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46. 親子で家に
しおりを挟む当初の予定よりも少々早く、美桜と弥兵衛は庄屋の屋敷を後にする事に決めた。
「庄屋さん、本当にすまねぇ。椿が迷惑を掛けた事に関して、全ては父親であるおらの責任だ。けど百合には罪はねぇから。どうかこれからも百合をよろしく頼みます」
弥兵衛は騒ぎを起こした椿の事でひどく心を痛め、いくら人の良い庄屋達が気にするなと言っても、早目に屋敷を去ると言って聞かなかったのだ。
今後屋敷での百合の立場が悪くならないかと、それを気にして何度も何度も頭を下げる。
可愛い娘が嫁ぎ先で肩身の狭い思いをするのは、親として辛かったのだろう。
「弥兵衛さん、心配せずとも大丈夫。努力家で優しい百合は娘の居なかった私達夫婦にとって、本当の娘のように大事な嫁ですよ。それはこれからも変わりません」
泣きながら深々と頭を下げる弥兵衛の身体を支えるようにして、庄屋は貰い泣きしつつそう言った。
ゆっくりと噛み締めるようにして口にした言葉には、庄屋の妻も百合の夫もしっかりと頷いている。
「ありがとよぉ。百合ぃ、良かったなぁ」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった弥兵衛が夫の隣で司郎を抱く百合の方を見ると、百合は心から幸せそうに笑っていた。
「だけど椿さんは一体どこへ行ってしまったんだろうね。弥兵衛さんも、行方知れずの椿さんが心配でしょう」
庄屋は同じ父親として弥兵衛を慮る。
あれから集落の隅々だけでなく弥兵衛の家がある隣の集落まで多くの人手を出して探したが、椿は見つからず、その行方を知る者も居ないのだった。
「本当になぁ。一体どこへ逃げちまったんだか。おらの身体がこんなんじゃなけりゃ、何とか見つけ出してしっかり償わせるんだがな」
「まあ今はとにかく身体を大事にしてください。万が一にも一人で暮らすのが難しいようなら、言ってくれれば人を遣わせますから」
「これまで散々庄屋さんには迷惑を掛けたんだ。そこまで頼むわけにはいかねぇ。それに、度々友人が様子を見に来てくれる手筈になってるから、おらの心配はいらねぇよ」
そう言って笑う弥兵衛に、庄屋は口元と眦の皺を深めて笑い返す。そして次に美桜の方へと視線を移した。
「美桜さんも、これからは牛鬼の倅と共に山の上の店を手伝うそうだね。弥兵衛さんの事は百合も私もよくよく見守っていくから、安心して山へ戻りなさい」
「本当に、庄屋さんには良くしていただいて……ありがとうございます。山深い所ですけれど、司郎が山道を歩ける程大きくなったら、是非お店に寄ってください」
「ああ、そうさせて貰うよ」
その後は司郎や百合とも別れを済ませ、近々実家の方へも寄るという百合の言葉に笑顔で頷いた弥兵衛は、美桜と共に隣の集落にある家を目指して庄屋の屋敷を後にする。
健康な足で歩けば昼前には到着するだろうが、恐らく弥兵衛の片足に未だ少し不自由さが残っている事を考えると、昼をとっくに過ぎてから到着するだろうと思われた。
「すまねぇな、美桜。おらの我儘に付き合わせてよ」
山の主は家まで乗せて行ってやると申し出てくれたが、弥兵衛の方が丁重に断ったのだ。
これから一人で暮らしていくのに、少しは自分の身体を鍛えなければならないと。
「私は大丈夫よ。この懐かしい景色をしっかりと覚えておきたいし」
美桜と弥兵衛が並んで歩く道の左右には田んぼが広がり、青々とした稲がシュッとした葉を天に向けて伸ばしている。
時折吹く風にその稲が靡くと、田んぼ全体がまるで緑色をした海のように、横一直線に色を微妙に変化させながらざあっと波打つのだ。
「そうだよなぁ。お前も山へ戻ったら、田んぼなんか近くで見れねぇもんなぁ。今みてぇな青々とした稲も、黄金色に熟れた稲穂だって、ここにしか無い景色だ」
患った方の足をほんの少し引き摺る弥兵衛の歩みに合わせながら、美桜はゆっくりと里の景色を目に焼き付ける。
遠夜が待つ麺処あやかし屋へ戻ったら、余程の事がない限り里へ戻って来る事は無いだろうから。
「椿姉さんは、一体どこへ行ってしまったのかしら……」
「さぁなぁ。産土神様でも分からねぇ事は、おら達にはとても分からねぇ」
この土地について全てを把握しているという産土神なら椿の行方を知っているかと思ったが、どうやら既に椿は近くに居ないらしく、産土神でもその居所は分からないと言われた。
あくまで産土神はここら一帯の土地神であり、その土地から離れたところについては自身で認知のしようがないのだそうだ。
出来るとすれば、他所の土地のあやかしや物怪から情報を集める事くらいだと言われ、弥兵衛はそれを断った。
「椿は自分から姿をくらましたんだ。今はおら達に会いたくねぇんだろう。また会いたくなったら姿を見せてくれるさ。その時にはおらがしっかり叱りつけてやる」
「おととさん……」
「誰が何と言おうと、椿だっておらの娘だからなぁ。百合や美桜と同じで、おらにとってみれば大事な娘なんだ」
弥兵衛はよく動く方の腕で乱暴に目元を擦り、そうしてまた前を向く。しゅんと啜った鼻の頭は赤くなり、下瞼には涙の雫がまだ光っていた。
「だからもしいつか椿が戻って来たら……おらはうんと叱ってから笑って受け入れてやる。それがおらの役目だ」
力強く明言した弥兵衛の言葉に、美桜は大きく頷いてから笑いかける。
そこからまた親子二人、家への道のりをゆっくりと歩き始める。
夏特有の洗濯物を日干ししたような優しい香りが、ふわりと美桜の鼻をくすぐった。
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