温もりに亡くなった母親を思い出し、美桜はまた涙が止まらなくなる。

「泣かないでくださいミオ様。申し訳ありませんでした。私、ミオ様の事を誤解していたのです」
「う……うう、うっ、誤解?」
「はい。お恥ずかしい話なのですが……話せば長くなるので一旦お部屋に戻りましょう」

 ひどい嗚咽混じりに尋ねる美桜に、マリアは風呂から上がるよう言った。長くなる話ならば、確かにこのままでは風邪を引いてしまいそうだ。

 素直にマリアの提案を聞き入れ浴室を出ると、ガウンを羽織ってから椅子に腰掛けた。

「……つまり、マリアは元々男爵家のお嬢様だったけど、お父さんが異国から愛人商売に来た出稼ぎの愛人と逃げたせいで没落して、お母さんは心労で亡くなっちゃったと。それで愛人商売をする女性に、ひどい嫌悪感を抱いていたって話よね?」

 話は長かった。マリアは小一時間ほどかけて、自分の生い立ちからこれまでの人生を丁寧に語ってくれたのだ。

「はい。その通りです」
「だから愛人のくせに至らない私の事が嫌いだったってこと?」
「嫌い……と言いますか、誤解しておりました。わざわざ出稼ぎに来て愛人になったくせに、色々と怠慢だと。立派な愛人として振る舞ってくれれば、私だってこの風習は貴族にとって必要な事なのだと割り切れるのに、と」

 とても言いにくそうに口にするマリアは、いつもの仏頂面ではなく人間味のある困り顔だった。
 
 美桜の母親が亡くなったのは四十五歳。だから恐らく年頃は同じくらいか、マリアの方が少し上だろう。それもあってか、これまでいくらチクチク言われても美桜はマリアを心底嫌いにはなれなかった。
 
「私のこれまでの振る舞いを、どうかお許しください。ミオ様がそのように突然不幸な目に遭った方だったとも知らず、使用人としての態度を逸脱しておりました。ご主人様に訴えられ……斬られても構いません」

 マリアはその場に跪くと両手を胸の前で組み、神妙な面持ちで美桜を見上げる。
 
(これからちょっとだけ私に優しくしてくれたら嬉しいけど、それでデュオンに斬られるだなんて大袈裟だなぁ)

 美桜はすっかり首を垂れてしまったマリアの肩をポンポンと叩いて笑う。日本でもよく仲の良い後輩の肩を叩いては笑っていた。
 彼らも美桜がいなくなって、少しは寂しく思ってくれてるんだろうかと思いを馳せる。

「私はデュオンに告げ口したりしないわ。あなたとはこれから仲良くなれそうだし、デュオンはきっとあなたの事を信頼しているはずだから」
「本当ですか?」
「だから、いちいちそんな事で嘘なんかつかないわよ。不束者ですが、これからもよろしくお願いします」
「ありがとうございます! このマリア、これからはミオ様の為に誠心誠意尽くします!」
「あはは……大袈裟だよ」

 まるで武士か何かのように堅苦しい事を言うマリアを前に、美桜は屈託のない笑い声を上げた。
 未だに文化も常識もよく分からないこの世界で生きていくのなら、身近なところに一人でも味方を増やしておきたい。
 魔石でデュオンに監視されているなら尚更のこと。

(ああ、思い出しただけでゾクゾクしてきた。本当、デュオンってヤバい奴よね)

 ブルルッと身震いをした拍子に「そういえば」と思い出し、気になっていた事をマリアに尋ねてみる。マリアは先程までの意気消沈ぶりが嘘のように、すっかり本来の元気を取り戻した様子で立ち上がった。

「ねぇ、さっき離縁って言ってたけど、愛人でもそういう制度があるの?」

 その問いにマリアは大きく頷き、胸を張り、自信満々の態度で口を開く。
 よくよく考えてみればマリアは単純な性格なのかも知れない。何を考えているのかさっぱり分からない相手よりは安心できる。

「愛人がご主人様に離縁されれば、全ての地位や権利を失い、身一つで追い出されるのも珍しくはないのです。まあ、それは離縁の理由にもよりますが」
「離縁の理由……」
「たとえばご主人様側の理由で愛人を囲えなくなった場合など、お互いが合意した円満な離縁ならば手切れ金を貰える事もあります。経済的な理由や愛人の人員整理などの場合ですね。中には一人の愛人に心を奪われたご主人様が、他の愛人を離縁する事で愛を示す場合もあります」

 まるでリストラのようだ、と美桜は思う。マリアは美桜が神妙な面持ちで話を聞き入っているのを確認し、言葉を続けた。

「逆に身一つで追い出される場合は、愛人が大きな不手際を働いたか、他の男性に懸想をした場合などが多いようですね」

 そうだとすれば、美桜はデュオンとの円満な離縁を目指すのが良さそうだ。身一つで追い出されるのと手切れ金を貰うのとでは、その後の人生に大きな差が出てくる。
 それにデュオンが相手の場合は、不手際や浮気があれば問答無用で即刻斬り殺されるかもしれない。そうなる事は避けたい。

「デュオンに愛する人が出来たら、私は手切れ金を貰って離縁する事になるのね」

 美桜としてはそうなる事を望んで口にしたのだが、マリアの方はというとそうは思わなかったらしい。
 大きく頷き頑張れという風にグッと拳を握って見せた。

「そうならない為にも、ミオ様には頑張っていただきませんと!」

 それからマリアは小一時間ほど価値ある愛人に関しての持論を展開し、いつも以上に熱の入った指導を行ったのだった。
 

 
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