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15. 微妙にすれ違う二人
しおりを挟むマリーはやはり温室にいた。
ガラス張りの温室はほんのり暖かくて、いつも冷たくなったマリーの心を癒してくれる。
「どうして逃げてきてしまったのかしら……。きっとリュウ・シエン様は呆れているわ。せっかく助けてくださったのに」
薔薇の花たちへ話しかけながら、マリーはその紫色の瞳に透明の膜を張った。
やがてそれは大きな雫となり、マリーの頬を伝う。
「だって、なんだか恥ずかしいやら切ないやらで訳が分からなくなってしまったんだもの。リュウ・シエン様が私に優しく接するのは、早く呪いを解いて欲しいからだわ。決して私のことを好きだとか、そのようなことではないのだから」
薔薇はもちろん答えたりしないが、マリーはいつも落ち込んだり悲しいことがあると母親の育てていた薔薇にこうやって話しかけるのだ。
それはまるで母親に話しかけているような気分になれるから。
「きっと呪いが解けたら、リュウ・シエン様はさっさとこの屋敷を去って国に戻ってしまう。私はこの初恋を胸に秘めて、また変人の魔女令嬢と呼ばれて生きていくのね。アルバンのことは、まだどうなるかは分からないけれど……」
せっかく知った初恋は、期間限定の契約恋愛で。
自分自身が言い出したことだからこそ、どうにもならない切なさが込み上げてきて、マリーは鼻の頭を赤くした。
「私は既にリュウ・シエン様のことを想っているから、あとはリュウ・シエン様が一時でも私のことを想ってくれれば呪いは解けてしまう。カボチャ姿でいるのは苦痛なようだから、何としてでも私のことを愛そうとしてくれているはずよね」
リュウ・シエンがマリーのことを愛したとしても、それは呪いを解くためのもので。
「そんなの、嫌……」
マリーは自分の髪のように真っ赤な薔薇の花を、指で優しく触りながらため息を吐いた。
ガチャリと音がして、温室の入り口の扉が開く。
誰が来たにしても見せたくはないと、急いで涙を拭ったマリーがそちらへと目を向けるとそこにはカボチャ頭のリュウ・シエンがいた。
「マリー、急にあんなことをして悪かった。とにかくあの女から助けないとと思って言ったことだったが……。もう少しよく考えれば、うまいやり方があったかも知れない」
リュウ・シエンの表情はもちろん分からないが、その声音はどこか元気がないように思えた。
いつもの少し横柄なほどの自信の満ちた声音ではないことにマリーは気づいた。
「あんまりな言い分に、今の自分の姿がこれだということすら失念していた。悪かった」
リュウ・シエンはゆっくりとマリーに近づきながら、声の届く程度の距離で立ち止まって謝罪した。
マリーは咄嗟に何も答えられなかった。
自分の思っていたことと全く見当違いのことでリュウ・シエンが謝っているから、どうしたものかと思案していたのだ。
しかしだからと言って正直に自分の気持ちを話す勇気はない。
「……いえ、助けてくれてありがとうございました。プラドネル伯爵令嬢から話を聞いてアルバンがどう出てくるかは分かりませんが、そもそも今日のようなことがあったのですから。それを理由に断ることだってできるかと……。この点ばかりは、女たらしのアルバンに感謝するしかありませんね」
マリーはサラのおかげで婚約を断る真っ当な口実ができた。
プラドネル家のサラと揉めてまで婚約することはできないと。
「そうか。確かに、今日の突撃は婚約を断る良い口実にはなったな」
「はい。ですから、リュウ・シエン様は謝らないでください。どちらにしても呪いは解けるようにきちんと協力しますから……。心配しなくても大丈夫です」
リュウ・シエンはマリーの言葉に何も返答しない。
ただ、そのカボチャ頭でじっと立ち尽くすだけだった。
「……ほら、やっぱりそこが心配だったのね」
マリーはポツリと悲しげに小さく呟いたが、離れた位置でいたリュウ・シエンには聞こえなかった。
リュウ・シエンの方はというと、マリーが自分の咄嗟の行動を怒っていないことやアルバンとの婚約を断れる口実が出来たというのに、未だにどうして辛そうなのか理解できずにいたのだ。
二人ともが微妙に遠慮した結果のすれ違いによって気まずい雰囲気の流れる中、マリーは努めて明るい声を出した。
「そうでした! サロンでお茶でもしようと思ってお呼びたてしたんでしたね。今から参りましょう」
リュウ・シエンはそんなマリーの虚勢のような声に、カボチャ頭でもそれが伝わるほどに困惑していた。
「ああ、だが……」
「リュウ・シエン様! それ以上何もおっしゃらなくてもいいんです。全て分かっていますから」
マリーは、リュウ・シエンの口から何か決定的な言葉を聞きたくない一心で言葉を被せて遮った。
その決定的な言葉というのは、『呪いを解くため』とか『契約恋愛のため』とか散々今までもお互いに言ってきたような言葉の数々ではあったが、今はそんな言葉をリュウ・シエンの口から絶対に聞きたくなかったのだった。
リュウ・シエンの方も、そんなマリーに対してどうしたら良いのか分からずに黙ってしまう。
数々の商談を成功させてきたこの男も、繊細な女心には疎いのだ。
「さあ、それではサロンへ参りましょう」
マリーは儚くも見える無理矢理な笑顔をリュウ・シエンに向けて温室を出た。
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