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10. そうだった、この人って怖い人だった
しおりを挟む「あらあら、馬子にも衣装という言葉がまさにぴったりだわ」
このようなマリアのちょっと刺々しい感想も、今日ばかりは美桜の落ち着かない心をほんの少し安心させる。
そう、あっという間に美桜の恐れていた日がやってきたのだ。
特別なドレスを身に付け、騎士団の集まりに出席する日。早い時間からあれこれ忙しなく支度をしていたが、やっとの事で全ての支度が終わり、出掛けられるようになった。
(っていうか、馬子にも衣装って言葉……こっちの世界にもあるんだ)
慣れないドレスを身に付けるという事だけですっかり疲れてしまい、げっそりとした美桜が思わずため息を吐く。
けれどもマリアは自分が手がけた美桜の仕上がりに非常に満足しているらしく、何度も頷きながらあちらこちらと細かなところまで最終確認をしていた。
「きっとデュオン様も喜ばれるでしょう。今日は誰よりも価値の高い愛人らしく、デュオン様をしっかりと引き立てるのですよ」
「は、はぁい……」
「返事は短くなさい」
「はい」
「さあさあ、デュオン様は既にサロンでお待ちです。急ぎますよ」
「はぁい」
「返事は……」
「短く、ですよね。ごめんなさい」
相変わらず迫力あるマリアのひと睨みに笑顔で返せるくらいには、美桜もここの暮らしにすっかり慣れた。
生物には適応能力というものがある。会社員時代から美桜は割とその能力が高い方だったと自負しているが、ここでもその力は役立っている……と思う。
生活に慣れてみれば、来た頃に比べるとストレスが随分と減った。
それにしても今宵美桜が身に付けているドレスは、大まかな形こそ彼女がかつてデュオンに話した日本の着物をイメージして仕立てられたドレスだけれども、明らかに本来の着物とは生地も着方も似て非なるものだった。
美桜自身は着物について特段詳しいわけでは無かったので、本格的な着物はどのようにして作られるのか、詳細については分からなかった。そもそも自分で着付けが出来るほど頻繁に着ていた訳でもない。
予定がある日に美容院で着付けをしてもらい、そのまま出掛ける程度だったのだ。
ゆえにいつかの美桜が着ていたような、完全なる着物は再現出来ず、出来上がったのは『着物風ドレス』と言うべき代物である。
それは薄いオーガンジーのような生地たった一枚に、宝石がこれでもかというほど多く縫い付けられていて、袖と裾にあしらわれた見事な刺繍は確かに美しい仕上がりとなっている。
けれども、いかんせん『いやらしい』のだ。
なにしろ薄い生地の下は素肌にビキニみたいな下着を着ているだけで、その下着も特注で宝石がバカみたいにたくさん散りばめられている。
洗濯などどうするつもりだろうかと美桜が心配になるほど、非実用的な代物だった。
「こんなの……着物じゃない」
(そりゃあ夜のお店ならこういうデザインの着物もあるのかも知れないけれど、私は今から日本で言うパーティーに参加するんでしょ? それなのにこんな格好で行けば、絶対浮いちゃうに決まってる!)
試着していた時も薄々感じていたのだが、いざこれを着てパーティーへ行くのだと思えば、尚更気が重くなる。
こんなに摩訶不思議でふしだらな格好をして行けば、周囲に笑われるのではないかと心配だったのだ。
「やっぱり着替える」
デュオンが待つサロンの扉のすぐ前まで来て、やっぱり無理だとくるり踵を返す。
(どんなにマリアが恐ろしい顔で睨んできたって、流石にこの格好でパーティーに参加するなんて無理!)
突然の行動に慌てふためくマリアと、多くの時間をかけてこのドレスを仕立てた仕立て屋には少しだけ申し訳ないと思う。
それでも美桜は自分の感情に嘘がつけない。このささやかな胸では特に似合っていない気がしたのだ。
その時、ガチャリと目の前の扉が開いて、不機嫌そうな声が投げかけられる。
「遅い」
「え……」
これってよくあるお決まりのシーンだななどと考えている美桜の前に、いつもにも増してきちんと身なりが整えられたデュオンが姿を現した。
普段着ているカッチリとしたデザインの黒の騎士服や、休日や寝る前のラフな服装とも違う。騎士服の豪華バージョンといった感じの、いかにも式典用のものだと分かる白をメインとした格好をしたデュオンは、金の髪の毛もいつも以上に豪華な髪紐で丁寧に結ってある。
「なんか……いつもの騎士服とはイメージ違うね。肩や胸に金色の紐なんかいっぱい付けちゃって」
「こんな派手な服を着て戦に行けるわけがないだろう。あくまでもこういう集まりや式典用だ」
「やっぱり。そうなんだ」
相変わらず何を考えているのか分からない、伏し目がちな淡い青色の瞳だったが、下から覗くといつもよりほんの少しだけ明るい色に見える。何だか機嫌が良さそうだ。
「そうだ! やっぱりこのドレス、私には似合わないと思うんだよね。もう少し地味なやつに変えた方がいいと……んんんっ、んぅッ」
マリアがダメならデュオンにドレスの事を直訴しようと思った美桜だったが、必死の訴えはいつもの強引なキスで却下されてしまう。
こういう時は、いくら美桜が訴えてもまともに聞き入れてくれないのだ。
「お前は俺の愛人だ。もっと胸を張れ」
(それでなくとも小さいんだからという最後の声は、聞こえなかった事にしよう)
それから目に見えて上機嫌のデュオンは、廊下で使用人とすれ違う度に恥じらいから俯いたままの美桜を面白そうに眺めながら、悠々とエスコートして玄関ホールに向かう。
実は美桜にとって、この屋敷に来てから初めての外出だった。
玄関ホールではジョナサンをはじめとした使用人が、一列に並び笑顔で見送りをしてくれている。未だに自らのドレス姿に納得していない美桜は居た堪れず何も言えないでいたが、デュオンが「顔を上げろ」と耳元で言うので従った。
「美桜様、そのような形のドレスは初めて目にしましたが、とてもお似合いですよ。いってらっしゃいませ」
ジョナサンがそう言ってくれたので、美桜はほんの少し安心する。デュオンはともかく、常識人のジョナサンがそう言うのだから、この姿で出掛けてもおかしくはないという事だろう。
他の使用人もジョナサンと同じ、晴れやかな笑顔で二人を送り出してくれる。マリアだけは「余計な事を口にするな」とばかりに迫力ある凄み顔だったが。
やがて美桜とデュオンは侯爵家の馬車に乗り込んだ。舗装されていない道を走る馬車は、現代の道路や自動車での移動と違って時折大きめの揺れや振動はあるが、しっかりとした座面のお陰かお尻が痛くなるような事はない。
「ねぇデュオン、ジョナサンが言ってたんだけど、今日の集まりに参加したら三十万リラくれるって本当?」
一晩の交わりで十万リラ、そして今回の集まりで三十万リラが貰えたら、美桜の貯金は四百三十万リラになる。それらは自室の宝石箱の奥の奥へと隠してあった。
(一千万リラを貯めるなんて絶対大変だと思ってたけど、日本でいた頃よりは断然早く貯められそう)
馬車に揺られながらデュオンに尋ねた際、知らず知らずのうちに嬉しさが美桜の口元に現れていた。するとデュオンは、不審なものでも見るかのようにスッと目を細めたのである。
「やけに嬉しそうだな」
「嬉しいに決まってるよ。だってもう四百三十万リラ貯まったわけだし。一千万リラまであと半分とちょっとって思ったら……」
「その金、一体何に使うつもりだ?」
「え……」
一千万リラ貯まったら、『それと引き換えに死神テトラに第三の人生を約束してもらってます』だなんて突拍子もない事はとても話せない。
だからといっていやに鋭いデュオン相手では、適当な話で納得して貰うのも難しそうだ。
喜びからついつい緩んだ口を恨めしいと思ったものの、もうあとの祭りである。
「一千万リラの使い道は……老後のため?」
「ほう……老後のためだと?」
「そう、老後」
「老後という頃まで自分が生きていると信じて疑わない能天気なところは、お前の良いところなのかもな」
「えっ⁉︎」
それ以上デュオンは何も話さなくなった。ずっと窓の外の景色をただ眺めているだけで、一言も口を聞かないのだ。
怒っているようにも見えたが、何となく気軽に声を掛けづらい。
――「これからは俺の愛人として飽きて殺されないように、精々努めるんだな」「俺を怒らせるな。飽きさせるな。それが唯一お前が死なない方法だ」
その時美桜はハッとする。近頃はデュオンも機嫌が良く優しい時があったりと平和そのもので、ついつい忘れがちだった初期の恐ろしさを思い出したのだ。
美桜の命はデュオンが握っているも同然、そんな大事な事を危うく忘れそうになっていた。
(これは、なるべく早めにお金を貯めないと安心できないわね)
そこからしばらくの間、背筋がゾクゾクが止まらないのだった。
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